入学式―caprice―(鋭意改編中)
妙に悔しい気分が、胸の中で詰まっていた。
自分たちのことをわかって貰えなかったこともあるが、何より、ついつい余計なことを話してしまったと思っている。
自分に残ってる感情の一つ、『お節介』だ。
「こうなるって予想できたっしょ?なんでやっちゃったわけ?」
そんなことを考えているときに限って、同じ様な質問をされる。
「知らん…
あえて言うなら………場の乗り、じゃないのか?」
「『じゃないのか?』……ね…」
「お前こそ、よく人が簡単に傷付くようなことが言えるな」
そんなこと言われなくったってわかる。
今の今まで自分を攻めていた内容だ。
「お前だって苦労したんじゃないのか?自分のその、特異な力を認めるのに」
さっきまでの飄々とした顔持ちは、どこにも見当たらない。
「……うん…まぁ…そうだね、うん、苦労した」
「わかっていて何故あんな風に言った?他にまだまだ言い方はあったはずだろう?」
さすがに自重している。自らも当事者ということもあってか、落ち着いた口調で辰巳に話しかける。
「乗り、かな?君が言う所の」
きつい視線。
例えるなら『赤』。
蒼の目は確かにそんな目をしていた。そう涼平は思った。恐怖とも、怒りとも取れる目。
(確か前にもこんな目で見られたっけな)
感情がこもっていないと、よく友人に言われていたことを思い出した。
感情の高ぶりはみんながみんな判断できたらしいが、感情に振幅が無いときの反応は周囲からはよくこう言われた。
『それ、本気で言ってんの?』
まともに相手にされないどころか、そういう自分の態度に恐怖する者が出てきたとき、正直言って嫌になった。そして何より、自分への怒りの目付き、『赤』。一つの疑問が頭の中を、駆け巡った。
『なんでこんなことに俺はなったのか?』
と。
それ以来、自分の気持ちは変わった。そういう偏見の目で見られる位なら、いっそ自ら、その関係を断ち切ろうと。
だが事態は変わった。今まで自分が生きてきた世界とは、全く違う、何もかもが全く新しい世界。自分の能力についてはまだ受け入れられていない事もたくさんある。
しかし、それでも嬉しかった。自分が自分として生きていける、最高の居場所が見つかったのだ。だからこそ、さっきの蒼の言葉には許されざる意味に聞こえた。
『触んなよ…………俺に……俺に触れるな!!!ケダモノ!!!!』
ただ、あのときの自分の言葉は、今の自分の気持ちと相対していた。
『俺たちは『怪物』なんだよ…』
あそこまで自分が拒絶していた能力のことを、あんな形で人に言うなどあってはならないことのはずだ。
確かに自分も、あの状況だったらあんな風に言っていたかもしれない。しかし、無理だった。
いくらなんでも、無理があったのだ。
蒼の目。
こういう種類の目で見られても、仕方がないし、ある程度の覚悟もしていた。
「………」
ああいう反応を取られるのも、予想の範囲内だった。しかし
「別に、どういう風な目で俺を見ても構わねえけどさ…」
言葉を切り、
「あいつはどういう目で生きてきたんだろうな…」
「さあねぇ……そこは俺にもわかんねぇや」
少々さみし気な表情に変わる。
大方、この男にもそれくらいのことを理解できる情緒はあるのだろう。
「愛玩動物を見ている様な目は………やっぱ、嫌だよね…」
独り言のように聞こえる(実際、独り言なのかもしれないが)。当然だろうな、とは、口に出さない。
「………」
言わなくてもわかることだ。
可哀想な、それでいてそういうものを守ってあげたいような目。耐え難い苦痛であることは言わずもがなである。
「……あのさ…」
重くなっている空気で辰巳が口を開く。
「何だ?」
言いたいことはわかる。辰巳が言わなくても、自らが切り出していたであろう。
「…………後でさ、その、二人でさ、謝り行かね?」
無言の応。それだけで十分だった。しかし、
「あレ?もう終わりかナ?」
突如として、見知らぬ声が脳内を通過した。
声変わりが不完全。
声がした方へゆっくりと顔を動かす二人。
男。否、少年がそこにはいた。
少し大人びた様な雰囲気。
伸ばそうと努力したが、結局諦めたかの様な長さの黒髪。
けしてチャラそうではない。
しかし、まともそうにも見えない。
視線は手元のケータイに向いている。
「誰だ、あんた」
「おレ?俺ハ黒川響、あんたたちノ反省会ノ様子、実ニ面白かっタ。これデ終わりなのかイ?『火炎男』くン?」
涼平は目を細め、相手を見つめた。
「あんた………どこまで知ってる?」
「さァ……
まァ、知っててモ言わないけド。
面白くなくなるからサ、ゲームガ」
理解不能な言葉。
少し、日本語に慣れていないような訛りがある。
「ゲームだと?」
「君たちハまだ知らなくてモいいことサ。そのうち、嫌でも知ることニなル。自らノ運命ヲネ」
不気味に上がる左頬。
二人は既に、いがみ合っていたことを忘れてしまっていた。
「うるせぇ!!知るか、んなこと!!」
半ば切れ気味な辰巳とは正反対に、涼平は落ち着いていた。
「あんたは何故、ここに来た?」
「そりゃア、勿論忠告サ」
首を傾げる二人。
「早くしないトじゃないノかイ?」
そんな二人を余所に、響は廊下へと出た。
「入学式ガ始まってしまうヨ?」
「だが……蒼が…」
「彼ノこと気ニしてる余裕あるんダ?でモ、現実ヲ直視したほうガいいヨ?」
響の表情は相も変わらず、全く読み取れない。
「現実、だと?」
「そうサ。このあと行われる入学しキ。真実ガそこで知らされるかもネ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なんなんだろ……」
ゆっくりと雲が流れていく。
「むかつくなぁ…」
蒼は体を起こすと、半目にして空を眺めた。
(なんなんだろ、この感じ)
第三者から見て『いじめ』と思われることをされていたときも、こんなことは思わなかった。
(あんなに切れたの、いつ以来だっけ…)
思い起こせば思い起こすほど、とんちんかんな答えが出てきそうだったので、そのまま破棄することにした。
(しかし、なんとも…)
綺麗過ぎてムカつく青空だ。
そんな空から目を逸らして、蒼はゆっくりと立ち上がり、屋上の裾まで歩いた。
鉄格子状の柵を掴み、そのまま足も掛けた。
「無駄だよ…」
声が聞こえた。
女の子の声だ。
振り返ってみたが、誰かいる気配はない。
「幻聴?」
「そんなわけないでしょ」
やはり聞こえる。しかし、姿は見えない。
「見えないの?
もっと目線を上に」
言われるがまま、蒼は顔をあげた。
「もう少し」
更に上を見た。
だだっ広い青空が見えるだけである。
「行き過ぎ。下」
見えた。
黒髪。長く切り揃えたその髪は、風で静かに靡いていた。
相手の黒縁の眼鏡が光で反射して、目線はよく見えないが、顔は手元の文庫サイズの本へと向いている。
屋上の出入口の屋根の上に、左膝を抱え込み、右足は宙ぶらりんな状態で座っていた。
「飛び降りようと思っても、無駄だから」
「別に、そんなことしようなんて……」
『思ってはいない』と続けるはずだった。
実際、思ってなどいない。そんなことをしたところで何の解決にもならないこと位、重々承知していたはずだった(・・・・・)。
「違うの?」
静かに問いかけられる。
迫力など微塵も感じない。しかしどうしてか、顔が自然と下を向いてしまう。
「ちが………わ、な」
声が掠れる。
「良く聞こえない」
続けて言おうとしたのに茶茶が入る。
(今言おうと思ったのに!)
「今言おうと思ったのなら、さっさと言う、はい」
暫くの沈黙を挟んだ。
(怖ぇ…)
「別に怖がられるのは初めてじゃないし、そう思ってもらっても構わない」
生唾が喉を走る。
「…………なんで……そんなに、わかるの?…超…能力者…?」
少女はゆっくりと溜め息を吐き、本を閉じた。
「何も…知らないの?」
蒼の表情が強張った。
「し、知ってるよ……」
顔は上げられない。
目に涙が浮かんでいるのがわかる。
「僕らは……僕…らは…」
もうすでに、水滴は自分の顔を流れ出していた。
止まらない。
止められるはずがない。
しかし、こんな姿を相手に見せたくもなかった。
「か……いぶ…つ、な…んで、しょ?」
相手の視線が鋭く感じる。
「蔑んで言えば………ね」
客観的であった。
自分のことであって、実はそうじゃないと言い切っている口振り。
「……なんで…なんで、そんなに割りきれる、の、さ」
動揺が言葉に出る。
しかし、溜め込むことは出来なかった。
自分は男だ。こんな性格の自分をときたま、情けないと感じることがある。
右の頬に水で出来た道が現れた。薄く細く繋がり、次第には薄れていく。
「じゃあ……どうしたいの?」
反応はない。
答えがわからない、否、答えたくなかった。自分のことを肯定すればするほど、自分は嫌な奴になっていく………気がした。
「もうすぐ始まる…入学式」
女はそう呟くと、その身を翻し、蒼の方へと飛び降りた。
「行かないの?」
「……行きたくない…」
否、行けないのが実情である。
『ケダモノ!!』
出会って間もない人にそう言い放ってしまった。
自分は嫌な奴だと思う。
こんな男が、友人になってくれると言う男に会う資格などないのだ。
いや、もはや、こんな男が友人などといって良いとは思えない。
あんなにまで親切にされたのはいつ以来であっただろうか。ありがたかったのと同時に、申し訳なくなった。
「申し訳ないとか思ってる?」
この少女は化物級だ。
前に何かの図鑑で見たことがある。
確か、名前は『覚』。
いわゆる妖怪である。
その妖怪は人の心を詠み、操り惑わすと言う。
まさにその通りではないか。
妖怪『覚』。彼女はその類いの物体でなのであろう。
「言っとくけど妖怪じゃないから。人の心なんて詠める訳がない」
静かに否定された。
「そんなこと出来ていたら、こんなとこにいない」
尤もである。
そして、妙にムカついた。
自分だって来たくなかった。相手の気持ちは重々理解できる。しかし、相手に言葉として現実を突きつけられても、動揺しない心の強さは自分の中には持ち合わせていない。だからこそ、嫌気がさす。自分のそう言う気持ちにも、相手のそう言う態度にも。
「……反応が無いのは、そう言う意味ってことで受け取って良いってこと?」
そんなわけない。
しかし、認めたくない反面、何も言い返せないのも事実だ。
言い返せない自分を嫌悪する気持ちが強く心に残っていたが、蒼はゆっくりと口を開いた。
「………君は……どんな能力を…持ってるの……?」
「怪物呼ばわりしておいて、いきなりそんなこと聞くんだ?」
(ですよね……)
確かにその通りだ。
遠回しだったにしろ、彼女を怪物と言ってしまったことには違いない。
しかし、自分には、あのまま話を続けられるほどの勇気を持ち合わせてはおらず、ましてや、あのまま立ち去ることもできなかった。
だからこそのこの質問………のはずだった。
「え……っと、その…ごめん」
こう言うしか手は残されてはいない。
「謝れば、逃げられるとでも思ってるの?」
やはり、本当は魔術師なのではと思いたくなる。
「思っては………いない………」
彼女は応答を確認すると、その身を翻し、屋上へと降り立った。
「そろそろ時間だけど、行かないの?」
反応はできなかった。
頭は上げられたいない。
自分の脈が聞こえる。
手に汗がにじむ。
怒られているわけでもないのに、言葉が詰まった。
ようやく決心し、彼女を見た。
虚空だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なあなあ、涼ちゃん涼ちゃん?」
周囲のざわめきはあまり気にならない。
冷えきった館内。暖房など役に立っていない。
右側を見れば、辰巳の顔がある。
「するーすんなよ〜」
アヒルの様に口を尖らせ、細目でこちらを見ている。その状態が数十秒続くと、辰巳は顔を元の顔(それでも、ずいぶんとふざけてはいるが)に戻し、大袈裟に溜め息を吐いた。よほど暇なのであろう。
響が教室から出ていった後、二人は蒼のことを多少待ち、それからここに来た。入ってまず気付いたのは、館内の広さだ。無駄にでかい。と言っては失礼かもしれないが、しかしとにかくでかい。生徒の数を考慮すればそんなことは無いのかもしれない。確かに、生徒の数は尋常じゃないくらいいる。黒い肌の持ち主から、鼻の高いもの、品が良さそうな者や、ぱっと見金持ちそうな奴、ざっと見渡しただけでも三千人は優に超している。そんな人数が簡単に入る広さなのだ。
「さっき言っていた『涼ちゃん』とは、いったい誰のことだ?」
待ってましたとばかりに辰巳の目が輝き出す。
「遅えーんだよ!」
妙にキモい笑顔(辰巳の笑顔がキモい訳ではない。このシチュエーションでの笑顔がキモいのだ)が涼平の眼前に広がった。
「だから、『涼ちゃん』って誰だ?」
「決まってんだろ~、俺の目の前にいる奴だよ」
涼平は辰巳の視線を追い、そのまま辰巳がいる逆の方向を見た。
通路である。
「誰もいないが」
「ふざけんなよ~、お前のことに決まってんじ」
「止めろ、それに馴れ馴れしい」
冷ややかな視線が辰巳に注がれた。
「え~~、じゃあじゃあ『涼平ちゃん』は?」
「ふざけるな」
明らかなアウェイ感が漂い始めた。からかいすぎたかと、一割程度の反省をすると、辰巳は軽く頭を下げ、許しを乞うた。さっきまでの落ち込みはどこかに行ってしまったのか、だとしたら、相当ちゃらんぽらんな奴と考えたとしてもおかしくはない。
「ふん……」
鼻を鳴らし、涼平は辰巳から目を背け、細くした二重を正面に向けた。
「でもさ」
それでも尚、辰巳は涼平に絡もうとする。しかし、その目付き(だけは)真剣そのものであった。
「あいつ、何が言いたかったのかな?」
涼平は正面に向けた体制を崩さず、辰巳との対話を始めた。
「『黒川』とかと名乗った奴のことか」
「運命とか、真実とか……どういう意味だろ?」
「不確定要素しか俺たちの手元にはない。奴が言うには、入学式で明らかになるということだ。俺たちが悩まなくても、すぐに答えが出るんじゃないのか?」
それを聞き、辰巳は大きく溜め息を吐いた。
「わかってねぇのな、あんた。あんたは、感情を忘れちまってんのかもしんねーけどさ、これだけは覚えておいた方が良いよ。『答は他人に教えられるより、時間が結果的にかかったとしても、自分で探した方が面白い』ってさ」
涼平は姿勢はそのままに、顔だけ辰巳に向けた。
「な、何だよ?」
「以外に真面目君なんだな」
「んな訳ねーよ。大体、俺は今、…ん……そう言う話をしてた訳じゃないし……
それに、時間かけちゃいけないときだってあるだろ?今はまだ時間があるからって意味で言っただけで、何て言うか、すぐに答を得なきゃいけないときには、そんなに時間をかけらんねぇのも事実だろ?この話の内容だけで、俺を真面目君って言うのは違うんじゃねぇのか?」
その返答を聞き、涼平は(表情は変えずに)笑みを作った。
「そういう反応のし方が真面目君なんだよ」
そうかぁ?と首を傾け、辰巳は不意に、自分の席の右隣を見た。
椅子はある。しかし、空白であり、そしてそれは、四つも連なっていた。周囲を見渡す限り、どこのグループを見ても、どこにもそんな様子の場所はない
「休み?」
「許されないだろうな、そんなこと」
辰巳は首を右に傾けた。
「何で?」
「ここまで大掛かりな設備だ、相当な輩がここを動かしていることなど容易に理解できる。そんな連中が、入学式という大事な行事を欠席させると思うか?」
「でもさでもさ、欠席じゃなかったら何なんだろ、この空席?周り見た感じ、こんな席、他のところにはないから、一つは蒼の分しょ?あとの三人…なにしてんだろ?」
「…さぁな……」
会話が長く持たない、今さらになって辰巳が発見した事実である。
確かに今までも、無口な人と会話を交わしたこともあったし、遊んだこともある。しかし、今自分の目の前にいるのは…
(無口というか……俺のこと…嫌い?)
そうであったら、多少落ち込む。こんなにも自分が相手と友好関係を築こうとしているのにも関わらず、それをうざったがっているのであれば、流石に落ち込む。
(悲しいなぁ……悲しい……)
しかぁ〜〜し!!こんなことでめげてはいけないのだ。否、めげないのだ。こんな奴だからこそ、友達になりたい。それに、(よく意味はわからないが)こいつは俺のチームのリーダーらしい。であれば、必然的にチームワークが重要視されてくるであろう。そのためにも、こんなに陰気な奴でもフレンドリーにいかなければならないのだ!!これは神に与えられた俺の指名!ならば、やり遂げてみせるのが俺というものであろう!さぁ、来い!どんと来い!!俺がお前を、しっかりと、しっかりと(・・・・・)受け止めてやる!!
「…あのさ……」
おっ、早速来た!!なんだ?何があったんだ!!
「……独り言……うざい」
「ハイ来タ〜〜〜!!!って……ええっ!!?」
今までのことは全て心の中に留めておいた筈だ。まさか自ら口に出していたとは……不覚…!
「だから…全部聞こえるんだけど……」
「いや、あ、あ、うん。いいんだ、うん、全然問題ない」
「ありありだ」
一人呟きながら、辰巳は頷き続けた。
「ったく……」
涼平は悪態をつき、足を組んだ。辺りを見渡すと、似た様に落ち着かない奴等が見当たる。どう見ても原語圏が違う人が多い気がする。実際訳のわからない言葉が頭上を通過している。「……何なんだろな………ここ…」
「そんなの決まってるじゃん。ど・う・見・て・も、俺たち(・・・)を集めるための空間だろ。
能力者なんかを集めて、一体何のつもりなのやら…」
無言のまま涼平は、辰巳に向き直った。
「…お前……真面目君だな」
「だから違うって…」
涼平の顔に『笑い』の感情はない。がしかし、『楽しみ』の感情と思えるものが表情から滲み出ていることは、辰巳にでさえ手にとるようにわかった。
「ったく、あんただって忘れてないんじゃないの?感情?」
「…俺にもよく、わからん……」
「は?」
疑問の声を答として涼平は小さく頷いた。
「『わからない』というのは『疑問』の感情だ、故に俺は感情を失っていないことになる。これを虚偽だ、偽りだと思い、判断し、認可し、許可してしまえば、『理解』という感情が生まれてしまう」
「つまり、ほんとは感情忘れてないんじゃね?」
分からない。正直言ってどうなのか、自分でさえはっきりと理解できていない。そんなものを他者に訊いたところで、答えが返ってくるとは思っていない。しかし、
「事実、他のことに関して俺は何も感じられなくなってしまった。死や幸福、苦痛や快感、どういうものだったのか、それすら思い出せない」
「でもわかってる感情だってあるっしょ?例えば…さっきの『労り』?『お節介』とか?」
涼平は内心、溜め息を吐いた。
全く、この男は、なんと言うか鋭い。核心に触れるようなことを、直感で言ってくる。が、まぁしかし、
「そうだな、たぶん俺には忘れている感情と本能が覚えている感情があるんだろうな。何を覚えていて、何を忘れているのか、俺にはわからんが」
会話が途切れ、また二人の間に沈黙が割って入った。先程とは違い、二人も然ほど意識はしていない。つまり、必要な間隔なのだ。
周囲の騒音も気にならない。そんな中、涼平は一つの席を見つけた。
黒川だ。
自分の席から通路を挟んだ先、右斜め前。そこに奴はいた。
周囲の奴等とは、一切会話を持とうとしていない。ただ、真っ直ぐに背と視線を伸ばし、座っているように見える。
しかし、笑みであった。
何を考えているのか、そんなもの知りたくもないが、確かに奴は笑っていた。
「おっ」
不意に、意識しているのと反対の方向から声がした。振り向くと、辰巳の他に女子が一人座っていた。
一般的に言って『綺麗』。正に読んで字の如くといったところであろう。しかし、そんな奴を前にしても、俺の感情は揺らぎもしなかった。
「あ、あのさ」
早速辰巳が声をかけた。期待だか緊張だかで声が揺れている。
ナンパをしているようにしか見えない。
「何?」
呆れたような顔をこちらに向け、女は返答した。それを由とせんとばかりに、
「俺、雲前 辰巳。君は?」
女は目を背けると、ややあってから、
「宮園 空」
聞き取れるかどうかの微妙な声で、女は答えた。
「空ちゃんか〜、よろしくね」
いきなりの『ちゃん』付け、相手も相当引いている。懲りない辰巳を余所に、俺はあることを思い出した。
(宮園 空って確か……)
そんなようなことを考えていた突如、体育館内の照明が全て落ちた。窓には暗幕がしてあったらしく、館内は暗黒に満ちた。
「うおっ!え、何!?何々!?どゆこと!?」
こういうときの辰巳は、普段の数百倍うざったいということがわかった。今後のために記憶しておこう。
しかしながら、当然辰巳だけが混乱しているわけではない(とりわけ辰巳が五月蝿く、うざったいだけなのだ)。館内全域に不安は広がっていた。大声で喚き散らす者、はたまた必死に打開策を考える者、他人を恐怖させようとしてありもしなさそうなデマを言う者。しかし、どいつも一貫して五月蝿いことには違いない。
しかし、そんな中全く微動だにしていない奴が俺の視野に約一名、黒川だ。
俺は夜目が利く方ではあるが、この距離と暗さだ、さすがに表情までは読めなかったが、態度から余裕の二文字が窺える。
(ふざけているな……)
黒川のことは勿論だが、俺の推測が正しければ……そこまで考えた時だった、急に多方向からスポットライトが点灯し、壇上のある一点、今まで何もなかったそこに一人の男の影を作り出した。
「れでぃ~~す、あんど、じゃんとるま~~~んず!!!」
館内に響き渡る男の声。全ての音はそれによって飲み込まれ、そして掻き消された。
「長らくお待たせいたしました…それでは!!これより、陸奥乃宮文化高校の、入学式を、始め、ます!!!」
みなさんどうも、『ハードボイルド探偵』です。
まずはお詫びを。大変長らくお待たせさせてしまい申し訳ありません。最近いろいろ忙しく、顔を出せる機会が減ってしまい、こんなにもだらだらと書くことになってしまいました…
みなさん、この物語……まだまだ動きません。起承転結の『起』のKの文字も行っていません。このまま引き続き、暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。
それではみなさん、また次回お会いしましょう。以上、『ハードボイルド探偵』でした、チャオ!!