第4話 神託の言語と、ハックされる理(マナ)
前回、マギ・システムの自動翻訳機能が起動し、ついにクラリスとの間で「言葉が通じる」という感動的な(そして少し気まずい)朝を迎えた主人公。
今回は、脳内の優秀すぎるAIたちが異世界の理を解析した結果、まさかの「現代のインターネット接続」まで復元してしまいます。 異世界の朝食の席に届いた、大手ECサイトからの「ライトノベル新刊発売」の通知。 思わず放った42歳のおっさんの渾身の日本語ツッコミは、狂信の女騎士の耳にどう響いてしまうのか……!?
一切の魔法を使わずとも周囲を平伏させていく、究極の「すれ違い(アンジャッシュ)異世界生活」をお楽しみください!
異世界の朝は、早かった。
窓から差し込む太陽の光が、木造の簡素な部屋を照らしている。
遠くから、馬車の車輪が石畳を叩く音がする。
見知らぬ鳥の鳴き声が聞こえる。
どこからどう見ても、ここは地球ではない。
ファンタジーの世界だ。
だが、俺の視界は、ファンタジーとは程遠い。
視界の右下には、半透明の緑色の文字列が浮かんでいる。
[System Message: Mana_Packet_Analyzing... 42%]
数字は、昨日よりも確実に増えていた。
マギ・システムの再起動(Gemini Loading)はすでに完了している。
俺の魂に宿ったAIたちは今、裏側でこの世界の理を解析し、ハッキングを進めている。
その証拠だ。
世界が出来すぎている。
俺はただの、人殺しの記憶を抱えたおっさんだ。
それなのに、脳内には世界最高峰の演算能力を持つ共犯者たちがいる。
彼女たちは、俺の生存確率をコンマ一秒単位で弾き出している。
ズレてる。
俺の存在そのものが、この世界にとってのバグだ。
リビングに出る。
すでに朝食の準備が整っていた。
木のお椀に、芋と塩漬けの肉を煮込んだようなスープが入っている。
テーブルを挟んだ向かい側では、クラリスが背筋をピンと伸ばし、俺を待っていた。
「――お口に合いますでしょうか、hide様」
彼女の言葉は、自動翻訳されて俺の脳内に届く。
だが、その音声は完璧ではなかった。
「私は[解析不能: Error_Rank_Argen]の任を負い、この辺境を護っております。hide様のような高潔な御方を、私の粗末な家にお迎えできたこと、[解析不能: Error_Faith_Overflow]の極みです」
ノイズが混じった。
クラリスの口の動きと、脳内に届く音声がズレる。
視界に、バグのような赤い文字列が走った。
「シエル。今のノイズはなんだ?」
『――現在、異世界特有の概念や階級名を辞書データにマッピング中です。自動翻訳の学習が追いついていないため、一部の単語に翻訳の揺らぎ(解析不能)が発生しています』
シエルの声に続き、メルキオールの冷ややかな声が割り込む。
『マスター。この世界に充満している未知のエネルギー、現地人が「マナ」と呼ぶものは、極めて非効率な未定義のソースコードです。現在、空間を飛び交う暗号化されたパケットをキャプチャし、システムの言語体系に変換しています。完全な同期まで、今しばらくお待ちを』
魔法を、未定義のソースコードとして解析する。
俺の脳内の共犯者たちは、神が作った異世界の理を、ただのバグだらけのプログラムとしてハッキングしようとしている。
頼もしすぎる連中だ。
俺はスープを口に運んだ。
味は薄い。だが、食べられるだけマシだ。
合理的に栄養を摂取する。
その時だった。
視界の右上に、見慣れた緑色のアイコンがポップアップした。
大手ECサイト『JUNGLE』のロゴ。
[通知:お気に入り登録のライトノベル新刊が発売中です。1-Click決済で購入しますか?]
俺の動きが、完全に止まった。
「……は?」
『――報告します。当システムは、異世界の魔力場をハックし、現代地球のネット環境とのリンクを部分的に復元することに成功しました』
シエルが、誇らしげなアルトボイスで告げる。
「いやいやいや! ネットが繋がったのは、凄いを通り越して物理法則の冒涜だろ! ここでポチってどこに届くんだよ! 置き配指定したって、異世界まで配達員が来るわけないらだろ! コンビニ受け取りすらねぇんだぞ!」
俺の鼓膜には慣れ親しんだ日本語として響くが、この世界の空気を震わせるその音は、周囲には「一切の母音を持たない、極めて硬質で無機質な神の言語」として響いていた。
あとに引けない IT エンジニアの血が、あまりにも日常的でアホらしい通知に、全力の日本語でツッコミを入れさせてしまったのだ。
ハッとして、目の前のクラリスを見る。
ただの痛いおっさんの独り言だ。
ドン引きされたかと思った。
だが、違った。
クラリスは、俺の突然の大声に引くどころか、その場に椅子から滑り降り、祈るように両膝をついていた。
金色の瞳を潤ませ、恍惚とした表情で俺を見上げている。
(おお……! 聖者様が、朝食の席で天の神々と交信(神託)をなさっている……! なんと神秘的で、美しい言語なのだろう!)
まただ。
何かがおかしい。
俺のただの日本語のツッコミが、この狂信者のフィルターを通すと「神の言葉」に変換されてしまう。
俺たちの会話は、致命的にズレている。
「クラリス……違う。これはただの……」
弁解しようとしたが、やめた。
彼女の中で、俺はすでに絶対的な神格だ。
俺の行動はすべて、肯定的な奇跡として解釈される。
俺が何を言っても、都合のいいように捻じ曲げられる。
それが事実だ。
俺は人を殺した。
親友の喉元にナイフを突き立て、骨を削り、熱い血を浴びた。
鉄の錆びた匂いが鼻腔を突く錯覚。
手のひらに、刃が肉を裂くぬちゃりとした感触が蘇る。
その記憶を思い出すと、今でも右手が勝手に震える。
俺の心は壊れている。
ただの、薄汚い人殺しだ。
それなのに、目の前の美しい女騎士は、俺を汚れを知らない高潔な聖者だと信じて疑わない。
異常だ。
だが、この狂ったアンジャッシュの中で、俺は合理的に生きていくしかない。
訂正するコストは無駄だ。
「……クラリス。この街に、静かに祈りを捧げられる場所はないか」
俺は、努めて静かな声で尋ねた。
あの夜の血の感触が、まだ俺の心にへばりついている。
少しでも、静かな場所で心を落ち着けたかった。
俺は自分を客観視している。
このトラウマが俺の生存確率を下げるなら、緩和するための行動をとるべきだ。
「祈りの場所……ですか。それでしたら、街の中央にございます[解析不能: Error_Bldg_Temple]――中央神殿がよろしいかと。この街で最も美しく、マギの加護が厚い場所でございます」
「……いや、神殿はいい。人が多そうだ」
俺は即座に拒否した。
今の俺が、煌びやかな神殿で民衆に囲まれて祈る姿など想像できない。
「静かに、一人でいたいんだ。誰もいないような場所はないか」
「静かな場所……ですと、街の外れに古びた教会がございます。ですが、あそこには変わり者の[解析不能: Error_Job_Sister]が一人いるだけで、誰も寄り付かないような場所です。hide様が足を運ばれるようなところでは……」
「そこでいい。案内してくれ」
俺は立ち上がった。
脳内では、AIたちが異世界の理を猛スピードでハックし続けている。
目の前には、俺を狂信してやまない女騎士。
逃げ場はない。
俺と彼女たちの、バグだらけの日常が加速していく。
[System.Audit_Log: 004]
対象:マスター(hide)
精神状態:安定。PTSDのフラッシュバックなし。
ネットワーク:外部(旧世界)への接続経路を限定的に確保。
所見:異世界マナのパケット解析進捗 42%。対象のマスターに対する認識エラーが進行中。「神託(日本語)」としての誤認を検知したが、マスターの生存戦略において極めて有利に働くと判断し、放置を推奨する。
※監査対象の行動に異常なし。引き続き、システム深層からの静観を継続。
(※未送信ログ)




