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縋る女



 伸ばした手はいつだって届かない。

 掬い上げようとしたところで、砂のようにこぼれ落ちるのが必定。

 だからこれは、思い上がった自分に対する神様の罰なのだろう。

 憎悪が胸の中を巣くう。どろり。粘稠な泥のような感情が心を支配する。

 ああ――嗚呼。

 確信があった。まるで人類の罪を背負った聖人が己の役割を知ったときのような、そんな確信があった。

 もうきっと戻れない。もうきっと立ち止まれない。

 だから最期に祈る。せめて――――。









 ◆



「お願いします! 早くしないと町が……町が……ッ」


 女が受付台を叩く。来ている麻布は泥まみれで、あちこちに解れができていた。

 これは長時間の着衣のためにそうなったわけではない。あまりにも無茶苦茶な行程で走り抜けてきたからこその損傷だった。その証拠に、女にはところどころかすり傷や打撲痕すら見られる。


 平素であれば美しいであろうブロンドの髪も、今では見る影もない。

 溌剌としていたであろう瞳は疲労と緊張で、血走らせている。


 受付で哀願する女に対し、依頼書を見つめながら、受付嬢は目を伏せた。


「申し訳ありません。当ギルドでその依頼をお受け付けすることはできかねます」


「そんな! だってあそこに冒険者の皆様がいるじゃないですかッ! お金だって用意しましたッ!」


 女は絶叫をあげながら、薄笑いを浮かべている冒険者を指さす。

 哀れな女を蔑んだ笑いではない。無茶を言うなという苦笑であった。


「……お金の問題ではないのです。サイクロプスは第3級モンスターになります。当該ランクの冒険者が今全員出払っているので、ギルドとして依頼をお受け付けすることができないのです。私どもも冒険者達を分かっている死地に送り出すことはできません」


 時間はすでに正午に近い。

 仕事の依頼がある冒険者であれば、もうすでに出発しているだろう。こんな時間にギルドでたむろしているということは端的に言ってそういうことだった。


 魔族と人族の境目である開拓都市であるライセルドで最も盛んな職業は傭兵か冒険者ギルドだ。

 人か魔物かの違いはあるものの、戦いを生業をしている者が圧倒的に多い。

 しかし、その実情は、食い詰めた農家の次男坊三男坊が人生の一発逆転をかけて立志を目指すため盗賊代わりに冒険者ギルドに加入するといったものだ。大抵の者は一年以内に死ぬ。

 今後使い物になるかもしれない数少ないギルド員達を、たかだか辺境の村の一つや二つ程度で失うわけにはいかなかった。


 女は絶望的な現実に表情を歪ませ、泣き崩れる。

 冒険者達はまたかと見慣れた光景に嘆息をつき、受付嬢は気の毒そうに女を見つめた。

 そのとき、カランとギルドの出入り口につけられた鈴が鳴る。


「あ、レンさん。依頼を終わらせ――おっとっと。剣呑剣呑。穏やかじゃない雰囲気みたいで」


 浅黒い肌に白い短髪。身長は一般的な成人男性よりも頭二つ大きく、冒険者らしい身体つきをしていた。しかし、そんな風貌でありながら一切の威圧感を感じさせぬ雰囲気の持ち主でもある。それは人の良さそうな瞳と、どこか軽薄そうな笑顔を口元に浮かべているからかもしれない。

 しかし、何よりも目立つのは男の獲物だった。


 ――――鉄の塊。そう形容する他がない。自分の背丈よりも遙かに大きい鉄塊。


 刃もついていなければ、特殊な魔力付加エンチャントすらかけられていないだろう。

 ただただ巨大な鉄の棍棒。それを二本、背中にくくりつけていた。

 男が歩くたびに、荒くれ者どものために頑丈につくられているギルドの床が、みしりと悲鳴をあげた。

 男は泣き崩れている女を一瞥すると、そのまま受付台におかれた依頼書を手に取る。


「うん……うん。ああ、サイクロプス。あの一つ目野郎が出るなんて珍しい。縄張りでも追い出された根性なしかな。でも――まあ、うん。大丈夫かな。レンさん」


 レンと呼ばれた受付嬢は、暫く男を呆れた様子で見つめると、深い嘆息をついた。


「サイトウさん。貴方、昨日の深夜にワイバーンの討伐に行ったばかりですよね」


「いやいや。幼体だったし、討伐と言うよりは追い払うのがメインだったから。確かにちょっと眠いけど全然元気いっぱいで――」


「片足を引きづりながら云うことじゃありませんよ。一応、ギルド員として忠告させていただきます。早死にしますよ。そのままだと」


「でも、まあ。うん。ほっとけないでしょ」


 サイトウは曖昧な笑みを浮かべて、泣き崩れていた女を見る。

 この絶望的な状況の中、サイトウという男がもしかしたら村の救世主になってくれるかもしれない――レンとサイトウの会話の中で希望を見いだした女は涙を溜めながら、すがるようにサイトウの服の裾をつかんでいた。


「あいにく、女の人の涙には弱いのでありました!」


「サイトウさん――ッ!」


 このような無茶をしでかしたことが一度や二度ではないのだろう。

 レンは温和な顔を崩し、声を荒げた。


 冒険者を端金で死地へと送り出すのがギルド員の役割だ。

 しかし、それが真実だとしても無計画に死地へ送り出すような真似はしない。

 それは生と死が身近に存在し、それを自分の声一つで分けてしまうかもしれない権限をもった者が唯一護る誇りであった。

 しかし、その怒気があらわになる前に、待ったの声がかかる。


「一切構わない。君が行きたいと云うなら、行けばいい」


 カシャン、と足跡がなる。顔まで隠した黒い甲冑。

 匠の意匠が凝らされた、観賞用とも見違えんばかりの宝玉と黄金に包まれた鞘に刺さった細身の剣を腰にぶら下げている。

 銀の入った鈴のような凛とした声音だった。


 受付の後ろに伸びる廊下を渡った先には冒険者ギルドを切り盛りする、ギルド員が常駐している。

 そして、この騎士然とした者はその中でも最も位の高い――。


「――ギルド長」


 その人である。

 レンは頭を抱え込みたくなる衝動に襲われながらも、ギルド長に意見を述べた。


「……ギルドの判断であれば、私が口を挟むことはできません。ですが、ギルド長。明らかにこの男は過労です。多少の無茶ならば私も何も言いません。

 この1年以上において3日も空きをつくらないのが、多少の無茶という範疇に入ればの話ですが」


 場がざわつく。

 この場には古参から居る冒険者はいなく、残っているのは新人かそれ未満の者たちのみ。

 だからこそ、ギルドでは当たり前になっているサイトウの異常性に対してざわめきがたった。


 三日。あり得ない。そんな声がぽつりぽつりと零れては消える。当たり前だ。遠足で遠出をしているわけではない。行くからには屈強なモンスターたちと剣を交え、殺されたり殺したりを繰り返す。怪我も負えば、体力も消耗する。

 1ヶ月に一度の依頼でも仕事熱心と云われるような世界において、それはあまりにも狂っていた。


「サイトウが自ら行くと云い、そしてその実力もあり、毎回生還している。どこに問題があるというのだ、レン嬢」


「恐れながら云わせていただきます。いずれサイトウは死ぬでしょう。あっけなく死ぬでしょう。死ぬのは構いません。ですが、彼にはもっと相応しい死に場所が――」


「死なぬよ」


 レンの言葉をギルド長は遮る。

 断定とした口調であった。あたかも確定した未来を占うような予言者のような圧力を持ち合わせた口調であった。


「こいつは死なない。最期まで生き残る。そういうやつだ」


 あまりの断定にレンは言葉を発することができなかった。

 いや、それ以上に、このある種の凄味にレンはのまれてしまっていた。

 何も言わぬレンを一瞥すると、ギルド長はサイトウへと向きなおす。


「というわけだ。行きたまえよ、サイトウ」


「毎度毎度いつも悪いね、本当に」


「謝ることはない。それで得をしているのは私たちなのだから。貴様からはまだまだ甘い蜜を吸わせて貰うぞ。励めよ」


「やめろよー。そういうの本人の前で云うのやーめーろーよー」


 ふん、とギルド長は鼻で笑い、そのまま奥へと消えていく。

 すると黙っていたレンはふるふると身体を震わせ――盛大な嘆息をついた。


「……全く。性懲りもなく。どうしようもなく。わかりました。わかりましたよッ! 云っても聞かないのは重々承知ですからね。記載に不備はありませんでしたので、このまま依頼を受け付けさせていただきます」


 半ばやけくそ気味にレンは依頼書にギルドの押印を捺印した。

 これもまたいつものやり取りなのか、ギルド内にいる数少ない事情を知る冒険者達から笑い声がこぼれた。


「細かい契約内容は――どうせ興味もないでしょうが――そちらのアーカミン様からお伺いください」


 レンは素っ気なくサイトウに云うと、突然の幸運に目に輝きを取り戻したアーカミンに耳打ちをする。


「負傷しているとはいえ、彼はこのギルドで三指に入る冒険者です。……よかったですね、本当に」


 アーカミンははらはらと涙を流す。

 しかし、それは先ほどまでとは違った安堵の涙である。

 冒険者達がモンスター討伐に出て行ったところで、返り討ちにされることもままある。しかし、それでも十分すぎるほどの希望の光だった。


「あ、ありがとうございます。ありがとうございます!」


 大粒の涙を流しながら、整った顔をくしゃくしゃに歪ませて、アーカミンはサイトウの手を取った。

 祈るように、けれども決して離さぬように。

 運命というのは苛烈であることを、この地獄のような土地では誰もが知っていたからだ。


 サイトウは必死に縋り付く手を困ったように見つめて、曖昧に笑った。


 

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