補佐AI『C』
振り返った先に立っていたその人は――とんでもなく美人なお姉さんだった。
海の底を思わせる深い青色の長い髪が、風もないのにゆるやかに揺れている。
顔立ちは整っていて、どこか冷静そうなのに不思議と冷たさはない。伏せ気味の若草色の瞳は、私を見ているはずなのに、どこか虚空を見つめているようにも見える。
秘書のような、きっちりとしたスーツ姿。けれどその佇まいは、人というよりもよくできた人形に近い。
そして、その手に抱えられているのは、一冊の本だった。
……本。親近感が湧く人だ。もうこの時点で私の好感度は上がっている。
「あなた様の着任をお喜び申し上げます、管理人……」
一拍、ほんのわずかな間。
「――いえ、ガーデンテイマー【ユウ】様。ずっと、お待ちしていました」
その呼び方に、少しだけ背筋が伸びる。
どこか事務的だけど、こうして出迎えてくれているということはきっと歓迎してくれているのだろう。案内役のNPCなのだろうし、こうして私の前に現れるのはきっと決められたことだったのだろう。でも、私はこうして出迎えてくれるNPCが好きだ。そのゲーム特有の案内人。最初から私の手を握っていて連れて行ってくれる人。世の中にはチュートリアル担当のキャラクターを煩わしく思う人もいるらしいけど、私は大歓迎だった。
「君の名前は? 君はどんな人なの」
落ち着いて尋ねる。元来、人に話しかけるのは苦手だけど、こうしたゲームキャラクターに話しかけるのは好きだ。不意に嫌なことを言われることがない。そんな安心感があるからだろうか。
彼女は淡々とした態度で私の質問に答える。多分尋ねなくても言っていただろうけれど。
「私は補佐AI、C。本日より、あなた様のガーデン運営を補佐いたします」
「よろしくお願いします、Cさん」
「はい」
短く、迷いのない返事。それにしても『C』か。なんらかの識別番号なのか、それとも別に正式名称があったりするのだろうか。
……いけない。初対面なのにさっそくストーリーの裏のことを考えちゃったりして。これは悪い癖だ。まずは始めたばかりなんだから純粋に楽しむようにしよう。
でもこれだけ聞きたい。
「あの……」
私はもう一度、彼女の手元に視線を向けた。
「その、本は」
思わず、そう聞いていた。
秘書っぽいキャラクターが持っている本。気にならないわけがない。
Cは一瞬だけ視線を落とし、手にした本を少し持ち上げた。
「こちらは、観測記録用の図鑑です」
ぱら、と開かれたページを見て、私は息を呑む。
――真っ白だ。
文字も、図も、何ひとつ書かれていない。なにもかもがまっさらな本。
「これは……」
「これから、あなた様が埋めるべき本です」
その言葉を聞いた瞬間。
声にならない叫びのような、歓喜の気持ちが胸の中に溢れ出した。待ち望んでいたものだったからだ。
これから記録されるためだけに存在する真っ白な図鑑……そう、図鑑! 私の! 私だけの図鑑!
嬉しくて嬉しくて、私のテンションは一気に最高潮に達していた。
「……それ、私が書くもので、合ってる?」
「一部は否定しなければなりません。図鑑の大半の情報は、モンスターと出会い、行動することで観測結果が自動的に記録されていきます。しかし、直接出会って観察した結果をご自身で記録し、他のご同僚の皆様に公開することも可能です。その場合、公開されるのは『生態観察』のみですのでご留意ください」
つまり、出会わないと記録されない大事な情報は見えないけど、それに出会った人の文章はほかのプレイヤーのものも読めるというわけだ。
なんだそれ……なんだよそれ、最高か? 期待していた通り、最高の機能じゃない!
興奮気味になった気持ちをなんとかなだめて深呼吸をしながらCを見上げる。
「……C。ねえ、シーちゃんって、呼んでも、いい?」
勢いで言った。
一瞬、本当にAIが思考しているかのように動作を止めた彼女は、ごく自然に頷いた。
「お好きにどうぞ」
よし。
心の中でガッツポーズを決めたところで、シーちゃんは話題を切り替えるように、私の腰元に視線を落とした。
「まずは、初期装備をお渡しします」
いつの間にか、腰に小さなポーチが装着されている。最初からあったから装飾の一部かと思っていたけど、違うらしい。
「こちらはアイテムポーチです。内部は拡張されていますので、収納容量を気にする必要はほとんどありません」
四次元ポケットだ。
ほとんどということは、収納限界が来たら拡張する必要があるんだろうか。よくあるあれで……課金とか。それくらいなら別に構わないけれど。
「初期装備の内容は以下の通りです」
ポーチを開くと、順番にアイテムが表示されていく。ひとつひとつ選択して取り出してみると、これからやるのは本当に庭造りゲームなんだなと実感する。
古い剣先スコップに古いクワ。古いツルハシに古いジョウロ……と、よくあるラインナップだ。でもその中に見たことのないものがあった。『草地の種』と書かれた緑の袋だ。
「これは?」
「柔らかくした土地に振りかけることで背の低い草地が形成されるアイテムです。使用の際には制限回数や時間が存在いたしません。ご活用ください」
無限に草を生やせるってわけね。庭造りなら確かに芝地は最初に相応しいかも。
「続いて、拠点の案内を行います」
シーちゃんに促され、少し歩いた先に建っていたのは、しっかりした小屋だった。木造でちょっと古そうだが、そこそこ綺麗だ。
世界観の設定的に、地上は汚染されてやばいから浄化しに行きましょうっていうから、掃除とかから始まることも覚悟していたけれど……安全な拠点はちゃんと確保されているみたいだ。サバイバルゲームだと、まず夜を明かすための建築からって場合も多いし、そういうのを想像していた。
でも、よく考えたらそんなところでシーちゃんがずっと待っていることになっちゃうし、それはないか。
雨の日も風の日も今となにも変わらない姿で待ち続けるシーちゃんがいたらそれはそれでエモい気がするけど、なんか可哀想なので妄想を打ち切る。
彼女の先導で中に入ると、硬そうな簡素なベッドに年季の入ったソファ。空っぽの本棚とベッド脇のミニテーブル。燭台に、古そうなキッチン台がある。それから、入口近くとキッチン台のちかくにそれぞれ木箱らしきものがある。小屋の端に二つ扉があるけどこれは……。
「手前がお手洗い。奥が浴場となっております」
「そっか、説明ありがと」
シーちゃんがキッチン脇のほうの木箱に歩み寄り、蓋を開く。
「こちらに、初期食料が入っています」
覗き込むと、携帯食料がきっちり十個入っていた。乾パンに近い見た目だ。
「食事は必須です。空腹状態が続くと、行動に支障が出ます。素材があればキッチンで料理をすることも可能です」
「空腹システムか」
「はい、加えて」
シーちゃんは、小さな瓶を二つ取り出した。
透明な水の瓶と、白い結晶の入った瓶だ。これは……。
「ガーデンに降り立った記念として、三日分の水と、塩をお渡しします」
水と塩て。
まあ、大事なものでしょう。
「……ありがと」
受け取って木箱の中に入れる。木箱はまだまだスペースがあるから食料は結構入りそう。素材は多分ポーチのほうだよね。
「最後に」
そう言って、シーちゃんは何もない空間に手のひらをかざした。
次の瞬間、淡い光とともに、五つの卵がホログラムで浮かび上がる。色も、大きさも微妙に違う五つの卵を。
「こちらが、ガーデンテイマーを補佐する、最初のモンスター候補です」
はじめての相棒ってやつか。
個人的にはもう、はじめての相棒はシーちゃんな気分だけど。
「卵……慎重に選ぶ」
「お待ちしています。長い待機は得意ですので」
さっそく私は五つの卵に向き合った。




