外面バッチリ、内心ゲンナリ…うれしくないモテ期に苦笑い
翌朝、ふわりとした羽毛布団から起き上がると、窓越しに柔らかな光が滲んでいた。わたしはゆっくり伸びをしつつ、今日という日の特別さを意識する。メイドたちが準備していた小規模な庭園パーティの日がやってきたのだ。数名の貴族の少年少女が屋敷に招かれ、わたしはその中でホスト役として存在感を示さなければならないらしい。
前回は貴族令嬢たちとのお茶会をなんとか切り抜けたが、今日は少年も混ざるとか。つまり異性がいる。前世では普通に男友達と話していたし、男同士なら言いたいことも気兼ねなく言えた。けれど、今は完全に「女の子」として存在している。周囲からそう扱われるのが当たり前になりつつある世界で、男性とのやりとりはどうなるのか想像がつかない。
「お嬢様、おはようございます。」
いつものノックと共に、マリエとセシルが入室する。朝の挨拶を交わしながら、わたしはまだ心が落ち着かない。「おはよう、マリエ、セシル。」と返しつつ、何か落ち着かないのはこの胸のむずがゆさだろう。異性が来るという事実が、前世男としては別に気にしなかった事態を、今は奇妙な緊張として捉えてしまっている。
(男、それも少年が来るからって、なんで緊張しなきゃいけないんだよ!)
「本日は小さな庭園パーティでございますね、お嬢様。天候も良く、庭園では珍しい花が咲き揃っております。皆さまはお昼過ぎにお見えになる予定です。」
セシルが微笑む。いつもと変わらぬ優雅な朝だ。昨日までの礼儀作法レッスンが響いているのか、わたしは何をするにも「優雅に振る舞わなくては」と気を張っている。
「ありがとう。今日は……ええ、がんばりますわ。」
自然と「…わ」調が出てくる自分が少し怖いが、もう抵抗しても仕方ない。こうなったら、とことんこの世界のルールで戦ってやる。昨日までの苦労も無駄にはしたくない。
朝食を軽く済ませ、メイドたちはわたしに今日の衣装を用意する。薄いクリーム色のドレス、袖口や胸元にほんのり花模様の刺繍があり、堅苦しくないが品の良いデザインだ。さすがパーティ用、とはいえ規模は小さいので過剰な華やかさは必要ないらしい。コルセットも昨日より若干楽なものだが、締め付けは残る。
「お嬢様、とてもお似合いです。今日は緑が映える庭園での催しですから、この淡い色が引き立ちましょう。」
マリエが満足げに頷く。わたしは鏡を覗くと、そこにはすっかり貴族令嬢然とした少女が立っている。前世では到底想像できない姿だが、もう慣れたものだ。足元を揃え、背筋を伸ばし、顎を引く。礼儀作法レッスンの成果が自然に出ているのがわかる。
しばらくして、侍女長からの告げが入る。「お嬢様、本日お越しになるのは、メリッサ様、ルシエラ様など、前にお会いした令嬢方に加え、イザベル様、それからお二方、男爵家と子爵家のご子息でございます。まだ少年と呼べる年頃ですが、将来有望な若君たちと伺っております。」
若君たち、か……。わたしは僅かに息をのむ。男性との社交は初めてではないが、こうして「異性」として意識されるのは初体験に近い。前世男だったころ、女の子にあれこれ意識してもらう側になるなんて考えもしなかった。今度は逆だ。わたしが「女性として」相手に見られる。もはや考えただけで背中がむずむずする。
「お嬢様、ご不安でしたら、わたくしたちがお傍でサポートいたしますよ。今日は大規模ではございませんし、気楽になさって。」
セシルが優しく声をかけてくれる。その言葉に幾分救われる。気楽になれといっても、急に男の子たちに「可憐ですね」とか言われたらどう反応すればいいのか。
(まあ、男だった頃に女の子を褒めるとき、どんな感じだったか思い出せばいいのか?いや、前世でそんな上品な褒め方したことない!)
内心で焦りつつも、表向きは微笑んで「ありがとう、セシル、マリエ。」と言うにとどめる。
お昼前、庭園パーティの準備が整う。小さなテーブルと椅子が並び、果物や軽い菓子、ティーポットが用意されている。花壇には色とりどりの花が咲き、噴水のさやかな水音が心地よい。風は爽やかで、まさにパーティ日和。前世ならこんな場面で「最高だな」と素直に言えたが、今は「まあ、素敵な景色」と言葉を選ぶ。
しばらくして、客人たちが到着の報せ。メイドが告げに来る。「お嬢様、皆さまがお揃いになられました。庭園の東側のパーゴラ付近にお通ししております。」
(パーゴラというのは、公園とかによくある屋根みたいなもの)
わたしはドレスの裾を整え、深呼吸。よし、行こう。足先を揃え、かかとからつま先へ重心移動を意識して、優雅に歩き出す。昨日までの特訓を思い出すたびに、「がんばれ私」と心中で呟く。
パーゴラ周辺に到着すると、そこにはメリッサ、ルシエラ、イザベルら3人の令嬢たちが、わたしを待ち構えていた。「ごきげんよう、エリシア様!」と明るく声をかけてくる。前回お茶会で会った面々がニコニコ笑顔だ。わたしは「ごきげんよう、皆さま。本日はお越しいただきありがとうございますわ。」と柔らかく返す。
そして、その向こうに立つのが二人の少年らしい。歳はわたしと同じか少し上か。片方は茶色い髪を短く整え、端整な顔立ちに爽やかな笑みを浮かべている。もう一方は黒髪で少しシャイな様子を漂わせつつ、礼儀正しく背筋を伸ばしている。
「お初にお目にかかります、エリシア・エイヴンフォード様。」
茶色い髪の少年が一歩前に出て挨拶する。その声は澄んでいる。「わたくしはラファエル・バークスハウン男爵家の次男、ラファエルと申します。お噂はかねがね伺っております。ご回復後、初めてお会いでき光栄です。」
ちなみに、男爵とか子爵とかは爵位の一種だが、この周辺の領主は、みんな独立している。なので、昔、宗主国だったアルセイディア王国に当時与えられた爵位をそのまま名乗っているだけに過ぎない。ということで、ただの名字の一部みたいなものだ(先日、図書館で読んだ知識)。
ラファエルと名乗った少年は、軽く頭を下げ、きちんとした挨拶を交わす。
わたしは微笑んで、「ごきげんよう、ラファエル様。こちらこそ、お目にかかれて光栄ですわ。」と返す。彼は穏やかな笑みを浮かべるが、その視線は明らかに「わたしを女性として」見ている。前世の男としてなら、互いに男同士、もう少しフランクに「よー、元気?」とできただろうに、今はわたしがホスト役の貴族令嬢。こりゃ緊張するしかない。
もう一人の少年、黒髪の彼はやや控えめに一歩進み、「ルイス・グレンフィールド子爵家の三男、ルイスでございます。エリシア様のご快復を聞き、ぜひお会いしたいと……」と、少し頬を染めつつ言葉を紡ぐ。その瞳はわたしに当たり前のように「憧れの令嬢」を映しているように見える。この視線がなんとも言えずむずがゆい。元男としては、「この子、女に興味あるんだな」とか、斜めに受け取ってしまうが、今は私がその“女”だ!
(まだ、少年なのにマセてるなぁー。元男の先輩として応援してやるぞ。ガンバレ少年!)
「あら、ルイス様、ようこそいらしてくださいました。」
必死で語尾を整える。焦れば男言葉が飛び出しそうだけれど、もう慣れたものだ。語尾の「…わ」をつけておけば上品に聞こえる。手元には扇子や手袋はないが、姿勢だけでも優雅さを保つ。足を開かないように注意。
「エリシア様、皆さまお揃いですし、どうぞお席へ。」
メリッサが促す。そこには小さなテーブルと椅子がいくつか並べられ、涼やかな日差しの下でお茶や果物が楽しめるようになっている。わたしは軽く微笑み、「ええ、せっかくですもの、ご一緒に過ごしましょう」と応じる。周りには花が咲き、噴水がささやくように水音を響かせている。恵まれた環境にいるのは変わらないが、今は少年たちの視線が気になってしょうがない。
少年たちは、さりげなくわたしに「こちらへどうぞ」と椅子を勧めてくる。ラファエルはスッと手を椅子の背もたれに添え、わたしが座りやすいよう位置を整える。そんなこと前世でされたことない。男友達同士なら「自分で座れよ」って笑う場面だ。なのに今は「女性扱い」される。悪い気はしないが、妙に恥ずかしい。
「あ、ありがとうございますわ、ラファエル様。」
顔を少し赤らめてしまったかもしれないが、笑みを崩さない。後ろにメリッサたちもいるから、変な態度は取れない。少年が殿方として振る舞い、わたしを優しくエスコートする図は、この世界では普通のことらしい。「女性扱い」というやつだろう。
わたしが座ると、ルイスも微かに頬を染めて「エリシア様、本日はこうしてお話できて嬉しいです」と穏やかに告げる。わたしは「まぁ、嬉しいだなんて、わたくしこそ」と返すが、内心、「正直、男として前世でこんな場面に遭遇したらどう思ったか?」と混乱している。男同士なら「どうも」「よろしく」って軽く済むだろうに、今は形式張ってしまう自分がいる。
果物が振る舞われる。わたしもティーポットを手に取る。前世なら男相手にこんなに緊張しなかったが、今は失敗できない。昨日まで習った礼儀を思い出し、軽やかに茶を注ぐ。指先は花びらを摘むように、視線は相手を見て微笑を絶やさない。殿方たちが「お見事な所作ですね」と感嘆する。これが誉め言葉か。私は、喜んでいいのか、気味悪いのか、両方の気持ちを感じる。
「エリシア様、本当に綺麗な手際で……」
ラファエルが素直な感嘆を漏らす。「まるで絵画から抜け出たようです。」
わたしは「そ、そうですかしら?」と笑みを浮かべる。内心「絵画って…恥ずかしい!」とジタバタしたいが、表情は整えている。顔が熱いのを感じる。殿方に見つめられ、女扱いされると、こんなに赤面するものなのか。まったく慣れないが、今は耐えるしかない。
イザベルが楽しそうにわたしを見ている。「エリシア様、殿方方もあなたの魅力に気づいておられますわ。ほら、ルイス様ったら頬を染めて。」
ルイスは「い、いえ、その…美しい庭園とエリシア様が相まって、ちょっと眩しくて……」とさらに赤面気味。前世男だった自分からすれば、もう茶番めいてる。
だが、ここが異世界で貴族令嬢としての社交場なのだ。変に引くことはできない。
「まぁ、嬉しいことを言ってくださいます……わ。」
苦笑ぎみの微笑みを浮かべつつ、ティーカップを持ち上げ一口飲む。この動作だけでも昨日よりスムーズだ。せめて、動作で取り繕えるのは救いだ。「そういうものなんだ」と割り切れば、あとは演技で乗り切れる。慣れれば、男扱いされるより女扱いされた方が楽な状況だってあるかもしれない。
「エリシア様、この花はなんと仰いますか?」
ルシエラが青い花弁の小さな花を指し示す。わたしは「あれは昨年導入した品種で、魔晶石の加護で青い花を咲かせる‘アクアフルール’とか申しますわ。」と説明する。こうした当たり障りのない話題で緊張を和らげられるのはありがたい。幸い、殿方たちも興味津々で、花や果物の話を振れば、わたしは慣れた対応で応じられる。
とはいえ、時折「女性として憧れを抱くような視線」で見られることに、まだドキリとする。手袋を外す練習を思い出してみる。もしここで手袋を外してみたら、どういう反応を得るのだろう?──いや、止めておこう。そんな高度なテクニックはまだ要らないし、ただでさえ落ち着かないのに、意味不明なメッセージを相手に送ることになる。
少年たちはさほど攻撃的ではなく、素直で礼儀正しい。今のところ大きなトラブルはなさそうだ。わたしは少し安心している。確かに気味が悪い部分もあるが、これはこの世界では当然の価値観だ。女の子はこうして男性に好意的に扱われるもの、という常識。その常識を今すぐ変えられないなら、せめて今日はこれに適応してみよう。
背筋を伸ばし、足を開く衝動を抑え、微笑みと共に軽い会話を展開するわたし。花や果物、美しい青いバラ、甘いお菓子がテーブルを彩る中、貴族の子息たちと令嬢たちとの穏やかな談笑が続く。前世なら「何だこの清らかすぎる空間」と笑い飛ばしそうだが、今ではそれを“優雅な世界”として受け止め、演じている。
「いつかこれも慣れる日が来るのだろうな……」と心中で溜息をつく。苦手意識はあるが、こうして安全に終了すれば、自信にも繋がるかもしれない。問題は今後、もっと積極的な殿方が出てきたり、求婚なんて話になることだ。考えたくないが、避けられないかもしれない。
「エリシア様、こちらのお菓子もとても美味しいですわね。」
ルシエラが菓子を指さし、わたしは軽く相槌。「ええ、当家の料理長が心を込めて作った一品ですわ。」
そういう当たり障りのない会話が続く。ラファエルとルイスは興味深そうに聞き、時折「さすがエリシア様、お目が高い」とか「貴女のセンスは素晴らしい」と言われる。恥ずかしさに身がすくむが、顔には出さない。そう言われて悪い気はしないが、“女として誉められる”ことへの戸惑いは消えない。
(こんな感じで無事終わってくれないかな……大きなトラブル無しでさっさと解散してくれればいいのに。)
内心そう願いつつ、わたしは笑顔でティーカップを持ち上げる。指先は花びらを摘むように、腕は柔らかく肘を張らず、足は揃えたまま、顎を引いて優雅に。もう完全に板についている自分が怖い。
周囲の会話が微笑ましく流れ、庭園パーティは穏やかな雰囲気に包まれる。外には小鳥がさえずり、風が花々を撫で、噴水がささやく。そんな中、わたしは“当たり前のように女性扱い”される状況を受け入れ、戸惑いを胸に抱えながら、それを表に出さずにやり過ごす。
少年たちは悪意があるわけでもなく、ただ貴族社会の常識に従って振る舞っているだけだ。そのことを考えれば、責める気にはなれない。ここで無理して自分の本音をさらけ出すより、今は異性との社交に慣れる練習と思おう。社会がどうであれ、この技術が将来役立つ日もくる。まだ苦い気持ちを拭えないが、今は笑って凌げ。
そうやって自分に言い聞かせ、わたしは再び微笑む。ティーカップに映る自分の顔は紅潮しているが、もう誰も指摘しない。こうして今日も一歩前へ進んだ……気がする。
次はどんな試練が待っているのやら、考えないようにしよう。今は目の前の庭園パーティを軽やかにやり過ごすのみ、だ。
午後の日差しが柔らかく傾き始める中、庭園パーティはゆるやかなペースで続いていた。色鮮やかな花々や噴水の透明な水滴が、まるで舞台のセットのように美しく整っている。わたしは少し背筋を伸ばして椅子に座り、隣席にいるメリッサとルシエラ、向かいのイザベルとも微笑ましい会話を交わす。その横にはラファエル、ルイスといった少年たちが、照れを帯びた視線をこちらに送ってくる。
「エリシア様、この庭園はとても素敵ですね。まるで小さな楽園のようです。」
ラファエルが、恭しく言う。その声には純粋な称賛が混じっている。前世なら、こういう称賛を受けたら「お、おう…ありがとな」くらいで済ませていただろう。だが今は、女言葉で受けるのが当然。
「まぁ、そう仰っていただけるなんて光栄ですわ。わたくしもこの庭園が大好きで、ここで過ごすと心が安らぐんですの。」
自然に返せるようになった自分がいる。昨日までの特訓は無駄ではなかったと感じる。
「そうでしょうとも。青い花も、珍しい果実も、エリシア様のお好みが反映されているのでしょうね。」
ルイスが少し背筋を伸ばして言う。彼の頬はまだ少し赤い。この年頃の少年が異性に少し憧れを抱くのは自然なことかもしれないし、エリシアという存在が“領主家の才気あふれるお嬢様”と噂されれば、彼らが興味を持つのは当然なのだろう。
しかし、わたしにとっては微妙な距離感が辛い。彼らは“殿方”として、わたしを“ご令嬢”として見ている。前世の自分なら、対等に冗談を飛ばして笑い合えたかもしれない相手なのに、今は品定めするような視線、褒めちぎるような言葉が、妙にくすぐったく、恥ずかしく感じる。
「エリシア様、このお菓子はいかがです?先ほどご紹介くださったラズィーナ果実のクリームタルト、ぜひ感想をお聞きしたいのですわ。」
メリッサが話題を振ってくれて助かる。わたしは微笑んで、「では、いただいてみますわ。」と小さなフォークでタルトを切り分け一口食べる。甘酸っぱい味が舌の上でとろけ、自然に「まあ、おいしい!」と声が弾む。すると少年たちが「エリシア様がお喜びなら、このタルトは本物ですね」とか「その笑顔を見るだけで価値があります」なんて言い出す。もう、褒めすぎだろう!
(何なんだ、この女性扱いの洪水は。昔なら『うまいなこれ!』くらいで済ませたのに、今は笑顔と品位が求められ、さらに周囲から賛辞の嵐…慣れないけど、まあ仕方ない。)
内心でため息をつくが、顔はにこやかなまま。「皆さまにもお味見いただきたいですわ。きっとお気に召すと思います。」と会話を転がす。
ラファエルがタルトを一口食べて「本当に甘酸っぱくて素敵な風味ですね」と言い、ルイスも頷く。「エリシア様が紹介された果物のお菓子は特別に感じます。」
殿方2人にここまでチヤホヤされると、やはり赤面せずにはいられない。視線を少し逸らしてしまいそうになるが、そこは踏ん張る。わたしはテーブル上で手を重ね、足を組みたい衝動を必死で抑える。背筋を伸ばして、笑顔、笑顔…。
イザベルが、くすっと笑う。「エリシア様、今日は大人気ですわね。」
その言葉に周囲の令嬢たちもクスクス笑う。軽い冗談めいた空気が流れるが、わたしは「まあ、皆さまがお優しいだけですわ」と穏やかに返すしかない。前世だったら「勘弁してくれよ、そんな褒められ慣れてねぇよ!何も出ないぞ!」と突っ込みたいが、もう無理だ。
やがて、話題は庭園から離れて、最近の読書や音楽の話へ移る。わたしは最近、歴史絵本や童話を読んでいることを明かすと、「歴史絵本を?素敵ですわね、教養もあり、優雅なご趣味です。」とまた褒めが返ってくる。もう褒め殺し状態だ。
ルイスがやや勇気を出したのか、「エリシア様はダンスなどもお得意なのでしょうか。いつか、パーティーでご一緒できる機会があれば…」と小さく切り出す。彼の声は控えめだが、頬は赤く染まり、明らかに「踊りたいなぁ」という下心が見え隠れする。
(うわ、来たよ。ダンスの誘いフラグ?)
前世なら「ダンスとか無理無理。それより飲みに行こうぜ。」と言って逃げただろう。だが、ここではそうはいかない。
わたしはティーカップを持ち直し、落ち着いた声で応じる。「踊りはまだまだ習い始めたばかりですの。上手とは言えませんわ。でも、機会があれば少しずつ練習して、いつかご一緒できれば素敵ですね。」
逃げの一手。謙遜でボヤかしておく。するとルイスは期待したような目を向けるが、強引に迫ってくるわけではない。「そうですか、では機会を楽しみにしております」と控えめに微笑む。
(助かった、深追いはなしね。)
心底ホッとする。もうちょっとでも押してこられたら、正直キツい。まだ異性とダンスなんて考えるだけで恥ずかしい。昨日はティーカップや扇子の扱いで必死だったが、ダンスはまた別の難易度だろう。
足を組む誘惑がまた湧いてきたが、「足を組んじゃダメ」と自分に命令して踏ん張る。こういう時、組んだら確実に「あら?」と指摘されるだろう。
メリッサが話題を変え、「ところで、最近市場で出回る果物の価格が少し上がっていると聞きましたわね。エリシア様、やはり特産品に需要が高まっているのかしら?」と尋ねてくる。
わたしは「あ、はい、そうみたいですわね」と少し戸惑う。市場価格の話なんて、昨日新聞を読んだばかりで知ったばかりだが、ここでは大っぴらに貧富差や経済問題に言及するのは場違いだろう。
こういう話題には、人によっては強い思いがある。意見の違いが、トラブルに発展することもある。ここは、自分の意見は述べないで、知っていることだけ述べるべきだろう。
「どうやら異国からの需要が増えているらしく、それで価格が高騰していると伺っておりますわ。」
無難な回答で逃げる。
ラファエルが興味深そうに、「なるほど、国際的な取引が活発になるのは良いことですが、庶民には手が届かなくなることもあるでしょうか…」と真面目な顔をする。
(あれ、この少年、なかなか賢いじゃないか。前世の自分ならこういう経済トークもガツガツできたかもな…。)
しかし今はあくまでお嬢様として、優雅な場。そこまで深入りせず、「ええ、そうした側面もあるかもしれませんわ。けれど、本日は細かい話より、美味しく果物を楽しむほうがよろしいかと。」と上品に話題を逸らす。
皆もうなずき、「そうですわね、今日は楽しいパーティですもの!」とイザベルが明るく笑う。場が再び和やかさに包まれる。
わたしは再びティーカップに口をつける。この世界の社交では、特に若い少女と少年の集まりであっても、政治や貧富の差を直球で語る場ではないのだろう。
慣れるまで大変だが、これが貴族社会だ。
その後、しばらく菓子と果物を味わいながら、鳥のさえずりをBGMに雑談が続く。ラファエルが「エリシア様、もしお許しをいただければ、次回は当家で作っています蜜酒をお持ちしたいのです。甘くて飲みやすいので、将来お楽しみいただけるかと…」などと提案してくる。
(おいおい、将来飲めるからってお酒を未成年が未成年に贈るのか?)
わたしは「蜜酒ですか、楽しそうですわね。ただ、まだ未成年ですので、もう少し大人になったら是非」と応じる。
(男としてなら、酒談義は気楽だが、ここではわたしが女性で未成年、上品な感じに拒むしかない。成人したら飲んでみるか。ふふ、あれこれ規則が多いなぁ……)
少年たちは積極的にわたしへ話題を振ってくるが、決して押し付けがましくはない。むしろ控えめで、わたしが承諾すれば彼らは嬉しそうに笑い、わたしが曖昧な返事をすれば、強く追求しない。少年少女の微妙な駆け引きだが、わたしはそれを大人の目で見ている気分になる。
(可愛いものだな、この年代の殿方たちは。)
しかし、前世男の自我はギシギシ軋む。「わたしが女扱いされてデレデレされてるなんて…」と思うと、なんともいえない感情が湧く。けれど、今さら男に戻れるわけじゃないし、この世界で生きるにはこうした社交をマスターするしかない。
昨日までの礼儀作法レッスンがなければ、もっとパニックになっていただろう。今は、笑顔と上品な所作で、何とか均衡を保てる。
やがて、時間が進むにつれ、パーティはクライマックスというほどでもないが、話題が一巡して落ち着いてくる。みな菓子や果物を充分味わい、温室で採れたフルーツの話から、最近読んだ軽い童話集の話題や、流行中のリボンの色、彼らが好きなコンサートなどへ話が飛ぶ。前世の自分なら「女子会みたいだな」と思う話題も多いが、今は殿方も交えて楽しんでいる。
彼らも「女性向け」と思われがちな話題を拒否しないし、むしろ合わせてくれる。さすが貴族社会、男女間での嗜好も、ある程度は合わされるのかもしれない。
ルシエラがそっとわたしに耳打ちする。「エリシア様、ラファエル様とルイス様、あなたにとても好印象を持っているようですわ。まるでお姫様を見るような目ね。」
ドキッとする。そんなこと言われたら意識してしまうではないか。わたしは軽く微笑み「ご冗談を」と言うが、頬が熱い。女として見られるどころか、お姫様のように憧れられる?前世なら冗談で済んだが、ここでは本当にそう思われる可能性が高い。
イザベルも、くすっと笑って、「今は穏やかですけれど、年頃になったら、エリシア様に求婚する殿方が列を成すかもしれませんわ。楽しみですね。」
求婚!?また次元の違う話が出てきた。わたしは目を見開き、「そ、そんな、わたくしにはまだ遠い未来ですわ」と必死に笑い飛ばす。でも女子たちの目は「まあ、その日が来たらどうするのかしら?」と面白がっている。
(ひええ…考えたくない。まだこの社会に慣れただけで精一杯なのに。)
少年たちはその会話に気づいていないのか、別の話題で盛り上がっている様子。ラファエルがルイスに、「この庭園、夜はランプを灯して違った表情を見せるらしい」と話している。ルイスは興味深そうに耳を傾ける。「夜に訪れたら、また格別でしょうね。」
わたしは「夜景も素敵ですわ。しかし、皆さまを遅くまでお引き留めできませんので、いつかまた特別な機会に」とやんわりと応じる。夜に男の子を呼ぶなんて今の自分にはハードルが高すぎる。
そうして談笑を続けるうち、そろそろ時間も経ち、パーティはお開きの雰囲気へ移行する。小規模な集まりなので、長居する必要はないのだろう。もう十分、菓子や果物を味わい、軽い社交をこなした。
わたしは心の中でガッツポーズ。「やった、何事もなく終わりそうだ!」と歓喜を噛み締める。
皆が立ち上がる(ここでもわたしは羽が生えたように静かに立ち上がる所作を意識する)、軽く椅子を整え、ラファエルとルイスが名残惜しそうな視線を送る。「エリシア様、本日はいろいろと楽しいお話と美味しいものをありがとうございました。」
ラファエルが挨拶すると、ルイスも緊張した面持ちで「またお会いできる日を楽しみにしております」と告げる。わたしは微笑み、「こちらこそ、素敵な時間を過ごせましたわ。また機会がございましたら、ぜひ。」
言葉遣いもばっちりだ。もう男言葉は頭に浮かんでこないほど自然にこなしている。心中で「まじかよ、自分…。ちょっと、なんか、これはどうかと思う……。男の心は、どこかでちゃんと、とっておかないと……。」と思いつつも、表面は完璧。
メリッサ、ルシエラ、イザベルも「エリシア様、本日は本当に素敵でしたわ。またお話しましょうね。」と名残惜しそうだが、皆それぞれ家がありますし、このまま夕暮れまで引き止めるわけにはいかない。
使用人たちがそっと控えていて、客人たちを玄関ホールへ案内する段取りらしい。わたしは軽くお辞儀し、「お気をつけてお帰りくださいませ。」と丁寧に見送る。ラファエルとルイスは一瞬、もう一言二言言いたそうにしたが、結局「また近いうちに……」と礼儀正しく立ち去る。
(ふう、追いすがられなくてよかった。)
客人が姿を消し、メイドたちが後片付けを始める頃、わたしはようやく長い息を吐く。
「お嬢様、お疲れさまでございました。」
セシルとマリエが微笑みかける。二人とも分かっているのだろう。わたしがいかに神経を使ったかを。こういう理解と気遣いが、とてもありがたい。
「はぁ…終わったわ。」
もうメイドしかいないなら、多少砕けた言い方も大丈夫だろう。とはいえ、今さら完全な男言葉に戻す気は起きない。「マジで疲れた~!」と叫びたい気持ちはあるが、せめて「疲れましたわねえ」と笑うことにする。変な混乱が生じるのも嫌だ。
「皆様、とても楽しんでお帰りになったようですよ。特に殿方のお二人は、エリシア様にとても好印象を抱かれたようで。」
マリエが楽しそうに報告する。嬉しいのか、困るのか、複雑だが、悪い評判よりは遥かにマシだ。
「ええ…そうみたいですわね。なんだか、大人の女性として見られるのがまだ慣れませんわ。」
そう本音を漏らすと、セシルはくすっと笑う。「お嬢様、これが貴族令嬢として当たり前の日々でございます。いずれ慣れてしまうかと存じますわ。」
慣れるかあ、と思うと同時に、昨日までの私が懸命に押し殺していた男言葉の衝動が、もう無意味な抵抗になる気がする。今はもう、社会に適応しないとやっていけないと悟ったからだろう。
確かに、これくらいの規模のパーティであれば、こうして穏やかに終わらせられる。異性から見つめられ、褒められ、慌てることはあっても大災害にはならなかった。
手袋や扇子はなかったが、先日の特訓した所作は役立った。足を組みたい衝動にも打ち勝ったし、男言葉もほとんど出していない。
「エリシア様、本当にご立派でしたわ。」とマリエが微笑む。嬉しい褒め言葉だ。努力が報われている。
わたしは庭園を軽く見渡す。花たちはまだ揺れ、噴水が光を反射している。もう客人はいないこの空間で、ようやくリラックスできる。
「とりあえず、部屋に戻りましょうかしら。少し休みたいわ。」
メイドたちは「かしこまりました」と頷く。足元は少し疲れたが、今度は人の目を気にせず歩ける。もちろん、油断して男言葉全開にはしない。もうそこまで戻れない気がする。良くも悪くも、わたしは変わってきている。
部屋まで戻り、ドレスを軽く直してもらい、椅子に腰掛けてハーブティーを一口。ふう、やっと一人の時間が来たら、思い出す。男だった頃、女性にこんな態度をとったことがあるだろうか。あまりない気がする。軽口ばかりで、気を遣うこともなかった。
あの少年たち、ラファエルやルイスは年齢の割に紳士的で、相手を敬う態度が身についている。貴族社会とはそういうものかもしれないが、彼らなりに頑張っていたのかもしれない。
考えてみれば、こちらも同じだ。女として見られるのが戸惑うが、相手も緊張していたのだろう。結局、同じ緊張感の中で、今日のパーティは成立していたのだ。
「慣れるしかないんでしょうね。」
独り言を漏らす。メイドは退室し、部屋は静かだ。この静寂は安らぎをくれる。
将来、こういう交流はもっと複雑になるだろう。より成熟した殿方がアプローチしてくるかもしれないし、わたし自身も社会問題に取り組む機会が増えるかもしれない。
今日は小さな一歩。異性と対面しても、女性として振る舞い、恥ずかしくなっても表に出さずこなせた。絶望するほどではない。進歩だ。
扇子や手袋、ティーカップの技巧がなければ、もう少し自然体で話せるかもしれないが、今はそれが不可欠な武装だ。人の目が集まる限り、弱みを見せないためにも、この上品な殻をまとわないといけない。
ただ、いつか本当に社会を改善できれば、こんなに息苦しいマナーに縛られないで済むかもしれない。自由な社交ができ、男女の関係ももう少しフランクになるかもしれない。その夢が、今の苦労を支えている。
「……よし、ひとまず今日は成功。」
ハーブティーを飲み干し、カップを置く。微かな音。だいぶ指先の扱いに慣れている証拠だ。
今日、少年たちに視線を向けられ、女性扱いされたときの恥ずかしさは相当だった。でも、それを乗り越えたことで、次はもう少し上手く立ち回れるかもしれない。顔を赤らめるくらいなら愛嬌として受け取られるだろうし、言葉遣いもほぼ完璧になってきた。
外から小鳥のさえずりが微かに聞こえる。あの時、小鳥たちがいる前で考え事をしたことが何度かあったが、今日も彼らは無関心に歌っている。わたしは少し笑ってしまう。
世界はこうして回っているのだ。わたしが戸惑おうが、赤面しようが、誰も気にせず時間は進む。ならば少しずつ慣れるしかない。
「次は、どんな場面で使うかな、あの練習した手袋の外し方とか、扇子の扱いとか……?」
考えると少し憂鬱だが、逆に面白いかもしれない。もし将来、意中でない殿方がしつこく近づいてきたら、扇子を優雅に閉じて距離を示すようなマナーもあると聞いた。マナーは拘束具になる一方、武器にもなる。
時にはチヤホヤされて気恥ずかしいが、わたしは強くなれる。女性として扱われることすら、戦術にできるかもしれない。
「そういえば、メリッサたち、今頃何を話しているかな?わたしがあの殿方二人をどう思っているか、噂にならなければ良いけれど。」
考えると気が抜けないけど、まあ、小規模なパーティだし、そんな大げさな噂にはならないだろう。彼らが年頃になれば、本格的な求婚話も出るかもしれないが、それまではまだ時間がある。
わたしは少し肩の力を抜いて、背もたれにもたれる。コルセットは苦しいが、座るくらいなら我慢できる。
今日は無理せず休もう。大きなトラブルなしで終わったのは収穫だ。恥ずかしくても、赤面しても、何とか笑顔でしのげるとわかった。多少のギシギシした心の軋みは残るが、これも慣れるだろう。
いつか社会を変えて、女性でも自由に言葉遣いを選び、足を組んでも白い目で見られない世の中にしたい。そのとき、この記憶は笑い話になるかもしれない。「昔はこんなに我慢していたんですよ」と。
ティーテーブルを整え、メイドたちが戻ってきて「お嬢様、本日もお疲れでしょう。少し横になられますか?」と尋ねる。
「ええ、そうしますわ。少し休んでから、また夕方に散歩でもしましょうか。」
マリエたちは頷き、ベッドへの支度を手早く整える。わたしは立ち上がり(また優雅に立ち上がる所作を無意識にこなしている!)、ふかふかの寝台へ向かう。
男言葉で「よっこらせ」と言いたくても、もう言わない。そんな必要もない気がしてきた。少し前まで抵抗していたが、慣れると案外すんなり受け入れられるものだ。
シーツの感触を指先で確かめながら、わたしは目を閉じる。今日は男の子たちとまともに会話し、女性として評価されてもパニックにならず済んだ。恥ずかしかったが、致命的な失態はなかった。
背後でメイドが静かに出て行くと、部屋は再び静寂に包まれる。わたしは深呼吸して、今日の出来事を反芻する。
「女性扱い」──今はまだ違和感が強く、心がざわつく。けれど、これも貴族として生きるなら避けられない現実だ。慣れて武器に変えるしかない。
「ああ、疲れたわ……。」
誰もいないから、少し素の声で漏らす。もう男言葉が自然に出なくなっているのが不思議だ。環境が人を変えるとはこういうことかもしれない。
お菓子の食べ過ぎか、ジュースの飲み過ぎか、お腹も少し痛い。慣れない他人と話したせいか、疲れて体もだるい。
わたしは、毛布を軽く引き寄せる。この日の終わりには、またわずかな成長と、恥ずかしさと、決意が混じっていた。
次の試練は何だろう。ドレス試着か、また別のパーティか、求婚めいた話か。何が来ても、もう少し上手くやれそうな気がする。
「まあ、今日はこれで十分。」
そう言い聞かせて、まぶたが重くなる。温かい布団と心地よい疲れに包まれ、思考がゆっくりと遠のく。
小鳥が鳴く遠くの音を耳にしながら、わたしは静かに眠りへと落ちていく。
こうして、初めての挑戦のあった日は終わる。
異性との初顔合わせが無事終わり、女性扱いに赤面しつつも社交をこなしたエリシア。前世男の記憶を抱えながらも、着実にこの世界の社交術を身につけつつある。
恥ずかしさと戸惑いに満ちた庭園パーティは、またひとつ、彼女を成長させたと言えるだろう。
しかし、彼女には、まだまだ試練が待ち構えている。それを知ってか知らずか、異世界の月は、明るく彼女の住む館を照らしていた。
レベルアップしたエリシアは、新しい難関イベントも危なげなくクリア!
しかし、女性扱いをされたエリシアの心はクタクタ。
せっかく、この世界に来たのに、まだまだスローライフ天国は遠い。
しかし、一通りこの貴族令嬢のスキルを身につけたエリシアに、更なる試練が待っている。
次回、第10話「イージーモードだと思った異世界生活、まさかこんなデバフがあるなんて!」