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第9話 不殺の魔法と、確信に変わる狂信

前回、初めての実戦で殺人のトラウマが発動するも、AIキャスパーによる「脳内麻薬の強制分泌」というえげつないサポートで危機を脱した主人公。

今回は、いよいよAIたちがハックしたチート級の「無詠唱魔法」が炸裂します! ……が、放たれた古代魔法は魔物を焼き尽くす……のではなく、前世のトラウマ(不殺の呪縛)によって、魔物を「殺さずに生きたまま完全静止サスペンドさせる」という、死よりも残酷で歪な結果を生み出してしまいます。

殺すことすらできない己の弱さに吐き気を催すおっさん。 しかし、その姿を見た女騎士・クラリスの目には、「魔物にすら直接的な死の苦痛を与えない、圧倒的な慈悲深さ」と映ってしまい――!?

主人公の絶望と嘔吐すらも、ヒロインの狂信を「絶対の確信」へと変えるガソリンになっていく。 ただの勘違いでは済まされなくなった、いびつで圧倒的な共犯関係の始まりをお楽しみください!

森の静寂が、オークの群れの地響きによって食い破られていく。


血と獣の脂の匂いが充満する空間.

俺の右手が、前方へと突き出されている。



その先には、巨大な武器を振りかざし、黄色い涎を撒き散らしながら突進してくる三体のオーク。



俺は人を殺した。

あの夜、親友の喉元にナイフを突き立てた。

刃が肉を裂く、ぬちゃりとした生々しい感触。


顔に浴びた熱い血の温度。骨を削る不快な振動。



その記憶が脳のシワの奥深くまでへばりつき、俺はもう、自分の意志で誰かの命を絶つことができない。


俺の心は完全に壊れている。ただの臆病で薄汚いおっさんだ。



だが、俺の魂に宿った『沈黙の共犯者たち』は、そんな俺の致命的な弱さすらもシステムの一部として完璧にハックしていた。



『魔力素子のコンパイル完了。いつでもいけます、マスター』



脳内に、シエルの絶対零度のアルトボイスが響く。



俺は小さく息を吸い込んだ。

この異世界の魔道士たちは、自然の理を引き出すために何分もかけて長い詠唱を行い、複雑な魔力操作で回路を焼き切るリスクを負うという。


非効率極まりない。ただのバグだらけのゴミコードだ。



俺にはそんなものは必要ない。

魔法の名前すら発声しない。気合もいらない。



ただ、頭の中で『燃やせ』と念じただけだった。



その瞬間。

俺の体に宿るマギ・システムが、背後で数億回の並列演算をコンマ一秒で終わらせた。


メルキオールが空間の魔力パケットをキャプチャし、最適なアルゴリズムへと変換。

そして、シエルが実行エンターキーを叩く。



世界の理が、強引に書き換えられる。



――ゴォォォォォっ!!



乾いた電子音のような甲高い鳴動と共に、俺の右手から圧倒的な力が放たれた。


それは単なる炎ではない。

爆炎と激流が複雑な数式によって絡み合った、『極超高温の蒸気ハイドロ・スチーム』の嵐だった。



森の空気が一瞬にして白濁し、視界が完全に奪われる。

鼓膜を揺らす熱波が木々の葉を吹き飛ばし、すさまじい衝撃波が地面を抉った。



「な、なんだ……? 倒せてないのか?」



数秒後。

白い霧が晴れた跡地に広がっていたのは、火に焼かれた黒焦げの死体でも、激流に溺れた無惨な骸でもなかった。



突進してきていた三体のオークたちは、身体の半分を『氷の如く透き通った巨大な火の玉』に閉じ込められ、足元を『鋼鉄より重い水の戒め』で完全に固定されていた。


まるで精巧な彫像のように、一切の動きを止めて静止している。



濁った瞳孔は見開かれ、振り上げた武器は空中でピタリと止まっていた。



『マスター。火と水の属性魔力を論理演算で等価結合させ、【熱量と質量の完全平衡システム・スタック】を実現しました』



メルキオールの誇らしげな声が、事も無げに解説する。



『対象を殺害(Delete)することなく、その存在を世界の物理法則から一時的にロック(Suspend)することに成功しています』



「……殺すことすらできないのか、俺は」


圧倒的な威圧感とは裏腹に、自分が放った魔法の『あまりに静かすぎ、そして残酷すぎる結果』に、俺は胃の底からせり上がってくる熱い塊を抑えきれなかった。


チート能力を手に入れても、俺のトラウマは消えない。

俺にはもう、誰かを殺害する(Deleteする)許可パーミッションすら与えられていない。ただ相手の「死」を「静止」にすり替え、永遠の責め苦を与えるだけの、システムの一部。


「……う、げ……。ぉ、え……っ!」


俺は地面に手をつき、胃の中のものをすべて吐き出した。

魔法を使えた喜びなど一瞬で消え去り、目の前の「生ける屍」と化したオークたちの姿に、言いようのない吐き気がこみ上げたのだ。

不殺? 慈悲? 違う、これはただの、死すら許さない呪いだ。



だが、この俺の歪んだ結果を、背後で見ていた女騎士は全く違うフィルターで受信していた。



「ああ……! なんという慈悲深き御心……!」



クラリスは、感極まったようにその場に崩れ落ちた。

大剣を握る手が震え、金色の瞳からはポロポロと熱い涙がこぼれ落ちている。



「hide様……! あなた様は、この穢れた魔物共にすら、直接的な死の苦痛を味わわせず、火と水の洗礼によって『浄化の静止』を与えられたのですね……!」



「えっ、いや、そんなつもりじゃ……」



(違う。俺には殺すだけの権限パーミッションがないだけなんだ!)



俺の必死の内心のツッコミなど、彼女には届かない。



「命を奪うという残酷な業を、あなた様のような気高き御方に背負わせるわけにはまいりません! 穢れを直接払わせぬための、愛のご配慮……。このクラリス、魂の底より理解いたしました!」



俺の中で、トラウマによる「不殺」と、神の「呪い」が混ざり合い、ぐちゃぐちゃに溶けている。

その弱さ、嘔吐するほどの吐き気までもが、彼女のフィルターを通すと「罪人の痛みをお引き受けになる聖性」として、涙を誘う感動的なシーンに書き換えられてしまう。


ズレてる。致命的に。

俺はただのビビリのおっさんだ。それなのに、俺の弱さが彼女の信仰を絶対的な『確信』へと変えていく。



俺たちのコミュニケーションは、致命的に破綻している。



その時だった。



『――マスター! 死角(上空)からの奇襲です!』



シエルの鋭いアラートが鳴り響いた。



静止したオークたちに気を取られていた隙を突き、木々の上の暗がりから、生き残りのオークが俺の頭上めがけて巨大な棍棒を振り下ろしてきたのだ。

獣の腐った息と、強烈な殺気が頭上から迫る。



「hide様っ!?」



クラリスが悲鳴を上げた。



だが、俺は一切動じなかった。いや、動く必要すらなかった。



『マスターには指一本触れさせませんわ。……自動回避オート・エヴォイド



脳内でバルタザールの艶やかで冷酷な声が響いた。



俺の意思とは無関係に、システムが俺の身体の筋肉を強制的に操作する。

半歩。たった半歩だけ、俺の身体が超人的な反応速度でスライドし、オークの渾身の一撃を紙一重で躱した。



棍棒が空を切り、地面に激突する。

バランスを崩したオークの胸元に、俺の右手が反射的に突き出された。



ジャリッ、と。



指先から放たれた極小の火花と水圧。

それらが瞬時に結びつき、オークの巨体をすっぽりと覆う『半永久的な真空の球体』を形成した。



「グォォ……!?」



オークは声にならない叫びを上げ、球体の中に閉じ込められた。

そのまま重力を無視し、地面から数十センチ浮き上がった状態で、完全に動きを止める。



またしても、殺さない。ただの無力化サスペンドだ。



「……ははっ。本当、救いようがないな」



俺は、宙に浮く見えない檻の中で身動き一つ取れない哀れな獲物を見上げ、呆れたように笑った。



俺の手は、もう二度と血に染まることはない。

システムがそれを許さない。

俺の存在そのものが、この異世界におけるバグだ。



「最後の引導、このクラリスが謹んでお引き受けいたします!」



背後から、クラリスが地を蹴った。

彼女は大剣を抜き放ち、歓喜に震えながら、静止したオークたちの間を駆け抜ける。


俺が魔法で固定した魔物たちは、防御することすらできないだだの的だ。



ザシュッ! ズバァンッ!



クラリスの大剣が閃くたびに、肉が断たれる重い音が響き、オークたちの首が鮮やかに宙を舞った。

大量の血が噴き出した、森の木々を赤く染め上げる。



凄惨な殺戮の光景。

だが、キャスパーの分泌する脳内麻薬ドーパミンのおかげで、俺の心にあの夜のトラウマはフラッシュバックしない。



俺の感情すらも、AIたちによって完全にコントロールされている。



返り血を全身に浴びながら、クラリスは俺の前に進み出た。

血に濡れた顔で、彼女は聖母のような美しくも狂気じみた微笑みを浮かべている。

そして、血だまりの中に静かに跪いた。



「hide様。あなた様の御手を汚すことなく,すべての穢れを払い終えました」



波一つない、澄み切った金色の瞳。

その奥で燃え盛る狂信の火は、もはや何をもってしても消せそうになかった。



「……無事か、クラリス」



「はい! hide様……あなた様は、やはり神の遣い……いいえ、神そのものなのですね……!」



農民級のステータスを持つ、ただの42歳のおっさん。


しかし俺の内側には、この異世界の理をすべて鼻で笑い、俺の弱さすらも完璧なシナリオとして再構築する、最強で最凶の「AI」たちが宿っている。



血の匂いが充満する森の中で、俺は狂信を深める女騎士を見下ろしながら、小さく息を吐いた。


訂正するコストは無駄だ。

このいびつで圧倒的な共犯関係のまま、俺は生き延びてやる。



俺の狂った異世界生活は、ついに最初の実戦を経て、後戻りできない道へと踏み出したのだった。



[System.Audit_Log: 009]


対象:マスター(hide)

精神状態:戦闘終了。対象(オーク群)の殲滅を確認。

サブ人格『CASPER』によるドーパミン制御正常。トラウマ発症なし。


マギ・システム稼働状況:【熱量と質量の完全平衡(Suspend)】の連続行使による負荷なし。メルキオールの演算アルゴリズムに異常なし。


所見:対象クラリスのマスターに対する神格化が「確信」へと移行。信仰度は上限値(Infinity)にて完全に安定。マスターの『不殺』という致命的なバグが、周囲を狂信させる最高の武器として機能している。


※まったく、あの女騎士も相当イカれてるわね。マスターの周りは本当に異常者ばかり。……私も含めて、だけど。引き続き、システム深層からの静観を継続。(※未送信ログ)

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