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その七歩

「良いか、"真名(まな)"ってのは……」



 イオリが"真名"というものを知らないと知った途端に、ヒュールは懇々(こんこん)と説明する姿勢を取った。ちっ、知ってるフリすれば良かったとは、殊勝なので言わない事にする。何やかんやで、この"六柱"は目つきが恐ろしく怖いのだ。


「俺達魔族の魂に刻まれた名、それが"真名"。 自らの意思で誰かに"真名"を告げる事は、自分の命を相手に捧げた行為と等しい……《勇者》、お前が先程から呼んでいる王の名こそ、"真名"だ」

「……へ!?命って……リ、リーヴの?」


 話半分のつもりであったが、予想の斜め上をいく話にイオリは瞠目した。

 命。命と言ったか、この人は。リヴェンツェル。そんなにも大切な名前だったのだろうか?いやいやいや、初めて会った時フツーに名乗っていたよね確か。

 それとも、イオリが知らないところで何か重要なことをしていたのかもしれない。

 

 …あ、ありうる。まじか!?まじかもしれない!

 最初にリヴェンツェルと出会った時は、最高最低に欝状態だった時じゃないか!

 ろくに話も聞かない侭、名前だけ記憶に残っていても、二年前の自分なら可笑しくない。

 サーッと頭の血が下がる思いで顔を青褪めさせるイオリに、ヒュールは訝し気な視線を寄越すと軽く眉を顰めた。


「勿論俺の名も通り名であって、"真名"ではない……何を一人で百面相している」

「イエッ!い、いいい命でございますか」

「ああ。 お前が王の名を呼び、死ねと言えば……王は躊躇い無く自ら死ぬ。 それほどに、"真名"は我等魔族にとって重要なものだ」


 絶句。それにつきる。

 つまり、お命頂戴!とわざわざ魔王城にまで来なくても、イオリは最初から《魔王》の命を握っていたという事か。

 なぜ?心が揺れる。戸惑いに、視線が泳ぐ。


 そこでイオリは一つの事に思い至り、ハタと動きを停止させた。

 ダラダラと冷や汗が背中を伝う嫌な感触を不快に思いながら、ぎこちなくヒュールを見上げる。

 


 "リヴェンツェル"は《魔王》の"真名"だという。

 そして、真名は魂に繋がるもので、その名を呼ぶだけで思いの侭?

 ちょっと待て、私はそんな大事な名前を、堂々と皆の前で言っていませんでしたか。



「私……普通に皆の前で……言っちゃった、言っちゃったけど!?どっ、どうしよう!」


 幾ら"真名"というものを知らなかったとしても。

 もしも、《魔王》を良く思わない者がイオリの声を聞いていたら。

 もしも――害しようと、思っていたら?



 "真名"を呼んで、一言……死ねと、言ったら?



 そんなの嫌だ!

 激しく動揺して顔色を無くした挙句、泣きそうにベソをかくイオリを紅蓮の瞳が見詰めると、フッと少しだけ柔らかく細められた。

 そのまま、先程よりもちょっと強く頭を撫でられる。い、痛い。


「心配するな。 "真名"は自らの意思で告げた相手に捧げ、またその相手が"真名"を受諾し受け取らねば効果は無い。 つまり、俺達は王の"真名"を知ってはいるが、口に出す事は出来ない……まあ、王程の力を持つ者の"真名"を受け取れる者が居るのも驚きだが」


 ……話の半分も理解出来なかったが、一先ず問題は無いという事で間違いはなさそうだ。


「よ、良かったあ……」


 思わず全身の力を抜いて、ほっとする。

 それにしても、"真名"を受け取るとは何だろう?

 紙に名前を書いたりしたものを、受け取ったりした覚えは無いし、あの時何か特別な事があったかと言われても否としか答えようがない。

 イオリの記憶に残っているのは、絶望と憎悪の心底でこの世界を睨んでいたイオリに、微笑んでくれたあの柘榴石(ガーネット)色の優しい光だけ。


「アンクノウン」


 うーむ。顎に手を当てて考え込んでいたイオリの思考を引き戻したのは、意外そうな響きを含めたヒュールの声だった。

 紅蓮の瞳が向く方向へイオリも視線を向けると、先程イオリがこの場所へ入ってきた生垣の入り口に、ちんまりとした黒い子犬の姿。はたはたはたと左右に揺れる小さな尻尾が何とも言えずかわええ!


「くろちゃん!」

「く……なんだそれは」

「え。 リーヴもそうだけど、この世界の人って名前が難しいんだよねー……だから、くろちゃん!もっふもふだし、かわいいでしょ」


 音もなく此方へ近付いて来ると、足元でお座りして見上げてくる姿が悩殺過ぎる。

 犬とか猫とか小動物とか大好きです、撫で繰り回して愛でたい。脱力気味なヒュールへ上機嫌な言葉を返すと、イオリはアンクノウンを抱き上げふわふわの毛に顔を埋めた。

 ああ、至福ー。この子が"六柱"の一角を担う存在であり、元は骸骨さんだったのは忘却の彼方に捨てて埋めて置こう。よし、そうしよう。


 ほんのりと肌に感じる子犬の体温が温かい。

 イオリの家でも、犬を飼っていた。

 お父さんがボーナス出たからって、奮発して買ってくれて。

 毎日の散歩がイオリの日課で……。


 だめだ、深く考えると心が泥沼に沈んでしまう。

 子犬を抱く手に少しだけ力を入れると、イオリは重い息を吐き出した。

 そのまま暗い気持ちを払拭させるように、ヒュールへ笑顔を向けた。


「あの、ヒュール……さん」

「さんはいらん」

「じゃあヒュール。 なんでリーヴは私を殺さなかったのかな?何も知らない《勇者》のすぐ傍に居て、やろうと思えばなんでもやれたのに……それに、私魔獣とか、沢山狩ってるのに」


 そうなのだ。そこが一番不思議なところなのだ。

 ずっとそのことがイオリの中で、何故・どうしてと渦巻いている。

 この世界の事を全く知らず、どうすれば良いかも分からなかったイオリなら、例えチート能力を持っていても簡単に殺してしまう事が出来たはずなのに。


「さあな、俺は王では無いから王の心情を推し量る事はできない。 それと、一つ勘違いしているようだが、魔獣は魔族とは似て非なるものだ」

「そうだよねえ……って、え!?違うの!?」

「当たり前だ、あんな知能もろくに無い獣と一緒にするな。 魔獣(アレ)はより強い力を求めて道を踏み外した者の成れの果て。 繁殖力が強い上に貪欲で、誰でも襲うから人間達だけで無く魔族も手を焼いている」


 し、知らなかった。

 帝国で魔獣を討伐していた時、人々は魔獣と魔族を同一として捉えていたから、てっきりイオリもそうだと思っていたのだが。どうやら全く違うらしい。

 そういえばイオリはヒュールのような人の姿をした魔族と戦った事がない。中にはヒヤリとした事もあったが、魔獣ばかりだ。


 帝国の人々からはそれでもかなり感謝されたから、別段疑問にも思わなかったが……もしかすると、いや、もしかしなくても《勇者》の傍で常に手助けをしていた《魔王》の存在が大きかったのかもしれない。

 知らない事が多すぎて、知らない間に守られてばかり。

 それなのに、何故自分ばかりと悲観して――ああ、小さな子供のようだ。

 悲劇のお姫様に浸って、悦に入っていたも同然じゃないか。


 難しい顔で黙り込んだイオリをそっと横から眺めて居たヒュールと子犬、もといアンクノウンであったが、次の瞬間同時にハッと身体を強張らせた。


「……?どうしたの?」

「不味い!王が"封冠符"を外した」

「ふうかんふ?」


 聞き慣れない単語である。幾らこの世界の言葉が分かる不思議チート能力があっても、イオリの記憶と繋がらない単語は謎言葉として受け取られる。

 不思議そうに首を傾けるイオリとは異なり、並々ならぬ緊張感に目尻を険しくしたヒュールは少し早口に説明した。


「王がピアスやネックレス、指輪をしているだろう。 アレは全て"封冠符"というもので、強大すぎる王の力を抑えている道具だ」


 確かに、リヴェンツェルは左右の耳や首、手首や指先に華美では無いが沢山のアクセサリーを着けていた。結構な頻度で形や色が変わっていた為、随分なおしゃれさんだとは思っていたが。


「通常、アレを一つ身に付けるだけで俺達"六柱"とて唯の人間になる。 魔法等使えない」

「……はい?」


 軽く頬が引き攣っている自覚があるが、今はそれどころではない。

 ちょーっとまて。見える場所だけでも、5・6箇所くらいにアクセサリーがあったような気がしますけれども!

 というかアクセサリーを着けた状態で、普通にあの人魔法使ってた……気が。


「アンクノウンからの思念で報告は受けていたが……まさか、本当に帝国を滅ぼす気なのか……?」

「滅ぼす!?な、なんで!」


 全く以って意味が分からない。

 今まで《魔王》じゃなくてリヴェンツェルとして、彼はイオリの傍に居てくれたのに。

 イオリが彼の事を《魔王》だと知ってしまったから?


 帝国は嫌い。利用する為だけに、私を喚んだから。

 皇帝も嫌い。嘘という甘言だけを言って、自分は動こうとしないから。

 でも、帝国を滅ぼすのは――?


 あの場所に暮らしている人達は何も知らないのだ。

 イオリが異界の人間である事も、何も。

 ただ、毎日の暮らしを脅かす魔獣の存在に震えて、皇帝が起した戦争のせいで若い青年は兵として徴兵され、税は上がり、暮らしは貧しく。魔族からの戦争だと信じて疑わない民は、平和がくればと、それでもと身を粉にして働いて……魔獣を倒しただけで、あんなに、喜んでくれた。


「駄目!」


 止めなければ。

 止められるかも分からないが、関係の無い人まで巻き込むのは嫌だ!

 温くて結構。こちとら、16年間戦争とか争いとは無縁の土地で生きているのだ。

 

「私、止めてくる!リーヴはどこ!?」


 鬼気迫る声に気圧されたのか、たじろぐヒュールに代わり、スルリとイオリの手から地面に着地した子犬が付いて来いとばかりに走り出す。

 それを、イオリは全速力で追って駆け出した。


 

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