七夕祭
「七夕か、懐かしいな」
笹の葉を折り紙で飾ったものが、各家の玄関に立てられていた。賑やかな街並みがお祭りのように気分を盛り上げる。
「そうでしょう。この日はとっても賑やかなのよ」
蝋燭でも貰いにくる子供がいるのかな?
その程度の知識しかないのは、こういう風習にあまり触れる機会がなかったせいかもしれない。
「今日の夕暮れ時から日が沈むまでが勝負だな」
訳のわからない不穏な言葉を紡ぐ友人たちの曖昧な微笑みに、思わずWhyとか言いそうになって、やめる。
留学先と姉妹都市のこの街の交流は長い。冬のイベントにモミの木を送ったりして、クリスマス観光の名物になっていたりする。留学していた街はアジア人が少なく、日本人に触れる機会は少ない。大学の構内で赤毛の三つ編みを見ると、妹の好きだった物語を思い出す、歴史を感じる過ごしやすい街だった。
二年前、日本人が二人でウロウロしているのが珍しく、こちらから声をかけた。その日本人夫妻は僕より二十も年上で、初の海外旅行にくたびれ果てていた。夕食の店を選んで料理をオーダーしただけで泣いて喜ばれた。英語は少し話せるから大丈夫だろうとタカをくくったら酷い目にあったらしい。まぁ、自業自得だ。日本語でコーヒーなんて発音しても、必ず聞き返される。ガイドの必要な英語力で二人旅とは恐れ入った。無謀な旅を少しだけサポートしただけなのに、まさかの命の恩人扱いで、以後ずっとSNSでの交流が続いていた。
就職先を検討していた折、声をかけてくれるとは思っていなかったが。
留学を終えて秋からこの街に住む僕は、現在帰国中。
英語力が低いのに、国際交流の留学生がこの時期に多く来ているらしく、夫婦そろって世話人になったらしい。英語力への不安は相変わらずで、助けを求められ、一週間程この家にお世話になっている。北米より日本の方がやっぱり湿気が高い。温暖で快適な気候に慣れてしまった僕には、北の方とはいえ久しぶりの日本の暑さは堪えた。
明後日には一度、向こうへ戻る。ハブ空港までのアクセスが不便ではあるが、羽田を使えば大した問題ではない。
昼食のそうめんを片付けた仁菜さんが、部屋の隅から透明なビニール袋と懐かしい駄菓子を袋買いしたものを出してきた。うま○棒が30本……。しかも味が違う。カル○スやチョコ○イ、棒付きキャンディまで、七種類以上ある。
「何? これどうするの?」
不敵な笑みを浮かべた和利さんが、悪代官のような笑い声の後ビニール袋にお菓子を詰めていく。
――おかしい。
今日は断じてハロウィンではない!
「慶人君、餓鬼って意味わかるかい?」
「え、子供ってことですよね」
まさかの日本語確認だった。いや、僕は生まれも育ちも日本だから、そこを確認されるのは何だか寂しい。
「文字通りの餓鬼が、これから来るんだよ」
そう言いながら作業する二人に習って、僕もお菓子を袋に詰めてゆく。
僕が知らない間に日本では新しい常識が生まれていたのかもしれない。
そろそろ日も傾いてきた頃、来客のブザーが鳴った。
玄関のドアを開けるよう促される。
おかしい。
そこのモニター、来客の顔確認できなかったか?
ドアを開けると、そこは浴衣を着た餓鬼の集団だった。
「竹~~に短冊、七夕祭り」
人様の玄関先で、何いきなり歌ってるんだ!!
しかも五人組。
手には何故か、ものすごい大きなエコバック。
小さい子の後ろには、母親がいる。
「はい~~。ちょっと待っててね」
奥からお菓子を人数分持った仁菜さんが、一つ一つ手渡ししていった。
子供たちは息を合わせ、せーので挨拶する。
「ありがとうございました~~」
呆然と見送る僕の後ろで、「まだまだ、これからだよ」という和則さんの声がした。
この地方都市は、七夕になると、何故か浴衣を着た餓鬼が各家におやつを強奪しに回るという習慣があるらしい。どうしてそんな感想になったかというと、おやつが足りなくて、さっき近所のスーパーまで買い足しに出かけたからだ。車の中から外を見れば、子供という子供が全員外に出ているのではないかという傍若無人ぶり。少子高齢化の国内を憂う報道は、向こうでもネットニュースで何度か見たけど、一部仮装したりヨーヨーを持ったりしながら歩く子供の姿は、あちらのハロウィンと同じ雰囲気だった。
「いっそのこと、ハロウィンにまとめてやったらいいんじゃない」
ナップサックを持参している子供までいる。下半身ほどの大きさのエコバックを引き摺る様にして歩く子供までいた。みんな手を繋ぎながら、完全にはしゃいでいる。
「あのヨーヨーも、個人の家とか商店で配ったりするらしいよ」と和則さん。
――お菓子だけじゃなくてエンターテイメントまでか!
まさか出店まで民家単位で催すとは思わなかった。よく見たら、民家に飾られている七夕飾りも、細工が細かい。
ボランティアで行った孤児院で日本の文化を紹介する時に、何の取り柄もない僕は折り紙を使ったのだけれど、折鶴一つがあんなに折れないものだとは知らなかった。もっとも、吸収の早い子供たちは、すぐに覚えて飽きてしまったのだけど。ただ、精度がまるで違う。端を揃えるということを手の感覚で出来る日本人は、確かに繊細なのだと知った。一般のご家庭で、多分毎年訪れるこのイベントのために、これだけ細かい作業をするというところが本当に日本らしい。そんなことを取り留めもなく考えていると、突然封印していたはずの記憶が呼び戻された。
――――折鶴。
高校生の頃、何度も、何枚も折った。
――決して、金銀、黒と白を折ってはいけない。
彼女と出会ったのは、高ニの初夏だった。
六月にしては気温の高いその日、地下鉄のホームで彼女は後ろから話しかけてきた。
「すみません、あの。私、地下鉄乗り間違えたみたいで」
そんな小さな声を拾うと、頼りなげに伸ばされた手が、僕のシャツを掴んだ。
細い腕から先を見ると、痩せすぎなくらい華奢な体に、白っぽい顔。あまり体調がよくなさそうだ。
「どこに行きたいの」
「お、おなり? もん? の方に」
壊滅的に方向が違う。
おぼつかない足取りで、人の勢いに飲まれている様は、完全に“お上りさん”だ。
これから塾だというのに、なんでたくさんいる人の中から、僕に訪ねたのだろう。
深い溜息を零すと、女の子はびくりと体を震わせる。
仕方ない。
「わかった、案内するから」
その言葉に、女の子は幼く無垢な笑顔を返してきた。
蕾が少し綻んだような、華が咲く前の淡い彩に、ほんの少しだけ心を惹かれていく予感が、した。