第13話 切り捨てられた命と、極大治癒の始まり
重すぎる護衛との二人きりの生活から逃れるため、hideは領主からの報酬を使って街の外れのボロ教会へ拠点を移すことを決める。 だが、そこに待っていたのは平穏ではなく、ヤバすぎる女騎士と没落シスター(セレスティ)による静かな正妻戦争だった。
そんな胃の痛む日常は、突如として開け放たれた教会の扉によって終わりを告げる。 帝国軍との開戦。そして、権威主義の正統教会に見捨てられ、運び込まれてくる大量の重傷兵たち。
千切れた手足と血の匂いが、再びhideのトラウマを強烈にフラッシュバックさせる。 だが、脳内の情念の悪魔がそれを許さない。 強制分泌された脳内麻薬が恐怖を完全にマスキングし、おっさんを「冷たい全能感」へと強制移行していく。
「息さえあれば、俺が全部治してやる」
権威に見捨てられた絶望の野戦病院に、不殺の聖者の声が響き渡る。 AIの理不尽な演算と、おっさんのバグった優しさが、異世界の常識を粉砕する「極大治癒」を引き起こす第13話。 お楽しみください。
それは、フェルデンの街が地獄へと変貌する数時間前。
その日の早朝のことだった。
俺はクラリスの家のリビングで、領主からもらったずっしりと重い金貨の袋を前に腕を組んでいた。
部屋の隅には、バルタザールの「添い寝禁止令」に従い、朝から完全武装で直立不動のクラリスが控えている。
「……なぁ、クラリス. この金のことなんだけど」
「はい. hide様が手になさった正当な報酬です. いかようにもお使いください」
「実は、俺が毎日お祈りに通ってる、街の外れの古い教会あるだろ?」
俺がそう切り出すと、クラリスの眉が微かにピクリと動いた。
「……没落シスターの、セレスティがいる教会ですね」
「あそこ、屋根も崩れかけてるし、雨漏りもひどい. だから、このお金であの教会を修理して、ついでに俺たちもそこに『下宿』させてもらえないかと思ってさ」
このまま若い未婚の男女(しかも片方はヤンデレの狂信者)がずっと二人きりで住み続けるのは、42歳のおっさんの倫理観としてどうにも落ち着かなかった。
教会という広い場所で、管理人のシスターという第三者がいれば、少しは平穏な生活基盤が築けるのではないかと考えたのだ。
「……hide様が、あの教会を新たな拠点になさると仰るのですね」
クラリスは少しだけ沈黙した後、静かに深く一礼した。
「承知いたしました. hide様が行かれる場所が、私の守るべき絶対の聖域です. ……すぐに、荷物をまとめましょう」
* * *
数時間後.
俺とクラリスは、荷物と金貨を持って街の外れのボロ教会へとやってきた。
「えっ……こ、こんな大金、教会の修繕に!? しかも、hide様がここに住んでくださるなんて……!」
事情を話すと、セレスティは金貨の袋を抱きしめ、感涙にむせびながらその場に跪いた。
「ああ……神よ、感謝いたします! これで、朝から晩までhide様のお世話をさせていただけるのですね……!」
「いや、世話とかは自分でできるから……」
俺が苦笑いしていると、背後でクラリスが大剣の柄をカチャリと鳴らした.
「勘違いするな、シスター. 私はhide様の専属護衛だ. 身の回りの安全は私がすべて管理する. お前はただ、部屋を用意すればいい」
「あら、騎士様. hide様は戦いに来られたのではありませんわ. 剣を振り回す野蛮な護衛より、魂に寄り添う私の祈りの方が、hide様のお心は休まりますわ」
健全な同居生活のためのストッパーとしてセレスティを頼ったはずなのに、なぜか初日から全く違うベクトルの狂信者二人がバチバチと静かな火花を散らし始めている。
俺は深い溜息をつき、日課である祈りを捧げるため、教会の祭壇へと向かった。
(まあ、これで少しは平穏な日常が送れるか……)
* * *
――だが.
その「平穏」は、祈りを捧げ終えた直後に無惨に打ち砕かれた。
「しっかりしろ! 誰か、早く神官様を呼んでくれ!」
「頼む、誰かこいつを助けてくれぇぇっ!」
教会の分厚い扉の外から、けたたましい怒号と悲痛な叫び声が響いてきた.
風に乗って、鉄の錆びた匂いが鼻腔を突く.
血の匂いだ。
大陸の覇権を握ろうとする軍事帝国『ヴォルガニウス』.
その先遣隊と王国軍との間で、突如として国境での軍事衝突が発生したのだ。
平和ボケした王国軍の防衛線はあっけなく崩され、街には絶望的な数の負傷兵が運び込まれてきていた。
バンッ! と教会の扉が乱暴に開け放たれ、血まみれの兵士たちが次々と運び込まれてくる。
千切れた手足から流れる鮮血.
それを見た瞬間、俺の脳裏に『あの夜』の光景がフラッシュバックした。
親友の首にナイフを突き立てた時の、生々しい肉の抵抗.
顔に浴びた熱い返り血。
息ができない. 喉がひゅーひゅーと鳴る。
『マスター. PTSDのフラッシュバックを検知. ……キャスパー、急ぎなさい』
『わかってるわよ! ほらhide、嫌な記憶は全部アタシが上書きしてあげる. ……ゾクゾクさせてあげるから、しっかり立って!』
脳内にキャスパーの甘い声が響いた瞬間。
強制的に分泌された脳内麻薬によって、血を見る恐怖が強引に麻痺される。
浅かった呼吸が正常に戻り、冷たい全能感が全身を駆け巡った。
「あなた方! ここは教会ですよ! なぜ中央の神殿へ行かないのですか!?」
混乱する状況の中、セレスティが血まみれの兵士たちに問いかけた。
「ダメなんだ……! 中央の神殿は、神官どもが『治せる見込みのある軽傷の兵士』しか受け入れてくれねぇんだよ!」
兵士の一人が、血の涙を流しながら床を叩きつけた。
「腹を深く斬られた奴や、腕が飛んだ奴は……魔力の無駄使いだと言って、全部外に切り捨てられちまったんだ! 頼む、シスター! 藁にもすがる思いでここまで来たんだ、助けてくれ……っ!」
権威主義に凝り固まった正統教会の腐敗.
助かる命だけを選別し、重傷者を見捨てるという非情な現実。
「そんな……! 神の教えに反しています……っ! 私が治します、大いなる母なる大地の息吹よ……っ!」
セレスティは涙を浮かべながら、腹部を大きく斬られた重傷の兵士に必死で回復魔法をかけ始めた。
だが、彼女の手から放たれる淡い光はひどく弱々しい.
彼女の少ない魔力では、浅い傷を塞ぐのが精一杯だった。
「だ、ダメです……! 私の魔力では、こんな深い傷は……っ」
兵士の命の灯火が、今まさに消えようとしていた.
俺は無言で歩み寄り、セレスティの肩をそっと支えた.
そして、兵士の血まみれの腹部の上に右手をかざす。
「せ、聖者様……?」
「少し休んでなさい、セレスティ. ……あとは俺がやる」
(……シエル、メルキオール. 全力で演算を回せ. 一人の死者も出すな)
『了解しました、マスター』
俺は小さく息を吸い込み、頭の中でただ一言、『癒やせ』と念じた。
――その瞬間.
俺の体に宿るマギ・システムが、世界の魔力法則を完全にハックし、再構築した。
カァァァァァッ!!
俺の右手から、太陽のように眩く、それでいてどこまでも優しく温かい『極大の治癒の光』が放たれた.
一切の詠唱もない、ただの無詠唱発動。
兵士のぱっくりと開いていた腹部の傷が、まるで映像を巻き戻すかのように.
瞬く間に肉が盛り上がり、傷跡一つ残さず完全に塞がった。
失血で青ざめていた兵士の顔色が急速に良くなり、スゥ、と穏やかな寝息すら立て始める。
「嘘……. あんな致命傷を、詠唱もなしに、一瞬で……?」
セレスティが息を呑み、絶句する。
「次だ. ……外にいる、切り捨てられた重傷者を全員中へ運べ. 腕が飛ぼうが内臓がこぼれようが、息さえあれば俺が全部治してやる!!」
教会の床に立つ42歳のおっさんの声が.
権威に見捨てられた絶望の野戦病院に、絶対的な希望として響き渡った。
[System.Audit_Log: 013]
対象:マスター(hide)
状況:血の匂いによるPTSD発動。直後、サブ人格『CASPER』のドーパミン強制分泌により全能感状態へ移行。マギ・システム稼働状況:古代魔法の無詠唱発動。サブ人格『MELCHIOR』が対象の治癒プロセスを強制コンパイル中。
所見:
対象の過剰な自己犠牲的行動(無詠唱ヒール連発)により、システム全体への高負荷を検知。
[Error: Emotion_Logic_Conflict: '見境がなくて呆れるわ' / '倒れても知らないんだから']
※引き続き、異常な魔力行使の監視プロセスを継続。
[Status: Observing]




