絹布の都の夢見る傭兵(その三)
鉄の道をひた走る蒸気列車。
その窮屈な貨物車両の隅っこに腰を下ろすトマスとニーダ。揺れの激しい列車の中でトマスは悪酔い気味になるのを必死に抑えていた。
「トマスー、お顔真っ青だよ?」
「…………」
トマスは無言で首を横に振る。それをやせ我慢と受け取ったのか、
「トマス、飴ちゃん舐める?」
「…………」
やはり無言で首を激しく振りまくる。どう見ても本人は拒絶している様子だが、残念なことにニーダはその辺の空気が全く読めない。というか、空気を読むなどという基本的な概念すら持ち合わせてなどいない。故に勝手にトマスのサックから例の小瓶を取り出すと、中から飴を一つまみして「あーん」などと嫌がる彼の口に無理やり押し込もうとする。あくまで無邪気に。
「…………だー、やめれ、話しかけるな! 俺、今吐きそうだから! つーか、多分吐くから!」
執拗な飴攻撃を加えるニーダに耐えかねて、相手の顔を手で押さえて遠ざけるなり、ささやかな抵抗を試みるトマス。しかし、
「ちょっ……お前、この、しつこ…………んがっくっく…………!!!」
ほんの僅かな隙だった。本当に僅かな、されど一粒入れるのには十分な隙間が開いていた。
その隙を見逃さず、ニーダが精密且つ素早い指の動きで飴を弾いた。そして、彼の口の隙間から発せられる苦情と入れ替わりに投入される琥珀色の球体。そして、そのまま自然の摂理にしたがって喉から食道を通り胃の中へと一直線。
「の、飲んぢまったじゃねーか!」
「よかったねー」
「良かねーよ。すっげー気持ち悪…………くない?」
つい先刻までの嘔吐感がまるで嘘のように退いていた。飴玉が車酔いに効くというのは聞いたことはあるが、こんな呑み方して効果があるとは少し考え難い。あるいは、異物を飲み込むことで吐き気を無理やり抑えたか。少なくとも、
この飴自体の成分によるものじゃないよな?
などと、半ば疑わしげにでニーダの持つ小瓶に目をやる。何しろこの飴、効能については触れてあっても副作用については一切の記載が無い。科学などというものに疎いトマスから見ても、怪しいことこの上ない代物だろう。いや、むしろ知識が無いからこその不安というものかもしれないが、材料を見てしまったせいで少々神経質になっているようだ。
「……まあ、いいか」と独り呟いてから「ニーダ」と声をかける。
「はや?」
「…………あんがとよ」
ぽつりと礼を言うトマスに、ニーダは元気に「うん!」と笑顔で返した。
窓辺から漏れる外気は冷たく、熱気に満ちた機関室からでも冬の訪れを肌で感じるくらいだ。
定年間近の機関士が窓から顔を覗かせて進行方向を確認すると、前方には谷間を結ぶ大きな鉄橋が姿を現した。建築からおよそ一世紀以上は経っているであろうその姿はまさに廃墟の入り口のようで、赤黒い鉄錆が物々しい雰囲気をいっそう引き立てていた。
「おい小僧ども、橋が見えてきたぞ。ここを抜ければ、お目当ての都市はすぐだ」
鉄管に口を当てた機関士の声が、トマス達の車両にまで伝わってくる。
「お、いよいよシルクガーデン到着ってか。長かったな、これでやっと飯にありつけるぜ!」
「ごはん、お腹いっぱい食べれる?」
「とーぜん!」
「うぉぉぉぉぉぉぉ! ニーダがんばる!」
「おう、ガンバレ………………具体的に何をどう頑張るのか知らんけど…………」
「ごっはん、ごっはん、ほっくほっくごっはん」
鼻歌交じりに口ずさむニーダを見ながら、トマスはどこか落ち着きがないように腰に手を当てる。指の腹に伝わる硬い感触を確かめるように。
大丈夫だ。落ち着けよ、俺。やっと標的に近づいたって時になってブルっちまわねーようにしなきゃだな。
「どーしたのトマス、ちょっとお顔怖いよ?」
「あ、そうか? 悪い、ちょっとビビらせちまったかな」
ニッと歯を見せながら目一杯笑って見せる。
「うん、そっちのお顔の方が好きー」
「そういや師匠さんもよく言ってたっけな、『ヤバいなって時こそ笑ったモン勝ち』だって」
「トマスのおねーちゃん?」
「姉って言うか、師匠」
「ししょー?」
「つまり、先生って意味だよ」
あまり要領を得ないようなニーダの返事に、トマスが簡略的な説明をする。
「せんせーかー、じゃートマスより強いんだね!」
「いや、先生と聞いて強いってなんか短絡的じゃね? …………ま、当たってるけどさ。て言うか……」
あの人が何かに負けるところとか全然想像つかないレベルだったりするけどな――――などと、心の内でつぶやくトマス。
「トマスのせんせーって、カッコイイ?」
「どうだろ…………まあ格好良い方かもな。て言うか半端なく可愛い。そして、絶望的に強い!」
と、そこで握り拳を作り、まるで何かに怯えているような表情で硬直するトマス。
「はにゃ、トマス?」
ふと、ニーダは首を傾げる。そのセピアの瞳には、急速に青ざめていくトマスの顔が映っていた。
「また飴ちゃんいる?」
心配そうに覗き込むニーダの声に、全力で首を振りまくるトマス。
「い、いや、気持ち悪いとかじゃなくて…………思い出したら、なんていうか鳥肌が……」
と、その時――――
地の底から突き上げられたような激しい揺れと共に、耳の奥に痛みを覚える轟音が後部車両の方から聴こえてきた。