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男の子に褒められ、学者に諭されて、今日もスローライフのはずが働きます!

 朝の光が、わたしのお気に入りの小さなサロンにふわりと差し込む。この部屋は、窓から庭園が見える静かで落ち着いた空間。今日はここで、お茶会を開く日だ。わたしが招いたのは、隣領地の同年代の貴族令嬢メリッサと、子爵家の若君ルイス。ルシエラもラファエルも招いたのだが、二人は予定が合わなかったのが残念だが、3人くらいが、ちょうどいいかもしれない。最近、社会制度やら魔法やら、いろいろ考えて悶々としていたわたしにとって、二人とのお茶会は気分転換と情報収集を兼ねた絶好のチャンスだ。


 メイドたちが準備したティーセットは上品な花柄で統一され、テーブルには甘いお菓子や果物がバランス良く並ぶ。いつもなら緊張する場面だけど、今日はちょっと楽しみ。なぜなら、メリッサは落ち着いた物腰で、歴史や文化に興味を示してくれる知的な子。ルイスはまだ照れ屋な少年っぽさが残るけど、優しくて純粋なところが微笑ましい。


 扉が軽くノックされ、まず入ってきたのはメリッサ。柔らかなミントグリーンのドレスに身を包み、礼儀正しく一礼する。

「エリシア様、こんにちは。本日はお招きありがとうございますわ。」

 彼女の声は澄んでいて、まるで静かな湖面に音が溶けるよう。わたしは笑顔で応じる。

「いえいえ、こちらこそお越しいただけてうれしいですわ、メリッサ様。」


 続いて、少し遅れてルイスが入室。頬がうっすら赤い。あら、なぜか緊張してるようね(いやー、余裕がでてきたな、我ながら)。

「お、おはようございます、エリシア様。ご招待、感謝いたします。」

 彼はぎこちなく笑い、わたしは「どうぞ、楽になさって」と手招きする。


 三人が椅子に腰掛け、メイドが紅茶を注ぐ。湯気と共に甘い香りが広がり、小さなサロンは優雅な空気で満たされる。


 最初はお決まりの話題からスタート。

「最近のドレスの流行、ラベンダー色がトレンドですって。」

 わたしが言うと、メリッサが微笑んで頷く。

「ええ、淡い紫系が注目されていますわね。でもエリシア様には、クリームや柔らかなグリーンもお似合いかと。」

 彼女はわたしを上品に評価してくれる。視線が優しく、さすがセンスの良い子。


「え、エリシア様は何色でもお似合いです!」とルイスが少し慌て気味に挟んでくる。

「先日、パーティーで見たエリシア様のドレス、本当に素敵で…その、見惚れてしまいました。」

 な、なに!? 見惚れたって…そんな直球やめてよ、顔が熱くなる。どう答えればいいの?

「そ、そうですか…ありがとう、ルイス様。」

 わたしはつい視線をテーブルの菓子に落としてしまう。ルイスは照れながらも嬉しそうに微笑む。彼、わたしに淡い恋心を抱いてるっぽい?いやいや、そんな乙女ゲームみたいな展開…でも、乙女ゲーム的な状況ではあるのかもしれない。この世界、転生だし…。考えすぎかもしれないけど、彼の視線が甘くて困る!


 お菓子を摘みながら、わたしたちは軽い雑談を続ける。

「この前の立食パーティーの菓子、とても美味しかったわ。果物の香りが口いっぱいに広がって…」

 わたしがそう語ると、ルイスが目を輝かせる。

「エリシア様が喜ぶものなら、きっと最高級の果物ですね。そんな味…一度は試してみたいな。」

 また少し乙女ゲーム的な空気。彼が嬉しそうなのはいいけど、褒められすぎて心臓が落ち着かない!


 一方メリッサは、わたしとルイスのやり取りをクスリと笑って見ている。まるで「ほほえましいわね」という姉のような雰囲気。彼女は落ち着いていて、少し年上のお姉さんキャラっぽい。わたしも彼女がいるおかげで、ルイスの甘い視線に動揺せずに済む……はずなのだけど。


「エリシア様、そちらのお菓子はいかがかしら?」

 メリッサがわざとらしく微笑み、テーブル上のふわりとしたクリームをのせた焼き菓子を指し示す。わたしは「あ、はい、いただいてみますわ」と素直に手を伸ばす。それは口に入れた瞬間、淡い香りと優しい甘さが広がる逸品だ。

「まあ、美味しい!」

 つい声が弾んでしまう。すると、ルイスが身を乗り出してくる。

「エ、エリシア様、そのお菓子がお気に召されたのですね。わたくしも、同じものを……」

 彼は慌てて同じ菓子を摘み、一口かじって、そして感激したように目を丸くする。

「本当だ!なんて上品な甘さ…」

 その瞬間、まるで「共有した秘密」のような空気が二人の間に流れ、わたしとルイスは顔を見合わせて微笑み合ってしまう。や、やだ、こんな些細なことで顔が熱くなるなんて。

(思い出せ!男の心!)


 メリッサはそれを見て、ちょっと意地悪な笑みを浮かべる。

「ふふ、エリシア様とルイス様、なかなか気が合いますのね。そのお菓子、少し変わったレシピで、香りに重点を置いていると聞きましたわ。お二人とも、繊細な味覚をお持ちなのね。」

 繊細な味覚!前世なら、ただ「うまい」だけで済ませたのに、今は甘さや香りのニュアンスを感じとれる自分がいる。ルイスも「エリシア様と同じ感想を持てた」と嬉しそうだ。彼の瞳はまるで「君と同じ景色を見られて嬉しい」と語っているみたいで、さすがにこっちも動揺する。


「そ、そうですわね。わたし、最近味覚が敏感になった気がします。」

 つい本音を漏らすと、メリッサは笑みを深める。

「うらやましい。それは素敵なことよ、エリシア様。」

 メリッサがわざと妖精みたいな声でそう言うので、わたしは「も、もう」と笑う。だって、彼女、まるで恋のキューピッドみたいな雰囲気じゃない?ルイスが横でなんともいえない幸せそうな顔をしているし。


「エリシア様、もしよければ、この菓子に合うお茶も差し替えましょうか?」

 ルイスは急に立ち上がり、メイドを呼ぼうとする勢いだ。いやいや、そこまでしなくても!

「あ、大丈夫よ、ルイス様。もう十分美味しいお茶がありますし。」

「で、ですが…エリシア様がもっと満足なさるように、他のお茶も試してほしくて…」

 なんて健気な!まるで「君の笑顔のために全力を尽くす」って感じのシチュエーション。こんな甘い雰囲気、一体どう受け止めればいいの?

 (自分が男の頃は、こんな気遣いできなかった。ルイスくん、君はどこでこういうことを学んだんだい?)


「ルイス様、わたくし、すでにとても満足しております。お気遣い、ありがとうございます。」

 そう言うと、彼は顔を赤く染めて俯く。可愛い、ほんと可愛い!わたしの胸が少しキュンとしてしまうじゃない(静まれ!私の中の女性!)。


「まあ、お二人とも、そんなに照れ合ってどうしたの?」

 メリッサはすっかり保護者目線で楽しんでいるみたいだ。彼女は年上として、この甘々な空気を確信犯的に演出してるんじゃないかと疑うほど。わたしが困ったように笑うと、彼女はさらに言葉を重ねる。

「ルイス様、せっかくですから、エリシア様のために、何か心に残る言葉を贈ってはいかが?」

「えっ、そんな、急に!?」

 ルイスがあたふたするのを、メリッサは「冗談よ」と笑いながらも、内心は「さあ、がんばれ」みたいな顔をしている。わたしも「そんな無茶ぶり」と言いたいけど、ちょっと聞いてみたくもある。ルイスがどんな言葉を紡ぐのか…。これ以上甘くなったらどうしよう、でも心はほんのり期待している自分が恥ずかしい。


 ルイスはしばらく口ごもっているけれど、意を決したように顔を上げる。

「その…エリシア様。わたしは、あなたがただ美しいだけでなく、学ぶことに積極的なその姿勢も、心から素晴らしいと思います。あなたの瞳は、知識と好奇心で輝いていて、わたし、その輝きに惹かれずにはいられないんです。あなたと同じ時代に生きられて、幸せです。」

 な、なにこれ、詩人!? 真剣な眼差しでそんなこと言われたら、もう顔から火が出るほど恥ずかしいわ。わたしは言葉を失ってしまう。メリッサが「うふふ」と堪えきれず笑う気配を感じる。


 嬉しいけど困る、この甘さ。このお茶会、こんなに乙女度高くていいの?前世の自分が見たら「マジで?」って呆れるかもしれない。けれど、今のわたしは乙女な身体と五感を持っている。甘い言葉が、心にじんわり染みてくるから怖い。ルイスは本気で言ってるんだろうか?この世間知らずな感じが逆にまっすぐで、嘘じゃないと信じさせる力がある。


「ル、ルイス様…そんな…もったいないお言葉ですわ。」

 やっとのことで返事するが、声が裏返りそうだ。顔が熱くて仕方ない。「領主家の娘だから」「美しいから」なんて表面的な褒めじゃなくて、わたしの内面—学びたい意欲や好奇心—を褒めてくれたことが嬉しい。外見だけなら微妙に困るけど、中身を評価してくれるのは、尊重されてる気がして悪くない。


「まったく、エリシア様とルイス様、これ以上甘くなったら菓子が嫉妬しますわよ。」

 (うまいこというなぁ。)メリッサが楽しげにからかうので、わたしたちは同時に「も、もうやめてください」という視線を彼女に送る。

「ごめんなさい、でも微笑ましいんですもの。」

 彼女は優雅に茶を啜りながら、わたしとルイスを見守っている。その視線は温かくて頼もしい。もしメリッサがいなかったら、わたし多分耐えられなくて逃げ出してたかもしれない。ありがたい「お姉さん」ポジションだ。


 こうして甘い雰囲気はしばらく続く。ルイスは一生懸命わたしのことを気遣い、わたしが一言何か言うたびに「なるほど」「すごいですね」と目を輝かせる。美しいとか素敵とか言われるたび、心臓がドキドキして、口の中に残るお菓子の甘さが倍増する気がする。不覚にも、こんな少年に褒められて、顔が真っ赤になっているかもしれない。

 「はいはい、落ち着いて、ルイス様」

 メリッサが、たしなめると、ルイスも顔を真っ赤にして静かになる。


 少し落ち着きを取り戻したわたしは、自分の考えを述べる。


「それに、わたし気づいたのです。最近、制度や社会のことに興味があるのは、領主家の娘として当然かもしれませんが、こうして他の方に認めていただけると、自信が湧きますわ。」

 そう言うと、メリッサが優しく微笑む。

「ええ、そして貴女が前向きに学び続けるなら、必ずや実を結ぶはず。わたくしも協力しますわ。」

 ルイスも嬉しそうに頷く。

「エリシア様、わたしもお手伝いします!どんな資料が必要でも、父に頼んでみますから!」

 もう、ほんと情熱的。ルイスって行動力もありそうなタイプだわ。頼もしい反面、わたしは女性として扱われていることを改めて意識せざるを得ない。まだ慣れないけど、嬉しい…のかな?


 佳境に差しかかったころ、わたしは意を決して最近の悩みを打ち明ける。

「実は、わたし、最近社会制度や男女格差、魔法の影響なんかを考えてるんです。ヘンでしょうか?領主家の娘なのに、そんな硬い話題…」

 すると、メリッサは即答する。

「いえ、素晴らしいわ。エリシア様ほど博識で好奇心旺盛な方、なかなかいませんもの。正直、尊敬しますわ。」

 尊敬とか言われると、ちょっと嬉しい。わたしは照れくさそうに笑みを浮かべる。するとルイスが勢いよく同意。

「そ、そうですよ!エリシア様は本当に知的で…その…もう、素敵すぎます。」

 彼は頬を染めつつ恥ずかしそうに言う。わわ、また甘い言葉が飛んできた!まるで恋文でも読むみたいな表情じゃない!?


「そ、そんな、博識なんて…わたし、まだ学び始めたばかりですわ。」

 謙遜するけど、メリッサはニコリと微笑む。

「興味を持ち、学ぼうとする姿勢が何より大切なんです。」

 褒められてばかりで恥ずかしいなあ。でも心の中に温かいものが広がっていく。ルイスも、「それに、エリシア様は…あの…本当にお美しい…」なんて小声で言うから、わたしはもうどうしよう。困ったように笑うしかない。


 そんな甘々な空気の中、わたしはやっと本題を出す。

「ところで、社会制度や魔法が影響する仕組みについて、詳しい方をご存じありませんか?なにかお話を聞ける専門家がいらっしゃればいいのですが」

 メリッサが「あ、それなら、魔法学者の先生にお話を聞いたらいかがですか。」と反応し、軽く息をのむ(魔法学者?)。

「確か、ある魔法学者の先生が、この国の歴史と、社会、法制度、魔法技術の発展について研究しているとか。」

 ルイスもうんうんと頷く。「父上がその論文に感心していたと話していました。会いに行く価値があるかもしれませんね。」


 わたしは目を輝かせる。魔法学者に直接会えば、この世界の歪みの根本を理解できるかもしれない!

「行ってみようかな。領主家の娘が勉強熱心でも、誰も止めないでしょう?」

 メリッサが微笑み、「当然ですわ。学者に会うのは勉強の一環。周囲も文句は言いません。」

 ルイスも「きっと貴女の探究心に、周りは目を見張るでしょう。エリシア様、やはり…素敵でお美しい…」

 また最後に美しさアピールか!ルイス様、真っ直ぐすぎる!でも、彼の淡い恋心がひしひしと伝わってきて、わたしは胸がくすぐったい。困るけど、嫌じゃない。でも返し方わかんない!とりあえず微笑むしかない。


 こうしてお茶会は優雅なまま終わる。メリッサは柔らかな笑みを浮かべて帰り、ルイスは何度も振り返りながら扉を出ていく。わたしは「来てくれてありがとう」と見送るが、心臓がバクバクだ。

(甘い雰囲気、ルイスの淡い恋心、メリッサの尊敬…乙女ゲームのヒロインになった気分?)

 ちょっと笑ってしまう。こんな転生ライフも悪くない……、やっぱり納得いかない!少年にモテてどうする!転生前に使わずにとっておいたモテ期がまとめてきているみたいじゃないか!神様のいじわる!遅いよ!(1人生分ほど)


 数日が経ち、わたしはついにあの「魔法学者」に会いに行く日を迎えた。「ツカサ」と名乗っており、この領土の外れに住んでいるという。

アポイントメントを取ろうと思ったが、連絡がつかないそうで、いきなり来訪することにする。われながら、アグレッシブだ。

お茶会の甘い余韻はまだ胸の奥で溶け残っているけれど、今は学びと行動のとき。メリッサとルイスから背中を押され、わたしは領内のはずれにあるという小さな研究所を目指すことにした。ドレスは動きやすい生地を選び、コルセットはゆるめ。馬車で揺られながら、森近くの静かな区画へ向かう。空には薄い雲がかかり、木漏れ日が柔らかく差す道が続く。メイドを伴おうか悩んだが、今回はなるべく自分の足で行くことにした。護衛的に御者は必要だけれど、研究所の中はわたし一人で入るつもりだ。自分で情報を掴むためにも、勇気を出してみよう。


 馬車を降りた場所は、簡素な石造りの建物が一棟あるだけの静かな場所。外観は意外と質素。領主家に訪れる客人が多く華やかな屋敷と比べれば、ずいぶん地味で目立たない。けれど、ここにはきっと知恵と歴史が詰まっているはず。深呼吸して扉を叩くと、しばらくして中から声が聞こえた。


「はい、どなたかな?」

 静かな男性の声。入室の許可を得て木製の扉を押し開けると、そこには中年で不思議な雰囲気を持つ人物が立っていた。無精ヒゲが生え、ちょっと気難しそうな眉間のシワ。でも眼鏡越しの瞳は知的で穏やかだ。


「初めまして。わたくし、エリシア・エイヴンフォードと申します。ここの領主でございます。突然の訪問、失礼いたしますわ。」

 礼を尽くして名乗ると、学者は眼鏡を軽く持ち上げ、ふむ、と頷く。


「ツカサと申します。これはずいぶんお若いご領主ですな。こんな辺境まで、珍しいお客だ。何かご用件かな?」

 (変わった名前だな……)

彼は、こちらが領主と知っても、恐縮することなく静かに答える。

彼は机の上に積まれた古書や、魔晶石を使った不思議な器具を整えながら話す。その部屋はまるで学問の巣窟。難しそうな文字がびっしり詰まった本が並び、薬草のような香りが漂う。確かにここは、時間が止まったような小さな研究所だ。


「わたくし、最近、社会制度や魔法技術がこの国に及ぼした影響について学びたくなりまして。特に、こんなに魔法が便利な世の中になって進歩したのに、その一方で、なぜ制度改革があまり進んでいないのか、その理由を知りたいんですの。噂で、ツカサ先生がそのあたりを研究されているとお聞きしました。」

 言葉を選びつつもストレートに目的を告げると、学者はクスリと笑みを零した。


「なるほど、私のやっていることなどは、マニアックなテーマなのに、領主家の娘さんが興味を持つとは。」

 彼は楽しそうに椅子をすすめてくれる。「どうぞ座りなさい、紅茶でよろしいか?いや、ちょっと苦いハーブ茶もあるけど、どうする?」

 わたしが「紅茶でお願いします」と答えると、彼は手早く小さなカップに紅茶を注いでくれる。意外と気さくな人だ。


「さて、何から話そうかね。君は魔法がこの世界を豊かにしていることは知っているだろう?長距離輸送魔法で物資は潤沢に、治癒魔法で疫病も減り、飢饉もほとんどない。おかげで、人々は大昔よりはるかに快適な暮らしを手に入れた。これ自体は素晴らしいことだ。」

 学者は紅茶を一口啜りながら穏やかに続ける。


「だが、その豊かさと便利さは、必要な努力まで奪ってしまったんだよ。法整備や制度改革は、本来、社会の不満や問題が大きくなったときに『なんとかしないと!』と動く契機になる。だが、魔法がほとんどの不満を軽減してしまう。荷物の流通で困らないから物流規制も緩いまま、治癒魔法があるから医療制度を拡充しなくても死者は減る。食糧生産も魔法で支援できるから農地改革もしなくて済む。」

 彼は書棚に歩み寄り、古い記録らしき本を取り出してパラリと捲る。そこには古代の法典らしき記述がある。


「結果、男女格差も、貴族と庶民の貧富差も、誰も本気で是正しようとしないまま放置されてきた。『困ってないじゃないか、食えるし、死なないし』と簡単に言われてしまう。現状、多少の不平等はあっても、命に関わるほどの危機じゃないから、わざわざ大勢に嫌われるような改革に踏み切る必要を感じないのさ。」

 彼は嘆息する。その顔には皮肉な笑みが浮かんでいる。


「魔法が便利すぎて人間が怠慢になった、ということなんですね……」

 わたしは思わず苦笑する。今まで抱いていた違和感、この世界が豊かでありながら歪んでいる理由が、こんなに単純だったとは。魔法が問題を先送りにし、人々から改革のモチベーションを奪っていたのだ。


「魔法は悪じゃないよ。むしろ、すごい恩恵だ。だが、恩恵が大きすぎると、人は工夫をしなくなるんだ。特に領主たちは、何もせずとも富が転がり込み、大きな不満も起きない。仮に領土が貧しくなっても、自分と一族だけが贅沢をするくらいの富は残る。だから面倒な制度改革に手を出さない。こうして不平等が温存されるわけだ。」

 この言葉に、私は少しだけ肩をすくめる。


「でも、今からでも遅くない、と先ほどおっしゃいましたよね。」

 わたしは少し身を乗り出す。このまま絶望するだけなら、訪問した意味がない。


「もちろんさ。魔法は道具に過ぎない。問題は、そこから一歩踏み出して『じゃあ、もう少し公正な仕組みを作ろう』と考える人間の意思と知恵だ。」

彼は答える。しかし、私に疑問が浮かぶ。

「でも、なぜ、今まで誰も動かなかったのですか。」


 彼は少し間を置いて「動こうとした者もいたが少数だった。先に行ったように、貴族はそんなことしなくても豊かな生活は送れているし、ここまで魔法の恩恵があるのに、制度に手を付けると、その恩恵を失うのではないか、と心配する人もいた。」


 彼は続ける。

「君は領主家の娘だろう?将来、政治や決定権に近づける立場になるはずだ。そのとき、魔法を上手く使って、制度改革を進めればいい。」

 彼はわたしを見据える。その眼差しは穏やかだが、知性の光が宿っている。


「なるほど。魔法を背景に改革を進めれば、抵抗も少なくなるかもしれない。なぜなら豊かさがあるから、みんなが余裕を持って変化を受け入れやすい、ということですね。」

 わたしは納得する。前世では格差是正や平等化は大変な闘いだったと聞くが、ここでは魔法がバックアップしてくれるかもしれない。苦労を和らげるクッションとして魔法を活用すれば、人々が新しい制度に馴染む余裕ができる。


「正解だ。もちろん簡単じゃないが、可能性は大いにある。君がしっかり学び、理論を固め、周囲を説得できるようになれば、魔法を活かした改革で社会をより良くすることも夢じゃない。」

 彼は微笑む。


「ありがとうございます、先生。大変参考になりましたわ。」

 わたしは深くお辞儀をする。これが求めていた答えだ。問題の根本を理解できたことだけでも大きい。そして方法論まで示唆された。今後は勉強を続け、知識を蓄え、やがて実行する力を得る。そのプロセスがわたしの使命になるのだろう。


 わたしは、彼の助言に感謝の言葉を述べ、一礼する。暗闇の中で、灯りを手に入れた気分だ。


 研究所を出ると、森の木々がざわめき、やや冷たい風が頬を撫でる。馬車に戻る足取りは軽い。こんなに多くのヒントを得られるなんて、思ってもみなかった。あの甘いお茶会でルイスとメリッサが背中を押してくれなければ、この訪問はなかったかもしれない。想像すらしていない新しい視界が、いまわたしの前に広がっている。


「魔法があるから、問題を解決しやすい。逆に魔法があるから怠けてた。でも、わたしが何かを変えたいなら、その魔法を逆手に取ればいい。」

 呟きながら馬車に乗り込む。御者に「館まで戻ります」と伝えると、車輪がゆっくり動き出した。


 帰りの道中、わたしは窓の外を眺める。緑豊かな領地、豊かな食糧、美しい屋敷や上品な笑い声。すべてが溢れる恵みの中で、誰も本気で制度改善なんて求めなかった。でもわたしは知ってしまった、不平等と格差は隠れたまま膨らんでいることを。転生して、男女格差や社会の歪みを肌で感じたからこそ、動こうと思える。


「ルイス様はわたしの意欲を美しいと言ってくれた。メリッサは知的な議論を支えてくれる。魔法学者は理論的な裏づけをくれた。これだけ仲間とヒントがあるなら、わたしはやれるはず。」

 前世より条件は良い。私は貴族だし、社会には魔法という強力なアシストがあるなら、公正なルールを実現できるかもしれない。もちろん、わたしはまだ子どもだし、権力も知識も足りない。けれど、勉強し、人脈を築き、少しずつ行動するなら、いつか結果に繋がるだろう。


 屋敷に戻ると、メイドが出迎えてくれる。わたしは冊子を大切に部屋へ持ち込み、ハーブティーを入れて一息つく。カップを傾けながら、甘い香りを吸い込む。この優雅なひとときが、ただの娯楽で終わらない。ここでわたしは、今日の学びをノートに書き留める。学者が語った言葉、魔法の恩恵と制度停滞の皮肉な関係。メリッサとルイスから得た勇気、甘々な賞賛も、わたしを動かす原動力だ。


 「明日からまた勉強しよう。政治の会議を見学させてもらうのも、もうすぐできるはず。今すぐ世界は変わらないけれど、努力を重ねれば、遠い将来、誰もが笑って暮らせる仕組みを作れるかもしれない。」

 そう考えると、わくわくしてしまう。前世では夢物語だったことが、ここでは魔法や仲間のおかげで手が届くかもしれないのだから。男女格差や貧富差に苦しむ人たちを減らせるなら、わたしが、この世界に生まれ変わったことも報われる。まだ足元はおぼつかないが、希望は確かにある。


 わたしはカップを置き、小さく笑う。

「まあ、焦らずのんびりやろう。社会を変えるなんて大げさだし、まずは知識を積むところから。メリッサには次回お会いする時、学んだことを報告したい。ルイス様には、本を借りて研究を深めようかな。」

 想像が広がる。甘い恋心と知的探究心が同居する、なんだか贅沢な青春だ。


「それにしても、ここに来てから、贅沢だけでなく苦労だらけと思ったけど、こうして考えると悪くない。美味しい料理も、美味しいお菓子も、知的な談義も全部手に入るなら、もう文句は言えないわ。」

 心中でそんな冗談を言って、最後にハーブティーを一口啜る。目を閉じれば、魔法学者の穏やかな声が蘇る。

「豊かさが怠惰を生み出し、怠惰が歪みを育む。でも、わたしはその豊かさを使って、歪みを是正できる。」


 わたしは決意を新たに、ペンを手に取りノートに一行書き込む。『魔法を用いた改革の可能性』と題して、アイデアをメモする。何事も記録し、形に残せば、いつか行動する時の道標になるはずだ。


「さあ、がんばろう。いつか皆が笑顔になれるような世界を築いてみせる。」


 ノートを閉じて、ハーブティーの最後の一口を飲み干すと、わたしは小さく息を吐き出した。目線を窓辺へやると、夕陽が机上の紙を橙色に染めている。いい雰囲気、いい紅茶、ふかふかなクッション……こうして見ると、ほんと、ここは理想的な貴族ライフのはずなんだけど。なのに、最近のわたしときたら、社会改革がどうだの、魔法と制度の相関がどうだの、頭が痛くなる話ばっかりじゃない?


 「うーん、前世で異世界転生ものを知っているから、『貴族令嬢になったからにはスローライフだぜ!毎日甘い菓子とお茶を嗜みながら、メイドに囲まれてのんびり暮らす』って、そういうのが王道なはずなんですけどぉ! なんでこんな面倒なことばっかり考えてるの?!」


 思わず声に出して文句を言う。いや、誰もいない部屋だから構わないんだけど、メイドがいたらびっくりするかしらね。せっかく貴族として優雅な転生を果たしたというのに、気がつけば社会制度の問題に首を突っ込んでる。男女格差に貧富の差、魔法の過剰依存やらなんやら、頭がごちゃごちゃになる。もう少し、楽してチヤホヤされるだけで暮らしたかったわよ、わたしは!


「本当、天国みたいなスローライフを願ってたのに! お茶、菓子食べ放題、ごちそうも食べ放題、お酒も飲み放題、大勢の召使いを侍らせて、『今日も平和~、麻呂は満足じゃ』って、それでいいじゃないの~!」


 そう訴えてみても、残念ながら誰も応えてくれない。だけど、わたしはもう知ってしまった。魔法学者の話やメリッサ、ルイスとの対話で、この世界にはまだ隠れた問題がたっぷりある。無視することもできるけど、それは……なんだか悔しい。自分が気づいてしまった問題を、見なかったことにして、ひたすら菓子とお茶で誤魔化して生きるのは、今のわたしにはしんどい。


 「まあ、考えてみれば、ちょっとくらい挑戦がある方が、退屈しなくて済むのかもね。」

 紅茶のカップを揺らしながら、そんな言い訳っぽい慰めを自分に送る。「そうよ、確かに面倒くさいけど、何もしないでダラダラ生きるだけよりは、何かやることがある方が楽しいかもしれないわ。この豊かで魔法が溢れる世界で、難しいパズルを解くように、新しい制度や仕組みを考えてみるのも、ある意味エンターテインメントじゃない?」


 そう自分に言い聞かせると、ちょっとだけ気が楽になる。そもそも、甘いお菓子や美味しいお茶があるんだから、頭を使って疲れたらすぐ癒せる。おまけにルイスが「美しい」とか言ってくれるし、メリッサも知的な相棒になってくれそうだし、また、クレアとも語り合いたい。何より魔法学者がくれたヒントもある。こんな充実した環境、文句を言ったら罰が当たるかも。


 「うん、そうよ。結局、こうやって悩みつつ動けるのも、いいことかもしれない。ちょっとは挑戦した方が、毎日がスパイス効いて面白いってもんよ。もしこの努力が実って、わたしの暮らしはもちろん、他のみんなの日々が今よりちょっぴり良くなるなら、それって最高じゃない?」


 わたしは笑ってカップを置く。「よし、決定!面倒な社会問題も、魔法を活かして攻略してやるんだから!」なんて心中で決め台詞を吐いて、背筋を伸ばす。スローライフ完全満喫ではないけれど、ほどほどに刺激のある新生活も悪くないわけだ。


 部屋には、誰もいない。ただ微かな風がカーテンを揺らし、甘いハーブティーの香りが鼻をくすぐる。わたしはひとり、満足げな笑みを浮かべて、明日の予定を考える。だって、ただのんびり生きるんじゃなくて、「のんびりしながらも変化を目指す」って、すごくかっこいいじゃない?


 本当は今頃、わたしはふかふかのクッションでグダ~っと過ごす予定だったのに!全然予定外ですよ!

 そう心の中で突っ込んで、わたしはふわりとベッドへ身を沈める。ちょっとした愚痴を吐いたら、余計スッキリした。これからも、こんな感じで苦笑しつつ前に進んでいこう。焼きたてパンも美味しいし、甘い菓子もあるし、ごちそうもあるし、そのうちお酒も飲めるようになる(はず)、何より、自分にしかできない挑戦が待っている。


 「よし、面倒だけど、悪くないわ。」

 わたしは枕をギュッと抱きしめ、もう一度小さく笑った。次の朝も、次の月も、きっと面倒ごとだらけ。でも、面倒だからこそ、やる価値があるってことで!


 おしまい

 これまで、エリシアの小さな冒険にお付き合いいただき、ありがとうございます。

 これで、当初、考えていた分はおしまいです。

 実は、小説を投稿するどころか、書くことすら初めてでしたが、最後までなんとか書けたのは、読んでくださった皆様のおかげです。

 読者の皆様と、だれでも小説を投稿できるこのサイトを運営してくださっている方々、そして、執筆開始時から衣服や文化等についてアドバイスをくださった某氏に、感謝申し上げます。


 ありがとうございました。また、機会があれば、どこかでお目にかかりましょう。

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