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 翌朝も、快晴だった。

 白い積雲(せきうん)が、アイスクリームのように盛りあがり、青空には海鳥が自由に舞っている。

 今日も、()けつくような暑さになりそうだが、家族そろって港町へと繰りだした。

 地元の人と観光客の違いは、混血種(アミー)に限っては一目で判る。長くこの町に暮らす者たちは、陽射しに焼かれた小麦色の肌をしている。対して、白い肌の人々は旅の客。

 そして黄金種(ベルハー)は、いかなる陽射しにも染まらず、まるで砂糖菓子のように白い。

 今日のエイミーは、膝をのぞかせる黄色の衣装を(まと)っていた。腰と肩にひとつずつ、濃紫(こむらさき)の大きな薔薇を飾り、耳には大ぶりの真珠を揺らしている。

 頭には、昼顔と小薔薇をあしらった花冠(かかん)つきの白い麦わら帽子。エミリオから贈られた誕生日プレゼントだ。

 弟のシドニーからも、極楽鳥バード・オブ・パラダイスのピンバッジをもらい、麦わら帽子の片側にきらめく羽のように飾っている。

「似合っているよ」

「姉様、とても素敵です」

 エミリオとシドニーが声をそろえ、褒めてくれる。

「ありがとう、ふたりとも」

 エイミーは笑顔で礼をいった。

 常日頃から貴族令嬢らしからぬ装いをしている自覚はあるが、寛容(かんよう)な家族は(とが)めたりしない。公爵家に引き取られた頃から、素行についてはともかく、恰好については叱られた記憶がなかった。

「この帽子のリボンがかわいいのよね」

 クリーム色の綱飾りが施され、昼顔と薔薇の蕾が連なる花冠(かかん)。あごの下でリボンを蝶結びにしながら、ふと顔をあげると──

 エミリオの頭上に、妖精の粉のような、金の粒子が舞っていた。

 期待して見つめていると、やがて数字に変わった。


 84%


 ──あがっている!

 胸の奥が、ふわっと熱くなる。

 誕生日のジンクスは健在だ。じわじわと喜びがこみあげてきて、頬が緩みそうになり、慌てて(うつむ)いた。

「……エイミー?」

 (いぶか)しげな声に、心臓が小さく跳ねる。視線をあげた時には、もう数字は消えていた。

「なんでもないの」

 恋心に(ふた)をすべきか迷っているくせに、数字があがると嬉しいと思ってしまう。

(……このまま気持ちが育ってしまったら、どうなってしまうのだろう……)

 (かす)かな不安が胸に(きざ)したが、シドニーに手を引かれたことで霧散(むさん)した。

「いきましょう、姉様」

「ええ」

 海辺の町は、陽炎(かげろう)沙膜(ヴェール)をかけたように眩しかった。

 漆喰(しっくい)の家々は色とりどりのパステルに(いろど)られ、窓辺には南国の花が揺れている。

 通りの壁には、陶器の皿がいくつも飾られていた。どれも色鮮やかで、精緻(せいち)な模様の傑作ばかりだ。

 そういえば、昨夜の晩餐でも似たような皿を見た。この地方の伝統的な意匠(いしょう)なのだろう。

 陽光が反射して、皿の模様が壁に舞っている。まるで小さな海の欠片(かけら)が跳ねているようだった。

 昼食は、海辺のレストランでとることになった。

 白いテラス席の向こうには、群青(ぐんじょう)の水平線がゆるやかに伸びている。

 養親はシャンパン、エイミーたちはアルコールなしの炭酸飲料で乾杯した。

 焼きたての胡桃パンをオリーヴ油にひたし、前菜の貝柱のマリネとともに口へ運ぶ。香草を添えた海老のグリル、冷たい檸檬(れもん)のスープ。

 美味しい料理を味わいながら、爽やかな潮の香りを含んだ風に頬を撫でられる。

 遠くから船の汽笛(きてき)がひと声、夏の青を渡ってきた。

 これぞ港町ならではの醍醐味(だいごみ)だ。


 昼食後、家族はふた手に分かれることになった。

 両親とシドニー、そしてエイミーとエミリオ。

 いつもは子供たち三人で行動させられることが多いので、エイミーは少し戸惑いながら義母を見た。

 義母オリヴィアは、繊手(せんしゅ)でつばの広い帽子をそっと押しあげ、光を映した碧眼(へきがん)で、悪戯(いたずら)めいたウィンクをよこした。

「夕方に合流しましょう。ふたりとも、楽しんでいらっしゃい」

(な、なにっ⁉)

 自分の義母なのに、ドキマギしてしまう。彼女の実年齢は四十路過ぎなのだが、黄金種(ベルハー)はいつまでも若くて美しい。

(……お義母さま、どこまで知っているのかしら……気になるけど、聞くのが怖いわ……)

 気まぐれな微笑の裏に、なにか含みがあるような気がするエイミーだが、義母は疑問に答えることなく、義父とシドニーを連れていってしまった。

 残されたふたりは、顔を見あわせた。

 互いの顔に、どうする? と書いてある。

「とりあえず、大通りを歩いてみる?」

 エミリオの提案に、エイミーは笑顔で頷いた。

「いいわ」

 ふたりだけで歩くのは、本当に久しぶりだった。

 最近はいつもシドニーが一緒だったから、エミリオと並ぶと、どうしても意識してしまう。

 すれ違う見知らぬ人ですら、エミリオにぽぅっと見惚れている。なかには二度見して振り向いた挙句(あげく)、後をつけてきそうな人までいる。

(……ちょっと、怖いな)

 エイミーが(うつむ)いて無言になると、エミリオは氷のような冷気を(まと)い、背後をひと睨みした。それで(わずら)わしい気配は消えた。

 彼といると、衆目を集めるのはいつものことだ。 

 そして、いつもにはないぎこちない緊張も、陽光のなかを歩くうちに自然と溶けていった。

 夏の通りは、きらめきと香りの混ざりあう万華鏡(カレイドスコピック)だ。

 そよ風が吹くたびに、海の匂いと焼きたてのパンの香ばしさ、柑橘(かんきつ)の爽やかな香気がゆるやかに流れてくる。

 軽やかな足どりで散策していると、ふと一軒の画廊(がろう)が目に留まった。

 白壁に囲まれた古い建物で、扉は大きく開かれている。

 なかを覗き見ると、壁にかけれた大きなキャンパスに、碧い海と港町の眺望(ちょうぼう)が描かれていた。

「寄っていく?」

 エミリオに訊かれて、エイミーは頷いた。

 どの絵も素晴らしいが、最初に目を引いた、碧い海の絵に心を奪われた。

 立ち止まって見入っていると、隣にエミリオが並んだ。

「気に入ったの?」

「ええ……素敵だと思わない?」

「うん、いい絵だね」

「私、この絵なら何時間でも見ていられるわ……」

 その言葉に、エミリオが小さく笑った。

「エイミーは、感動するのが上手だね」

 笑みを含んだ菫色の(ひとみ)に見つめられ、エイミーの心臓がとくんと脈打った。

 ──なんて澄んだ(ひとみ)なのだろう……

 危うく心を奪われそうになり、慌てて絵に視線を戻す。

「この絵、ほしいわ」

 シルヴァニール邸の談話室に飾りたい。

 皆がよく目にするところにかけておきたい。いつでもこの海を感じられるように。

 そう思って、店員を呼び、値段を訊ねた。思ったよりも手ごろだったので、即座に決めた。

「いただくわ。公爵家に送ってちょうだい」

 ゼラフォンダヤの名を聞いた店員は、一瞬目を(みは)ったが、すぐに表情を整え、(うやうや)しく(こうべ)を垂れた。

 外へでると、通りの喧騒(けんそう)はいっそう濃くなっていた。

 往来(おうらい)は人であふれ、肩が触れあうたびに、海風が香りを変える。

 海と香水、果実と花びら。夏の匂い。その雑踏(ざっとう)のなかで、エミリオとはぐれそうになった瞬間、

「エイミー」

 差し伸べられた手を、反射的に取った。

 指先が触れた瞬間、胸の奥がきゅっと高鳴る。

 手をつないで歩くのは少し気恥ずかしいけれど、迷子になるよりいい。

 この港町は、岩壁に挟まれた細い路地が無数に枝分かれしており、うっかりよそ見をすれば、すぐに見失ってしまいそうだった。

 風雪(ふうせつ)の刻まれた岩壁の小径(こみち)を歩いていると、別の時代に脚を踏み入れたような気がしてくる。

 どこからか、鐘の音が聴こえてくると、本当に時が巻き戻ったような錯覚がした。

(近くに礼拝堂があるのかしら?)

 ほどなくして、拍手と笑い声が湧きあがった。

 導かれるようにその方向へ進むと、白い花で飾られた錬鉄(れんてつ)の門が開かれ、礼拝堂の前で結婚式が行われていた。

 音楽隊が高らかにラッパを吹き鳴らし、参列者たちはいっせいにピンクや白の花びらを浴びせかける。

 花吹雪が舞うなかを、新郎新婦がゆっくりと歩みでてきた。

「おめでとう、どうか幾久しくお幸せに!」

 エイミーも拍手しながら声をかけた。

 視線があった新婦が、(ほころ)ぶように笑みを返してくれる。

 嬉しくなったエイミーは、エミリオの袖を引いて囁いた。

「お義兄さま、〈おめでとう〉って空に文字を描ける?」

「できるよ」

 エミリオは穏やかに頷き、指先で空をなぞる。

 すると、青空に白い雲のような光の筆跡が走り、やがて柔らかな〈おめでとう〉の文字が浮かびあがった。

 その優しい祝福の魔法に、参列者たちは息を呑み──次の瞬間、ワァッ! と大きな歓声が広がった。

 新郎の友人らしき青年が、笑いながら手招きしている。

 ──君たちも、おいで。

 エミリオは一瞬、躊躇(ためら)いがちに足を止めたが、エイミーは笑顔で頷いた。

 夏の陽光と花びらの舞うなか、ふたりは招かれるように歩みでる。

 突然現れた、黄金種(ベルハー)のとびきり美しい少年に、参列者は目を丸くし、賛嘆(さんたん)のため息をもらした。

 だが、先ほどの祝福の魔法を描いた少年だと紹介されると、場の空気が一瞬で和らぎ、温かな笑みと拍手が広がった。

 こうして、初めて出会う人々の結婚式に招かれ、ふたりは直接、お祝いの言葉を贈ることになった。

「「おめでとうございます、幾久しくお幸せに」」

 声をそろえて祝福すると、花嫁はブーケから一輪の花を抜き取り、エイミーの帽子にそっと挿してくれた。

「ありがとう、お嬢様」

 その声音(こわね)は、祝福の鐘と同じくらい澄んでいた。

 果物とジュースをご馳走になり、笑い声と音楽が満ちるなかで、エイミーは幸せそうな花嫁の横顔を見つめていた。

 祝福と、ほんの少しの羨望(せんぼう)が、胸の奥に(にじ)む。

 ──前世では、結婚を約束した男性に裏切られるまでは、笑美もまた幸福の絶頂にいた。

 ウェディングドレスを試着し、白壁に(つた)の這う、個人邸宅のチャペルを下見に訪れた。祭壇のうしろではステンドグラスが輝き、午後の陽光が床に花模様を描いていた。

 ふたりでバージンロードを並んで歩き、彼の手をとって笑いあった。ここで式を挙げようね、と。あの時は、確かにふたりの未来を信じていたのに……

「まさか、他人の結婚式に飛び入り参加するとは思わなかったな」

 エミリオの声に、意識が現在に引き戻された。

「素敵な結婚式ね」

「うん……エイミーの社交力の高さに驚いたよ。初対面の人と、よくあれだけ打ち解けられるね」

「そ、そう?」

 ほほほ、と口元に手をあてる。

 それなりに波乱万丈の人生を経験しているので、今のエイミーは、実年齢よりコミュ力は高いだろう。

「……エイミーは、こういう式に憧れる?」

 窺うような(ひとみ)に見つめられ、エイミーはドキッとした。

(お義兄さまったら、なんて際どい質問をするの? 私が答えを間違えたら、ふたりの関係が変わっちゃうじゃない)

 慎重に、そっと視線を()らした。幸せそうな新婦を眺めるふりをして。

「そうね、いつかは……」

 ほほえんで返した声は、どこか覇気(はき)がなかった。

 笑美の感傷など遠い前世の残響にすぎない。それなのに、どうして今を生きるエイミーに、これほどの影響をもたらすのだろう?

 けれども、祝福のざわめきと熱気が、そんな(かげ)をすぐに溶かしてしまう。

 ここには、ただ幸福だけがあった。

 視界に涙が滲んで、さりげなく指先で(ぬぐ)っていると、気遣わしげな視線を感じた。

「……エイミー?」

「なんでもない。感動しただけ」

 綺麗に折りたたまれた手巾(ハンカチ)をさしだされて、エイミーは礼をいって受け取った。

 ──本当に、なんて美しい結婚式なのかしら……


 やがて陽が傾き、海の向こうに金色の残照(ざんしょう)が沈む頃。

 時計塔のある広場で両親たちと合流したエイミーは、晩餐の席に着いた瞬間、思いがけない光景に息を呑んだ。

「「お誕生日おめでとう!」」

 祝福の声と同時に、夜空が弾けた。

 群青(ぐんじょう)天蓋(てんがい)に、鮮やかな花火が次々と咲いてゆく。

 金、銀、紅、青、白──光の雨が流星のように降りそそぎ、世界が(またた)きのなかに溶けていく。

 星のような浮遊魔導端末(エーテル・ドローン)が飛びたち、夜空のキャンパスに光の筆で文字を描きだした。

〈お誕生日おめでとう、エイミー〉

 (きら)めく文字が星座のように(またた)いて、まるで天そのものが祝福を与えているようだ。

 通りの人々まで足を止め、楽しそうに夜空に手を振っている。

「「おめでとう、エイミー!」」

 見知らぬ人々の声が波のように広がり、その笑顔が旧友のように温かく感じられた。

「こ、これは……」

 嬉しいけれど、恥ずかしくて、頬が燃えるように熱くなる。

 耳まで真っ赤になり、(うつむ)いたまま胸の前で手を組んだ。

「花火は私のアイディアだけれど、浮遊魔導端末(エーテル・ドローン)はリオがいいだしたのよ」

 義母の言葉に、エイミーはぱちりと(またた)き、エミリオを見た。

 彼は少し照れたように目を伏せ、静かに囁いた。

「……結婚式でやったとき、思いついたんだ」

 胸の奥で、何かが小さく弾けた。

「ありがとう、お義兄さま」

 心からの気持ちを告げると、エミリオは頬を染めて、嬉しそうにほほえんだ。

 その笑顔は、花火よりも鮮やかで、どんな夜よりも優しかった。

(……気を遣わせちゃったかな。私が、結婚式で変なふうに泣いたから……優しいのね、お義兄さま)

 胸を打たれていたエイミーだが、彼の頭上にまた、あの光が(またた)くのを見て慌てた。

「お義兄さまっ、もう十分よ! もう……お腹いっぱいだわ!」

 勢い余った声に、エミリオが目を丸くしている。家族も、不思議そうに視線をよこした。

「お腹、空いてないの?」

 エミリオは小首を傾げた。

「い、いえ! お腹はぺこぺこなの!」

 あはは、と笑って誤魔化す。自分でも支離滅裂だと思いながら。

 その間に、エミリオの頭上の光は消えていた。

 ほっとしたような、残念なような……複雑な心境だが、自分がどうしたいかも決められないのに、彼の恋心を知るのは、今日はもうできそうになかった。

 話題はすぐに他のことに移ったが、心臓の鼓動が、まだ跳ねている。

 落ち着かない気分でいたが、海の幸のパエリアが運ばれてくると、いたく食欲を刺激された。

 潮とオリーヴ油が溶けあう(かぐわ)しい香りが立ちのぼり、貝殻のひらく音さえ幸福の調べに聞こえる。

 ほかにも、トマトのミネストローネ、香草をまぶした白身の焼魚、檸檬(れもん)を効かせた冷製パスタ、そして透明なグラスに盛りつけられたグレープ・フルーツのゼリー。

 どれもエイミーの大好物ばかりだ。

 今夜は特別に、シャンパンを一杯だけ許された。

 泡が舌のうえで弾け、金の(きら)めきが喉をすべり落ちていく。

 夜凪(よるなぎ)を迎えた漆黒の海に、鮮やかな花火が咲く。

 光がグラスに映りこみ、星を閉じこめたように(またた)いている。

 胸の奥が、じんわりと熱かった。

 幸せは、きっとこんな風に、静かに、ゆっくりと()みていくものなのだろう。

(……私、幸せだわ)

 そう思った瞬間、世界のすべてが優しく見えた。

 風も、灯も、人の声も──

 そのすべてが、まるで自分を祝福してくれているように感じられる。

 海の彼方(かなた)で、ひときわ大きな花火が打ちあがった。

 ぱっと光の花が咲き、続けざまに新しい花が夜空を(いろど)る。

 幾千(いくせん)の火花が緩やかに落ちていき、静かに、漆黒の鏡めいた海に溶けていった。

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