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 誕生日から三日目の朝。

 ようやく新生エイミーに慣れたのか、マイヤ夫人もメイドも、今朝は大人しくお世話されるエイミーに対して、何もいわなかった。

 エイミーは機嫌よく一階の談話室へ入ると、定位置に着席しているエミリオを見て、思い切って彼の正面に座ってみた。

「お早う」

 笑みかけると、エミリオは少し間をおいてから「お早う」と返してくれた。

 距離の詰め方が露骨過ぎたかもしれない。少々心配になったが、エミリオは特に何もいわなかった。

 今日のメニューは、きつね色のコーンスープに、美しく盛りつけられたポテトスキン。黄金色に焼きあげられたジャガイモの皮のなかに、溶けたチーズ、カリカリのベーコンと新鮮なチャイブが散りばめられ、クリーミーなサワークリームがトッピングされている。食欲をそそる匂いだ。味も美味しくて、朝からもりもり食べてしまった。

 食後の紅茶を飲んでいると、

「いい天気だね」

 エミリオが含みのある笑顔を向けてきたので、エイミーは警戒しつつ、笑み返した。

「そうね、お義兄さま」

「気晴らしに鳥でも撃とうか」

 エミリオはにこやかに提案したが、エイミーは、笑顔のまま凍りついた。

「射撃の準備を」

 エミリオが侍従に命じると、彼は頷いて静かに部屋を辞した。エイミーはまだ返事をしていないのに。

「いこう」

 席を立ったエミリオに見つめられ、エイミーも仕方なく立ちあがった。

 確かにエイミーは射撃が好きだったけれど、笑美は好きじゃない。それに狩場はふたりにとって鬼門だ。一体どういうつもりなのだろう?

 エイミーは、エミリオの後ろを歩きながら、彼の頭上に注目していたが、数字が顕れる気配はない。姿勢のよい背中が、一切の会話を拒んでいるようで、狩場へ向かう間ふたりとも無言だった。

(あーあ……)

 昨日は距離を縮められたと思ったのに……刺々しいエミリオに逆戻りだ。

 狩場に到着すると、周囲に護衛兵がいて、侍従がすでに準備を整えていた。

 鳥籠が幾つも用意され、侍従が両手で鳩を掴んで待機している。狩猟は貴族の嗜みであり、幼少時から射撃の練習をするのは、この国では一般的なことだ。

 かつてはエイミーも狩が好きだった。しかし、今はその行為を残酷に感じてしまう。

「飛ばして!」

 エミリオの号令で、侍従が鳩を放つ。銃声が鳴り、鳥が堕ちる。

「お見事!」

 侍従がほめそやす。エイミーも口元を引きつらせながら、手を叩いた。エミリオはにこやかにエイミーを振り向いた。

「次はエイミーの番だよ」

 侍従が差しだす子供用の猟銃を、エイミーは苦い気持ちで見つめた。

「いいの、私は遠慮しておく」

「どうして? 射撃は好きでしょう?」

「今はあんまり。お義兄さまの射撃を見てる」

 エイミーが一歩引くと、エミリオは侍従の手から猟銃を掴み、エイミーに突きだした。

「遠慮しないで、腕前を見せてよ」

「大した腕じゃないから」

「なら、なおさら練習しておかないと。二度と間違えないように」

 エミリオは、天使のような微笑を浮かべている。菫色の瞳が、冷酷にエイミーを見つめている。

 ――こういう試され方は厭だな。

 苦い思いを噛み締めつつ、エイミーは銃を受け取るしかなかった。

「照準を絞って。よく狙うんだよ」

 エミリオの忠告に、無言で頷く。笑美は銃の扱いを知らないが、エイミーは知っている。躰がちゃんと覚えている。エミリオを誤射したときの、生々しい指の感覚も――

「目の前にきたら、引き金を引いて。心を鎮めて、自分のタイミングで号令をかけるんだ」

 エイミーは雑念を振り払い、ひとつ深呼吸をして、照準を確認すると、

「飛ばして!」

 号令を叫んだ。

 鳩が空に放たれる――照準を絞って引き金を引こうとした瞬間、嫌な記憶がちらついた。そのせいでタイミングを外してしまい、銃声が虚しく響いた。

 大空に羽搏(はばた)いていく鳥を茫然と眺めていると、隣でエミリオが笑った。澄み透った水晶のような笑い声だ。

「空に穴をあけてもしょうがないよ。もっと狙いを絞らないと」

「やっぱり、私には無理みたい」

 苦笑いでエイミーがいうと、エミリオは顔から笑みを消した。

「射撃は続けているんでしょ? 父上からそう聞いているけど」

「いや、まぁ……今日はいいかな」

 歯切れ悪く答えるエイミーを、エミリオはじっと見つめた。

「最初はさ、お前が問題ばかり起こすから、父上は狩を覚えさせたんだよ。我慢させるより、発散させた方が良いといってね」

 エイミーは狼狽えて、思わずしたを向きそうになったが、ぐっとこらえた。顔をあげて、エミリオを正面から見つめ返した。

「もう問題は起こしません。変わりたいの、私……本当に」

「悪いけど、やっぱり、お前が変われるとは思えない」

「え……」

 強張るエイミーを、エミリオは射抜くような目で見つめた。

「昨日よく思い返してみたんだけど、お前に失望した回数は、厳選してなお三回あるんだよね。そのうちの一つは、僕を撃ったことなんだけど」

 息をのむエイミーに、エミリオは続けた。

「あの時お前は、鹿と間違えて僕を撃ったといったよね。百歩譲って見間違えたのだとしても、わざわざ並列化水晶(バベル)の自動安全制御を切っていたのはなんで?」

「それは、本当にごめんなさい。照準するたびに通知が煩くて、つい切ってしまって」

 過去に、何度も説明したことをエイミーは繰り返した。

「まぁ、そう答えるしかないよね。でもさ、何度考えてみても、悪意しか感じられないんだ。あの時お前は、自動安全制御を切っても、まぁいいやって判断したんだよ。隣に父上が寄り添っていて、僕の姿は視界に捉えていない状況を理解しながら。それが無意識なのだとしても」

「違う!」

「自己弁護したいのは判るけど、ただの事実だ」

「違う、違うよ、本当に……っ」

 エイミーは顔を歪めた。本当に誤解なのだ。猜疑心を抱かれても仕方ないが、あれは、エイミーの不注意だった。それ以上でも以下でもなく。

「危ないよ」

 手からすべり落ちそうになった銃を、エミリオが掴んだ。

「あっ、ごめん……」

 銃を掴む手が、小刻みに震えている。その手を見つめながら、エミリオは、ゆっくりくちを開いた。

「……悪いと思うなら、僕の撃ち落とした鳥を拾ってきてくれる?」

「え?」

「あそこに落ちているでしょ? とってきて」

 動けずにいるエイミーに、エミリオはほほえんだ。悪魔めいた微笑だった。

「僕に撃たれそうで怖い? しないよ、そんなこと。エイミーじゃあるまいし」

 冗談めかしてエミリオはいったが、エイミーの胸は抉らるように痛んだ。

「ほら、早く」

 いわれるがまま、エイミーは背を向けて歩き始めた。

 生々しい記憶が蘇ってくる。あの時、黄金の血を流して倒れたエミリオは泣いていた。初めてエミリオの涙を見た。エイミーも泣いていた。本当に間違えたのだ。義父に褒めてほしくて、エミリオに負けたくなくて、ぱっと視界を横切った何かに、鹿と思ったそれに、反射的に引き金をひいてしまった。まさか、撃ち落とした雉を拾おうとしたエミリオだとは思わなかった。わざとではなかった……

 彼が疑うのも無理はない。エイミーは乱暴者で、狩も楽しんでいたから。それでも、エミリオを撃ってしまった時は、エイミーも心底後悔し、打ちひしがれたのだ。

 幸い、この世界の医療は偉大で、エミリオの怪我は綺麗に完治した。義父はともかく、義母はエイミーの悔悟(かいご)を信じてくれたけれど、エミリオには決定的に嫌われてしまった。

 そのあとエイミーはいっそう荒れて、学院を退学になった。

 養親はしばらくエミリオとエイミーを離した方が良いと判断し、エミリオ自身も寄宿舎に移ることを希望したため、彼は六歳にして親元を離れたのだ。

 そしてエイミーは罪悪感を抱きつつ、わざとではなかったことを信じてもらえず、謝罪を聴き容れてもらえないことに、あてつけのように家をでることに、エミリオに対する憎しみを募らせた。

 あの頃が、一番酷かった。

 過去を振り返りながら、エイミーは落ちた鳩を掴み、ゆっくり振り向いた。

 半ば予想していたが、エミリオは猟銃を構えていた。エイミーを照準している。エイミーは本能的な恐怖を堪えて、彼の次にとる行動をじっと待った。

 ほんの二、三秒の沈黙。

 エミリオは、さっと銃口を空に向けた。鋭い音が鳴り響いた。

「ひっ……」

 反射的に防御姿勢をとったエイミーの正面に、鳥が堕ちてきた。エイミーは震える手で鳥を拾い、正面を向いた。エミリオはもう銃をおろしている。不規則な鼓動が落ち着くにつれて、エイミーは腹が立ってきた。

 いくらエイミーが憎いからといって、故意に銃を向けていいはずがない。悪ふざけにもほどがある。肩をいからせ、鳥を掴んだまま歩いていき、エミリオの元に戻ると、ぶっきらぼうに彼に向かって鳥を突きだした。

「はい」

「……どうも」

 エミリオは無表情で鳥を受け取った。

「気が済んだ?」

 エイミーが冷ややかに訊ねると、エミリオの目に、さっと怒りが灯った。

「お前に――」

「こんな風に私を試すのはやめて。二度と銃口を向けないで」

 遮るように告げると、エミリオは眉をひそめた。頭上に数字が顕れる。


 -21%


 またさがった。もう、好感度なんてどうでも良い。

「今までの酷い言動を、お詫びします。お義兄さまを撃ってしまったことも、本当に申し訳なく思っています」

 エイミーは丁寧に頭をさげた。顔をあげると、銀盆を手にとり、上着のなかにしまった。訝しげにこちらを見ているエミリオの前で、両手を広げてみせた。

「決してわざとではなかったけど、痛い思いをしたのはお義兄さまだし……だから、撃って。それで手打ちにして」

 エミリオは絶句した。

 彼がそんな風に凍りつく姿は、初めて見るかもしれない。エイミーは別に、挑発しているつもりはなかった。ただ、今この場で清算したかった。過去の愚かな振る舞いを。あの時撃ってしまったことを、撃たれたエミリオの苦痛を。

 エミリオは銃を握りしめたまま、エイミーをじっと見つめていた。彼の目には混乱と戸惑い、そしてわずかな後悔が浮かんでいる。

「――何をしている!」

 義父の鋭い声に、ふたりとも弾かれた独楽(こま)のように振り向いた。

 鬼の形相で義父が駆けてくる。

 エイミーもエミリオも、色々な意味で「終わった」と思った。姿勢を正して、この後に起こる叱責を覚悟した。

 あっという間に目の前にやってきた義父は、いつもに増して厳しい顔をしていた。義父は、まずエミリオを睥睨した。

「エミリオ、エイミーに銃口を向けたそうだな。弁明はあるか?」

「ありません」

 潔くエミリオが答えると、義父は、エミリオの頬をひっぱたいた。パンッと鋭く乾いた音がして、細い躰はよろめいた。

 隣で見ていたエイミーは、自分が叩かれたわけではないのに、頬がカッと熱くなる錯覚に囚われた。

 射撃をしていた時は勇ましく見えたのに、公爵に比べたら未熟で小さな躰が、今はとても弱々しく見える。

「どんな理由があるにせよ、お前のしたことは卑劣な行為だ」

 エミリオは束の間、悄然(しょうぜん)と項垂れたが、すぐに顔をあげた。頬を押さえもせずに、姿勢を正した。

「はい。申し訳ありませんでした」

 頭をさげるエミリオは、九歳とは思えないほど立派だった。まだ子供なのに、厳しく躾けられた彼の聡明さ、誇り高さにエイミーは胸を打たれ、視界に涙が滲んだ。

「エイミーに謝りなさい」

 びくっとエイミーは怯えた。いえ、私は……と中途半端にいいかけたところで、エミリオがエイミーを見た。

「怖い思いをさせて、ごめんなさい」

 そういってエミリオは、きっちりと手を躰の横に揃えて頭をさげた。

「いえ、こちらこそ……」

 エイミーが震える声で応じると、エミリオはゆっくり顔をあげた。表情は綺麗に消しているが、頭上に顕れる数字を見れば、彼がエイミーをどう思っているかは一目瞭然だった。


 -23%


 ――ああ、判りあえないな……

 彼と良好な関係はもう、諦めるしかないのかもしれない。エイミーはそっと目を伏せた。

「お前は魔導の才に恵まれ、爵位を継ぐ立場もある。人より優秀なのは認める。だからこそ、その力を怒りや憎しみのために使ってはならない。小さな驕りが、取り返しのつかない事態を招くことになる。感情で行動してはいけない。常に己を律しなさい」

「はい」

 エミリオは真剣な表情で返事をした。九歳の息子にかける言葉じゃないな……そう思いながら、エイミーは黙っていた。

 義父の厳しい視線は、次にエイミーに向けられた。内心で身震いしながらも、エイミーは叱責を待った。

「エイミー、お前もだ。エミリオの前で両手を広げていたのは、一体なんの真似だ?」

「え、と……」

「答えなさい」

 エイミーは背筋を伸ばした。

「撃って、といいました。ごめんなさい……申し訳ありませんでした」

 両手を揃えて、頭をさげた。

「顔をあげなさい」

 怖い。恐怖で震えそうになる躰を叱咤して、エイミーは顔をあげた。覚悟を決めて、歯を食いしばった。平手打ちが飛んでくると思ったら、かなり手加減されたげんこつが頭に落ちた。

「ぅっ……」

 反射的に両手で頭を押さえると、公爵はため息をついた。

「あれは皆が心を痛めた、事故だった。怪我をしたエミリオも、引き金を引いたエイミーも、未然に防げなかった私も、妻も、侍従たちも、皆が辛い思いをした。特に幼いお前たちには、辛い思いをさせてしまった……悪かった。教える立場にある、私の責任だ。お前たちのせいじゃない」

 エミリオもエイミーも、沈黙した。公爵がこのように諭すのは、一度や二度ではない。しかし理性と感情は別だ。一番の当事者であるエミリオは特にそうだろう。

「あんなに辛い思いをしたのだから、自ら同じことを繰り返すな。お互いを責めるのはやめなさい」

 エミリオは苦虫を噛み潰したような顔をしている。その頬は少し赤く腫れている。エイミーもげんこつをもらったが、殆ど手加減されていた。こういう理不尽さも、エミリオを追いつめてきたのだろう。

 エイミーは堪らない気持ちになって、エミリオの手をぎゅっと掴んだ。

「ごめんなさい。嫌な思いをさせて、ごめんなさい」

 澄んだ紫色の瞳が、驚いたようにエイミーを見つめ返してきた。

「いや……僕の方こそ……」

 抑揚のない声から、エミリオの心が垣間見えた気がした。きゅっと軽く握り返された瞬間、エイミーの胸は熱くなる。視界が潤みかけて、泣くまいと唇を噛み締めた。

(まだ、諦めなくてもいい?)

 静かに見守っていた義父は、エミリオとエイミーの頭を、ぎこちなく撫でた。

 その瞬間、毅然とした態度でいたエミリオは、形の良い眉を寄せて、涙を堪えるように顔を伏せた。

 エイミーも泣いてしまいそうだった。義父がこんな風に触れてくれることは、めったにない。厳しくも温かな手の感触が、傷ついた心を優しく慰めてくれる。

 エミリオの頭上に光が舞っている。今は、数字の変化に一喜一憂したくなくて、そっと視線を伏せた。

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