日常―Fire ver.―
入学式から二週間と一日。静かな空間を強要される図書館という場において、笹川 涼平はとても平然とした顔で大量の文献を読み漁っていた。
陸奥乃宮文化高校の図書館は地上八階、地下二十階で建築されている。地下のほとんどは書庫であり、一般的な開架されている図書は地上の方にしかない。しかし、貯蔵されている本の札数を考えてみても、三年かけて一フロアにある本を読破するのは不可能、それほどまでの施設なのだ。
そんな広大なスペースの中、涼平はこじんまりとした個人読書コーナーで大量の分厚い図書、そして学校から配給された携帯型端末に映る地図と格闘していた。
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「何だよ、これ?」
丁度一週間ほど前、寮の自室にて行われたミーティング。そこで涼平は茶封筒から取り出した携帯端末を一人一人に手渡した。
「何? 『i phone』? ……じゃねぇよな」
手元に渡され一通りじっくりと眺めた後、初めに声を発したのは辰巳だった。
「学内用の情報端末だそうだ。学校内にいる際は普通のスマホではなくこれを使えと言われた」
「じゃあ、元の方は? 捨てるとか……じゃないよね?」
不安そうな顔で涼平へと疑問を投げかけるアスカ。
「一度回収するらしい。そして」
「そして捨てるの!?」
涼平が単純な説明を始めようとする中、アスカは勝手な自己解釈で話を広げていく。
「いやだから、一度回収した後、データを」
「データをばら撒くの!? 無理! それだけは絶対無理! だってさだってさ、そりゃまぁ、私が困るものも結構入っているわけではあるけどさぁ、私よりもむしろたっちゃんのほうが困るというか……」
「はぁ!? お前、自分のスマホに何入れてんの!?」
「たっちゃんのあんな姿や、こんな姿……って言ったら?」
「スマホを粉々にして二度と復元できないようにする!」
「え~、そんな」
「おい」
徐々にヒートアップしていく二人に対して、涼平は冷静に言葉を放つ。
「夫婦漫才は後にしろ」
ぶつくさと文句を言いつつも結局二人の言い争いは沈静化し、静かな空気の中説明を始める。
「話を軌道修正するが、その携帯端末は学内専用だそうだ。個人が持っている情報機器等は学校の方へといったん預け、後日図書館にてダウンロードさせる形をとるそうだ」
「なんで?」
ふいに出たのは蒼からの疑問だった。
「え、あ、いや、その」
自分が不意に質問を投げかけたことに照れたのか、もしくはそんなつもりなどどこにもなかったのか。とにかく、蒼は顔を赤らめ、声を発することをやめた。
「質問ならはっきり言え。どうした?」
「涼ちゃんは言い方気を付けなって。そのままじゃかなり怖いよ? どうしたの? あおっち? 気になったことがあるなら言ってみて」
鋭い目線で蒼を睨み付ける(当然本人にその自覚は全くない)涼平に対して、アスカはそれをなだめる為間に無理矢理入り込むことで仲裁の立場をとる(アスカの名前の呼び方は無論辰巳の悪影響である。蒼のことをあおっちと呼ぶのは問題ないが、涼平のことを涼ちゃんと呼ぶと辰巳に鉄拳制裁が加わる。今回はどうも忘れているようだが)。
「あ、あのね、その、情報統制なのかな? と、思って……」
蒼の言葉に美幸、涼平はなるほどと頷くものの、辰巳、アスカの両名にはいまだ意味が理解ができていないらしい。しきりに首を傾げ、蒼からの説明を待ち望むような表情を浮かべる。
「えと、その、つまり、私用の携帯電話は使われたくないってことでしょ? それは何か理由があるはずだ、から、その、ね?」
蒼にとって口に出して他人に説明するのはここが限界らしい。自信満々とは言えないが、しかし、判断材料として使うには申し分ないほどの物ではある。
「……たっちゃん、わかった?」
どうやらこれだけの説明をしても理解できていない者もいるらしい。
「当然」
「当然……わからない?」
「『わかる』だよ、バカ」
「え、でも、たっちゃんも相当馬鹿だよ?」
このまま止めにはいることもできたが、涼平はあえてそれをしなかった。無論、制止させたとしても無駄であるのは目に見えていたからである。
「じゃあ、蒼に質問」
ここへ来て美幸が口を開く。不安そうな表情を浮かべる蒼へと、意地の悪そうな、しかし他意は無さそうな笑みを向ける。
「その、情報統制の意味は? どこにあるのかしら? 普通の学校なら、そんなことする必要性なんてどこにもないじゃない?」
「あの、それは、その、地理、的な、問題、だと、思う……たぶん」
おどおどしつつもはっきりとした意見を述べる蒼に、美幸が根拠を問う。
「だ、だって、こんな大がかりな施設だよ? ここは日本なわけで、しかもバス内から見えた景色は地続きだった。ということは、ここは本来有名になるはずなんだ」
「なんで?」
とぼけているわけではないらしい表情でアスカが尋ねる。
「え、えと、その、あの、えと、その、あの……」
「ここまで巨大な施設ともなると、莫大なカネが動く。人々の強い興味を沸かせるものは、いつだってカネだ。だとすると、ここまで大きな金を費やしたであろう施設が、人々の、いや、マスコミの注目の的にならないはずがない。そうだろう?」
話せる限界を迎えた蒼のフォローのため涼平が言葉を紡ぎ、部屋の中にいるメンバーは熱心にその話に耳を傾けた。ある一人を除いて。
「空。お前からは何かあるか?」
辺りを見回し、ふと目に留まった空に対して声をかける。当の本人はベッドの上で体育座りをしてを文庫本を読んでいた。静かに、まるで周囲の環境と自らとを隔絶しているかのように、静かに腰を下ろしていた。
「特にない」
そう答える。そしてそのまま意識は本の中へと飛んで行った。
「なあ、空ちゃん。話はもうちょっとちゃんと聞こうぜ? とりあえず『ミーティング』っていう形なんだからさぁ」
「大丈夫、聞こえてる、問題ない」
空のフォローに回ろうとする辰巳であったが、当然の様に空にはスルー、仕舞にはアスカにくすくすと笑われる始末だ。そしてその光景を蒼は呆然と、否、蒼が見つめているのはその場面ではない。騒がしい雰囲気の中でも、決して自分の意思を曲げようとはしない彼女のことを見つめていた。
「他に何かあるか?」
涼平の確認の言葉さえ、蒼の耳には入っていなかった。
「蒼? 大丈夫か?」
ぼうっとした表情を浮かべる蒼に対して、涼平はそっと声をかける。
「え……あ、うん、大丈夫」
そう答える蒼ではあったが、視線の先に涼平はいない。
「なら、いいが」
蒼のことは少々心配ではあったが、深くは追及しなかった。相手の心の内を読んでまで他人を知ることに意義を見いだせなかったからである。
その後涼平は、個々の私用の携帯端末を全て回収し、所定の回収場所へとそれらを置いてきた。そして、ダウンロード開始日のその当日に涼平は、自らの個人データを学内専用端末にインプットさせることを済まし、図書館を利用することを決めた。それがつい二時間前のことである。
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(出てこないな……)
学内専用の個人端末とのにらめっこは、かれこれ一時間ほど繰り広げられていた。塾における個人の自習スペースのように、この読書席には隣とのがしきりが設置されている。だからこそ、この長時間の図書館利用でさえも不審に思われることなく続けることができる。
涼平のにらめっこの原因はその個人端末の地図機能の仕業であった。
アンテナは良好。それに関しては問題はない。だが、
(映らないというのも当然のことか……)
勝手な自己解釈で涼平は考えることを止めることにした。周囲のものを片付け、席を立とうとする。
「涼平? 涼平じゃないか? なにしてるんだ、こんなところで? 調べ物か? よかったら手伝うぞ?」
白い肌にスキンヘッドで巨漢、はっきりと言ってしまえば少し太っている(と言うか肥満体型だ。筋肉の盛り上がりから来ているそれではなく、恐らく脂肪から来ているものであろう)といっても過言ではない少年が、数札の本を片手に抱え涼平に話しかける。
「ジェームズか。いや、その必要はない。もう帰るところだ」
「なんだ? 何をしていたんだ? 差支えなかったら、俺に教えてくれないか?」
「いや、別に。大した用事じゃ」
「あれぇ、涼? 何してるの? こんなところで?」
別段話しても構わなかったのだが、とてつもなく面倒であることには違いはなかった(無論表情にそのことは欠片も出さない)。だからこそ、この場を早くおさめ、とっとと立ち去ってしまいたかったのだが、とある少女の声によって、それは無理な相談となってしまった。
「リタ。何か用か? 俺はこのまま席を立」
「こちらの方は?」
真っ白い肌に金のショートヘア、緑色の瞳、高校生と呼ぶにはいささか低めな身長とそれに沿うような幼い顔立ちであるリタと呼ばれたその少女は、涼平の反応を待つことなく、自分の興味の対象へと話を広げる。
「ジェームズ・リオ・ムーンだ。ジミーと呼んでくれ」
「そう、ジミーね。あたしはリタ・ローデンヴァルド。リタって呼んで」
「リタか……。よろしく、リタ」
握手を求めるジェームズだったが、それは空振りに終わった。リタの視線はさらに次なる興味の方向へと舵を切っていたからである。
「それで、涼はここで何してるの?」
ジェームズの虚無を掴む左手をよそに、涼平はリタの対応へと回る。
「たいした用事じゃない。だから、ここをもう立とうと」
「あれ? リタに、ジミーに、……それと涼平じゃん」
なぜ今日に限ってこんなにも多くの知り合いに、しかもこんなにも広大な校内の図書館という施設で出会うのか。考えていてもしょうがないことには違いはないのだが、しかし、涼平はそう考えざるを得なかった。
「エミル……。今日の図書館利用は知り合いが多いらしいな。何しに来たんだ?」
「何しにって……」
エミルと呼ばれた黒髪中背の男子生徒は、涼平の問いに素早く対応する。
「日本語の勉強だよ。結構難しい言語だからねぇ。あと、ついでに女の子探し?」
呆れるリタとジェームズをよそに涼平はその場を立ち去ろうとする。
「おいおい、それはいささか早計だと思うぞ?」
「何がだ?」
当然の返答。しかし、エミルは何が気に入らなかったのか、むっとした表情で饒舌に語りだす。
「君は言いたいけど言えない、訊けないけど訊きたいんだろ? わかってる、それが日本人らしさ、つまり奥ゆかしく謙虚であるということなんだろ? 確かに何も言わないことで必要以上に他人との接触を持とうとしない、それはとてもすごいことだ。だけどね、僕はそんなことは望んでいないんだ。だから君には、はっきりと僕に尋ねてほしい。そして、君が僕に言いたいこと、それは、『なぜ日本語を勉強しているのか』ということだろ?」
「違う」
静まり返る館内。長々としたエミルの言葉に唐突にピリオドを打ち付けた涼平は、今度こそその場を立ち去ろうとする。
「ねぇ、涼。逃げるのぉ?」
しかし、リタはそれを見逃しはしなかった。ニヤニヤと人の悪い笑顔を見せ涼平を問い詰める。
「逃げる?」
言葉に反応した涼平はピタッと足を止め振り返る。
「わかった、知りたいなら教えてやる。ちょっとこっち来い」
作戦成功とでも言いたげなリタは、涼平にバレない位置でサムズアップをジェームズとエミルに見せる。
「やれやれだな」
肩をすくめる涼平の元へ三人は集まる。
「いいか? 単純な話だ。がっかりするなよ?」
三人は一様に返事をするとそのまま黙り込んだ。
「結果だけ先に言えば、この学校がどこに位置しているのかがわからない、ということをさっきまで調べていた」
「場所がわからない? ここは日本だろう? それで十分なんじゃ」
「いいから静かに聞け」
話の始めから涼平の言葉を分断するジェームズであったが、涼平に反撃を食らうはめとなった。
「この端末の地図機能はとても優秀だった。日本の細かい市町村、加えて個人宅までも写すことができた。だかだ」
ここで涼平は端末の電源を入れる。
「この、今俺たちがいる『陸奥乃宮文化高校』を検索にかけても」
端末を操作し、画面に現在地を表そうとする。だが
「どうやってもこの日本列島の上に矢印が乗っかっているだけになる」
涼平の説明する通りのものがその地図上には映し出されていた。広大な大地とそれを囲うように描かれる海、画面は世界地図におおわれ、その中心よりも少し上、小さな島々を赤い矢印は示していた。
「つまり『この学校は日本にある』ということしかわからない」
「? これのどこが変なの?」
いまだに説明されている三人は理解できていないらしい。しきりに首を傾げては、小声で隣の者に「わからないよね」何て言っている始末だ。涼平はその光景を見ると、額に手を当て少しの間黙り、
「つまり、この携帯端末は俺たちに日本における現在地を教えられないということだ。何らかの事情があってな」
「ここの電波が悪い所為じゃないのか?」
相手に納得してもらうための説明を懸命に絞り出したつもりであったが、まだどうにも理解されていないらしいかった。頭上にクエスチョンマークを浮かべたエミルが聞き返してくる。
「電波は良好だ。その証拠に通信機器としての機能は生きている」
「壊れているとかは?」
「さっきも言っただろう? 他の土地に関しては全く問題なかったと。だからこそ、ここが映らないのが問題なんだ」
「そもそも、だ」
二人の質問に的確に答えていく涼平であったが、ジェームズの言葉によって腰を折らなくてはならなくなった。
「なぜそんなことを調べているのだ? それに気づいただけなら調べる必要もないと思うのだが?」
「気づいたのが俺じゃないからだ」
そう、これに気づいたのは涼平ではない。地図機能云々以上に、この陸奥乃宮文化高校のことを涼平は信用できていないのだ。だからこそ、この端末にどのような機能があるのかいまいちよくわかっていないし、むしろそんな物を使おうとも考えたりはしない。
「涼じゃないなら、一体誰?」
「うちのルームメイトだ。普段はあまり何も話さないやつなんだがな、こういうときは饒舌になる。理解するのは難解だがな」
言うまでもなく、これは蒼のことだ。何を考えこの結果に至ったのかは予測不可能だが、それでも今朝になって涼平はこの事を唐突に相談された。
「だから、今調べているというわけだ」
「相当信頼していないんだな、そいつのこと」
「いや違う」
「え?」
「あいつに言われたんだ。「自分の言っていることは信頼できないから、第三者の意見が聞きたい」ってな」
そう言うと、涼平は端末の電源を切りポケットにしまった。
「それで、今俺は図書館にいて、そしてその仮説は正しいことがわかった。これで十分か?」
「いや、十分じゃない」
涼平のその場をおさめて、すぐさま立ち去ろうと言う言葉を、今度はリタが遮った。しかし、涼平には全く何もわかっていなかった。実際、彼らの求めた問いの答えは先ほど言った筈であるし、それ以上彼らも質問してこない。だとすれば、この回答で十分ではないのか。そう思わずにはいられない。
「何だ? 何か不十分か?」
しかし、この問いに対する解は、あまりにも単純であまりにも簡単なものだった。
「お腹すいた。お昼にしよ?」
ジェームズとエミルは盛大なため息を放ち、涼平はそのまま本を片付けに席を立つ。
時間は刻々と過ぎていく。
五月まで残り少ない。