婚約破棄をしたら世界が滅んだ
「リュシエンヌ・ミラボー公爵令嬢! 貴女との婚約をここに破棄する!!」
王太子が高らかにそうのたまった時、この世界の終わりが始まった。
令嬢はぎこちないカーテシーをし、その場を無言で退出する。
そして、あとの時間はもはや、余録でしかなかった。
「なんてことを……なんてことをしてくれたのだ!」
王は一人息子から事後報告の形で婚約破棄のことを聞かされ、その場に崩れ落ちた。
きょとんとしたのは聞かせた王太子である。
「なんてことを、と申されましても。リュシエンヌは勉学も不十分であれば周囲への配慮にも欠けている。センスも今一つで、将来の社交界の中心として流行を引っ張っていくような気概もない。国にとっては百害あって一利もないような王妃候補ではありませんか」
「そうではない……そうではないのだ」
王は弱々しく否定したが、それは王太子による婚約者──元婚約者評、についてではなかった。
確かにミラボー公爵令嬢は、公爵家で蝶よ花よと育てられたからなのか、周囲から見ても不遜で努力を嫌うたちであった。正直、筆頭公爵の令嬢という立場を加味しても、もっと王太子、ひいては王の妃として適格な娘は他にいるだろう。
しかし。
「そなたは……リュシエンヌ嬢について、他に聞かされたことはなかったのか」
「ああ……『神の愛し子』とかいうやつでしょう? それこそ、我が国には不要ではありませんか」
それはリュシエンヌや王太子がまだ赤子だった頃に下された託宣である。
「きちんと調べましたよ。リュシエンヌが生まれたからといって、特に作物の収穫量が増えたとか、民の寿命が伸びただとかいうこともありません。他国との関係も変わらずです。……思うに、リュシエンヌはその怠惰な振る舞いで、生まれた頃にいただいた神のご加護を受ける資格を失ったのでは?」
王は愕然とした。
「そなた、リュシエンヌ嬢が『神の愛し子』であることを、そのように考えておったのか!?」
前々からちょっと残念なところのある息子だとは思っていたが、まさかそんな思い違いをしていたとは。
「何か違いますか? 伝説の、聖女のようなものでしょう?」
「まったく違う!」
その時、王と王太子のいる部屋の扉が乱暴に叩かれた。
「陛下! こちらにおられますか! 火急の報せです!」
この国の最高権力者とその後継が話し合っているのになんという無作法だ、と王太子は憤りかけたが、それを王が押し留めた。
「……来たか……この国は、いや、この世はもうおしまいだ」
報せは国の隅々まで探査している宮廷魔術師の塔からのもので、島国であるこの国の四方から津波が押し寄せているといったものだった。
「なっ……! 早急に手を打たねば」
「もう遅い」
椅子に座り直した王は、卓に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて大きくため息をついた。
「じきに災厄が……どのようなものかは余にもわからんが、あらゆる災厄が国土を襲ってこの国は滅びるであろう」
「……は?」
王太子はうめいた。
「まさか……まさか、それは私がリュシエンヌとの婚約を破棄したからだ、とでもおっしゃいますか?」
「ああ、その通りだ」
王太子の出来は残念ではあったが、ポンコツではなかった。今となってはそのこと自体が残念ではあるが。
「教えてください……『神の愛し子』とは、何なのですか?」
「そのままの意味である。リュシエンヌ嬢は、正真正銘の『神』の『娘』なのだ。この世界の創造神の」
「そうぞうしん……?」
「ああ。この世界ができる前、神の娘がこうおっしゃったらしい。『次は貴族に生まれて王子さまと結婚したいな』」
「……そんな……では私は……」
「世界ができて数百年……もしくは数千年、神々からすれば一瞬の時間であろうが、ようやく用意された『王子さま』というのがそなたのことだったのだ」
「!! どうして、教えてくださらなかったのですか!」
「では聞くが、そなた、『婚約者は創造神の娘御だ。うまく立ち回って愛し、愛されぬとこの世が滅ぶぞ』と聞かされた相手と、まともに交流して関係を築くことができたか?」
「……うっ、それは……」
「そういうことだ……。このことは余を含め、主だった国の王と、我が国の上層部しか知らぬ」
とはいえ、それらの国ももうこの地上にはないかもしれんがな。と国王は自嘲するように笑った。
「……なぜですか。リュシエンヌ……様を裏切ったのは私だけのはず。今からでも、私を贄にでも捧げれば……」
王はため息を付いた。この子の国や民を思う心は本物だったのだ。あとはちょっとだけ、残念でさえなければ……。
「リュシエンヌ様について、先ほど己で申していたことを忘れたのか」
「あっ…………」
彼女は飽きっぽく、努力を嫌い、周囲のことは二の次、三の次である。
「もはや、この世界には見切りをつけて、去っておられるだろうな……」
創造神が国を消そうとしているのがその証拠である。
部屋の窓から、遠く雷鳴が聞こえた。弔鐘であった。
「本当にごめんね、リューちゃん。せっかく用意した王子があんな残念な男だったなんて……」
「もー、いいってばパパ」
どこともつかない空間で、人を、もとい神の娘をもダメにするクッションに寝そべりながら、少女は菓子をつまんでいる。
「カワイイドレス着てきれいなお城も堪能したし。考えてみたら、お妃様になったらもっと忙しくなるだろーし、あのぐらいでやめとくのがちょーどよかったかもよ?」
「リューちゃんがそう言ってくれるなら、いいんだけど……」
「そーそー!」
「……そっか。じゃあ、これからどうする?」
そう言われて、少女は少し考えた。
「…………んー。まずは、おベンキョから解放されたし、しばらくはパパとゆっくりしたいかな〜」
「リューちゃん……!」
「そんで、そのあとはー。あっ、最近マンガで見たジョシコーセーってのになりたいかも!! パジャマパーティーってやつやってみたい!」
「女子高生ね! おっけ〜! 用意しておくね」
幸い、最近潰したばかりの世界ひとつ分のリソースが余っている。
神はにっこりして、愛娘との時間を楽しむため、いそいそと準備を始めた。
本当に致命的な婚約破棄ってなんだろう、と考えてみました。
割と思いつきだけで突っ走った結果がこちらです。