我は…動画はもう見ぬ!
グルグル(クー様…)
アジトに、凍りつくような沈黙が落ちている。
クー様『…もうよい』
その沈黙を破ったのは、意外にも、今まで微動だにしなかったクー様だった。
グルグル「へ?」
クー様『サーバーなど、もうよいのだ!我は…動画はもう見ぬ!輪ゴムで蝶々でも作って遊んでおる!』
クー様は、どこからか取り出した輪ゴムを、その巨大な指で不器用にいじり始めた。明らかに、お祖父様(ヨグ=ソトース)の再来を恐れている。
グルグル(クー様が拗ねた…!しかも遊び方が昭和だ…!)
しかし、ミミゴゴが希望を打ち砕く。彼女は鉄棒アンテナをスキャンしながら、冷静に分析結果を告げた。
ミミゴゴ「リーダー、事態は悪化しています。このアンテナは、先ほどの干渉によってヨグ=ソトース様の時空間座標と微弱にリンクしてしまいました。いわば『門』の開きかけの状態です」
グルグル「門だと!?」
ミミゴゴ「放置すれば、このアジトがランダムに異次元と繋がるか、あるいはお祖父様がいつでも来訪できるホットラインと化します」
びちゃ「毎日おじいちゃんが来るんですか!?」
グルグル「地獄過ぎる!」
絶望的な状況。サーバーを直さなければ、アジトが崩壊する。
だが、当のクー様は輪ゴム遊びで現実逃避。
グルグル「…何か、何か方法はないのか、ミミゴゴ…!」
ミミゴゴ「あります。この時空間の歪みを安定させ、なおかつサーバー機能を復旧させるには、極めて強力な『現実歪曲中和剤』が必要です」
グルグル「げんじつわいきょくちゅうわざい…?どこにあるんだそんなもの!」
ミミゴゴ「宇宙の法則を無視するエネルギーを中和するには、この宇宙で最も『人工的』で『俗っぽく』、そして『無意味な情報量』を持つ物質が最適です。つまり…」
ミミゴゴは、クー様が先ほど欲しがっていたポテトチップスの袋を、指先でつまんでみせた。
ミミゴゴ「…現代化学技術の結晶である、この『濃厚コンソメパウダー』です。このパウダーを最低でも5キログラム集め、サーバーの冷却装置に投入すれば、その複雑怪奇な化学構造が、時空の歪みを吸収してくれるでしょう」
グルグル「ポテチの粉が解決策だと!?」
こうして、彼らの次なるミッションが決まった。
『いかにして5キログラムものポテトチップスを(もちろん乏しい経費で)手に入れるか』
なんと世界の命運は、スナック菓子の濃厚なパウダーに託されたのである。
グルグル「工場を襲うか」
グルグルが、低い声で呟いた。その言葉に、びちゃの目がカッと見開かれる。
びちゃ「工場!襲撃!俺、壁、壊せます!」
グルグル「本気にするな!例えだ、例え!」
ミミゴゴ「リーダー。近隣の製菓工場Aの警備システムをハッキングし、生産ラインを一時的に停止させ、5キロのコンソメパウダーを抽出する…というプランですね。リソースとリスクを考慮すると、成功確率は13パーセント。非合理的です」
グルグル「だから例えだと言ってるだろ!」
グルグルは、あまりにも物騒な部下たちの反応に頭を抱えた。
クー様は、お祖父様の来訪以来、サーバーと鉄棒アンテナと輪ゴムを怯えたように遠巻きに眺めている。
グルグル「いいか、よく聞け。問題は、どうやって安く、大量に、コンソメ味のポテトチップスを手に入れるかだ。」
3人は、部屋の隅で輪ゴムをいじっているクー様を盗み見ながら、ひそひそと作戦会議を続ける。
びちゃ「俺が海に潜って、コンソメ味の魚を…」
グルグル「いるかそんなもん!」
ミミゴゴ「私がコンソメパウダーを一から合成します。ただし、触媒として近隣の火山から採取した硫黄が200キロほど必要ですが」
グルグル「もっと現実的な案を出せ!」
ああでもない、こうでもないと議論が紛糾する中、グルグルは記憶を必死に辿っていた。安く、大量に…。業務用の食材を扱う、あの店は…。
グルグル「…あった!『業務用スーパー』だ!」
びちゃ「ぎょうむよう…?」
グルグル「一般人でも、業者向けの価格で大量に商品が買える店だ!そこなら、5キロとは言わずとも、それに近い量のポテチが安く手に入るかもしれん!」
ミミゴゴが、頭部の複眼をカシャカシャと動かして高速で検索する。
ミミゴゴ「…ヒットしました。ここから電車で3駅先に、大型の業務用スーパーが存在します。評価は5段階中4.2。高評価です」
グルグル「よしきた!」
ミミゴゴ「リーダー。1つ、報告があります」
グルグル「なんだ?」
ミミゴゴ「その作戦の成功確率を算出しました。まず前提として、市販のポテトチップスに含まれるパウダーの正確な重量は企業秘密です。よって、塩分含有量などから逆算し、パウダー重量は全体の約3%と仮定します」
グルグル「…何の話だ?」
ミミゴゴ「つまり、一般的な60gの袋から我々が抽出可能な『濃厚コンソメパウダー』は、わずか1.8gです」
グルグル「……少ないな」
ミミゴゴ「はい。そして、我々が必要とする5キログラム…すなわち5000グラムのパウダーを確保するには…」
ミミゴゴは一瞬だけ計算の間を置いた。
ミミゴゴ「…2,778袋のポテトチップスが必要です」
グルグル「に、にせんななひゃく…!?」
グルグルは、生まれて初めて聞くような数字に愕然とした。びちゃは、その数がどれほどのものか分からず、首を傾げている。
びちゃ「2,778袋…。それは、すごい魚、何匹分ですか…?」
ミミゴゴ「質問に意味がありません。さらに報告を続けます。これを1袋120円と仮定した場合の総費用は、約33万円。総重量は167キロと算出されます。現在のアジトの赤字額と輸送手段(台車1台)を考慮すると、購入は物理的にも財政的にも、完全に不可能です」
グルグル「何か…何かセールをしているかもしれないだろう!見切り品とか!訳あり品とか!」
ミミゴゴ「その可能性を考慮します。例えば、一般的な大袋である170gの製品を基準に再計算します」
グルグル「お、おう」
ミミゴゴ「1袋から抽出可能なパウダーは5.1g。5キロのパウダーを確保するために必要となる袋の数は…」
ミミゴゴの複眼が、カチリ、と音を立てたように見えた。
ミミゴゴ「…981袋です」
グルグル「きゅ、きゅうひゃく…!減ったけど…!減ったけど全然ダメだ…!」
びちゃ「2,778よりは、少ない…ですね…?」
ミミゴゴ「仮に大袋の単価が安くとも、総費用は10万円を超え、総重量も160キロを超過します。結論は変わりません。物理的にも財政的にも、完全に不可能です」
グルグルは、膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえ、震える声で呟いた。
グルグル「……もう本当に、工場を襲うしか……」
びちゃ「はい!壁、壊します!」
びちゃはシャドーボクシングをして、やる気を出し始めた。
ミミゴゴ「リーダー。興味深い無線を傍受しました」
今まで黙って情報収集を続けていたミミゴゴが、静かに告げた。彼女の複眼の明滅が、不意に止まる。その冒涜的な頭脳が、直接、空間を飛び交う電波を拾っていた。
グルグル「無線?」
ミミゴゴ「――こちら交通情報センター。午後9時8分現在、大阪府ルルイエ市港区湾岸高速道路、深淵ジャンクション付近にて、積荷の散乱を伴う車両事故が発生…積荷は…ポテトチップスのようなもの…」
ミミゴゴは、まるでラジオのように淡々と、傍受した内容を再生する。
グルグル「……ポテトチップス…だと…?」
ミミゴゴはこくりと頷くと、そのまま10秒ほど沈黙した。彼女の頭部から、ごく微かな演算音が聞こえる。
ミミゴゴ「…計算完了。事故現場は、このアジトから自転車で15分の距離です。現在、警察の現場到着に遅れが出ている模様。散乱した積荷の回収が本格化する前に、我々が介入できるウィンドウは、推定25分。作戦の成功確率は…68パーセント。合理的です」
グルグル「…………」
グルグルは、ゆっくりと立ち上がった。その目は、先ほどまでの絶望とは違う、狂気じみた希望の光にギラついていた。
グルグル「…天啓だ」
彼は、部屋の隅で輪ゴムをいじって拗ねているクー様を一瞥すると、部下たちに力強く命じた。
グルグル「ミミゴゴ、びちゃ!作戦を変更する!これより、我々は神の御心に従い、聖なる供物を『回収』しに向かう!作戦名は――」
グルグル「――『高速道路ポテチ拝借大作戦』だ!」
びちゃ「はい!はいしゃく!」
グルグル「意味は分かってないだろ!よし、行くぞ!」
彼らの動きは早かった。
グルグルはありったけのゴミ袋を掴み、びちゃはアジトの隅に立てかけてあった錆びついた台車を構える。ミミゴゴは、夜間作業用の暗視ゴーグルを目元に装着した。
グルグル「クー様!少しの間、留守にします!!」
クー様『う、うむ…。気をつけて行くのだぞ…?』
クー様の、どこか心配そうな思念を背中に受け、3人は夜のルルイエ市へと飛び出していく。
キィィ…ゴロゴロ…ガタンッ…。
誰もいない住宅街に、今宵もまた、彼らの希望(と絶望)を乗せた台車のきしむ音が、虚しく響き渡るのであった。
(終わり)




