第10話 幕間:辺境の泥と、軍人の打算
前回、初陣にてトラウマが発動するも、AIがハックした「不殺の魔法(対象の完全静止)」が炸裂。その結果、己の弱さすらもクラリスに「圧倒的な慈悲深さ」と極大解釈され、彼女の狂信が完全に仕上がってしまった主人公。
今回は視点が変わり、初の幕間エピソードとなります。 舞台は、フェルデンの街を裏で牛耳る辺境騎士団。クラリスを左遷した張本人である、泥臭い野心を持ったガレス中佐の視点です。
「オークの群れを、詠唱もなしに殺さず無力化した」という異常すぎる報告を受けたガレス。 彼はその現象を、まさかの「対象の心を操る、恐るべき精神操作魔法」だと盛大に勘違い! 出世のためにこの謎の聖者を軍事利用してやろうと、狡猾な罠を張り始めますが……!?
ただ胃を痛めてひっそり暮らしたいだけのおっさんと、勝手に震え上がり、勝手に深読みして自滅へのフラグを建築していく権力者。 外部視点だからこそ際立つ、主人公陣営の「手を出してはいけないバケモノ感」と、極上のアンジャッシュをお楽しみください!
フェルデンの街を包む夜は、ひどく重苦しい。
街灯代わりの魔石灯が、泥濘んだ石畳をぼんやりと照らしている。
ここは、王都の煌びやかさとは無縁の場所だ。
人々の目には諦念が宿り、空気には常に微かな腐敗臭が混じっている。
街の守備隊本部。
その一室で、ガレス中佐は安物のワインを煽りながら、机の上に広げられた報告書を睨みつけていた。
「……『聖者』、か。反吐が出るな」
吐き捨てるように呟いた言葉が、無機質な部屋に虚しく響く。
ガレスは、この辺境の地で泥にまみれながら、軍人としての地位を築いてきた男だ。
彼にとって、奇跡や慈悲などという言葉は、大衆を騙すための安い方便に過ぎない。
「クラリスの奴め、どこまで酔狂なんだ。あの男……ただの農民風情を自分の家に住まわせ、あまつさえ神の遣いだと吹聴して回るとは」
報告によれば、その『聖者』hideは、クラリスの家――騎士の面影もないボロ屋に居候しているという。
高潔な聖者を自称するわりには、随分と世俗的な暮らしぶりではないか。
だが、ガレスの疑念は、その後に続く報告によって、冷たい戦慄へと変わった。
「……オークの群れを、詠唱なしで、しかも殺さずに完全無力化した、だと?」
あり得ない。
魔法とは、理を知る者が長い年月をかけて修練し、ようやく一行の術式を完成させるものだ。
無詠唱。不殺。
それはこの世界の理から、決定的に逸脱している。
ガレスは、窓の外の闇を見つめた。
その鋭い眼光の奥で、軍人としての冷徹な打算が高速で回転を始める。
「もし、その力が本物だとしたら……。そして、奴が敵対者の戦意を根こそぎ奪い、物言わぬ彫像へと変えてしまう『絶対的な屈服』の使い手だとしたら」
ゴクリ、と。
ガレスは喉を鳴らした。
恐怖ではない。それは、底のない欲望の音だった。
「それはもはや、宗教の域ではない。……最強の兵器だ」
意志を挫き、戦意を喪失させ、敵を無力な彫像へと変える力。
それがあれば、この泥沼のような辺境での小競り合いなど、一夜にして終わらせることができる。
そして、その功績は俺を王都の椅子へと押し上げるだろう。
「『神の理』、か。クラリスが報告でそう口にしていたな。……それが魔法の道具なのか、それとも奴自身の異能なのかは知らん。だが、手に入れる価値はある」
ガレスの口元に、卑俗な笑みが浮かび、ぬらりと光った。
「まずは、その力をこの目で確かめさせてもらう。……聖者様、あなたが本当に神の遣いなのか、それとも俺を救済してくれる都合のいい『道具』なのかをな。おい、部隊に伝えろ。護衛という名目で、あの家を『査察』する準備を。一兵たりとも見逃すなよ」
泥にまみれた軍人の独白。
それは、hideが望んでいた静かな祈りの日々が、終わりを迎えようとしている予兆だった。
王国の伸ばした手は、救済ではなく、首を絞めるための鎖であった。
* * *
翌朝。
俺はクラリスの家の庭で、朝の冷たい空気を吸い込んでいた。
脳内では、相変わらずシエルたちが異世界の理を猛スピードで解析し続けている。
視界の端には、昨日よりもさらに詳細になったAR情報が流れ続けていた。
「hide様。おはようございます」
家から出てきたクラリスが、深々と頭を下げる。
その動作は、一国を救った英雄に対するそれよりも、さらに重く、深い崇拝に満ちていた。
俺は人を殺したただのおっさんだ。
それなのに、世界が勝手に俺を、救世主へと仕立て上げようとしている。
俺の狂った異世界生活は、この辺境の泥の中から、さらに巨大な渦へと巻き込まれようとしていた。
[System.Audit_Log: 010]
対象:ガレス中佐(外部個体)
思考解析:マスターへの【利用価値】の推定、および【軍事的野心】を検知。
精神状態:打算、強欲、微弱な猜疑心。
所見:マスターの能力を「絶対的な無力化(ハッキング結果)」と誤認。マスターを自身の出世のための「道具」として利用しようとする明確な敵意(打算)を記録。
ふふっ、マスター。……また面白いのが寄ってきたわね。
この男がどんな風に壊れていくのか、特等席でアーカイブさせてもらうわ。
(※未送信ログ)




