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 思わぬ長話になってしまい、前会長を帰らせるとすでに午後も遅く、クラブ活動の生徒たちもぼちぼち帰り支度を始めるころだった。

 校内での原因不明の自殺。

 しかも生徒会活動が絡んでいるということで、俺にはかなり広い裁量が与えられていた。

 一般の教師たちや校長、教頭を尻目に、校内で自由に調査を進めるところなど、まるでFBI捜査官にでもなった気分だが、今日の仕事はもう切り上げようかと、俺も荷物をまとめ始めたところだったが、不意に気が付いた。


「そうだ。肝心の音楽室を俺はまだ見ていない……」


 たまたま通りかかったのだろう。校長室から廊下へ出てすぐ、俺は女生徒を一人見つけることができた。

 制服をすきなく来て、2本のお下げ髪をたらし、親切そうな顔をしているので、音楽室への道案内を乞うたが、すぐに応じてくれた。

 音楽室は4階にあるから、少し階段を登らなくてはならない。

 その時に俺は話しかけた。


「ねえ君、それはかわいらしい制服だけど、ワンピースというのは珍しいね」


 歩きながらチラリと振り返り、女生徒は答えた。


「素敵な制服だと思います。近隣の学校にも、あまりこういうのはありません」


「だけど洗濯が大変そうだ。特にそのエリとそで口……。全体は紺色なのに、そこだけ白いレースになっている。そこが汚れたら、制服全体をクリーニングに出すのかい?」


 クスリと笑い、女生徒はそでの部分を少し裏返した。


「ここのところは、スナップボタンで取り外しできるようになっているんです。エリも同じです。だから、ここだけ外して洗濯すれば済むんですよ」


「そうか、よく考えてあるのだね」


 そうこうするうちに、俺たちは音楽室に着いた。

 女生徒には礼と別れを言い、俺は一人になった。

 音楽室の中へ足を踏み入れると、想像していた通りの風景が広がっていた。

 机とイスが並び、グランドピアノがでんとすえつけてある。

 黒板には五線譜が引かれ、その上にはベートーベンとか、モーツアルトなどの有名人の肖像画がかかげられている。

 この音楽室の中で、明子がどの場所に座っていたのか、俺はすでに知っていた。

 黒板に向かって左側、窓際で前から2番目の机だ。

 俺はその席に座ってみた。

 あの日の状況に少しでも近づけるため、1枚か2枚だけだが、窓も開けてみた。

 それだけでも、春の夕暮れの気持ちの良い風が室内を満たしてくれる。

 その席に座り、俺は明子の気持ちになってみようとしたが、簡単なことではなかった。

 さっきの女子生徒も言っていたことだが、ワンピースの学校制服というのは珍しい。


「明子はなぜ、それを脱ごうとしたのだろう?」


 最初から疑問に思ってはいたが、実はまだ一度もきちんと考えたことのない点だった。


「なぜ?…… そうか」


 俺は気が付いた。

 上下に分かれていない一続きのワンピースなのだ。

 もしも普通のセーラー服であれば、明子の行動は違っていただろう。

 この学校の制服では、スカートだけを脱ぎ捨てたくても無理だ。ワンピースごと全て脱ぐしかない。

 だから明子は、別に胸や背中を級友たちの前であらわにしたかったわけではないのだ。

 ただ明子は、スカートを脱ぎ捨てたかっただけ。


「ならば、どうしてスカートを脱ぎ捨てたいと?」


 スカートさんなる妖怪は実在しない。それは俺も確信していた。

 しかしそれは、俺が大人だからであって、ここの生徒たちのような若さであれば、違っているかもしれない。

 いや事実、生徒たちの心は半信半疑であろう。


「この音楽室の中で、自分のスカートの中に妖怪が入ってくるのを、明子は突然感じたのだ。それ以前には半信半疑どころか、明子は90パーセント以上、すでに妖怪の存在を疑っていただろう。しかし、残りの10パーセントをまだ無視できないでいる。そこへ……」


 音楽室の中には俺ひとりしかいなかったが、もしも見ている人がいたら、


「あの人は何をしているのだろう?」


 と、いぶかしんだに違いない。

 俺は立ち上がり、自分が座っていたイスを通路へと引き出したのだ。

 それだけではない。

 イスを上下逆さまにし、机の上に乗せて調べ始めたのだ。

 イスを逆さまにし、目を皿のようにして探し求めたが、目的のものを俺はすぐに発見することができた。

 大きなものではない。

 玉のように丸く、直径はせいぜい数センチ。色は薄茶色で、木材に似た色で、まったく目立たない。


「そうか4月か」


 陽気のなせるわざである。明子が飛び降りたのも、春の日差しの明るい日だった。

 俺は見つめ、それをイスの脚から引きはがすことにした。

 こんなものでも、証拠品といえば証拠品だ。

 俺が書き、提出するはずの報告書は、空前絶後の内容となろう。

 しかし事実とは、えてしてそうなのだ。

 カマキリの卵を、読者はご存知であろうか。

 カマキリとは、もちろんあの昆虫である。

 去年の秋の終わりごろ、何かの都合で開け放たれていた窓から風に乗って、カマキリのメスが一匹、この音楽室へと迷い込んだのだろう。

 このメスは卵を持ち、大きな腹をかかえていた。

 そしてその卵を、イスの足に産み付けたのだ。

 それが偶然、黒板に向かって左側、窓際で前から2番目の席だったわけだ。

 想像してみてほしい。

 あなたはまだ世間のことがよく分かっていない16歳で、高等学校という新しい環境へ放り込まれ、しかも思いがけなく生徒会長という大役を任されている。

 それどころかその大役が、スカートさんという得体のしれない妖怪と関わっていると、大真面目な顔で前会長から告げられたのだ。

 しかし数日がたち、生徒会長としての仕事が軌道に乗り始める。

 聡明なあなたは、


『妖怪なんて本当は存在しない。生徒会活動をうまく進めるための方便にすぎないのだわ』


 と結論を出すのだ。

 ところがそんなときに、突然の侵入者だ。

 音楽の授業中、スカートの中へ音もなく忍び込んでくる者がいる。

 本当のところ、侵入者とはカマキリの幼虫にすぎなかった。

 陽気に誘われ、卵からかえり、現れ出たのだろう。

 1匹1匹は、数ミリほどしかない小さなものだ。

 しかしそれが、一度に何百匹もスカートの中へはい上ってくるのを感じたとしたら?

 誰だって叫びだし、スカートを脱ぎ捨てて逃走するだろう。

 事実、明子はそうした。

 ワンピース制服を脱ぎ捨て、この場から逃げ去ろうとした。

 運の悪いことに、明子の席は教室の入口から最も遠いところにあった。

 しかし他にも出口はある。窓だ。

 この陽気で、窓はすべて大きく開かれていた。


「あそこから飛び出せばいい……」


 ただ不幸なのは、いつもの教室とは違って、ここが4階だったことで……。


(終)

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不思議な事に後から、読んですぐは悲劇だけどちょっと間抜けじゃないかなんて思っていたのが段々、小さな傷から亀裂が入るようにそれともメリーさんが自室に迫って来たように?怖くなってきます。のは、それまで存在…
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