32
翌朝も、快晴だった。
白い積雲が、アイスクリームのように盛りあがり、青空には海鳥が自由に舞っている。
今日も、灼けつくような暑さになりそうだが、家族そろって港町へと繰りだした。
地元の人と観光客の違いは、混血種に限っては一目で判る。長くこの町に暮らす者たちは、陽射しに焼かれた小麦色の肌をしている。対して、白い肌の人々は旅の客。
そして黄金種は、いかなる陽射しにも染まらず、まるで砂糖菓子のように白い。
今日のエイミーは、膝をのぞかせる黄色の衣装を纏っていた。腰と肩にひとつずつ、濃紫の大きな薔薇を飾り、耳には大ぶりの真珠を揺らしている。
頭には、昼顔と小薔薇をあしらった花冠つきの白い麦わら帽子。エミリオから贈られた誕生日プレゼントだ。
弟のシドニーからも、極楽鳥のピンバッジをもらい、麦わら帽子の片側にきらめく羽のように飾っている。
「似合っているよ」
「姉様、とても素敵です」
エミリオとシドニーが声をそろえ、褒めてくれる。
「ありがとう、ふたりとも」
エイミーは笑顔で礼をいった。
常日頃から貴族令嬢らしからぬ装いをしている自覚はあるが、寛容な家族は咎めたりしない。公爵家に引き取られた頃から、素行についてはともかく、恰好については叱られた記憶がなかった。
「この帽子のリボンがかわいいのよね」
クリーム色の綱飾りが施され、昼顔と薔薇の蕾が連なる花冠。あごの下でリボンを蝶結びにしながら、ふと顔をあげると──
エミリオの頭上に、妖精の粉のような、金の粒子が舞っていた。
期待して見つめていると、やがて数字に変わった。
84%
──あがっている!
胸の奥が、ふわっと熱くなる。
誕生日のジンクスは健在だ。じわじわと喜びがこみあげてきて、頬が緩みそうになり、慌てて俯いた。
「……エイミー?」
訝しげな声に、心臓が小さく跳ねる。視線をあげた時には、もう数字は消えていた。
「なんでもないの」
恋心に蓋をすべきか迷っているくせに、数字があがると嬉しいと思ってしまう。
(……このまま気持ちが育ってしまったら、どうなってしまうのだろう……)
幽かな不安が胸に兆したが、シドニーに手を引かれたことで霧散した。
「いきましょう、姉様」
「ええ」
海辺の町は、陽炎の沙膜をかけたように眩しかった。
漆喰の家々は色とりどりのパステルに彩られ、窓辺には南国の花が揺れている。
通りの壁には、陶器の皿がいくつも飾られていた。どれも色鮮やかで、精緻な模様の傑作ばかりだ。
そういえば、昨夜の晩餐でも似たような皿を見た。この地方の伝統的な意匠なのだろう。
陽光が反射して、皿の模様が壁に舞っている。まるで小さな海の欠片が跳ねているようだった。
昼食は、海辺のレストランでとることになった。
白いテラス席の向こうには、群青の水平線がゆるやかに伸びている。
養親はシャンパン、エイミーたちはアルコールなしの炭酸飲料で乾杯した。
焼きたての胡桃パンをオリーヴ油にひたし、前菜の貝柱のマリネとともに口へ運ぶ。香草を添えた海老のグリル、冷たい檸檬のスープ。
美味しい料理を味わいながら、爽やかな潮の香りを含んだ風に頬を撫でられる。
遠くから船の汽笛がひと声、夏の青を渡ってきた。
これぞ港町ならではの醍醐味だ。
昼食後、家族はふた手に分かれることになった。
両親とシドニー、そしてエイミーとエミリオ。
いつもは子供たち三人で行動させられることが多いので、エイミーは少し戸惑いながら義母を見た。
義母オリヴィアは、繊手でつばの広い帽子をそっと押しあげ、光を映した碧眼で、悪戯めいたウィンクをよこした。
「夕方に合流しましょう。ふたりとも、楽しんでいらっしゃい」
(な、なにっ⁉)
自分の義母なのに、ドキマギしてしまう。彼女の実年齢は四十路過ぎなのだが、黄金種はいつまでも若くて美しい。
(……お義母さま、どこまで知っているのかしら……気になるけど、聞くのが怖いわ……)
気まぐれな微笑の裏に、なにか含みがあるような気がするエイミーだが、義母は疑問に答えることなく、義父とシドニーを連れていってしまった。
残されたふたりは、顔を見あわせた。
互いの顔に、どうする? と書いてある。
「とりあえず、大通りを歩いてみる?」
エミリオの提案に、エイミーは笑顔で頷いた。
「いいわ」
ふたりだけで歩くのは、本当に久しぶりだった。
最近はいつもシドニーが一緒だったから、エミリオと並ぶと、どうしても意識してしまう。
すれ違う見知らぬ人ですら、エミリオにぽぅっと見惚れている。なかには二度見して振り向いた挙句、後をつけてきそうな人までいる。
(……ちょっと、怖いな)
エイミーが俯いて無言になると、エミリオは氷のような冷気を纏い、背後をひと睨みした。それで煩わしい気配は消えた。
彼といると、衆目を集めるのはいつものことだ。
そして、いつもにはないぎこちない緊張も、陽光のなかを歩くうちに自然と溶けていった。
夏の通りは、きらめきと香りの混ざりあう万華鏡だ。
そよ風が吹くたびに、海の匂いと焼きたてのパンの香ばしさ、柑橘の爽やかな香気がゆるやかに流れてくる。
軽やかな足どりで散策していると、ふと一軒の画廊が目に留まった。
白壁に囲まれた古い建物で、扉は大きく開かれている。
なかを覗き見ると、壁にかけれた大きなキャンパスに、碧い海と港町の眺望が描かれていた。
「寄っていく?」
エミリオに訊かれて、エイミーは頷いた。
どの絵も素晴らしいが、最初に目を引いた、碧い海の絵に心を奪われた。
立ち止まって見入っていると、隣にエミリオが並んだ。
「気に入ったの?」
「ええ……素敵だと思わない?」
「うん、いい絵だね」
「私、この絵なら何時間でも見ていられるわ……」
その言葉に、エミリオが小さく笑った。
「エイミーは、感動するのが上手だね」
笑みを含んだ菫色の瞳に見つめられ、エイミーの心臓がとくんと脈打った。
──なんて澄んだ瞳なのだろう……
危うく心を奪われそうになり、慌てて絵に視線を戻す。
「この絵、ほしいわ」
シルヴァニール邸の談話室に飾りたい。
皆がよく目にするところにかけておきたい。いつでもこの海を感じられるように。
そう思って、店員を呼び、値段を訊ねた。思ったよりも手ごろだったので、即座に決めた。
「いただくわ。公爵家に送ってちょうだい」
ゼラフォンダヤの名を聞いた店員は、一瞬目を瞠ったが、すぐに表情を整え、恭しく頭を垂れた。
外へでると、通りの喧騒はいっそう濃くなっていた。
往来は人であふれ、肩が触れあうたびに、海風が香りを変える。
海と香水、果実と花びら。夏の匂い。その雑踏のなかで、エミリオとはぐれそうになった瞬間、
「エイミー」
差し伸べられた手を、反射的に取った。
指先が触れた瞬間、胸の奥がきゅっと高鳴る。
手をつないで歩くのは少し気恥ずかしいけれど、迷子になるよりいい。
この港町は、岩壁に挟まれた細い路地が無数に枝分かれしており、うっかりよそ見をすれば、すぐに見失ってしまいそうだった。
風雪の刻まれた岩壁の小径を歩いていると、別の時代に脚を踏み入れたような気がしてくる。
どこからか、鐘の音が聴こえてくると、本当に時が巻き戻ったような錯覚がした。
(近くに礼拝堂があるのかしら?)
ほどなくして、拍手と笑い声が湧きあがった。
導かれるようにその方向へ進むと、白い花で飾られた錬鉄の門が開かれ、礼拝堂の前で結婚式が行われていた。
音楽隊が高らかにラッパを吹き鳴らし、参列者たちはいっせいにピンクや白の花びらを浴びせかける。
花吹雪が舞うなかを、新郎新婦がゆっくりと歩みでてきた。
「おめでとう、どうか幾久しくお幸せに!」
エイミーも拍手しながら声をかけた。
視線があった新婦が、綻ぶように笑みを返してくれる。
嬉しくなったエイミーは、エミリオの袖を引いて囁いた。
「お義兄さま、〈おめでとう〉って空に文字を描ける?」
「できるよ」
エミリオは穏やかに頷き、指先で空をなぞる。
すると、青空に白い雲のような光の筆跡が走り、やがて柔らかな〈おめでとう〉の文字が浮かびあがった。
その優しい祝福の魔法に、参列者たちは息を呑み──次の瞬間、ワァッ! と大きな歓声が広がった。
新郎の友人らしき青年が、笑いながら手招きしている。
──君たちも、おいで。
エミリオは一瞬、躊躇いがちに足を止めたが、エイミーは笑顔で頷いた。
夏の陽光と花びらの舞うなか、ふたりは招かれるように歩みでる。
突然現れた、黄金種のとびきり美しい少年に、参列者は目を丸くし、賛嘆のため息をもらした。
だが、先ほどの祝福の魔法を描いた少年だと紹介されると、場の空気が一瞬で和らぎ、温かな笑みと拍手が広がった。
こうして、初めて出会う人々の結婚式に招かれ、ふたりは直接、お祝いの言葉を贈ることになった。
「「おめでとうございます、幾久しくお幸せに」」
声をそろえて祝福すると、花嫁はブーケから一輪の花を抜き取り、エイミーの帽子にそっと挿してくれた。
「ありがとう、お嬢様」
その声音は、祝福の鐘と同じくらい澄んでいた。
果物とジュースをご馳走になり、笑い声と音楽が満ちるなかで、エイミーは幸せそうな花嫁の横顔を見つめていた。
祝福と、ほんの少しの羨望が、胸の奥に滲む。
──前世では、結婚を約束した男性に裏切られるまでは、笑美もまた幸福の絶頂にいた。
ウェディングドレスを試着し、白壁に蔦の這う、個人邸宅のチャペルを下見に訪れた。祭壇のうしろではステンドグラスが輝き、午後の陽光が床に花模様を描いていた。
ふたりでバージンロードを並んで歩き、彼の手をとって笑いあった。ここで式を挙げようね、と。あの時は、確かにふたりの未来を信じていたのに……
「まさか、他人の結婚式に飛び入り参加するとは思わなかったな」
エミリオの声に、意識が現在に引き戻された。
「素敵な結婚式ね」
「うん……エイミーの社交力の高さに驚いたよ。初対面の人と、よくあれだけ打ち解けられるね」
「そ、そう?」
ほほほ、と口元に手をあてる。
それなりに波乱万丈の人生を経験しているので、今のエイミーは、実年齢よりコミュ力は高いだろう。
「……エイミーは、こういう式に憧れる?」
窺うような瞳に見つめられ、エイミーはドキッとした。
(お義兄さまったら、なんて際どい質問をするの? 私が答えを間違えたら、ふたりの関係が変わっちゃうじゃない)
慎重に、そっと視線を逸らした。幸せそうな新婦を眺めるふりをして。
「そうね、いつかは……」
ほほえんで返した声は、どこか覇気がなかった。
笑美の感傷など遠い前世の残響にすぎない。それなのに、どうして今を生きるエイミーに、これほどの影響をもたらすのだろう?
けれども、祝福のざわめきと熱気が、そんな翳をすぐに溶かしてしまう。
ここには、ただ幸福だけがあった。
視界に涙が滲んで、さりげなく指先で拭っていると、気遣わしげな視線を感じた。
「……エイミー?」
「なんでもない。感動しただけ」
綺麗に折りたたまれた手巾をさしだされて、エイミーは礼をいって受け取った。
──本当に、なんて美しい結婚式なのかしら……
やがて陽が傾き、海の向こうに金色の残照が沈む頃。
時計塔のある広場で両親たちと合流したエイミーは、晩餐の席に着いた瞬間、思いがけない光景に息を呑んだ。
「「お誕生日おめでとう!」」
祝福の声と同時に、夜空が弾けた。
群青の天蓋に、鮮やかな花火が次々と咲いてゆく。
金、銀、紅、青、白──光の雨が流星のように降りそそぎ、世界が瞬きのなかに溶けていく。
星のような浮遊魔導端末が飛びたち、夜空のキャンパスに光の筆で文字を描きだした。
〈お誕生日おめでとう、エイミー〉
煌めく文字が星座のように瞬いて、まるで天そのものが祝福を与えているようだ。
通りの人々まで足を止め、楽しそうに夜空に手を振っている。
「「おめでとう、エイミー!」」
見知らぬ人々の声が波のように広がり、その笑顔が旧友のように温かく感じられた。
「こ、これは……」
嬉しいけれど、恥ずかしくて、頬が燃えるように熱くなる。
耳まで真っ赤になり、俯いたまま胸の前で手を組んだ。
「花火は私のアイディアだけれど、浮遊魔導端末はリオがいいだしたのよ」
義母の言葉に、エイミーはぱちりと瞬き、エミリオを見た。
彼は少し照れたように目を伏せ、静かに囁いた。
「……結婚式でやったとき、思いついたんだ」
胸の奥で、何かが小さく弾けた。
「ありがとう、お義兄さま」
心からの気持ちを告げると、エミリオは頬を染めて、嬉しそうにほほえんだ。
その笑顔は、花火よりも鮮やかで、どんな夜よりも優しかった。
(……気を遣わせちゃったかな。私が、結婚式で変なふうに泣いたから……優しいのね、お義兄さま)
胸を打たれていたエイミーだが、彼の頭上にまた、あの光が瞬くのを見て慌てた。
「お義兄さまっ、もう十分よ! もう……お腹いっぱいだわ!」
勢い余った声に、エミリオが目を丸くしている。家族も、不思議そうに視線をよこした。
「お腹、空いてないの?」
エミリオは小首を傾げた。
「い、いえ! お腹はぺこぺこなの!」
あはは、と笑って誤魔化す。自分でも支離滅裂だと思いながら。
その間に、エミリオの頭上の光は消えていた。
ほっとしたような、残念なような……複雑な心境だが、自分がどうしたいかも決められないのに、彼の恋心を知るのは、今日はもうできそうになかった。
話題はすぐに他のことに移ったが、心臓の鼓動が、まだ跳ねている。
落ち着かない気分でいたが、海の幸のパエリアが運ばれてくると、いたく食欲を刺激された。
潮とオリーヴ油が溶けあう芳しい香りが立ちのぼり、貝殻のひらく音さえ幸福の調べに聞こえる。
ほかにも、トマトのミネストローネ、香草をまぶした白身の焼魚、檸檬を効かせた冷製パスタ、そして透明なグラスに盛りつけられたグレープ・フルーツのゼリー。
どれもエイミーの大好物ばかりだ。
今夜は特別に、シャンパンを一杯だけ許された。
泡が舌のうえで弾け、金の煌めきが喉をすべり落ちていく。
夜凪を迎えた漆黒の海に、鮮やかな花火が咲く。
光がグラスに映りこみ、星を閉じこめたように瞬いている。
胸の奥が、じんわりと熱かった。
幸せは、きっとこんな風に、静かに、ゆっくりと沁みていくものなのだろう。
(……私、幸せだわ)
そう思った瞬間、世界のすべてが優しく見えた。
風も、灯も、人の声も──
そのすべてが、まるで自分を祝福してくれているように感じられる。
海の彼方で、ひときわ大きな花火が打ちあがった。
ぱっと光の花が咲き、続けざまに新しい花が夜空を彩る。
幾千の火花が緩やかに落ちていき、静かに、漆黒の鏡めいた海に溶けていった。




