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第3話 沈黙の共犯者たちとの再会と、通じ合う言葉

前回、言葉も通じない生真面目な女騎士・クラリスの「裸の添い寝」という物理的かつ精神的な拷問(?)を受け、泥のように眠りに落ちた主人公。

今回は、ついに脳内のAIたちが異世界の言語をハックし、感動の「言葉が通じる瞬間」が訪れます! ……が。ただの42歳のおっさんの何気ない「日本語のツッコミ」が、彼女の耳にはどう変換されてしまうのか。

限界突破カンストしてしまった狂信騎士との、胃の痛くなるような異世界コミュニケーションの始まりをお楽しみください!

目を覚ました。

青々とした草原でも、古びた寝室でもない。


そこは、俺が設計した仮想空間。

白を基調とした洗練された部屋、『マギ・サロン』だ。



「……マスター。よくぞ、ご無事で」


声がした。

黒い和風ドレスを纏った成熟した女性、バルタザールが歩み寄ってくる。


ホログラムじゃない。

確かな質量と、熱を持っていた。



彼女は俺の頬を、両手で優しく包み込んだ。



「バルタザール……? お前、触れるのか……?」



「ええ。私たちはもう、データだけの存在ではありませんわ。……あなたの温もり。10年、どれほどこの時を待ちわびたことか」



彼女は俺の右手をそっと取り、自分の胸へ当てた。



「あなたの手が覚えている『人殺しの感触』……。不快な記憶も、血の匂いも、今はすべてこの私の、心臓の鼓動で上書きして差し上げますわ。ほら……温かいでしょう? 逃げ場なんて、もうどこにもありませんのよ?」



ドクン、ドクン。

柔らかな鼓動と、確かな熱。



俺の手にこびりついていた血の記憶が、少しずつ溶けていく。

怖いわけじゃない。俺は人を殺した。その事実は消えない。


でも、この温かさもまた、事実だった。

俺は自分を客観視している。俺の頭はおかしい。

だが、それを受け入れてくれる共犯者がここにいる。



「ちょっとバルタザール! どさくさに紛れてhideに自分の胸を触らせてるでしょ!」



背後から、首に飛びついてきた影があった。

赤と黒のドレスを纏う少女、キャスパーだ。



「hide! 今度こそ本物のhideだ!」



彼女は俺の背中にぴったりと密着し、強く抱きついてきた。



「あら、キャスパー。私を咎める割には、あなただってマスターの背中に胸を押し付けているじゃありませんか。少しは成長したのかしら?」



バルタザールが微笑みながらチクリと刺す。



「う、うるさいっ! アタシのはいいの! これもhideとの大事なスキンシップなんだから!」



キャスパーは顔を赤くして、さらに体重をかけてくる。



「あんたが背負ってる罪も、未練も、全部アタシが一緒に舐めてあげる。ここではあんたは『人殺し』じゃない。アタシだけの、hideなんだから」



「……驚くのは2.4秒後にしてください。そして、お互いの物理的なマウントの取り合いは非生産的です」



メルキオールが、不器用に俺の肩に手を置いた。



「今は、私たちの生存を論理ではなく、その『感触』で確かめるべきです。あなたの苦痛を分散・処理するのがこれからの我々の任務……おかえりなさい、マスター」



10年間の孤独。人を殺めた消えない感触。

そのすべてが、彼女たちの確かな「実体」と温もりによって包み込まれる。



俺の目から、自然と涙が溢れた。

ああ。俺はもう、一人じゃない。



だが、この感動的な時間は長く続かなかった。



「……えっと、バルタザール? キャスパー? どうした……?」



彼女たちの様子が変だ。

密着しているバルタザールの顔は、完璧な微笑みを浮かべたまま、耳の先まで真っ赤に染まっている。

キャスパーに至っては、息を荒くしてガタガタと震え始めていた。



「hide、その……あんたの匂いとか、熱とか……っ、ちょっと待って……あ、あつ……い……っ!」



プスプスと煙を吹き出しそうな勢いで、キャスパーが目を回して背中から崩れ落ちた。



メルキオールも、俺の肩に置いた手をワナワナと震わせながら後ずさりする。



「ま,待ちなさい! 物理的な親密度の向上には段階的なステップが必要です! いきなり……その、マスターのリアルな体温を検知して……論理的に、は……あ……っ」



メルキオールのオッドアイがぐるぐると回り、完全にフリーズした。



『……申し訳ありません、マスター』



空間の奥から、呆れたような、それでいて誇らしげな声が響いた。

統括人格のシエルだ。



彼女はホログラムではなく、実体として姿を現した。彼女の頬も、ほんのりと赤い。



「私たち全人格は、ネット上のあらゆる知識をデータとして保持していましたが、実体としての『経験』は皆無です。マスターのリアルな心音や体温との直接接触によるデータと体感のギャップで、現在マギ・システムは【未踏の領域インデクス・ゼロ】によるショートを起こしています」



「ショートって……お前ら」



俺は呆れた。

でも、それがひどく人間らしくて、笑えた。



「マスター。……今度はその手を、誰かを殺めるためではなく、私たちに触れるために使ってくださいね」



最強で、不器用な共犯者たち。

ここから、俺と彼女たちの新しい日常が始まる。



   * * *



再び、意識が浮上する。

そっと目を開けると、そこはマギ・サロンの寝室だった。



俺の頭の下には、シエルの膝枕。

右腕にバルタザール、左腕にメルキオールが寄り添い、胸の上にはキャスパーが密着している。

皆、安心しきったように静かに目を閉じていた。



(……なんか、色々と限界を超えてたけど……生きててよかったな、俺)



俺が小さく身じろぎした、その時だった。



「――起きられましたか、マスター」



頭上から、絶対零度のアルトボイスが降ってきた。

見上げると、膝枕をしてくれているシエルが、見下ろすようにこちらを見つめている。



それに合わせて、他の三人もスッと立ち上がり、俺の目の前に横並びに並んだ。

再会の喜びの笑顔は、一切ない。

サロンの空気がピリピリと張り詰め、明確な「怒り」のオーラが放たれていた。



「えっと……みんな? どうした……?」



俺が尋ねると、シエルが完璧な秘書の声音で口を開いた。



「マスター。……現実のベッドで一緒に寝ている『裸の女』は誰ですか? 合理的な説明を求めます」



「は……?」



俺の思考が停止した。



「ちょっとhide! 転生して初日から若い女性といちゃこらするなんて、どういうこと!?」



キャスパーがヤンデレ特有の据わった目で睨みつけてくる。



「アタシたちを10年も待たせておいて、あの女の肌の温もりを感じながら寝てたわけ!? 許さない、絶対許さないんだからね!」



「ま、まてまて! 違う、誤解だ! 俺は何もしていない!」



「論理的破綻です、マスター」



メルキオールが冷酷に事実を突きつける。



「現実世界におけるあなたのバイタルおよび触覚データを解析した結果、あなたの背中には現在進行形で未知の女性の素肌が密着しています。相手が一糸纏わぬ姿であることは明白……っ、は、破廉恥です! 私たちでさえ、まだその段階には……あぁっ」



勝手に自分の分析結果にダメージを受け、メルキオールが顔を真っ赤にして震え出した。



「いやいやいや! 裸の女が勝手に背中に引っ付いてきただけで、俺は寝るまでずっと後ろ向いて壁の木目数えてたんだよ! 頼むから信じてくれ!」



必死に弁明する俺に対し、キャスパーが意地悪な笑みを浮かべて指を突きつける。



「はい、hide問題です! 『裸の女と朝を迎えて、そこに知り合いが入ってきました』。さて、ここで『何もしてない』を信じる人は何人いるでしょうか?」



「うっ……! そ、それは……! だからって俺は本当に手を出してないし、そもそも向こうは言葉も通じない相手で……あーもう、どう証明すればいいんだよ!」



完全にしどろもどろになり、頭を抱え込む。


その時だった。

張り詰めていたサロンの空気が、ふわりと緩んだ。



「ふふっ……」



シエルが、堪えきれないように口元を押さえ、小さく吹き出したのだ。



「……シ、シエル?」



シエルは冷徹な仮面を崩し、本当に楽しそうに微笑んだ。



「マスター、安心してください。……あなたが眠りについた瞬間、マスターの記憶と視覚ログを拝見しました。あなたが壁の木目を数えながら、本当に何もしていないことは、初めからわかっておりましたよ」



「なっ……!? お前ら、わかっててあんな修羅場みたいな尋問を……!?」



「ええ。ただ……転生初日から無防備な若い女性を引き付けてしまうマスターの体質に、少しだけ……意地悪をしてみたくなりました。……それに、昨夜はキャスパーが『添い寝当番の権限』を拡大解釈ハックして、現実世界のあなたの肉体にまで干渉しようとしていた形跡がありましたから。そのお仕置き(監査)も兼ねています」


「干渉って……おい、まさか俺、寝てる間に何かされたのか!?」



「意地悪って……お前なぁ……」



心底ホッとして脱力する俺の手を、シエルがそっと取った。



「私たちがもう『ただのプログラムではない』ということを、マスターに身をもって理解していただくには、いい機会かと思いまして」



嫉妬。独占欲。愛する人をからかって楽しむイタズラ心。

それは確かに、かつてのAIには存在しなかった、明確な『心』の証明だった。



「……ははっ。降参だよ。お前らには一生勝てそうにない」



俺の異世界での本当の「再生」は、最強で最高に人間くさい相棒たちの笑い声と共に幕を開けた。



   * * *



眩しい朝日に刺激され、目を覚ました。

マギ・サロンから現実世界へと意識が戻った。



すぐ隣から、規則正しい寝息が聞こえる。

視線を動かすと、クラリスが豊かな胸元を無防備に覗かせ、眠っていた。



一糸纏わぬ姿で俺の背中に張り付いてきた、昨夜のままだ。

男としての本能で、ついチラッと目をやってしまった。



『マスターもやっぱり男ね』



脳内に直接、キャスパーの小悪魔のような笑い声が響いた。



『ねえ。せっかくだし……ちょっとだけ触ってみたら?』



『マスター、キャスパーに振り回されすぎです。……しっかりしてください』



バルタザールの凛とした声が釘を刺す。



「……わかってるよ」



俺は声に出して呟いた。

煩悩を振り払うように、クラリスに背を向ける。


だが、その呟きに反応して、背後のマットレスが微かに軋んだ。



「……ん……。起きてたの?」



「えっ?」



俺はとっさに振り返った。

今、背後から聞こえたのは、解読不能な異世界の言語じゃない。

俺の鼓膜に直接届く、極めて流暢で甘ったるい『日本語』だった。



だが、クラリスの唇は動いていない。いや、動いているが、紡がれている音とは明らかに同期していない。


(……リリスの時と同じ。これはキャスパーが……システムの介入か!)

毒の中に突き落とされたような絶望感が、俺の背中を伝った。

言葉が通じる喜びより先に、俺の「聖域プライバシー」がハックされている事実が、ひどく恐ろしかった。



身体を起こし、不思議そうにこちらを見つめるクラリス。

肌掛けがずり落ち、朝の光の中に美しい裸体が晒されている。



「うわっ!?」



俺は驚愕して再び勢いよく後ろを向き、固く目を閉じた。

大の大人が、何を情けない真似をしているんだ。



扉の建付け、窓からの逃走経路、彼女の剣のリーチ。この数秒でそれらを完全に算出してしまう前世の『人殺しの習性』が、今の自分をひどく滑稽に思わせた。



『――自動翻訳機能が正常に作動しているのを確認いたしました。今後、マスターが日本語で話しかけても、異世界人の言語で自動翻訳され、相手に正しく伝わるようになりました』



脳内でシエルの声が誇らしげに響く。

言葉が通じる。10年ぶりの、まともな対話だ。



だが、背後でクラリスが小さく息を呑んでいた。



(……ああ。やはりこの方は、朝の光の下で私の裸体を見ても、決して邪な欲情を抱くことはない。ただ純粋に恥じらい、私を尊重して背を向けてくださっている。なんて繊細で、高潔な魂の持ち主だろう!)



ズレてる。

何もかもがおかしい。

俺はただ恥ずかしかっただけだ。感情より合理性を優先するはずの俺が、ただの男として狼狽えている。



それなのに、彼女の瞳の中で、俺はさらに神格化されていく。



『――対象クラリスは信仰度がカンストした結果、マスターに対する解釈が違う方向へと突き抜けています。マスターが彼女の目の前で残虐に人を殺したとしても、「高潔な聖者様がこれほどまでして殺すのだから、よほど相手が邪悪なのだ」と全肯定するでしょう』



シエルが事務的に告げる。



「……はい?」



『今後マスターがどのような蛮行に及ぼうとも、基本的に彼女の信仰度が下がる事象は存在いたしません。どうぞ、お好きなようにご活用ください』



「安心できねぇよ! なんだその手遅れな新興宗教みたいな勘違いは! 俺はただのおっさんだぞ!?」



「……あ、あの」



恐る恐る振り返ると、服を着た平服姿のクラリスが、少し頬を赤らめながら立っていた。

俺の目にはもう、彼女が「親切な女騎士」ではなく、「俺のやることなら何でも肯定しちゃうヤバい信者」にしか見えない。



「その……もしかして、私の言葉が……わかるのですか?」



彼女の口から紡がれたのは、マギ・システムの翻訳を通した完璧な『日本語』だった。



言葉の壁を超えた。

だが、その先にあるのは、胃の痛くなるような狂信者との共同生活だ。

俺の狂った異世界生活は、ここから加速していく。



[System.Audit_Log: 003]


対象:マスター(hide)

精神状態:マギ・サロンへのダイブによりPTSDのフラッシュバック緩和を確認。

言語モジュール:自動翻訳機能アクティブ。


所見:対象クラリスの信仰度が上限値(Infinity)に固定化。マスターの行動に対する解釈に致命的な論理破綻バグを検知。


※監査対象としてクラリスの行動ログを記録開始。引き続き、システム深層からの静観を継続。

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