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その十四歩

「……うむむ」


 身長の軽く二倍以上はあろうかという、緻密な彫り細工の美しい重厚な《魔王》の部屋へと続く扉の前で、イオリは一人頭を抱えて懊悩(おうのう)していた。

 ミルカとの会話を経て早速とやって来たまでは良かったのだが。

 今更、何と言えば良いのかさっぱり言葉が浮かばない。うむむむ。


 というか、そもそもにして気にしていたのはイオリだけなのだし、《魔王》様は全く以って気にしていなさそうにも思える。というか絶対気にしていない気がする。

 この扉をノックして、いきなり「ごめんなさい」と言ったところで、意味が通じなければ自分だけ何だか気恥ずかしいではないか!


 前言撤回。謝るのは無しにしよう、そうしよう。

 そもそも、別に悪い事をした訳でもないのだし、ミルカも良い変化だと言っていた。

 それなら別段イオリに非は無いではないか。都合が良いとは言うなかれ。

 

 幸いにしてイオリはまだ扉をノックしていない。

 部屋の主が気付く前に、そっと撤退してしまえば誰もわからない。

 しめしめ、と(およ)そ《勇者》の肩書きに相応しく無い悪人面でほくそ笑みながら、極力音を立てないように立ち上がったイオリは、突如として背後からにゅっと伸ばされた二本の腕に、身体を硬直させた。


「……来るだけ来て、その侭帰るの?イオ」


 少し掠れた男性の声と、吐息が耳に触れて。

 細身ではあるけれど、イオリを抱き締める腕はしっかりしていて。

 その声と腕の持ち主が《魔王》様である事に気付いたのは、イオリの意識が半分程口から漏れ出そうになった頃だった。

 一拍遅れてうひいいという何とも間抜けな声が漏れるが、それどころではない。


 イオリは部屋の前で一言も言葉を発していないし、大きな音も出していない。

 それなのに、背後からイオリを抱き締める《魔王》様は何故こうも当たり前のように存在しているのだ!

 思わず意識をあらぬところへ飛ばしそうになりながらも、イオリは何とか言葉を絞り出した。

 

「りっ、り、リーヴ!なななななんで気付いて……!?」

「え?……分かるよ、イオの事は何でも、直ぐに」


 答えになってない答えを、自信たっぷりに言わないでください!

 どうしようもない状況と、いつ誰に見られるかもしれない廊下でのやり取りに悶絶しかけるイオリを他所に、渦中の《魔王》様は至って平穏な声だった。

 というか、(むし)ろ何だか非常にご満悦にも見える。


「リーヴ、離して……!」

「やだ」


 なんですと。

 心底からの嘆願であったというのに、こうもあっさりと拒絶されてしまうとそれ以上二の句がつげぬ。

 ええい、そう拗ねた顔で腕の力を込めるのはやめなさい!

 言った傍から、廊下の向こうを此方へと近付いて来る二人の衛兵が見える。

 こんな格好を見られたら、恥ずかしいというレベルではない。数日あてがわれた部屋から出ずに引き篭もりたいくらいである。

 イオリは益々この腕の中から何としても逃れるべく腕を滅茶苦茶に振り回し――ぴたりと首筋に触れる濡れた感触に、文字通り石像と化した。

 く、くくくくくびになにか触れているというかこれってもしかして唇だったりするのでしょうか。


「でさー、その時隊長が…」

「うっわマジかよ、それって………」


 石化したのは、イオリ以外にも二人居た。

 『運悪く』通り掛かった二人の衛兵である。

談笑の合間にふと前を見た一人が、哀れ《魔王》に捕縛されて死に掛かった魚よろしい表情の《勇者》を見つけるや否や、動きを停止させた。怪訝そうな顔をしたもう一人も、直ぐに同じ末路を辿り、総勢四人で無言の見つめあい状態である。

 

 先に動き出したのは衛兵の二人だった。

 

「…で、でさあぁ、そ、その時たいちょーが」

「ままままじかよ、それって…」


 二人は何事も無かったかのように。というか、見てはいけないものを見てしまったといった表情でぎこちなく踵を返すと、如何にもわざとらしい会話を繰り返しながら、全力疾走一歩手前の早歩きで来たばかりの道を戻って行ってしまった。

 この、薄情者!とイオリは心中で二人の背中に恨み言を投げつけた。

 背中のコレをひっぺがしてくれるくらい朝飯前ではないのかね!


 心中で絶叫を上げるイオリを他所(よそ)に、唯一救世主なり得たかもしれない二人の衛兵はイオリの視界からあっという間に消え去ってしまった。

 残されたのは、背中に引っ付く《魔王》様だけである。

 背中に嫌な汗が伝うのを感じつつ、恐る恐る肩越しに背後を振り返ったイオリの瞳に映ったのは、何も知らない世の女性達なら一度で(とりこ)になってしまいそうな極上の笑みを湛えた《魔王》様であった。


「全く、邪魔者が多い」


 うひいいいいとイオリは心中で思わず悲鳴を零した。

 何というか、微笑は艶やかだというのに、笑みを形作る唇から零れたのは冷淡な呪詛にも似た響きである。耳を澄ませばチッという舌打ちすら聞こえてきそうだ。きっと泣く子も黙る。

 じ、自分に言われている訳では無いぞ。うむ。

 ……と信じたいが、間近で言われたその言葉に思わず誠心誠意土下座して謝り倒したくなる衝動に駆られ、懊悩(おうのう)していたイオリは、くるり、と視点が反転して廊下の景色から簡素な内装の室内に変化して、漸く現状に気付いた。


「うぎゃ、むぐ」


 我ながら乙女とは程遠い、蛙が潰されたような声を出した気がするが、それどころではない。

 つい、一瞬前迄廊下に立っていた筈なのに、何故!

 何故《魔王》様の部屋の、ベッドに転がされているのだ!


「りっ、リーヴ!何を……!」

「だって、あそこで話してたら邪魔ばかり入るから。此処なら、ゆっくり話せるだろう?」

「人の上に覆い被さりながら言う言葉じゃないと思います!」


 ね?と極上の笑顔を浮かべるのはまあ良いとしても、イオリにとって現状は危機的なものである事に変わり無かった。(むし)ろ悪化している。

一体全体何故、どうして、何が何を何事でとイオリの思考は壊れかかった。

 混乱に見開いた瞳に映るのは、間近で瞬く宝石のような赤い色。

 ちちち、近い。距離にして拳一つ分程も無い。


「ま、待って、待って!ストップ!」


 余りに距離が近すぎて、言いたい事も混乱に飲み込まれてしまう。何より恥ずかしい。

 この笑えない程近い距離を何とかすべく、イオリは片手でリヴェンツェルの顔をぐいぐいと押しやった。だのに。

 くすり。低い笑い声が小さく空気を揺らした。

 その吐息が、首筋に触れて撫ぜ遊ぶ。


「なぜ?イオは、俺に会いに来てくれたんだろう?何か言いたい事、あったんじゃない?」


 何時の間にか押しやった筈の手を滑らかで大きな手が捕まえて、手の甲に唇が押し付けられた。濡れた、柔らかく温かい感触が肌を通して伝わり、イオリは眩暈を覚えた。

 どうしてこうも、この《魔王》様は凄艶に映るのか。

 所作の一つ一つから艶やかさが匂い立つようで、それがリヴェンツェルにとって戯れごとであったとしても、イオリにとって非常に心臓に悪い。

 

「言いたいことなんて……」


 何をしにここへ来たのか、何て。

 《魔王》様の言動ですっかり吹き飛んでしまいましたよ、ええもうそりゃさっぱりと。

 尻すぼみになる声の後で、うぐぐと小さく呻くイオリを可笑しそうに見た後、ふっとリヴェンツェルは微笑んだ。

 あ、とっても嫌な予感。


「忘れちゃったなら、思い出させてあげようか?」

「――りっ、リーヴっ」


 手の甲に触れた感触と同じ、温かくて濡れたものが首筋へと柔らかく押し付けられる。

 それは、イオリの肌から離れる事無く、軽く触れた状態を保ちながら声を生み出す。余韻が肌を震わせ、鼓膜に届き、痺れのようなものが背中を走った。

 咄嗟に逃げようと身体を捩ったところで、痛みが無い程度の力で止められる。

 リヴェンツェルの触れる場所全てが熱いとイオリは思った。


 不快、では無い。

 けれど、知らない熱さ。

 思考が、霞む。


「ねえ、イオ……――」

「――ッ…!!!」


 一際低く、思考を掻き乱す声が響いた瞬間。

 イオリは真っ白になった思考の侭に、魔王城の隅々まで響く程の悲鳴を上げた。



●●●●●



「くっ、くっ…くくっ」

「笑い事ではあるまい、王」


 寝台にて、先程から一人笑い続けている《魔王》を尻目に、"炎帝"ヒュールは頭痛がし始めた頭を軽く押さえ、小さく呻いた。

 《勇者》が発した大音量の悲鳴に驚き、駆けつけてみれば顔を林檎よりも赤くした《勇者》が部屋から飛び出し、何処かへ猛スピードで逃げてゆくところだった。

 大方の予想は付くが、困ったものだ。


「《勇者》を余り弄り過ぎると、仕舞いには嫌われるぞ」

「くくっ……嗚呼、それは困るなあ」


 笑い続けているあたり、さして困ったようには見え無いが。

 初心で可愛いよね、と同意を求められて、ヒュールこそが眉根に皺を寄せた。知らん。


「からかいすぎるなよ」

「俺は、イオの事は何時でも本気だよ。これでも……我慢してるんだから」


 全く、最強且つ最凶な人物に好かれたものだ。

 悲しいんだか、恥ずかしいんだか物凄い形相で走り去った《勇者》を思い出し、傍若無人な主に代わってこっそりと謝った。




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