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宣誓―fanfare―

 とても長い目で見たとき、人生における転換期というものはさして多くはない。特に、十代のころの思い出などその範疇から逸脱することは、中々できることではない。日本人の平均寿命であるおよそ八十年という長い時間の中で、高校生として過ごす三年間は、『大切』なものであったとしても『重要』なものだったと認知できる者は数えられるほどしかいないだろう。

 加えて、その基準と成り得る『記憶』と呼ばれるものは至極曖昧なのだ。人間が本来持ち合わせている記憶は、その容量がとても大きい。瞬間的に多くの物事を覚えられるように、私たちの体は作られているのだ。しかしその大きい容量も、長く覚えようとすればするほど、小さくなってしまう。自らの脳は必要なものとそうでないものとを、上手に振り分けその小さい容量をやりくりしているのだ。だからこそ、物事を記憶させるためには「覚えようとする意志」と「忘れられないインパクト」が求められる。そうすることにより、小さい容量である記憶の中において、小さな出来事でも長く留めておくことができるのだ。

 現状、蒼が目の当たりにしている光景は、今の話のどちらにも密接に関わることができる代物であることに違いはないだろう。『大切』なものというよりは『重要』なもの。そしてそれには「忘れられないインパクト」があり、蒼本人が意識しない限り、忘れようと思っても忘れることが到底できないであろう光景が広がっていた。

 相部屋の男子二人と、初対面の女子一人。皆、蒼同様に驚愕の色を浮かべている(一人例外がいるが)。つい先ほどまで認知することのできなかった、その存在を確認することができなかった巨大な物体がそこにいきなり現れたのだ。驚かない方がよっぽどおかしい事態であろう。その巨大なテレビ画面にはまだ電源が入っていないらしい。画面は真っ暗なまま、そのままこちらを俯瞰しているかのごとく、だ。その光景に波がすぅと引くように、あたりは静まり返っている。

『あー、ごほんごほん。マイクテス、マイクテス』

 印象的な低いトーンの声が、堂内の巨大なスピーカーから響き渡る。こんな声の持ち主は一人しか思い浮かばない。

「『J』……」

『あー、あー、いいかな? 問題ない? それじゃあ、みなさん、おはよう!』

 反応はない、いたって静かなものだ。その挨拶に応じようとする者も、正午を過ぎたというのになぜ挨拶が「おはよう」なのかと問おうとする者も、この場にはただの一人も存在しなかった。

『ん? 反応がない? 聞こえてないのか? 音量は……大丈夫だな? もしかして、最初のセリフが聞こえてなかったのか? ふむ、ではもう一度。れでーーーーーー……ん? それは聞こえていたらしい? じゃあなぜ反応が……いきなりすぎる? じゃあどうすれば?』

 スピーカーの声から判断して、『J』のそばにはもう一人、恐らく『M』もしくは『S』がいるのだろう。試行錯誤を続けながら、話してくれていることはありがたいことではあるが、その会話内容が丸聞こえなのは如何せん反応に困るわけなのだ。その生徒の細やかな心情を『J』が知る由もないのだが。

『問題ないな? よし。みんな、随分と待たせてしまい申し訳なかったな。こちらの方で少々不備があってな、時間がかかってしまった。だがしかし、これから満を持して始めたいと思う。最高のエンターテイメントという名の、オリエンテーションを!!』

 その声と共に、あたりが一瞬にして暗闇に包まれた。一点の光も見えないこの状況で、不意にそれまで何も映し出されていなかった画面に煌々とした明かりが灯る。目に入ってくる色が痛々しい。暗闇に少しでも早く慣れようとしていた目に、いきなりテレビの画面を付けられたことも理由の一つではあるが、画面に入学式にて着ていた、あの予算額一千円以内で収まりそうな服と呼べるのかもわからないような装飾品を身にまとった男、今までスピーカーから流れていた声の主、『J』本人がその姿を見せたからでもあったりする。

 品のいい笑顔ではあるが、だがしかし、そこにある不自然さを『J』本人は未だ拭い去れていない。もっとも、『J』自身が隠すつもりもないのかもしれないが。

「オ、オリエンテーション?」

 小声で、そばにいる蒼でさえも聞き取ることがやっとできるかのようなか細い声で、辰巳はそう呟いた。何のことはない、ただの独り言だ。誰かに理解されようだとか、誰かから回答を得ようとして発した言葉ではない。蒼もその言葉を聞いたからと言って別段気にはならなかった。よくあることだし、自分もちょうど同じことを考えていたし、もしかしなくてもこの場にいる全員が同じ思いであったに違いないことでもあったからだ(誰もそれを口に出そうとしたわけではないが)。しかし、

『ん? どうしたね? 雲前 辰巳くん? チーム笹川のナンバーツー、ちゃらんぽらんに見えていてその実家庭は……おっと、これ以上は個人情報になってしまうな。思わず口が滑ってしまった、申し訳ない』

 へらへらとした口調で、画面の向こう側の『J』が笑う。だがそんなことはどうでもよかった。どういう理屈かは全くもってわからないが、しかし、この事態は起きていた。無論、画面の向こう側の人間と会話をすることができたという点ではない。そんなことはどこかにカメラやその他諸々の機器等を使用すれば、どんな者にもそれを行うことは可能だからだ。蒼が驚いていたのは、この場にいる()に関してだ。どう見ても人が多い。当たり前だ。今は昼食時、全校生徒のほとんどが利用するといっても過言ではないこの食堂が、昼食時に混雑しないわけがない。この人数そのものが問題ではない。問題なのは、この人数の中から辰巳の言葉を特定し、それに対応した返事をしてきたことだ。しかも、あれほどのとても小さな声量のものをだ。いくらなんでも、無理がある。独り言と言ってしまってもおかしくはないその声を聞き取り、それに対して正確な返答をする。そんなことが画面の向こう側にいる人物にできるわけがない。できるわけがないのだ。

『どうした、どうした? 何か不思議そうな顔をしているぞ? 夜空 蒼くん? もしかして入学式に遅刻した理由が本当は「腹痛」などではなくて、同じチームの女の子に見惚れていたことが誰かにばれてしまったのかな? おっと、これは失礼。個人情報をうっかり漏らしてしまった。許しておくれ、夜空 蒼くん』

 その言葉を言われた瞬間、それまでの不安の元凶であったはずの考えは一気に吹き飛んでいった。顔が瞬間的に青ざめ、しかし、その後には火照り、顔が赤くなったことを自分でも実感できるほど熱を発していた。周囲の暗闇で隠し通せるかとも考えついていたが、テレビに灯る眩しいほどの画面がそれを全くの無意味なものに変えてしまっている。蒼はその状況をとっさに理解すると口を真一文字に結んで一気に俯いた。

「蒼、お前……」

「あおっち!? マジで!? 誰!? いったい誰!? 美幸ちゃん? アスカ? それともs」

「や、やめてよ!!」

 頭頂部から蒸気、熱せられた肉まんの様に頭から湯気が出ている(ように蒼には気がした)。

 最後の名前を口に出される前に蒼は、辰巳にその言葉を押し込ませた。最後まで言わせないことで、周囲に悟らせないようにしたのだが、その行為の所為で事態はさらに悪化し、今更どうしようもないぐらい取り返しがつかないこともわかっていた。蒼はその悪化した顔を伏せたまま、食堂から足早に立ち去っていく。その場を取り繕うとする慌てた辰巳の声も、周囲の人間のひそひそとした話し声も、『J』の画面から聞こえる抑えきれない笑い声も今の蒼には聞こえなかった。ただただ惨めで、ただただ恥ずかしく、その場を駆け足で出ていった。

『あーあ、行ってしまったねぇ。ちょっとやりすぎたかな? ん? 全員が全員画面を睨んでる? 殺気を飛ばしまくりで、今にも飛びかかって来そうな勢いだ? 何をバカなこと言ってるんだ、『S』? 画面の向こう側の彼らの表情はそんな風には見えないぞ? とても親しげに私のことを見つめているじゃないか。うちの生徒に限ってそんなことはない。俺はそう信じてる。さて、それでは続きを話そうか』

 一つの大きなせき払いと、食堂を飛び出していった蒼が勢いよく閉じた扉の音が重なり、その場を圧倒的な静寂が包み込んだ。のも束の間、画面の向こう側では満面の笑みを浮かべた『J』がこちらを見つめ口を開く。

『雲前 辰巳くん。君が言いたいことはよくわかる。エンターテイメントとはどういう意味か、オリエンテーションとはどういう意味かということだろう? 無論、そのままの意味でないことは勘のはたらく君ならわかっている筈だ』

「直訳すれば『娯楽の進路相談』ってことになるからな」

『いやいや』

 こちらの考えをまるで見透かしているように話す『J』に対して、最も目に付きやすいふてくされた表情で反応をした辰巳であったが、しかし『J』の反応はといえば、舌打ちを織り交ぜた否定を返答するのみだった。その意味を辰巳には理解できなかった。

『なんだなんだ? その表情は? まるで鳩が豆鉄砲でも喰らったかのような顔して。ははん? さては俺の言った意味がわかってなかったな? 当たりだろ? 図星なんだろ? なに、問題ない。今から全員に説明するんだ。慌てることはない』

 確かに図星であった事は間違いではなかった。間違いではないのだが、

「……癇にさわるなぁ、それ」

『どうしたどうした? 言い方が気に入らなかったか? だが、これに関して言えば俺にはどうすることもできん。元からの話し方だからな、勘弁してくれ。もっとも、今から話すことに少しでも耳を傾ける気があるのなら、すぐにでも今の話は忘れることになるだろうがな』

 自信に満ちた笑みを浮かべる『J』。それに対して、生徒からの批判の声は一つも上がろうとはしていない。敵意剥き出しの辰巳でさえ押し黙ったまま動こうとはしていない。全生徒が暗闇の中、たった一点だけ光を灯すモニターを静かに凝視する。その反応が起点だったのか、もしくは全く意図していなかったのか、『J』はそして語り出す。

『ここにいる者、全てがこのことに気ついているかどうかは知らんが、君たちは一人残らず異能の力を持ち合わせている。一般常識からは考えられないような力のことだ。ただの一人も例外なく、全員が平等にその特異な、本来の人間の営みとは決して相容れることはない特殊な、言うなれば才能を持ち合わせているのだよ』

 雄弁な口調で『J』は言葉を連ねる。

『そんな君たちはどうしたところで、本物の人間たちのように生きていくことはできない。だってそうだろう? 自分たちとは見た目がそっくりでも中身が違う存在、そんなものが当たり前のように自分たちの知り得る中で生きている。そんな社会、そんなわけのわからない存在を彼らは許せない。人間とはそういう生き物だからな。許せなければどうするか。答えは単純明快だ。消すのさ、どんな手を使ってでも』

 息を飲み込む音さえも今は雑音にしか聞こえなくなってしまっている。その場にいた全ての生徒が、その男の声に聞き入っていた。まるで呪いのような、しかしそれでいて苦痛ではない。奇妙な感覚に陥っていた。

『私はね、君たちと同じ存在なんだ』

 辺りが急にどよめく。

『既に気づいている者もいたかもしれないが、私も君たちと同じ異能者なんだ。だからこそ、迫害を受け死にかけたことも多々ある。だからこそだ』

 言葉を一度切り、そして続ける。

『未来ある君たちにそんな思いはさせたくないのだよ。この学校はその為のものだ。だからこそ、一般的な日本の高校の様な授業は一切存在しない。あくまで君たちにはこの人間社会という名の檻の中で、いかにして生き延びてもらうか、それを学んでもらいたいんだ。だが、それを言葉として伝えるのは難しい。そこでエンターテイメントなのだ。楽しみの心を持って、この三年間大いに自分の能力について学び、そして卒業してもらいたい。差し当たって君たちにはこれを渡しておく』

 画面上の『J』はそこまで言い切ると、その場で一回指をパチンと鳴らした。

『君たち、グループのリーダーにはあるものを渡した。それを持ち、二時間後、校庭の校舎そばに全員集合したまえ。この放送を見ていようが見ていまいが全員だ。これは本来あるべき形の授業だと思ってもらっていい。だからこそ、出席しない者に単位を渡すわけにはいかん。健闘を祈る』

 その言葉を最後に画面から『J』の姿は消え、食堂内には突如、目には危険すぎるほどの明るさが戻ってきた。静かだった室内は光を取り戻すと同時に、騒がしさをも取り戻していた。動揺し、好奇心に溢れ、呆然とこの状況をどう解釈すればいいか誰もが必死になって考える。当然この三人にとっても、例外となるわけがなかった。

「……何、受け取ったんだよ」

「訳が分からない。どういう意味なんだ? これ?」

「私にも理解不能だ。……だが、やるべきことは見えてきたな」

 涼平の右手にはおおよそこの場には似つかわしくない、両手に収まるほどの大きさ、丸みを帯びた形状、複数のスティックとカラフルに彩られたボタンが点在している、


 ゲーム機のコントローラーがあった。

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