番外編:妄想少女
ほぼ設定どおり、素のままの絵美奈視点です。
儚い薄幸の少女のイメージを守り抜きたい方は、リターン推奨いたします。
その人は笹を抱えたまま、子供を振り切って家に入ろうとしていた。目の前でサラリと長いダークブラウンの髪が揺れた。綺麗なうなじに、引き締まった逆三角形の体。園児が楽しそうにその後をスキップしている。ハーメルンの笛吹男みたいだ。
「だめよ?」
園児を注意するときに声が低くなってしまうのも、やたらと怒気が満ちるのも、あのコアックマ看護師の影響に違いない。
「大柄・大声・大雑把。文字だけ乙女って笑える」
あの人は、そんな風に噂して笑っていた。少しだけ茶色の強いサラサラの髪の毛も、白さが際立つ肌も、整った目鼻立ちも、簡単に思い出せる。ひょろひょろと伸びた手足は男の人にしては華奢で、中性的な印象だった。だから初めて見つけた時、なんの途惑いもなく助けを求めてしまったのかもしれない。
でも目の前の人は違う。彼に似ているけれど、違う。しっかりした大人の男の人の体だ。髪の色も彼の髪より暗い色。この時期になると特に酷くなる幻覚に違いない。七夕は、私にとっては特別だから。
笹をしまおうとしている男の人について行く、手前にいた二人目の園児の服を掴む。
「笹を飾っていないお家を回るのは禁止…………」
その時、振り返った男の人と目が合う。
なんだろう、この感じ。
知らないようで、知っている。
知っているけれど、知らない。
「赤井先生!」
園児の声に、目の前の男の人がびくりと跳ねた。
――まさか!
私を見るその人の目は、幽霊でも見ているようだ。薄暗い玄関の外灯だけでは、いくら目を凝らしても、はっきりわかる訳がない。その時、玄関から洩れる光で、男の人の姿が浮かび上がった。覚えていた中性的な顔立ちよりも精悍な印象だった。整いすぎて冷たく見える程の綺麗な顔に、寂寞が滲む。
何故ロン毛。どうしてロン毛。
一番聞きたいことがそこか! と突っ込まれるの必須でも、どうか言わせていただきたい。
一つにくくった髪の毛の先までサラサラだ。汚らしいおっさんぽい人なら不潔にしか見えないし、もう少しか弱い体ならオカマに見えるのに、慶人さんはその中間だった。しかも、触りたくなるほど綺麗なうなじ! を裏切る広い肩幅。最初に会った時も思ったけれど、成長後の方がよりカッコイイ!
履き古したジーンズはところどころ破れているけれど、お尻が形よく上がっていて、Tシャツからは筋肉質の腕が。男性誌のモデルみたいだ。中性的な少年から、大人の男へ変貌したその姿は、またもや私を一目惚れさせるには十分すぎるほどだった。
「……慶人さん」
本当は、言ってしまいそうだった。
――なんでそんなに哀愁漂うイケメンに成長しちゃってるんですか!? と。
トルコランプの明かりが漏れるその店で、話しながらもチラチラその姿を見てしまう。一瞬冷たいと感じてしまう程整った目元が、私を見るときに優しく緩むのが好きだった。今もその眼差しは変わっていなくて、胸の奥がギュウギュウと締め付けられっぱなしだ。
逢いたくて、逢いたくて、夢でも名前を何度も読んだ。夢の中に一度も出てきてくれることはなくて、きっともう、忘れられてしまったんだろうと思っていた。
「君のためにケイトは、今ある全ての幸せを賭けるって」
五島くんが教えてくれた出来事は、あの時の私の幼さを浮き彫りにさせた。
あんな風に慶人さんのことを傷つけたのに、今更もう一度手を繋ぐことなんて出来るはずない。話しながら必死に忘れよう、諦めようと思うのに、じっと見つめられるとあっという間に、あの頃の自分に戻ってしまう。
ごめんなさい。もう健康なんです。握力なんて四十あるんです。子供相手なので体力が資本なんです。言葉に詰まるたびに心配そうに伺う姿に、一瞬そんな事を言いそうになって、必死で押さえた。
「僕が絵美奈を守る」
そんな風に慶人さんが、五島君に話していたことを、聞いたから。
――今、私、園児にコアックマって呼ばれてるんです。
だめだめ、言っちゃいけない。本性を隠していることに罪悪感を感じても。儚くて寂しげな私を守ろうとしていた慶人さんの夢を、絶対壊してはいけない。主に、私のために。猫でもゆるキャラでも薄幸の少女でも、何でも被り続けます。慶人さんを傷つけないためならば! こんな素敵な人と一時期でも付き合っていたなんて、そんな幸運、二度とやってこないに違いない。
ごちゃごちゃと脳内で言い訳を垂れ流していたその時に、大きな手が、私の手を包んだ。
――キャーーーーーーーー! 慶人さんの手! 気絶しそう!
「絵美奈が生きていてくれて、良かった」
低音掠れ声がズキューーーーン! と心臓を射抜く。
憂いを含んだ笑顔とか、大人の魅力? カッコ良すぎる。心臓が爆発しそうなほどドクドクし続ける。顔面紅潮どころか全身赤い。そのまま手は慶人さんに包まれている。てか、握られてるよ、握られてる! そのまま手を持ち上げられて、何故かその整った口元に……。脳内実況をかけている間に、柔らかな感触が手の甲に落ちた。
お、王子様キス!?
「あ、ご、ごめん。向こうでの生活長くって、つい」
ついうっかりすることじゃないです! 心臓止まる、今止まってる! 絶対に!
「ごめん、嫌でしたか?」
その声で敬語とかやめてぇ! テーブルの下で足をじたばたさせたくなるから! 声も出せずにふるふる必死で首を振ると、本当に柔らかな笑顔が向けられた。心臓鷲掴みだ。もう死にそう。
「明日も会えますか? 絵美奈」
言葉の意味を噛みしめる前に、眦に溜まっていた涙が、どばどば流れてくる。あまりの勢いで目の前が滲んで慶人さんの顔が良く見えない。もっと見ていたいのに、もったいない。嬉しすぎて子供の様にひっくひっくと泣いてしまう。しゃくりあげる私に、更なる試練が襲いかかった。
「……泣かないで? 絵美奈」
ふわりと体が支えられた。
頬に綿布の感触がする。頭を撫でる大きな手。体を支える腕。男の人の匂い。思わず頬を擦り付けそうになって、やめる。危ない。月の光に消えそうな女の子の幻想が台無しに。
ああ、でももう、幸せすぎて気絶しそう。
「ずっと絵美奈と一緒にいたい」
その言葉に、両腕を背中に回して、うっかりガバリと抱き着いてしまっていた。
「離れるの、イヤです」
こんな我儘言っても、一度向こうに帰らなきゃいけないことは解っている。でも辛い。
この二日間、楽しすぎた。慶人さんは私をお姫様みたいに扱ってくれた。階段を降りるときに手は添えられるわ、ドアは必ず開けてくれるわ、あたかも当然のように。今まで付き合いで参加した合コンに来ていた男たちなど、この人のスマートさに比べたら、年少の子供の様だ。こんな風にレディファースされたら、誰でもシンデレラ属性になるのね! コアックマが乗り移ったかの様な今の私でも、おしとやかに歩いてしまう。優しさがこそばゆいのに、嬉しい。
「ちゃんと9月には帰ってきますから」
そう言って体を離そうとする慶人さんに巻きつく。なんてったって、握力四十だ。そう簡単に離したりしない。
「浮気したら困ります」
ふくれっ面でうっかり漏れた本音に、いつもは釣り目がちな明るい茶色の瞳が、優しく細められた。
「ちゃんと絵美奈の所に帰ってきます。だから、今度は貴方が僕を信じて待っていて下さい」
その瞬間、私は慶人さんに飛びついてしまいました。そして、しばしのお別れのキスを、しました。
貴方を見つけることが出来たのが、私の一番の幸運だから。今度は私が私の全てを賭けて、慶人さんを幸せにします。絶対に!
どこまでも晴れ渡る空に流れる風を、飛行機の翼が捕えて高く舞い上がる。あの時イヤホンのコードを引っ張った手を振って、見えなくなるまで、機上の人になった慶人さんを見送った。
結局本編では出せなかった絵美奈の本性が、実は結構残念な子で、大変申し訳ありません。慶人の方が乙女だったかも。
最後までのお付き合い、ありがとうございました。