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その十歩

 白いワンピース(パジャマ的な)に着替えたイオリは、豪華な天蓋付きのベッドに腰掛けて、窓の向こうに広がる暗闇に乾いた笑みを浮かべた。

 そう、夜。夜なのだ。


 あわや修羅場屍の山となりかけた惨事を、どうにかこうにか元凶であるリヴェンツェルの機嫌を回復させる事で回避した訳だが、結局何やかんやで振り回されて、気付いたら夜になっていた。

 驚いて、泣いて、慌てて、照れて――その全部が、《魔王》様関連な気がする。


 寝たらずっと沈んでいくんじゃないかというくらいふわふわで、二人寝てもまだ余裕があるくらい大きなベッドも、良く見たら細かな刺繍がびっしりと施されている天蓋も、軽く20畳……それ以上ありそうな室内のあちこちにある調度品も全てが高級品で、旅をしていた間は安宿だったり最悪野宿も経験したイオリにとって、夢のような部屋ではあるのだが。

 衝撃的なことを体験しすぎて、最早室内の事にはいちいち驚かなくなってきた。


 それよりも身の内にじっとりと溜まっている疲労を何とかしたくて、イオリはベッドに遠慮なくぼふりと身体を倒した。ああ、ふわふわふかふか!

 色々と考えなければいけない事は沢山あるが、精神的疲労で瞼がもう限界である。

 頬に当たる絹布の滑らかな感触に頬を緩めながら、イオリは眠りの手が誘う侭に意識を落としていこうとしたが、突如として室内へ響き渡ったノック音に嫌々ながら薄目を開いた。


「イオリ」


 ……寝たふりをしよう。

 扉の向こうから遠慮がちに聞こえた声は、紛れも無く《魔王》様の声だった。

 決して嫌っている訳では無いのだが、余り男性に免疫の無いイオリにとって、リヴェンツェルのスキンシップは些か過激であり、寝る前にまたあんな事をされた日には不眠になりかねない。

 即座にイオリは目を瞑ると、そしらぬ振りでベッドに潜り込む。これも安眠の為である。


「イオ」

「ひ」

「いけない子だね、寝たふりなんて」


 直ぐ近くから空気を甘く震わせる低い声に慌てて目を開けると、柘榴石(ガーネット)色の瞳がベッドの傍に存在していて、思わずイオリは一瞬意識を飛ばしかけた。

 そうだった。確か、イオリが初めて魔王城で目覚めた時も、リヴェンツェルは唐突に現れていたではないか!

 天下の《魔王》様には乙女の部屋に入る事のデリカシーとか、節度とか、そんなものを説いても無駄らしい。口元に笑みを浮かべるリヴェンツェルをイオリは睥睨(へいげい)すると、緩慢に身を起した。


「リーヴ……乙女の部屋に、勝手に入ると嫌われるよ」

「君にさえ嫌われなければ、他はどうでも良いよ」


 うわわああ、やぶへびでしたああああああ!

 嫌味のつもりだったというのに、返された言葉のほうが逆に自分自身を痛めつけている。 

 サラリと甘ったるい言葉を吐くリヴェンツェルを他所に、一人悶絶している姿を柘榴石(ガーネット)色の瞳は面白そうに眺めて居たが、軽い吐息をふうっと吐き出すと、ベッドの端へと腰掛けた。


「イオ」

「なっ……なな、何!」


 名前を呼ばれただけで心臓が跳ねて、激しく動揺する。

 用が無いなら自分の部屋に戻ってください寝かせて下さいお願いしますと心の中で激しく捲くし立てるが、今素直にリヴェンツェルが部屋から出て行ったところで、最早イオリが安眠できそうにないのは自分自身でも嫌という程分かってはいた。

 それでも、やっぱりその、き、キスされかけた身としては、二人っきりという状況は非常に心臓に悪い訳で。


「……辛くないか」

「え?」

「昨日の今日で、色々あったから。 辛かったら、言うんだよ」


 思わずイオリはきょとんとしてしまった。

 その侭、マジマジと目を見返したら、とても真摯な眼差しが返って来て戸惑う。


 それだけ?それを、伝えにきてくれたの?

 イオリが泣いていると思ったのかもしれない、二年前のように。

 

「それだけ、伝えたかったから」

「……ま、まってリーヴ」


 端正な顔へ柔和な笑みを浮かべると、リヴェンツェルはほんの少しだけベッドを揺らして立ち上がろうとした。それを、イオリは咄嗟に伸ばした手でリヴェンツェルの服を摘み、引き止めた。

 少し驚いたように見開かれる奇麗な瞳と視線が重なる。自分でも何故手を伸ばしたのか分からない。パッと服から手を離しはしたが、激しく睫毛を(またた)かせ、うぐうぐとイオリは喉の奥で呻き声を漏らした。


「私は大丈夫だよ、心配してくれてありがとう」


 ううっ、語彙力の少なさに涙が出てくる。

 そういえば高校の国語テストはいつも赤点ギリギリだったなあ、と意識が遠くにいきかけるのを抑えながら、イオリはリヴェンツェルに笑い掛けた。

 リヴェンツェルが《魔王》でも、彼はイオリの知っている彼だ。こういう小さな気遣いに今迄何度助けてもらっただろう。


「なら、良いんだ……起してしまって、すまない。 もう寝なさい」


 綻んだ微笑に思わず鼓動が跳ねる。

 決して女性に見える顔では無いのだが、立ち振る舞いや言動、はてはこういった小さなところが妙に色っぽくて、大人の余裕というのだろうか……艶っぽさにイオリは慣れない。

 軽く肩を押す動きに合わせてベッドへ横になると、リヴェンツェルはイオリに羽毛の掛け布をそっと掛けた。

 その侭出て行くかと思ったら、まるで父親が眠る子供を見守るようにじいっと見詰めてくる為、イオリは心底困った。この状況でどうやって寝ろというのだ、寝れるわけがない!そこまで図太く無いぞ。


 そう思ったのに。


 リヴェンツェルの指先がイオリの髪をそっと撫でる度、眠気がじんわりと忍び寄ってくる。

 穏やかな眠気にイオリの瞳がうとうとと重たげに瞬き始め、(やが)て、深い眠りの底に沈んでいった。


「リー…なまえ……教えてくれて、ありが……」


 ああ、まだおやすみって言ってないのに。

 明日起きたら、おやすみの代わりに、おはようを言おう。



 ちゃんと、名前を呼んで、おはようって。




 記憶の最後に、やさしい囁きが聞こえた気がした。




●●●●●



 指先に少しだけ眠りの魔法を宿して髪を撫でると、元々疲れていたのかあっという間にイオリは眠りへと沈んだ。


「おやすみ、イオリ。 ……愛してる」


 リヴェンツェルは小さく囁くと、滑らかな肌の額に唇をそっと触れさせて規則正しい呼吸と共に眠る小さな少女を飽く事無く見詰めた。

 こうやって寝顔を見ると、イオリは酷く幼く見える。年齢は18の筈だが、異界の少女だからなのか、身長が小さいからかのか、14歳くらいだと言っても疑われない気がする。

 本人に言うと怒り出すので、言いはしないが。


 何かの夢を見ているらしく、もにゃもにゃと何事か寝言を漏らす姿にリヴェンツェルは目尻を細めると、少女を起さないようにして下唇に親指の腹を触れさせた。そのまま、軽く左右へ唇をなぞってから、立ち上がる。


「さて」


 静寂の室内に風は無い。

 だというのに、リヴェンツェルの黒髪がフワリと舞っていた。

 ヴン、と羽を震わせるような微かな音と共に、リヴェンツェルの数歩先に円陣が浮かび上がった。魔力の流れにゆらゆらと身に纏う黒衣が揺れる。

 

 つい先程まで一人の少女を映していた優しい色の柘榴石(ガーネット)の瞳は、鉱物のように何処迄も冷たい鋭さを湛えていた。

 クッ、と《魔王》の唇に冷淡な笑みが浮かぶ。


「困ったタヌキを、狩りに行こうか」


 いっそ愉快気に。

 円陣の上へ踏み出すと、《魔王》はその場から掻き消えた。





 夜の静寂(しじま)、闇の時刻。

 

 この間に紡がれた物語を、《勇者》は知らない。



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