ポテチ・バンディッツ
キィィ…ゴロゴロ…ガタン…。
錆びついた台車のきしむ音が、神戸の夜の住宅街に不釣り合いに響く。グルグルはフードを目深に被り、神経質に周囲を窺っていた。
今夜の作戦は、ただでさえリスクが高い。何としても人に見られるわけにはいかない。
高架下の暗がりに差し掛かった時だった。
道の先、街灯の光の中に、若い男女のカップルが立ち尽くしているのが見えた。スマートフォンの画面を覗き込み、何かを調べているようだった。
グルグル(…まずい)
グルグルが咄嗟に仲間たちに停止の合図を送る。三つの影が、コンクリートの柱の陰に息を殺して潜んだ。
やり過ごせるか――グルグルの淡い期待は、男の方が顔を上げたことで打ち砕かれる。
男「…なあ、今、あそこの柱の影に、何か…」
女「え…?」
カップルの視線が、真っ直ぐにこちらを捉える。まずい。中途半端な暗がりは、逆に影を際立たせる。
グルグルは、隣のびちゃのマスクがずり下がっていることに気づき、血の気が引いた。街灯の光が、びちゃのぬらりとした鱗の一部と、人間とは明らかに違う、大きく見開かれた瞳を、残酷に照らし出していた。
女の方が、ヒッと息を飲む音が聞こえた。男が、震える声で呟く。
男「…なんだよ…あれ…」
女は、声にならない声で、後ずさりながら言った。
女「……人じゃ…ない……」
その言葉が引き金だった。
男は、震える手でスマートフォンを構え、カメラをこちらに向ける。女はついに、堰を切ったように絶叫した。
「いやあああああああああッ!!」
甲高い悲鳴が、夜の静寂を切り裂いた。
グルグルの思考が、コンマ数秒でグルグルッと加速する。
ミミゴゴ「リーダー、決断を。対象が通信および記録を開始しようとしていま-す。脅威レベルを引き上げ、物理的干渉に移行します」
ミミゴゴの腕部から、かすかな駆動音が聞こえる。記憶消去光線のチャージが始まった音だ。
びちゃ「グルグル…!どうします…!?」
びちゃが、仲間たちを守るように、一歩前に出ようとする。その巨体が動くだけで、威嚇的な空気が生まれる。
グルグル「二人とも、動くな!」
グルグルは叫ぶと、意を決して、自ら光の中へ飛び出した。
しかし、その行動は予測と全く違った。彼はパニックに陥るどころか、わざとらしく頭を抱え、大げさな身振りで仲間たちを怒鳴りつけたのだ。
グルグル「カット!カットだ!だから言っただろう、一般の方がいる場所でリハーサルをするなと!」
彼は勢いよく振り返ると、腰を90度に折り、恐怖で固まっているカップルに向かって深々と頭を下げた。
グルグル「も、申し訳ありません!私、自主制作映画で監督をしております者でして!今のはゲリラ撮影のリハーサルで…!いやあ、うちの役者の特殊メイク、リアルでしょう!?」
グルグルは、懐から咄嗟の時のために用意していた、架空の制作会社のヨレヨレの名刺を差し出す。
男「⋯」
カップルは、目の前の男のあまりの剣幕と、急な状況の変化に、恐怖と混乱で言葉を失っている。
グルグル「驚かせてしまい、本当に申し訳ありません!この埋め合わせは必ず――」
男「うわっ!口くっさ!」
男は、名刺を受け取ることもせず、女の手引いて数歩後ずさると、そのまま脱兎のごとく走り去っていった。
遠ざかる「くさかったー!」という無邪気な(?)絶叫を聞きながら、グルグルはその場にへたり込んだ。アスファルトの冷たさが、惨めに全身に染み渡る。
びちゃ「グルグル…!大丈夫ですか…!しっかりしてください!」
びちゃが、その巨体で慌てて駆け寄ってくる。グルグルは、フードの奥で力なく首を振った。
グルグル「……お、俺の尊厳が……」
神話的恐怖より、生理的嫌悪が勝ったのだ。これほどの屈辱はない。
ミミゴゴ「リーダー。対象の反応を分析しました。脅威からの逃走ではなく、生理的嫌悪による忌避行動と断定。原因は、リーダーの呼気に含まれる高濃度の硫化水素及びメチルメルカプタンかと」
グルグル「やめてぇ!!」
(毎食後、ちゃんと泥で歯は磨いているのに…!誰かミント味の土を開発してくれ…!)
ミミゴゴ「ですが結果的に、脅威は去りました。作戦を継続しますか?」
グルグル「…くそっ…!ミミゴゴ、奴らが通報する可能性は!?」
ミミゴゴ「対象はパニック状態でした。支離滅裂な証言は『集団ヒステリー』と判断される公算が高いですが、35%のリスクは残存します。我々の姿を記録したデータも、今のところ確認されていません」
その言葉に、グルグルはハッと我に返った。そうだ、まだ作戦の途中だった。
グルグル「…そうか。35%…。なら、まだ時間はある…!」
リーダーとしての尊厳はズタズタに引き裂かれたが、邪神の部下としての使命感は、まだ死んではいなかった。
グルグル「急ぐぞ!奴らが我に返って、警察にまともな通報をする前に、作戦を完了させる!行くぞ!」
グルグルの号令に、びちゃとミミゴゴが力強く頷く。
3人は、目的の事故現場へと駆け出した。
やがて彼らの眼前に、天の恵みか、高速道路の斜面を転がり落ちてきた、大量のポテトチップスの袋が姿を現した。
グルグル「…あった。我らの、希望のポテチ…!フフフ」
彼は、不敵に笑うのであった。
グルグル「お前ら、しれっと鼻をつまむな」
3人は、それぞれ持ってきたゴミ袋を広げ、夢中でポテチをかき集め始めた。
びちゃ「グルグル!こんなにたくさん!」
剛腕で一度に10袋以上を抱え、台車へと運ぶ。
ミミゴゴ「リーダー。こちらの個体は袋の破損が激しく、パウダーの残存率が低いと予測されます。あちらの茂みの中の未開封品を優先しましょう」
暗視ゴーグルで、効率よく良品だけを選別していく。
グルグルも、必死に袋をゴミ袋へと詰め込んでいく。それは、世界征服を目指す秘密結社の幹部の姿ではなく、スーパーの詰め放題セールに命を懸ける主婦の姿に見える。
やがて、台車の荷台には、彼らの背丈をゆうに超えるほどのポテトチップスの山が築かれた。
グルグル「(やった…!これだけあれば、5キロには届かずとも…!)」
グルグルが勝利を確信した時だった。
ウーーーーーーッ!
すぐ近くで、パトカーのサイレンの音が鳴り響いた。どうやら、高速道路の上ではなく、下の一般道にも警官が巡回に来たらしい。
グルグル「…撤収!撤収だ!」
三人は、今にも崩れ落ちそうなポテチのタワーが乗った台車を、必死に押しながら、夜の闇へと逃げ出す。
ミミゴゴ「リーダー!右折します!」
びちゃ「タイヤが!タイヤが言うことを聞きません!」
グルグル「いいから押せぇぇぇぇぇっ!!」
??「そこまでだ!」
鋭く、そしてひどく疲れたような声が、高架下に響き渡った。
2つの影が、ピタリと動きを止める。グルグルの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
グルグル(終わった…!とうとう捕まるのか…!)
だが、暗がりから現れたのは、警察官ではなかった。
ヨレヨレのトレンチコートを着た、眠そうな目の中年男性。隣で、方位磁石や水晶のような怪しげな道具をいくつもぶら下げた、妙に目のキラキラした若い女性。
男の方が、やれやれといった風に口を開いた。
???(男)「やっと尻尾を掴んだぞ。このルルイエ市で頻発している、連続スナック菓子窃盗団…通称『ポテチ・バンディッツ』!」
グルグル「ぽ、ぽてち…ばんでぃっつ…?」
びちゃ「ださいですぅ」
あまりに情けない組織名を付けられていることに愕然とした。隣の女性が、興奮した様子で男にまくし立てる。
???(女)「乾さん、違います!これはただの窃盗事件ではありません!見てください、このコンソメ味の集積量!これは間違いなく、星辰の配置が乱れる今宵、異界の門を開くための『供物』です!この濃厚な化学調味料こそが、魔力を凝縮させる触媒なのですよ!」
グルグル「それ常識なの!?」
ミミゴゴ「オカルト界隈では、比較的ポピュラーな理論です」
グルグル「そうなの!?」
ミミゴゴの理論と寸分違わぬ(ただし目的は真逆の)指摘に、グルグルの喉がひきつる。
トレンチコートの男――乾は、心底面倒くさそうに頭を掻いた。
乾「月詠くん、俺はオカルトは専門外だ。こいつらがただの変わった泥棒だろうが、邪教の信者だろうが、どっちでもいい。しょっ引くことに変わりはない」
一触即発の空気が流れた、その時だった。
ウーーーーーーッ!
今度こそ、パトカーのサイレンが、すぐそこまで近づいてきていた。
乾「…ちっ、本物が来たか。おい、お前ら!今夜は見逃してやる。だが、顔は覚えたからな!」
2人は、あっという間に闇の中へと消えていった。
グルグル「…なんだよあいつら!」
ミミゴゴ「捕らえますか?」
グルグル「捕らえてどうする!それより本物だ、本物!パトカーが―」
グルグルはそこまで叫んで、ふと口をつぐんだ。
グルグル(…待てよ)
彼の脳裏に、先ほどのやり取りが蘇る。
「ポテチ・バンディッツ」という濡れ衣。そして、ポテチの粉が触媒になることを知っていた、あの女。
グルグル「このままじゃ、俺たちはただのポテチ泥棒だ!それに、あの女のことも気になる。何者なのか、少しでも情報を掴んでおかないと、後々もっと面倒なことになる…!」
びちゃ「流石です。リーダー」
リーダーとしての中間管理職的なリスク管理能力が、彼の恐怖心を上回った。
ミミゴゴ「リーダー、パトカーが接近中です。追跡より離脱を優先すべきです。成功確率は…」
グルグル「いや…追うぞ」
ミミゴゴの冷静な進言を、グルグルは遮った。
ミミゴゴ「正気ですか?」
グルグル「ああ!このままじゃ、俺たちは本物の『ポテチ・バンディッツ』の身代わりにされるかもしれん!そうなる前に、奴らが何者なのか、少しでも情報を掴むんだ!」
びちゃ「僕もポテチ・バンディッツは嫌です」
彼の決意に、ミミゴゴが静かに答える。
ミミゴゴ「…非合理的ですが、リーダーの決定に従います」
グルグル「よし!だが、このポテチの山を持っては追えん…。びちゃ!」
びちゃ「はい!」
グルグル「お前はこのポテチを持って先にアジトへ戻れ!絶対にクー様に見つかるんじゃないぞ!これは最重要ミッションだ!」
びちゃは、自分に重大な任務が与えられたことに目を輝かせた。
びちゃ「はい!このびちゃ、命に代えてもポテチをクー様から隠し通します!」
グルグル「そこまでしなくていい!ミミゴゴ、俺と来い!奴らの痕跡を追うぞ!」
ミミゴゴ「了解。対象の足跡、残留熱、その他微細な痕跡を追跡します」
こうして、世にも奇妙な追跡劇が始まった。
ポテチの山が乗った台車を必死に押してアジトへ急ぐびちゃと、正体不明のオカルト探偵コンビを追うグルグルとミミゴゴ。
彼らの夜は、まだ始まったばかりだった。
(終わり)
(次回予告)
ポテトチップス盗難事件…?ポテチ・バンディッツ…?いつの間にか連続窃盗犯にされていくグルグル達一行
世界の命運を賭けた彼らの作戦は、今、別の事件の容疑者という、新たな理不尽を背負い込むことになったのだった。
次回もお楽しみに!




