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Lily'S garden

作者: 向坂紘

途方もなく内容のないお話です。よろしければ。

1.Welcome to the lily'S garden


「も、盛田先輩、好きです! 付き合っていただけませんか!?」

 後輩の波多野沙枝が、渡す気があるのかないのか、ぎゅっと握ったラブレターめいた手紙を前に突き出し、最敬礼するのを見ながら、ぼくは頭を抱えてしまった。

「波多野さん」

「はいっ!」

 ばね仕掛けの人形のように波多野沙枝は身を起こし、必死の形相でぼくを見る。

「その。すごく基本的なことを確認してもいいかな?」

「はい! な、何でもどうぞ!」

 ぼくは波多野沙枝の、癖っ毛をまとめているカチューシャ、制服の臙脂色のリボンタイ、濃紺のブレザーとスカートを順に見て、言った。

「波多野沙枝さんは、女の子」

「はいっ!」

 ぼくはそれから自分の制服を見た。臙脂のリボンタイ、濃紺のブレザーとスカート。

「ぼく、盛田理子も、女の子」

「はいっ!」

 ぼくはうなずいて指を空中で回転させた。

「で、最初に戻るんだけど。波多野さん、何て?」

「盛田先輩、好きです! 付き合っていただけませんか!?」

「おかしくない?」

 波多野沙枝は、首を傾げた。



2.Too much talk


「くっくっく、また?」

 向い側の席で、内藤真理亜が笑いをかみ殺しながら、鶏のから揚げにプラスティックの楊枝をぷつぷつと刺した。

「笑いごとじゃないよ。この間の伊野さんだっけ? あの子は結構あっさりしてたから良かったけど、波多野さんは何と言うか、意志が固くてしかもちょっと天然だから、なかなか納得してくれなくて…」

 ぼくが言うと、真理亜は首を横に振った。

「頑固でイタいとは、理子も言うね」

「意志が固くて天然、って言ったんだけど」

「同じでしょ」

 身も蓋もない。「婉曲」とか「ぼかす」とか「物は言いよう」、そんな言葉を知らない我が友。

「に、しても今月入って二人目だっけ」

 から揚げへの残虐行為を止めて口に放り込みながら、真理亜が言う。ぼくはうなずいた。

「先月からの通算だと、五人」

「モテモテね。羨ましい限りだわ」

 ATMの案内音声にヴォコーダーをかけてもここまで無表情にはならないだろう、というくらい魂のない調子で真理亜が言う。ぼくは対照的に、出来る限りの切ない感情をこめて溜息をついた。

「どうしてこうなるんだろ」

 真理亜はプチトマトのヘタを瞬時に取りながら答えた。

「どうしてもこうしても、ここが女子校だからでしょ。男子から告白されるはずもなく」

「真理亜って、『大工さんが釘をうつのはなぜでしょう? 答え:大砲をうつと家が壊れるから』的なナゾナゾが好きなタイプじゃなかった?」

「何で知ってるの」

「まあ、それはともかく」

 ぼくは改めて溜息をついた。

「ぼくは、どうしてこうなるんだろ」

「何度も申し上げてはおりますが、まずはその一人称」

 真理亜が楊枝を刺したプチトマト(ヘタ取り済)でぼくをずっと指し示して言った。

「『ぼく』」

「そうは言っても、小学生の頃からこうだから、今更変えられないって」

 真理亜は珍しい宝石でも眺めるかのように、プチトマトを色んな角度から見ながら言った。

「まあ、小学校からここにいて、矯正されないくらいだものねえ」

「最初はずいぶん怒られたけど。『女の子が「ぼく」なんて言ってはいけません』なんてね。そのうちに言われなくなった。てか、ズルくなったから、先生の前では「わたし」って言うようにした」

「でも生徒間では」

「ぼく」

 何とも言えない湿ったような空気。ぼくが何か反論しようと口を開きかけると、先を越された。

「で、二番目はその髪」

 真理亜の指摘にぼくは髪に触った。ボブに近いショート。中学校の頃からこの長さで固定している。

「それは、サッカー少年のヘアスタイルでしょ」

「そんなこと言われても、ぼくは癖っ毛がひどいから、伸ばすと大変なことになって」

 正直、その点に関しては波多野沙枝と気持ちを分かち合えるかもしれない。

「ストパーでも当てたら」

「えー、でも結構高くつくし」

 ちょっと女の子らしい会話になりかけたところで、話は本題に戻る。

「で、三番目はその背」

 真理亜がNBAの点取り屋を見上げるようにぼくを見た。

「それ、よく言うけど、そんなにないよ。百七十…四くらい」

「百五十〜六十くらいのお嬢さんたちからしたら十分でしょ」

 ぼくは詰まった。真理亜はプチトマトを口に入れてから、ぼくの肩を叩いた。

「ま、諦めなさいな」

「だ、だってぼくにその、そっちの気はないんだけど」

「ふむ。問題は、あちらはそう思っていないってことかもね」

 新たにプチトマトを楊枝に刺した真理亜は、それでぼくの背後を示した。ぼくが振り向くとそこには。

「盛田先輩っ!」

 カチューシャの下の真剣な目。波多野沙枝さんは今日もお元気な様子。

「あ、あの〜、波多野さん」

 言いかけてぼくはぎょっとした。彼女の瞳から小さな川が流れだしている。

「え、あ、っと」

 固まったぼくをよそに、波多野沙枝の後ろにいた応援団なのか、ともかく仲間たちが「大丈夫?」「負けちゃダメ」とかしきりに励ましている。どういう事態なんだろう。

「っく、ど、どうして私はダメなんですか」

 しゃくり上げながら言う。ぼくは目を泳がせた。真理亜は目を合わせない。

「い、いや、波多野さんがどうとかじゃなくて。昨日も言ったけど、ぼくは、これでも女の子だから、同じ女の子は…」

「じゃあどうして内藤先輩はいいんですか!!」

 波多野沙枝はびしっと、真理亜を指した。

「初めまして、波多野さん。私をご存じだったとは知らなかったわ」

 急に話題が自分に転がってきたのにも動じず、真理亜は優雅に返事をした。

「当然知ってます。私、盛田さんのことなら何でも知ってます。飼い猫のミカン君が家出してることだって知ってます」

 ぞっとしかけたけども、ぼくの家の猫はとっくに帰って来ている。最後に家出をしたのは三か月前のこと。ついでに名前はミカンじゃなくてナツミカン。どうやら彼女、ストーカーになるには情報収集力が足りないみたい。

「それで、話戻りますけど、どうして内藤先輩はいいんですか!!」

「い、いや、真理亜は」

「し、下の名前で呼んでるんですね! しかも呼び捨て!」

「お、落ち着いて。真理亜はただの友達だってば」

 波多野沙枝は黙った。でも、その目は疑いに満ちている。そうか。ぼくに百合の花の見込みがあると思われてしまう要因の一つは、真理亜か。

 ぼくは高みの見物を決め込んでいる真理亜をちらっと見た。色が透けるように白くて、本人いわく特別なことは何もしていないらしいのにふんわりと優しくウェーブしている髪、静かな湖のような目。名前のイメージとここまであったビジュアルを持った子はそうはいない。ビジュアルだけなら。

「一兆歩譲って、内藤先輩はただの友達としましょう」

 鼻息荒く波多野沙枝が言う。

「兆って」

 小さい声で真理亜がくすくす笑う。お願いだからこれ以上、刺激しないでほしい…

「じゃあ、野本先輩はどうなんですか!!」

「野本?…ああ、梨遠か」

「あー!また下の名前で…」

 悔し涙にくれる。誰か助けて。

 と、そこへやかましいものが割り込んできた。

「お待たせー!! 購買経由でりおん参上!」

 ぼくは頭を抱えた。助けどころか、さらに事態を悪化させそうなのが来た。

「梨遠、遅い。もう半分くらいお弁当食べちゃった」

「えぇーっ。そこは待ってるのが友達じゃねー?」

 起こっていることを一切無視していつものやりとりをする真理亜と梨遠。見る見るうちに波多野沙枝の顔が紅潮していく。

「ま、また来ます!!」

 お供を引き連れ、カチューシャの闘将は去って行った。意外にも助けになったみたい。

「なあにー、あれ」

「恋する乙女」

 他人事のように(実際他人事だけど)見ている梨遠と真理亜の間に席を占めると、ぼくはまた溜息をついた。

「やだー、理子ちゃん。溜息つくと幸せ逃げるぜ。何があったのか、りおんさまに言ってみ?」

 ぼくは梨遠をにらんだ。野本梨遠。真理亜と競るくらい色が白くて、こちらは枝毛など異世界のことのようなストレートヘアの持ち主。それを、さながらモデルのように色んなスタイルで結いあげて来る。「真似したい! 梨遠の秋スタイル」とかってファッション誌のコピーが脇に見えてくるほど。今日のは……ハーフツイン?

 そうか。静かで優しそうな真理亜と、活発でオシャレな梨遠の二人を従えた、ボーイッシュな理子。外面だけからなら、そういう嗜好があると思われても……

「い、いや、仕方なくはないぞ」

 危ない危ない。危うく魔性に落ちるところだった。

「理子ちゃん面白い」

 梨遠がけらけら笑う。  

「笑いごとじゃないよ…」

 ぼくはまた同じ説明をした。もちろん、今さっきの襲来も追加して。

「にゃるほろれえ」

 パンを口に頬張りながら梨遠はうなずく。

「その不真面目極まりない態度はどうにかならないの」

 などと言っている内に段々腹が立ってきた。

「大体、あんたたち二人が、もうちょっと裏モードを公にしていれば、ぼくにあらぬ疑いがかかったりしないんだよ?」

 真理亜と梨遠は顔を見合わせた。

「心外ね」

「そおそお、りおんたちはとってもナチュラルな感じで」

 二人相手では手強い。ぼくは的を一人に絞った。

「真理亜はまだちょっと、エグいとこを見せてるけど。梨遠、あんたそのバカキャラやめてよ」

 梨遠は頭をかくんと右に傾けた。

「キャラじゃないもーん。りおんバカだもーん。成績いつもビリビリだし〜」

 ぼくが反論しようと顔を近づけると、梨遠はふと、声を低く小さくして言った。

「なら、さっきのカチューシャに言う? 『ぼくは梨遠にテスト前、勉強を教わってる。それだけの関係』とか」

「う」

 ぼくは詰まった。梨遠は確かにいつも最低の、強調するための表現ではなくて、本当にあと一点でも下がったら落第する成績を取り続けている。そして事実、ぼくは梨遠に勉強を教わってる。二つの厳正なる事実が重なると、途方もなく嘘臭くなるのはなぜ。

『何、言っちゃってるんですか!? 人もあろうに野本先輩に勉強を教わるわけないじゃないですか! 怪しい!怪しい!』

 泣きわめく波多野沙枝と慰める応援団が目に浮かぶ。

 ちょっと勘の良い人なら分かると思うけど、「あと一点でも下がったら落第する成績」を維持し続けるのは途方もない芸当である。少しでも下がれば落第し、安全を望めば成績は上がってしまう。それを意図して、小学校五年から七年間も続けているのが、この、ぼくの前で真理亜のから揚げを取ろうとして手を叩かれている、野本梨遠なのだ。

 そんなことができるのは、梨遠が山張りの天才で、その精度たるや、事前に問題を入手してるんじゃないかというくらいだから。これで、史上最低の成績の生徒に「勉強を教わる」必然性は説明できる。でも。

「波多野さんを説得はできないよなあ…」

 ぼくが机に突っ伏すと、梨遠はうなずいた。

「でしょ」

「もう受け入れるしかないんじゃない」

 真理亜が天使のような微笑みで悪魔のようなことを言う。

「嫌だってば。ぼくはその、女子校って言えばむにゃむにゃが嫌だ」

「むにゃむにゃって何やねん」

 梨遠が今度は左側にかくんと首を傾けて笑う。ちなみに語尾は見事な関東イントネーション。

「いや、それはその、百合の花で象徴される……」

「レズビアン志向」

 真理亜がさらっと言ってのける。ぼくはやけ気味に言った。

「そう、その志向が。男子の妄想じゃないんだから」

「でも実際理子は女子にもててるじゃない」

 真理亜が言う。

「そーそー、事実事実」

 「事実」を「ぢぢつ」と発音しながら梨遠がうなずく。ぼくはまた机に倒れ伏した。

「あー、もうやだ。世界、終わらないかなあ」

「何だか不憫に思えてきた」

 真理亜がまたもや魂のこもらぬマシンヴォイスで言う。

「そーねー」

 こちらは魂はこもっているが、何だか不愉快なトーンで梨遠が言う。

「私たちが、裏を表に出したら、波多野さんは納得するのかな」

 真理亜がゆるふわカールを揺らしながら言うと、

「そうかもー。理子ちゃんもそう言ってたしー」

 梨遠がきらびやかに装飾した爪をいじりながら応える。何だろう。危険な方に話が転がっているような気がする。



3.St.Mary doesn't dream


「わざわざ呼び出してごめんね。どうも色々誤解があるようだし、このままじゃ、駄目だと思って」

 ぼくが精一杯優しくそう言っても、波多野沙枝は口を歪めたままだった。

「それは嬉しいんですけど…何でお二人が一緒なんですか?」

 び、び、と音が出そうな勢いで、ぼくの後ろの真理亜と梨遠を指す。

「まあ、見届け人と思って。ね?」

 真理亜が笑顔で言う。波多野沙枝はますます表情を硬くして、何か言おうとした。でも、先に梨遠が割り込んだ。

「そーそ。それに、沙枝ちゃんも一人じゃないみたいだしー」

「…」

 梨遠の見た方を見ると、この間の応援団らしき一年生たちが、さっと身を隠そうとしていた。

「大丈夫よ。怒ってなんかいないから、出ていらっしゃい」

 あくまで優雅に、かつ包み込むような口調で真理亜が言うと、応援団は引き寄せられるようにして出てきた。中にはちょっと頬を赤くしてる子もいる。真理亜、恐るべし。

「それで。お話は何なんですか?」

 不貞腐れたように波多野沙枝が言う。ぼくはうなずいた。

「それなんだけど。波多野さんは、ぼくにどうして欲しいの? と言うか、ぼくとどうなりたいの?」

 言うと、波多野沙枝は途端に表情を変えた。頬を染めてあらぬ方向を見つめる。

「それは、やっぱり…一緒にお買い物に行ったり、映画を見たり…学校では一緒にお弁当を食べたり、勉強を教えていただいたり…ああ」

 ぼくは、完全に遠くに行ってしまった波多野沙枝の目よりも、後ろの二人が噴き出したりする方を恐れていた。ああもう、梨遠のぷ、ぷ、って声が聞こえる。

「あ、あのさ。それって、友達では駄目なの? 付き合って…とかなんとかじゃなくて」

「……ダメです」

 くわっ、と波多野沙枝は阿修羅像みたいな顔をした。

「な、なんで」

「そ、それは…とにかく、友達じゃダメです」

 言って波多野沙枝は顔を赤く染めた。まさかこの子、本気の百合なのかな……

「ちょっといいかしら」

 落ち着いた声が割って入った。波多野沙枝は妄想を邪魔されたのが苛立たしいのか、声の主を憤怒の形相で睨みつけた。

「何ですか、内藤先輩」

 真理亜は全く動じず、穏やかな笑顔のまま話し始める。

「どうも、理子と波多野さんとの間で、言葉の定義がしっかりしていないから、お互いの意志の疎通が上手くいっていないように思えるのだけど」

「定義?」

 喧嘩腰の波多野沙枝。でもぼくも、真理亜の言ってることが良く分からない。

「どういうこと」

 ぼくが言うと、真理亜はすっと人差し指を上げた。

「定義。友達とお付き合い、つまり『友情』と『恋愛』の定義ね。二つの違いは何なのかしら。そこがはっきりしないと、話し合いは上手くいかないんじゃない」

「なるほど」

 ぼくはうなずいた。波多野沙枝は相変わらず獰猛な感じだけど、納得はしているみたいだった。

「友情と恋愛の違い…」

 はっとした。これは、真理亜がぼくに助け舟を出してくれたんじゃないかな。

「真理亜、それってつまり、友情は同性の間のことで、恋愛は異性の間のこととか、そういう」

 真理亜は首を横に振った。あれ。

「そうじゃないと思う。だってそれだと、男女の間に友情は成立しなくなっちゃうでしょう。仲が良い男女はみんな恋愛してる、なんて乱暴じゃない? それに」

 真理亜はちらっと波多野沙枝を見てから続けた。

「ゲイやレズビアンの人の立つ瀬がないわ」

「え」

 な、何だかむしろ、真理亜、相手サイドに立ってる? い、いや、波多野沙枝が本当にそういうんじゃないにしても、ぼくに不利な展開になってるのは確実。ほ、ほら、波多野沙枝、うなずいてるじゃない!

「じゃあ、内藤先輩のご意見はどうなんですか?」

 何だか口調も柔らかくなっている。ぼくはおろおろして二人を代わる代わるに見た。真理亜はほほ笑んで答えた。

「シンプルよ。どちらも、相手のことを信頼して、大切に思い、一緒にいたいと考える感情という点では同じね。でも、恋愛が友情と決定的に違うのは、その底に性的欲求がある、ってところ」

「え?」

 波多野沙枝と応援団の一年生たちが一瞬、動きを鈍くした。真理亜はすうっと、さらに暖かな笑顔になって続けた。

「具体的に言うと、相手とセックスしたい、って思ってるところ」

 あーあ。一年生たちが完全に硬直してしまった。ぼくは中学で真理亜と知り合って、かれこれ五年くらいになるから、この位のこと言うだろう、って見当はついてるけど。後輩たちはねえ。まさか真理亜が、あのロイヤルスマイルで露骨なこと言うなんて想像もしてなかったんだよねえ。

「それで、波多野さんに聞きたいんだけど。波多野さんは、理子とセックスしたいの?」

「ぶっ」

 波多野沙枝ではなくて、ぼくが思わず吹いた。な、何てことを。

「は…が…は…り…せ?」

 波多野沙枝は、まるで宇宙と交信しているかのように意味不明な言葉を口走っている。

「どうなの? 重要な点よ。理子とセックスしたいの? 女性同士でもできるわよ?」

 ロイヤルスマイルのまま追い詰める真理亜。何だかすごく生き生きとしてるように見える。

「か」

 ぎいいい、と音がしそうな硬い動きで、波多野沙枝はぼくの方を見た。そして、ぎしぎしと近づいてくる。

「モリタセンパイ」

「あ、え…?」

 がし、と波多野沙枝はぼくの手首を掴んだ。え、ええと。

「だ…ダメです! こんな汚らわしいこと言う人と付き合っていては! 早く逃げましょう!!」

 な、なるほど。そういう結論になったんだ。

「い、いや、付き合ってないし、それにその」

「ダメですっ! け、汚されちゃいますよ!」

「い、いや、汚されるって、そんな」

「セックスが汚らわしいのだとしたら、あなたは汚れた子になってしまうわよ? ご両親がセッ」

「まま、真理亜、もういいからー!」

 混乱が頂点に達しそうなところで、誰かが割って入ってきた。

「はいはいはーい。ケンカ中止!」

 何と梨遠だった。煽りそうなのに、ちょっと意外。

「喧嘩じゃありません! 私は盛田先輩をこの人の毒牙から救い出そうと」

「だってー、理子ちゃんと真理亜ちゃんは、もちろんりおんもだけどー、あっつい友情でつながってるからー、そういうのはダメ」

 駄目だ。もしかしたら梨遠は本当に仲裁しようとしたのかもしれないけど、これじゃあ…

「それなら、私と盛田先輩は、熱い愛情でつながってるんです!!」

 ほうら。っていうか、何時の間につながった!?

「議論は平行線ね」

 真理亜が世を憂う聖女のように悲しげに言う。いや、議論じゃないし、そもそもの発端はあんただろ。

「こういうとき、お互いが納得するには方法は一つしかないわね…」

 今にも掴み合いを始めそうだった波多野沙枝と梨遠が揃って真理亜の方を見る。真理亜はうなずいた。

「勝負よ」

「え」

 ぼくは固まった。し、勝負って。しかし、波多野沙枝と梨遠はまたも揃って、うなずいた。

「それしかないですね」

「おっけー」

 えええ。何だこの展開。

「ち、ちょっと真理亜。勝負って」

 ぼくが声を低めて言うと、真理亜も声を小さくして、でもあっけらかんと答えた。

「私たちの裏モードを見せる、ってことだったでしょ。梨遠の裏モードって、勝負でしか見えないもの」

「ええっ」

「それで、何で勝負するんですか」

 すっかりやる気の波多野沙枝が握り拳を作って梨遠を威嚇している。

「そーね。やっぱお互い女子なわけだし、殴り合いとかはないよねー。やっぱりこっちー?」

 梨遠は言って自分のこめかみを変なリズムで突いた。ぷは、と波多野沙枝が失笑する。

「私は全然構いません。アタマ勝負で困るのは野本先輩の方ですよ?」

「えー、でもりおん、二年生だしー。 一年の沙枝ちゃんよりきっとアタマいいよー」

 憮然とする梨遠。波多野沙枝のみならず、後ろの応援団からも、くすくすと笑う声が聞こえる。

「なら、それで行きましょう。具体的にはどうするんですか?」

「んー」

 梨遠は首をかくーん、と傾けた。そのまま目を瞬かせる。

「トランプ。ババ抜きとか七並べとか」

 波多野沙枝がまたぷは、と失笑する。

「そんなの子供の遊びじゃないですか。もっとましなの考えてくださいよ」

「じゃあー」

 梨遠は傾けた首をゆっくり戻しながら言う。

「トランプでもー、ダウトなら?」

 波多野沙枝は少し考えてからうなずいた。

「悪くないと思います。でもこれも、感情むき出しの野本先輩に向いてるとは思えないんですが、いいんですか?」

「むき出してないもーん。りおん、クールだもん」

 ぶんぶんぶんと首を横に振る梨遠。何だか頭痛くなってきた。



4.Let's go to the party


 かくて、波多野沙枝対野本梨遠、ダウト一本勝負、賞品盛田理子が開催されることになってしまった。

 トランプの勝負だから、どちらかがカードを用意したら不正の余地が出来てしまう。そこで、校内でトランプを公然と扱えて、二人とも縁のない「ブリッジ研究会」の部室に行くことにした。

 ダウトは二人でやっても意味がないゲームなので、ちょうど上手い具合に三人いたブリッジ研のメンバーを強制的に引き入れて、五人で行うことになった。一人が上がった時点で終わり。となると、波多野沙枝と梨遠、二人以外の誰かが上がったらどうするのか。

「再試合でどうですか」

 波多野沙枝が言うと、梨遠はクレソンを百本束にして食べたような顔になった。

「えー。めんどくさい。残ってた枚数が少ない方の勝ちでいいじゃん?」

 そ、それって、よりスリリングなのでは。

「…いいでしょう」

 ああもう。賞品の意見も聞いてよー。

「まあまあ。賞品は人ではなく物の扱いなんでしょう」

 ぼくの独り言を聞きつけた真理亜が、柔らかい笑顔でひどいことを言う。

「鬼。悪魔。暗黒聖母」

「ありがとう。始まるわよ」

 真理亜が目線で五人の方を指した。ぼくはあわててそちらを見る。

 カードが全員に配られ、波多野沙枝が最初の「A」を出すところだった。

「エース」

「だうとー」

 のっけから梨遠がダウトをかけた。波多野沙枝がオープンする。ハートのAだった。

「はい、野本先輩、どうぞ。幸先いいですね」

 波多野沙枝の嫌味に梨遠は大きく首を傾げる。

「あっれー? 絶対ウソついてると思ったのにー」

 波多野沙枝応援団が笑う。ああ、駄目だこれ。ぼくは肩を落とした。真理亜が優しく肩を叩いてくれる。偽善者め。

 カードを出していく順番は、波多野沙枝→ブリッジ研Aさん→同じくBさん→同じくCさん→梨遠となっていた。ちなみに、ブリッジ研究会の三人の名前は分かっていないのではなくて、それぞれ青木さん、尾藤さん、千田さんと言うので、略させてもらった。

 それからしばらく、一進一退が続いた。

「ダウトです」

「あっれー? 何でバレちゃったのかなあ?」

 ……いや、若干梨遠が押され気味かも。溜まった大量のカードをなぜか楽しそうにかき集めてる梨遠を見ながら、ぼくは段々暗い気持ちになっていった。

 その次の一巡は、AさんとBさんがダウトしあって、場にあまりカードも溜まらず、梨遠が3を出して終わった。次のターン、波多野沙枝が「4」と言ってカードを出すや否や、梨遠が叫んだ。

「ダウトー!」

 波多野沙枝がカードを表にする。クラブの6だった。前の一巡で溜まったカードが彼女の元に集まったけどたった二枚。まだ梨遠の方がちょっと多い。

「4」

「ダウトー!!」

 Aさんが出したカードにも梨遠がダウトをかける。表になったカードはスペードのJだった。

「4」

「ダウトー!!!」

 Bさんにも攻撃。これは、梨遠、4を四枚全部持ってるっぽい。

「4「ダウトー!!!!」

 ああほら、Cさんのなんか、被せ気味にダウトしてるし。バレバレ。

 Cさんのカードがダイヤの5であることが判明し、手元に逆戻りすると、梨遠は元気よく四枚のカードを叩きつけた。

「4!!」

 分かりやす過ぎて泣けてくる。波多野沙枝+応援団はもちろん、ブリッジ研の皆さんも苦笑いだ。

 次の一巡、5〜9は何事もなく出て、場に溜まっていった。続いて波多野沙枝の10から、AさんのJ、BさんのQときてCさん。

「キング」

「う、うう〜ん、だ、ダウト?」

 梨遠が自信なさげにダウト。本当に分かりやすい。でも、賭けは当たった。

「むー」

 Cさんはうなってカードを表にした。前の前のターンに出したダイヤの5だった。溜まったカードはCさんの元へ。

「キングー!」

 気を良くして梨遠がぱん、と出したカードはノーダウトで通った。新たな一巡、波多野沙枝のAから。

「エース」

 ぽん、と出たカード。ん? 波多野沙枝、何かにやついてるみたいに見えるけど? あ。

 もう波多野沙枝の手元に残ってるカードはあと二枚。あの顔からすると、もうすぐ回ってくる数なのかもしれない。またみんなノーダウトで行ったら、彼女の次に出すべきは、6か。

 ……まずくない? 何か、あの顔、間違いなく6を二枚持ってる気がするんだけども……

「2」

 Aさんが次のカードを出してしまった。波多野沙枝が嘘をついてたとしてももう遅い。ぼくはちら、と梨遠を見た。手札はあと四枚。1回で出し切って終われるぎりぎりの枚数。また同じ数を四枚独占してたりしないかな…

 いや! ぼくは青くなった。このままでは梨遠が先に上がるなんてありえない。このままノーダウトで流れて行けば、梨遠が出すべきは5。でも、四枚の5のうち一枚は、Cさんが持っている。二回もダウトされたダイヤのあれだ。梨遠が5を独占している可能性は全くゼロ。

 梨遠の前のCさんは4を出す順番なんだけど、これは確実に出る。あの、3ターン前に梨遠がノリノリで出した四枚の4が、前のターンに嘘を付き損ねたCさんの手元に行っているからだ。

「3」

 Bさんがカードを出す。ここだ! ここがラストチャンス。ここでダウトをかけ、Bさんが嘘をついていれば、順番は一つずつずれるから、何とか凌げるはず…

 だけど、梨遠はダウトのダの字も口にしない。波多野沙枝はもちろん何も言わず、あと二人のブリッジ研もノーダウト。おおーい、ぼくはこのまま波多野沙枝さんのもの?

「4」

 Cさんがカードを出す。もうおしまいだ。

 あれ? 彼女が出したカード、一枚だけ? 四枚、4を持ってるはずじゃ…

「ダウトー!!」

 梨遠の声が高らかに響く。

「え」

「え」

 最初の「え」は波多野沙枝で、次のはぼくの。

「むー」

 言ってCさんがカードを表にする。またしても、ダイヤの5。

「ち、ちょっと何で? 何で?」

 波多野沙枝がCさんに迫る。

「ま、落ち着こ」

 梨遠がび、と手を出して制した。

「りおんの番だよね。出すよ、4」

 言って梨遠は、持っていた四枚のカードを全て場に出した。

「!? だ、ダウト!」

 波多野沙枝は混乱しながらも、大声で叫んだ。

「だ、ダウト?」

「ダウト?」

「ダウト?」

 ブリッジ研の三人は自信なさげに、でも言った。梨遠はうなずく代わりに、軽くウインクした。

「んじゃ、カード、オープン」

 ぱたぱた、とカードが表になっていく。スペード、ハート、ダイヤ、クラブ。四つの4がきれいに並んだ。

「りおんの勝ちー」

「な、ななななんで!!」

 怒ったのか驚いたのか、ばん、とテーブルを叩く波多野沙枝。その手から、二枚のカードが落ちて表になった。ハートとクラブの6。危ないところだった。

「だ、だって、さっき四枚の4はもう出して、それはそこの、ち…ええと、Cさんに行って」

 指をしゃかしゃかと動かして騒ぐ波多野沙枝。ぴた、と動きを止めて梨遠を見る。

「まさか…イカサマ?」

 お、偶然回文。

「そんなことしないってー。ほら、りおんの目を見て」

「すごく嘘つきの目に見えます」

「ひどーい。りおん、泣けちゃうー」

 嫌な緊張、ざわつく空気、殺気立つ波多野応援団。そこを柔らかくしたのは、やっぱりこの人だった。

「みんな、落ち着きましょう。ちゃんと梨遠が説明してくれるから。ね?」

 さっきのセッ…むにゃむにゃ、な発言があったのにもかかわらず、真理亜の優しい笑顔に一同は静かになった。我が友ながら、本当に怖いわ、この人。

「さ、梨遠。説明してあげて」

 すっと手を差し伸べる真理亜。梨遠は髪の毛をいじりながら立ち上がった。

「んー、めんどいけど、真理亜ちゃんが言うならしょーがないか」

 梨遠の目付きが変わった。何と言うか、今まで目から拡散していた光が、絞られてレーザー光線になったみたい。ああこれ、前ぼくが、「あの試験の最低点って、わざとやってるんでしょう?」って聞いたときの目だ。

「つまり、他の全員に瞬時にダウトをかけるには、自分が四枚同じ数を独占してなくちゃいけない」

 四枚の4を紹介するかのように手を広げる。

「逆に言うと、『四枚同じ数を独占してさえいればいい』」

「何言ってるのかよくわかりません!」

 波多野沙枝が噛みつく。でも、ぼくは気がついた。ので、つい出しゃばった。

「それって、もしかして、あの、ダウトかけ倒して四枚出したとき、4を出さなかった、ってこと?」

 梨遠は笑った。

「そうそ。この先、順番的に出しづらそうなのを四枚、出した」

「四枚の4は丸残し……」

 波多野沙枝も分かったようだった。でも、ぶんぶんと首を横に振る。

「でもでも、そんなの大変じゃないですか! 4の順番は今終わったばっかりで、まだしばらく回ってこないんですよ!」

「それでも、同じ枚数を残すなら、揃っている方が楽だよ」

「色々な状況に対応できないです!」

「まあね。でも今回は先が読みやすかったから」

 梨遠はうなずいた。

「沙枝ちゃん、自分が枚数的有利に立ってから、全然ダウトしてこなかったから。まあ、それも考えて、『他の三人のうち誰かが上がったら、枚数少ない方が勝ち』ってルールを提案したんだけど」

 波多野沙枝の顔色が紫色になっていく。だ、大丈夫かな…

「その挙句、優勢勝ちじゃなくてKOできる、って思った瞬間、完全にあたしの手札の数とか、どこかで嘘をついたかもとか、そういうことを考えなくなってたでしょ。青いなあ」

 梨遠の一人称がいつもと変わってることにも気付かず、波多野沙枝はがたがたと震え始めた。

「だから言ったでしょ。『りおん、二年生だしー。 一年の沙枝ちゃんよりきっとアタマいいよー』って」

 梨遠がそう言って、ハートの4をひらひらと手の上で舞わせた瞬間、波多野沙枝は爆発した。

「こ、こんな下らないことで……納得できません!! 盛田先輩、行きましょう!!」

 また、がっとぼくの手を掴む。でも、ぼくは、その手を振り解いた。

「……も、盛田先輩?」

「確かに下らないゲームかもしれないけど、梨遠はぼくとの友情を賭けて戦ってくれたんだよ。それを、自分が負けたからってなかったことにするのはフェアとは言えないんじゃない?」

 ぐ、と波多野沙枝が詰まる。ぼくは続けた。

「真理亜にしても、ちょっと表現に問題はあるけど、波多野さんに疑問を呈した。それに対して波多野さんはちゃんと答えなかったのは確かだよね」

 ぐぐ、と詰まる。ぼくは駄目を押した。

「今、波多野さんは、この二人より、自分が魅力的な自信がある? 友情でも何でも、どんな文脈でもいいから」

 波多野沙枝はぎゅいん、とまわれ右をした。

「も、もう知りません!! 盛田先輩のバカーっ!!」

 全力疾走して、ブリッジ研の部室を出て行ってしまった。応援団が慌てて追いかけていく。

「あらら。まだまだ子供ね」

 真理亜が母性愛に満ちた笑顔を見せる。

「んー、バカって言う方がバカなんだって、幼稚園で習わなかったのかなー?」

 梨遠がすっかりいつもの調子に戻って首を傾げる。

「……これは、二人の裏モードが出たおかげで、解決した、ってことになるのかな」

 ぼくがつぶやくと、真理亜がうなずいた。

「そうそう。だから、今度『ルーデンス』のケーキセットを奢ること」

「えっ」

「りおんは、プリンアラモードがいいー!」

「ええっ」

 やっぱりひどい。友達は選ぼう。



5.Welcome to the lily'S garden (reprise)


 翌朝、ぼくが校門をくぐると、何だか周りがざわついていた。ちょっと気にはなったけど、近くに知り合いもいなかったから、そのまま昇降口まで直行した。

 おそるおそる靴箱を開ける。いつもここで、ラブレター?の山が崩れて襲いかかってくるんだけど、今日は一通もなかった。ほっとして靴を履き替える。何だかまだ周りがざわついてるような気がするけども。

「あ、あの」

「ん?」

 声をかけられて、ぼくは顔を上げた。髪を三つ編みにした、おとなしそうな一年生が立っていた。まさか、また…

「二年の盛田理子さんですよね。私、一年A組の中林雪絵って言います」

「あ、そ、そう」

 警戒しすぎてるかな。中林雪絵はぎこちなく笑って続けた。

「波多野沙枝の友達なんです」

「へ、へえ」

 な、何だろう。友達の仇でも取りに来たのかな。だったらぼくじゃなくて真理亜か梨遠の方に…なんてことを思っていたら、中林雪絵は急に頭を下げた。

「ごめんなさい」

「え、ど、どうしたの中林さん」

「沙枝が、何にも知らないで失礼なことばかりして。私、何度も止めたんですけど…『盛田さんの気持ちが一番大事なんだから』って。でも、あの子聞かなくて」

 そう言われてみると、あの応援団の中にこの子の姿はなかったような気がする。

「いいよ。気にしないで。中林さんは何も悪くないし、波多野さんだって、ちょっと熱くなりすぎただけだろうし」

「ありがとうございます。やっぱり、盛田さんは優しい……噂通りです」

 頬をぽ、と赤くする中林雪絵。ぼくは解きかけた警戒を慌ててまたONにした。

「え、と、じゃあね」

 急いで立ち去ろうとしたぼくを、中林雪絵の笑い声が引き止めた。

「ふふふ、大丈夫です。私は、沙枝の真似なんてしません」

「あ、そう」

「よく分かっていますから。盛田さんのお気持ちは」

 何だろう。安心するはずが、全然落ち着かない。

「盛田さんは、内藤さんで心が一杯なんですよね」

 三つ編みをいじりながらうっとりと言う中林雪絵。ち、ちょっと。

「な、何か誤解してない? 中林さん」

「沙枝の応援団の子たちから聞きました。ダウトで負けたのに負けを認めなかった沙枝に、盛田さんがびしっと言ったって。『あなたじゃ真理亜より魅力的にはなれない』と」

 そ、そんなこと一言も言ってないっ。い、いや似たことは言ったけども…

「あ、あの、確かに波多野さんが頑固だったから怒った、というかたしなめたけど…言ったのはそういうニュアンスじゃなくて」

「ああ、素敵……理子さまと真理亜さま、理想のカップリングだわ。私、応援してます」

 全く聞く耳を持たず、中林雪絵は一年生の教室の方へ走って行ってしまった。おおーい。

 そうか、何だかみんなざわついてると思ったら、そういうわけだったのか。ぼくが二年生の教室の方へ行こうとすると、今度は二人組の一年生に声をかけられた。

「盛田さん、梨遠ちゃんのこと大事にしてあげてくださいね」

 二人組のうち、眼鏡をかけた方が潤んだ目でぼくに言う。梨遠はおバカキャラで親しみやすいせいか、下級生の中にもちゃん付けで呼んでる子たちが結構いるらしい。って、今はそんなことはどうでもいい。

「そ、それはまあ、友達だから大事は大事だけど……」

「きゃあ、照れてる。盛田さん、可愛いですー」

 もう一人の方、深紅のリボンをつけた子が体を震わせて感激している。

「い、いや照れてるとかではなく」

 ぼくが説明しようとすると、眼鏡が説明してくれた。

「梨遠ちゃん、盛田さんのために戦って、負けちゃったんですよね。でも、盛田さんが言ったんですよね。『ぼくのためにこんなに命がけで戦った梨遠を離すわけにはいかない。波多野さん、ごめん』って」

 ぶっ。勝敗の結果まで変わってるし。

「いや、それはかなり違……」

「きゃあー、素敵。私もそんなこと言われたいー!」

 リボンが倒れそうなくらい体を震わせている。おおおーい。誰か聞く耳を持ってる下級生はおらんのかー。

 眼鏡とリボンが中林雪絵同様、楽しげに一年生の教室方面へ走り去った後、ぼくはようやく自分の教室に入った。はあ。

「おはよう。朝からお疲れね」

 真理亜がいつもの慈悲深い笑顔で挨拶してくる。ぼくは片手を上げた。

「おはよ。何かもう、三日間ぶっ通しで授業受けた疲労感」

「それはまた、随分密度の濃い朝なのね」

「おうよ」

 ぼくは二組三名の一年生の話をした。真理亜はうなずく。

「なるほどね。あのときの理子の断固たる態度が色々改変されて広まってると」

「うん。っていうか、真理亜は言われなかった? 下級生に色々と」

 ゆるふわカールを小さく揺らして、真理亜はまたうなずいた。

「ええ。『盛田さんを大切にしてあげて下さい』とか『お二人の関係、素敵です』とか」

「やっぱり。で、何て答えたの」

「『ええ、ありがとう』」

 ぼくはバランスを崩して机にごん、と頭をぶつけた。

「な、何でそんなこと言うの。誤解がぐんぐん広まるじゃない!」

「だって、何も間違ってないでしょ。理子は私の友達だから大切にすべきだし、私はこの、『愚痴る理子を私がイジる』って関係、好きだし」

 うふふふ、とお嬢様笑いをする真理亜。こいつ、分かっててやってるな。

「論理的な問題じゃなくて、人がどう思うか、その影響を考えろー!」

「ええっ。あの自由な精神の持ち主の理子がそんなことを言うなんて」

 そのとき、教室のドアがバタンと開いて、モデル兼博徒が駆け込んできた。

「おっはよー! ねえねえ、何か今日、すっごく一年生に、理子ちゃんとのこと聞かれるんだけど。やっぱ、熱い友情、知れ渡ってんだね?」

 梨遠が天井に向かって突き立てた人差し指を見ながら、ぼくはまた机にぶっ倒れた。

 窓の外の樹々には、秋の気配が漂って来ている。でも、この学校の生徒たちの頭と来たら、全員春のまんまに違いない。

「ああ、神様!」

 うちは一応ミッション校なので、そう心の中で叫んでみた。




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