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貴方に花を

作者: 大宮西口

 学校では興味のない知識を無理やり詰め込んでくる牛に、ぴいちくぱあちくと騒がしい害鳥ども、それに粗暴な豚達とうまく付き合っていかなくてはならないらしい。

 しかし私は入学してすぐにそれを放棄した。面倒くさかったのだ。するとどうだろうか。私は彼らからいないものとして扱われるようになり、誰からも必要とされない塵となってしまった。

  それでも慣れれば案外平気だった。小説さえあれば苦ではない。

  いつものように教室で本を読んでいると、一匹の害鳥が変な匂いを撒き散らしながら話しかけてきた。

「フジムラサンカダイデテナイカラダシテクレナイ?」

 害鳥の言葉は聞き取りにくい。だが多分今日提出のプリントのことだろう。そう思って鞄からそれを取り出し、害鳥に渡した。

「ツギハハヤクダシテヨネ」

「すみません」

 強い語調だったので謝っておいた。私があのプリントを出したときに害鳥が受け取らなかったのだが、腹は立てないでおく。動物を怒らせると危険なのだ。


アノオンナマジキモイ。ハヤクシネバイイノニ。アハハキコエルヨー。キカレタッテモンダイナイワヨ! キャハハハハ。


 害鳥は他の鳥と奇妙な鳴き声をあげながら教室を出ていった。

 ああうるさい。もっと静かに歩けないのだろうか。先程のページを開き、読み始める。

「藤村さん」

 また誰かから声をかけられた。

 しかし、先ほどのとは違い、まるで小川のせせらぎのような澄んだ声だった。

 驚いて本から顔を上げると、そこには美しい人がいた。

 肩まで伸ばした黒髪は、よく手入れしてあるのだろう、艶やかでさらさらとしている。雪のような白い肌に綺麗な黒い目、それを縁取る睫毛は長く、唇は薔薇のように赤い。人形のような美しさ、いや人形では足りない。きっと、この人は天使だ。

このクラスにこんな天使がいるなんて気付かなかった。どうやら私の目は節穴らしい。

「何を読んでいるの? 楽しそうに読んでいたから気になっちゃった」

照れたように天使は微笑む。とても可愛らしい。

「あ、もしかして私のこと知らないかな? 私は香月奏だよ」

うっとりとしていたら、天使に名前を知らないから話せないのだと誤解されてしまった。しかし名前は知らなかったからあながち間違ってはいない。

かなで、と口の中で繰り返す。綺麗な名前。美しい人には美しい名前がつくようだ。

「藤村さん?」

その声に現実に引き戻され、慌てて先ほどの質問に答えようと口を開く。

「あ、た、ただの、す、推理小説……です」

こんな短文でも私の舌はもつれてしまう。なんて醜いのだろう。沈黙は金というけれど、ここまでだと騒がしい害鳥の方がまだ良いのではないだろうか。

「面白そうだね。何かオススメとかある? 読んでみたい」

天使は私の醜い姿も気にせずにさらに話し続ける。ふわりと甘い匂いが漂った。

私は天使の要望に答えようと頭の中で文章を組み立てるが、肝心の舌が働かない。

仕方なく鞄からお気に入りの本を一冊取り出して天使に差し出した。

天使は一瞬きょとんとしたが、すぐに微笑んだ。

「お勧めの本?」

その言葉に勢いよく頷く。そういえば私のような塵が触った本を渡して、天使が穢れてしまったらどうしよう。

「ありがとう。私、読むの遅いから長く借りるかもしれないけど良い?」

また頷く。

そうすると天使はまた笑って、自分の席へ戻っていった。

ちらりと見ると、天使は楽しそうに渡した本を捲っている。気に入ってくれたようだ。天使と好みが合ったことが何だか嬉しかった。


放課後に天使に一緒に帰ろうと誘われた。私は喜んで了承した。

帰り道では天使は何も話さず楽しそうに歩いていた。私は緊張で何も言えずにただ天使の後ろをついていった。

しばらく歩いて、ある四ツ辻に出ると、天使が向かいの道を指差した。

「私の家はこっちなんだ。藤村さんはどっち?」

正直に言うと私の家は全くの反対方向だったのだが、天使に不快な思いをさせてはいけないので、適当に右の道を指差した。

「そっちなのか。じゃあここでお別れだね。また明日」

天使は笑顔で手を振って、向かいの道を歩いていった。私も手を振ったが、天使に見えていたかはわからない。


次の日に天使とお昼ごはんを一緒に食べることになった。

「こっちだよ」

そう天使に連れられたのは、立ち入り禁止の札がかかった屋上扉の前。当然、鍵はかけられている。

どうするつもりなのだろうかと天使を見ると「今日は晴れているからきっと気持ち良いよ」と言い、ポケットから銀色に輝く鍵を取り出した。

そうして屋上の扉に鍵を差し込む。カチャリと鍵の開いた音がした。

何故天使が鍵を持っているのだろう。

「鍵を管理している先生は私がお気に入りなんだよ」

何も言わないうちにそう答えられた。私はそんなに分かりやすい顔をしていたのだろうか。それとも、天使だから塵の考えなどお見通しなのか。そうなると私の、この天使への想いは筒抜けということか。こんなに醜く汚らしい気持ちが天使に隠せないなんて、なんて恐ろしいことだろうか。

天使は私の考えなど気にしていないかのように手を引いて屋上に誘った。


扉を開けると、当然のことながら誰もいない。耳障りな害鳥どもの声も、豚の下品な言葉もない。空は雲一つない快晴だが、日差しはそこまで強くはなく、私たちの身体をやわらかく包み込む。そよそよと流れる風も気持ちがいい。なんて素晴らしい空間だろう。

天使は私の手を離し、屋上のフェンスに足をかけた。そうして制服のスカートなど気にせずに少年のように軽々と登り出した。

天使はもしかしたら性別などないのではないだろうか。少年の身軽さで動き、少女の美しさで全てを魅了する。そしてもちろん性別がないのだから性欲などの汚らしくいやらしいものなどもないのだ。なんて完璧な存在なのだろう。

気がつくと天使はフェンスの向かい側に立っていた。

天使は青空を背にし、手をこちらへ伸ばして口を開く。

「おいで」

絵になる光景に誘われて、私は木登りすらしたことがないのにフェンスに触れた。

登りきるまでにはやたらと時間がかかった。けれど天使は嫌な顔せずに、私が越えるのを待っていてくれた。

「下は壮観だよ。ここでお弁当食べよう」

天使は鞄から可愛らしいお弁当袋を出した。包みをしゅるりとほどくと、幾分か小さめのお弁当箱と、アルミホイルに包まれたおにぎりに小さめの可愛らしいタッパーが出てきた。

お弁当の中は卵焼きに、ハンバーグ、コーンとほうれん草の炒め物、アスパラのベーコン巻きにプチトマト。そしてもう一つのタッパーには赤く可愛らしい苺が何粒もはいっていた。

随分と手の込んだ弁当だ。こんな弁当がこの世にあったのか。私の弁当など、ごはんといくつかのおかず、しかもそのおかずも手作りではなく冷凍食品だ。

「藤村さん、どうかした?」

思わず凝視してしまったらしい。天使がくすくすと笑いながら尋ねてきた。

「あ、な、中身、凝ってると、思って」

「ああ、だって冷凍食品って美味しくないからね」

天使の舌には食品添加物たっぷりのものは合わないらしい。私は美味しいと思ってしまうから、舌も悪いのだろう。

「ここから落ちたら死んじゃうかなあ」

下を見下ろしながら天使は言った。

「死にたいの、ですか?」

「まさか。ねえ、死んだらどうなるのかな」

そう天使は尋ねてきた。

「えっと、焼かれて、骨になって、石の下、ですよね……土葬なら花が咲くの、かも……ですけど」

「あ、ねえ、死んだら土に埋められてそれが花になって~とかって言うけれど、私の死体が花になるわけじゃないでしょう? あくまでも養分だもの。なんか汚らしいと思わない?」

「そう、ですか……?」

「うん、醜いよ。私は花に本当になりたいな。死んで醜く腐るなんて嫌。骨になるまで焼かれるのも嫌。貸してもらった本の女の子が言ってたみたいに、天女になるのも素敵だな」

天使の話はどんどんと飛んで行く。

貴方はもとから天使なのに、と言いたくなるのをぐっと堪えながら聞く。きっと彼女は知らないのだ、自分が天使だということを。だから死体よりは綺麗な花や天女になりたがる。

「花に、天女。きっと、貴方なら、なれます」

「本当? ありがとう」

そこで天使の話は切れたので、少し気になったことを尋ねてみた。

「屋上には、よく来るの、ですか?」

「たまにだね。あ、でも友達ときたのはこれが初めて」

天使からそう微笑みかけられて、私は幸せで死んでしまいそうだった。

天使は誰とでも話すが、一緒に屋上に忍び込み、お弁当を食べ、連れ立って帰るのは私だけなのだ。私は天使に選ばれたのだ。たとえそれがただのきまぐれでも嬉しかった。

天使に私は認められた。必要とされた。それは塵からの脱出。

ああ、私はやっと人間になれた。



それから三週間程経ったある日、夕暮れ時の寂れた公園で天使を見かけた。

天使は公園のベンチに座っていた。それも一人ではない。愚鈍そうな雄牛とだ。

牛は天使にべたべたとひっついて、醜い鳴き声をあげている。なんて醜悪な光景だろう。そんなに近づくなんて天使に失礼だ。きっと天使も迷惑しているはず。

そう思って公園に入ろうとすると、信じられないものが目に入った。

天使と牛が接吻をしていた。

すぐに彼らは唇を離したが、どちらも幸せそうに笑っていた。

私はあまりのことに、声をかけることなど出来なくてそっとその場を離れた。


香月奏は天使なんかじゃなかった。


次の日、いつも通り香月に屋上に誘われた。

今日は生憎の曇り空で、薄暗かった。それでも私達はいつもと同じようにフェンスを越えて、そこでお弁当を食べた。

彼女はへりに座って足をぶらぶらとしている。

死んだら花になりたいな、きれいだもの。ええ、貴方ならなれるわ。私も手伝うから、きっとなれるはず。

私はそういって、彼女の背中を押してやった。

十数秒後に、ぐしゃりと嫌な音がした。


「花になれて良かったね」



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