その十五歩
「仕事をしたい…で、ありますか?」
「うん、仕事。 何かないかなーって…」
日々、魔王城の平和を守るべく警備と訓練に勤しむ衛兵のおにいさんは、ちょっと困ったようにして直立不動の体勢からイオリを見下ろした。
ちなみにこのおにいさん、《魔王》が封冠符を外した為、強い魔力に中てられて泡を吹き出し倒れていたおにいさんである。
魔王城で居候の身となってから、既に一月以上。
慣れない環境と、文化の違い、そしてコレが大半なのであるが、《魔王》様の傍若無人っぷりに振り回されて気付けばこれだけの日数が経過してしまったが、元々体を動かす事が好きなイオリとしては何もする事がないというのはそれだけで酷く退屈だった。
それに、最近は真面目に仕事をしている《魔王》様と、“六柱”達を尻目に日々遊んでいるだけ…というのも、妙に居心地が悪い。
――俺の未来のお嫁さんなんだから、そんなのしなくていいよ。
あ、だめだコイツ。
何か仕事を、と《魔王》へ聞いた自分がバカだったとイオリは強く痛感して、見覚えのあるおにいさんに聞いてみたのだが…おにいさんの様子からして、どうやらかなり困らせてしまったらしい。
「…ですが、イオリ様は大切なお客人でいらっしゃいますし…」
「お客というより、居候させて貰ってるようなものだもん。 それに、みんなちゃんと働いてるのに、私だけ遊んでていいなんて居心地悪いよ」
イオリの言葉に、おにいさんは益々うーーんと悩み始めてしまった。
「こう見えて体力はちゃんとあるから警備もイケるし、花の剪定だってやれるし…掃除も洗濯もがんばるから!」
あれ、なんかこの言い方だと彼氏に自分を売り込む彼女っぽい気がする。
もう少し言い方を考えるべきだったかな、とも思ったが今更なので致し方ない。
「そうですねえ…あ、そういえば、最近厨房の人数が足りなくて困っているらしいので、厨房に行ってみては如何でしょうか?」
「厨房ね。 わかった、ありがとうおにーさん!」
うんうんと唸っていた年若そうなおにいさんだったが、やがて思いついたようにぱっと表情を明るくさせると、つられてイオリも与えて貰えるかもしれない仕事の存在に、弾んだ面持ちでおにいさんへと礼を述べて歩き出した。
…背後でほっとしたような溜息が聞こえたのは気のせいに違いない、と思っておこう。
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「うわ…」
魔王城の一角に存在する厨房を、ひょい、と気軽に覗き込んだイオリは次の瞬間激しく後悔した。
日々、魔王城で働く人々の胃袋を支えているそこは、とても優しくて美味しい味付けとは裏腹に、いかついコックなおじさま達が怒号に罵声をぶつけ合い、時々悲鳴まで聞こえる阿鼻叫喚、修羅場な有様だった。
というか、部屋の隅に数人ばったり倒れ伏しているのは何だろう。ひいい。
燃え尽き症候群というやつだろうか。
見慣れた食材は勿論のこと、べっとりと赤いものがこびりついた鉈やら斧やらが無雑作に置かれているのは何故だろう…というか、いったい料理のどの場面であんなものやこんなものを使うのか…。
軽い眩暈すら覚えて違う場所を…と離れかけたイオリだったが、何とも不運な事に見つかってしまったようで、地を震わすような銅鑼声がイオリの名を呼ぶ。
別段悪い事をした訳ではないのだが、自然と引きつる顔を笑顔に無理やり捻じ曲げ、イオリは世の社交辞令にのっとってみた。
「あんれ、イオリ様じゃねーか。 こんなむさくるしいところに視察かい?」
「こ、こんにちは…ええと、何か手伝いがあればと思ったんですけど…」
とてもではないが、イオリが手伝える事はないように思える。
ちょっと失敗でもした日には、おいしいスープのダシにされてしまいそうな雰囲気なのだ。
手伝いは大事だが、命あってこそだ。乙女にこの環境はちょっと…である。
「でも、みなさんの美味しい料理に私なんかがお手伝いできることなんてありませんよね…ごめんなさい!」
映画監督が見たら感涙にむせび泣く程、ちょっと困ったような笑顔で軽く首を傾げて見せるというイオリ渾身の演技を発動し、そそくさと背を向けたイオリに贈られたのはありがたいような、ありがたくないような返答だった。
「おお、手伝ってくれるか!最近人数が減ってしまってなあ…イオリ様が手伝ってくれるってんなら、ありがてえや!」
減ってしまったのはなぜでしょうか。
おいしいスープのげんりょ…言いかけ、死亡フラグの乱立に気付くと、イオリは引きつった半笑いの笑顔で「ヨロコンデー」と返答したのであった。
●●●●●
「…で、ココで芋剥いてる…と」
「うん。 いや、ほんとに怖くって」
「おいおい、《勇者》がコックに怖がってどうすんだよ」
立ってようやく頭が見えるくらいにこんもりと盛られたジャガイモもどきの皮剥きに奮戦しながら、“雷獣”エストの呆れたような言葉には流石のイオリも反論を挟んだ。
厨房の隅で二人膝を突き合わせ、黙々と皮を剥いているのはかなりシュールだが、何の用途に使うのかさっぱり分からない斧やら鉈やらの作業に比べれば、天国ってものである。
「そんな事言うならエストだって、真面目に手伝ってるじゃない!」
そう、最初こそ一人でこの芋達と格闘せねばならぬのか…などと、妙に古臭い言い回しで遠い目をしたイオリだったが、皮剥きを開始して然程も経過しないうちに、エストが厨房に放り投げられてきたのだ。
外見的にはイオリと余り変わらないように見えるエストだって、仮にも“六柱”の一人なのだ。幾らまた食器を破壊した代償だとしても、純粋に手伝いを申し立てたイオリとは異なり、その気になればさっさと逃げる事くらい出来そうなものだが。
「いや…ここで逃げたら、その後がめっちゃ怖えんだよ…」
「ああ、…うん、そうだと思う」
並々とスープの入った寸胴鍋をひょい、と片手で移動させながら、逆の手で包丁を握って一寸の狂いもなく野菜を均等に切るコックさんへエストが向けた視線には恐怖が混ざっていた。
なるほど、既に調教済みでしたか。
“六柱”をも恐れさせ、皆の胃袋を掌握しているこの場所こそが、実は魔王城で一番怖い場所ではなかろうか。
イオリは最初に厨房を紹介してくれた警備のおにいさんをちょっぴり恨んだ。
「あれ?…くろちゃん?」
「クロって誰…アンクノウンじゃん」
剥いても剥いても無くならないジャガイモもどき達と格闘するイオリの視界の端を、ふと影が横切った気がして、顔を持ち上げたイオリの視界に映ったのは漆黒のふわふわな毛並みを持つ子犬だった。
子犬と侮るなかれ、この子犬こそ“六柱”の中でも一番不思議生物な“形無し”アンクノウンである。
元々は真っ黒な骸骨の姿をしていたのだが、異名の通り好きな姿に変化する事ができるらしい。もっとも、骸骨の姿は異様すぎてイオリが怖がったため、最近はずっと子犬の姿をとってくれている。
イオリの中では癒しのアイドル的存在である。
そんな彼(彼女かもしれない)が、「なにをしているのか」とばかりに小さな鼻をふんふんと鳴らしてイオリの傍へ近付いてくるのは悩殺ものである。可愛すぎて鼻血が出そう。
一応姿は子犬なのだ。ここは厨房で、毛が抜けたらと考えなくはないが、あくまで変化しているだけなのだから問題はなかろう。
子犬の姿を見て、軽く会釈するコック達も気にした様子はないし、あながち間違いではあるまい。
「コックさんたちのお手伝いで、皮を剥いてるんだけど…ちょっと量が多くて」
「二人でコレやるのはちっとキツイよなー」
意見のあった二人が、仲良くネーなんて言いながら顔を見合わせる様子を子犬はつぶらな瞳で眺め、ひょいっとイオリの膝の上に飛び乗ると、イオリは作業する手を止めて真っ黒ふわふわな存在を見下ろした。
そんなに芋の皮剥きが珍しいのだろうか?
もしかすると、手伝っているつもりなのかもしれない。微笑ましい思いで子犬を見詰めていたイオリは、次の瞬間驚愕して厨房中に響き渡る悲鳴を上げる羽目になった。
どう考えても一口では収まらないだろう大きさのジャガイモもどきを、この可愛らしい子犬は丸呑みしてしまったのだ!
「くっ、くろちゃん!そんなの飲み込んじゃ……」
芋の皮や芽などは微弱だが毒素が含まれていたような気がする。
ましてや小さな子犬なのだから、体への影響は大きいんじゃなかろうか。
元々の姿をすっかりと失念したイオリは、当然大慌てで芋を吐き出させようと子犬を持ち上げた。
が、かぱりと開かれた口から一体全体どういう仕組みなのか、とっても綺麗に皮剥きされたジャガイモもどきさんがイオリの膝上に転がる。
ご丁寧に、きちんと芽の部分も処理されて、だ。
「…………」
「…………」
●●●●●
「これ、とても美味しいね」
「むぐっ……」
「ぐふっ」
その日の夕食時。
黄昏が過ぎ、暗い大広間には沢山の蝋燭から生まれた灯火がゆらゆらと室内を照らして、とても幻想的で美しい空間が広がっている。
陶磁器の皿や銀食器にも光が当たり、コック達が腕を奮った料理は美味しそうな湯気を立てているのだから、《魔王》様が仰る事も何等不思議はない。
だが、不穏な音を立てる存在が二人。
当然のことながらイオリとエストである。
「なあに、どうしたの二人とも?」
つやつやとしたシルク生地のガウンを身に纏った"氷雪の魔女"ミルカが、不思議そうに首を傾ける。
言葉にはしないが、他の面々も勿論同じような感想を持ったらしい。
「ううん、何でも!美味しくてびっくりしちゃっただけ!」
どうやら喉につまらせたらしい。
顔を青くさせているエストに代わり、イオリは抜群の笑顔で窮地を切り抜けようと試みた。
《魔王》様が美味しいと示したのは芋の冷製スープで、それに使われている芋はほとんどがアンクノウンの手伝いの賜物なのだが、知らぬが仏という事もある。
張本人である子犬は、テーブルの下で丸々蒸された芋をご堪能中だが。芋でいいのか。
「本当にね。 …イオリが剥いた芋のスープは格別だよ」
…。
……。
ち、ちょっとまて。
今何て言ったのだ、この《魔王》様は。
誓って言うが、イオリは《魔王》リヴェンツェルに芋の皮剥きを手伝った事など一言だって言っていない。
ならば犯人は、と鋭い視線を巡らせた先のエストが必死に首を振っている様からして、どうやら違うようだ。
全身の毛穴から嫌な汗が吹き出てきたイオリを他所に、石榴石のような奇麗な瞳をうっとりと細めた《魔王》様は、イオリが思わず顔を覆って赤面してしまうくらいの嫣然とした笑みを浮かべてスープを一口、口に含む。
「食べきるのが勿体無さ過ぎて、永久に冷凍保存しておきたいな」
いや、そこは食べて下さいというか芋を剥いただけで決して料理をした訳ではないんだけど!と心の中でイオリは激しく反論するが、勿論声に出す事はない。
「わっかんねーぜー?オレとアンクノウンも手伝ったから、イオリのが混ざってねーかもな」
どうやら無事に窒息死を回避したらしい。
エストが意地悪小僧のような満面の笑顔で《魔王》へ言うと、名前を呼ばれて反応したのか小さな子犬もテーブルの下から顔を出して《魔王》を見上げた。
「俺のものは、全部イオが剥いたものだよ」
端正な顔をこれでもか、と綻ばせて微笑む《魔王》様の放った爆弾発言に、イオリはときめきとは違う意味での胸の動悸が治まらない。
それはあれですか、あの中から私が剥いたものを選別して、自分専用にしたんですかそうですか。
「なんで…」
「だって、折角イオが頑張って剥いたものがあるのに、ムサ苦しい男達のスープなんて飲みたくないよ?」
動揺を押し殺して、ちょっと震え気味の声を出すイオリに、当然でしょう?とばかり小首をかしげながら言われてしまえば、あとは何も言えなくなってしまった。
もう料理の手伝いはしないでおこう…。
遠い目で誰が剥いたのか分からない芋のスープを見つめていたイオリを、《魔王》様はにこにこと天使のような笑顔で眺めて居た。
やっぱり、一番怖いのは《魔王》様だと思ったイオリでした。