表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/34

26

 翌朝。

 深い静寂(しじま)の底から、水面へ浮かびあがるように目が醒めた。

 熟睡の後のこころよさが、四肢に満ちていた。

 談話室へ入ると、すでにシドニーが着席していて、朝の挨拶を交わした。間もなくエイミーも姿を見せると、三人は同じ卓を囲んだ。

 エイミーが昨夜見た夢を話題にし、シドニーが楽しそうに感想を返している。エミリオも相槌をはさみ、笑いが起こる。

 紅茶の芳香が薄靄のように漂い、静かな朝に小さな祝福をもたらしていた。

「姉様、いってきます」

 最初に席を立ったシドニーは、座っているエイミーに近づき、彼女の頬にキスをした。

「いってらっしゃい」

 エイミーもまた頬にくちづけを返し、ほほえんだ。

「兄様、お先に失礼します」

 シドニーはエミリオへも微笑を投げかける。

 ふたりの親密なやりとりに内心で驚きつつ、エミリオは「気をつけて」と言葉をかけてやった。

(僕も席を立ったら、キスをしてもらえるのか?)

 そんな淡い期待を胸に、立ちあがってみたが──エイミーは椅子に腰をかけたまま、ただ柔らかくほほえんだ。

「いってらっしゃい、お義兄さま」

「……いってきます」

(……なんだ、してくれないのか)

 落胆めいた感情を覚えながら、使用人が開いた扉を通り抜ける。玄関に向かって歩みだした足が、ふと止まった。

(してくれないのか、って……なんだ? 僕は、キスしてほしかったのか?)

 頭蓋を殴られたような衝撃が(はし)った。

 しばらく動揺していたが、翔環(ポータル)を通って魔導光学部の扉を開く頃には、それほど疚しいことではないと自分にいい聞かせることができた。

 ──血縁を越えて育まれる情、親愛の情の範疇だ。家族に優しくされたいと思うのは、何も変なことではないだろう。

 研究室の床に刻まれた滅菌円陣に立つと、仄青い光に包まれた。

 空気中に微細な霧が舞い、無臭で感触もないが、ナノレベルの浄化静電子が全身に付着し、あらゆるウィルスは無害化される。

 白衣に着替え、超音波洗浄機の前にいくと、珍しくキアルス先輩が先にきていた。

「おはよぉ、エミリオ君」

「お早うございます。手伝います」

 洗浄機を起動すると、キアルスは礼をいい、器具の入った合金鋼(ステンレス)のトレーを渡してきた。

 実験に使う精密器具の手入れは、手の空いている者がやる暗黙の了解があり、エミリオにとっては毎朝の日課(ルーティン)だった。

 トレーに入っている顕微鏡の各部品を、ひとつずつ水へ沈める。

 見た目は綺麗でも、洗浄機にかけると空洞化現象(キャビテーション)が砂塵のような汚れを剥がし、浮かびあがらせた。

「今日は翔環(ポータル)できたんだよね?」

 洗浄機から白金(プラチナ)の部品をとりだしながら、キアルスはちらりと視線をよこした。

「はい、シルヴァニール邸から直通で」

「だいぶ距離あると思うけど、平気そうだね」

「酔わない性質なので」

 長距離の翔環(ポータル)は、黄金種(ベルハー)の大人でも心身に負荷がかかるため、資格を得られぬ者は多い。だがエミリオにとっては何の障害にもならなかった。

「久しぶりの実家はどうだった?」

「寮暮らしが長かったので、使用人の多さに違和感がありました。そういえば、弟が部屋で蜜蜂を飼い始めたようで、帰ったら見せてもらう予定です」

「部屋で? 蛇と蜥蜴もいなかった?」

「蛙もいますよ」

「へぇ~、面白そうだねぇ。どんな部屋か僕も覗いてみたいかも……弟君は、寄宿舎には入らないの?」

「はい、通信制(アルカ)です。科学の授業だけは、王都校に通っているようですが」

 殆どの貴族学生は王都別邸から通うか、もしくは寮に入る。だがシドニーはエイミーの影響で通信制(アルカ)を選んだ。

 高等部までの寄宿舎は規律が厳しく、奢侈(しゃし)とは無縁だ。生き物に囲まれて暮らせるシルヴァニール邸の方が、弟にとっては魅力的なのだろう。

「さすがに、蜂の巣は寄宿舎に持ちこめないしねぇ……てっきり君も家の方針で、小等部から入ってたのかと思ってた」

「いえ、僕は……自分の希望で」

「ふぅん」

 軽く相槌を打つキアルスを、エミリオは横目でうかがった。

 ──彼は知らないのだろうか。義妹がかつて問題児で、退学にまで至ったことを。エミリオと不仲だったことも。

 同学年では周知の事実でも、学年が離れているので伝わっていないのかもしれない。わざわざ告げることでもないので、話題を転じることにした。

「先輩は、寄宿舎暮らしは家の方針なんですか?」

「そうだよぉ。兄も弟もここの生徒だよ。兄はもう卒業したけど。うちは男ばかりで騒々しいから、入学年齢に達したら全員叩きだされるのさ。まぁ、僕も寮の方が気楽だけどね」

「……」

 以前はエミリオも、寮の方が気楽だと信じていた。

 キアルスは眼鏡を外すと、ついでとばかりに洗浄機に放りこんだ。研究外の私用だが、これくらいの小さな逸脱は黙認されている。

「ところで、エイミー嬢は元気にしてる?」

 レンズ越しでない、金緑めいた瞳が向けられた。エイミーが、珍しいと賞賛していた虹彩だ。

「元気ですよ」

「エミリオ君が戻ってきて、喜んでいるでしょう?」

「ええ、まぁ」

 昨夜の笑顔が脳裏に浮かんで、自然と頷いていた。

「この間、アガサの灯火の第一回奨学生の記事を読んだよ。評判いいよね。来年は出資者が殺到するんじゃない?」

「そう……ですね」

 エミリオが考えこむように黙すると、キアルスは首を傾げた。

「あれ、嬉しくないの?」

「そんなことはありません。ただ……義妹はまだ十二歳です。注目を浴びるには、少し早い気がして」

 先日も、王宮の宴で話題にのぼったと母が話していた。このままでは十六歳の大舞踏会(デビュタント)を待たずに、引っ張りだされそうだ。

「そう? でも彼女、初登壇でも落ち着いてたよ。社交は得意そうに見えたけど」

「得手不得手と、好き嫌いは一致しません。義妹はシルヴァニールの穏やかな生活を好んでいます。それなのに、四方から目を向けられ声をかけられたら、疲弊するでしょう」

「ああ、心配なんだね……ちょっと意外だな」

「そうですか?」

「だって君、家族でもさぁ、人の感情に斟酌(しんしゃく)しなさそうだから」

「僕をなんだと思っているんですか」

「研究オタク。いい意味でね」

「先輩だってそうでしょう。意味はともかく」

 横目で見やると、ははは、とキアルスは楽しそうに笑った。洗浄を終えた眼鏡を乾燥機に収めながら。

「エミリオ君といい、エイミー嬢といい、弟君も変わり者で面白そうだ。ゼラフォンダヤ家は将来安泰だねぇ」

「それはどうも」

 素っ気なく相槌を打つと、エミリオは再び器具の洗浄に没頭した。


 陽が傾き、研究を切りあげると、どこか新鮮な気持ちでシルヴァニール邸へ戻った。

 すると今日も、談話室でエイミーが出迎えてくれた。

「お帰りなさい、義兄さま」

「ただいま、エイミー」

 抱擁を交わす兄妹の姿を、後ろで使用人もにこやかに見守っている──ほんの数年前には絶対にあり得なかった光景に、自分でも頬がゆるんだ。

 約束した通り、ふたりでシドニーの部屋を訪れた。

「ようこそ、兄様、姉様」

 弟は目を輝かせ、心から嬉しそうに迎え入れてくれた。

 部屋には大小さまざまな硝子容器が並び、生き物や植物が棲んでいる。

 不快な匂いは一切なかった。

 壁面に設けられた苔のアクアリウムが、天然の空気清浄機となり、代わりに爽やかなハーブの香りが漂っていた。

「これが蜜蜂たちです」

 弟は、誇らしげに窓辺の壁を指さした。

 そこには六角形の容器(セル)が四つ連結され、壁に取りつけられていた。前面は硝子で、蜜蜂たちの営みが一望できる。

 側面には通気用の配線(チューブ)が伸び、窓下の小さな穴と直結して、外界と往来を可能にしていた。

「よくできているね。モジュール式の構造なんだ」

「はい、容器(セル)を追加したり取り外したりできるんです。最初は二つでしたが、巣が育ってきたので増設したんです」

「硝子張りだから、なかの様子がよく見える。工夫されているな」

「はい、今は外枠(フレーム)を改造して、蜂蜜を簡単に取れる仕組みを試作中なんですよ」

「それは楽しみだ。まさか自然の巣を部屋のなかで飼えるとは……昨日聞いた時は、蜜蜂が室内を飛び回っている光景を想像してしまったよ」

 エミリオの言葉に、シドニーもエイミーも笑った。

「アンも同じことをいっていたわ。映像を見せたら、目を丸くしていたのよ」

「窓の外に、水飲み場も設置してあるんだ。よく設計されているね。養蜂家が興味を持つんじゃないか?」

 そういうと、シドニーは笑顔で頷いた。

「設計図は公開してあるんです。先日、試しに作った方が映像を共有してくださって……すごく嬉しかったです」

 エミリオは弟の髪をやさしく撫でた。

「良かったね」

「はい!」

 満面の笑みを浮かべる弟の髪を、今度はエイミーが撫でている。

 研究成果を分かちあい、誰かに評価される喜び──その喜びを、エミリオもよく知っていた。

 弟は探究心旺盛で、忍耐強く、熱心で真面目だ。科学者に必要な素質を全て兼ね備えている。このまま邁進(まいしん)していけば、科学の先駆者になる日もそう遠くないかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ