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 カフェの横道を少し入ったところに、石の階段があり、その先に白漆喰の祠堂(しどう)が見えた。

「ああ、くる途中で見えた建物ね」

 長い階段を登りながら、絶壁のうえに白い建物が点在して見えていた。あれは祠堂(しどう)だったのだ。

「ここから道が細くなるから、足元に気をつけてね」

「ええ」

 手すりのない石の階段は少し怖いが、登った先の景観は、素晴らしいの一言に尽きた。断崖に張りつくような立地で、広大な森を一望できる。

「なんて美しいの……」

 森の、安らぎに満ちた絶景は、天と宇宙の思し召しとしか思えない。

 訳もなく“ヤッホー!”と叫びたくなる。きっと素晴らしい山彦がかえってくるに違いない。

 こみあげる衝動を、どうにか淑女として自重した。

 空に顔を向けようとし、太陽の光にまぶしく目を細めた。ここまで登るのは大変だが、心が澄み渡るようだ。

 こじんまりとした白い建物に目を向けると、入口の木目の表札に、“アルク=エレイオン祠堂(しどう)”の文字が刻まれていた。

 歴史を感じさせる佇まいだが、辺りは掃き清められ、葡萄の蔓に覆われた二階の窓は、風を入れるために開け放たれていた。手入れをしている人がいるのだ。

「ここには、どんな人が通っているの? このあたりは入場規制があるのでしょう?」

「許可証をもっている教師や生徒たちだよ」

「お義兄さまも?」

「時々くるよ」

 エミリオは微笑し、扉を開いてくれた。

 神聖な空間に踏み入ることを、エイミーは少しためらった。

「入っていいの?」

「もちろん。どうぞ」

 恐る恐る足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれた。

 薬用緋衣草(セージ)の良い匂いがする。

 素朴な木造建築で、漆喰塗りの白い壁は年季が入っている。けれども、ひび割れた個所は丁寧に修復され、硝子はよく磨かれていた。

 正面に祭壇があり、七枝の燭台に火が灯されている。

 主神廊の左右二列に、緻密な彫刻が施された横長の木造椅子が均等に配置されていて、参拝者がまばらに座っていた。皆、静かに瞑想していたり、手を組み小声で奉唱していたりする。

「座っていい?」

 そっと小声で訊ねると、エミリオは頷いた。

 一番後方の椅子に腰をおろすと、その隣にエミリオも着席した。小さな身じろぎですら、ここでは明瞭に聴こえる。

 ふたりとも黙って、穏やかな思考の海に身を任せた。

 とても静かだ。

 清涼な空気に浸されて、ただじっとしているだけで、心が癒されていく。

 そっと隣をうかがうと、エミリオは祭壇をじっと見つめていた。

 端正な横顔は、清らかな射光を受けて黄金色に縁どられている。幻想かと思うほど神々しく、どんな(けが)れも寄せつけない雰囲気があった。

 ふと、目があった。

 エイミーは、脊髄に電流が(はし)ったかのように、びくっとした。

 彼のとびきり美しい菫色の瞳が、自分に注がれている―ーそう意識した途端に、これまで感じたことのないような、或いは遠い昔に経験したような熱が、全身を駆けめぐるのを感じた。

「……そろそろいく?」

 エミリオに訊かれて、エイミーは目を瞬いた。見惚れていたことをごまかすように、微笑を浮かべ、静かに席を立った。

 登りは辟易させられた階段も、くだりは、ぐっと楽だった。

 ふたりとも無言だった。

 エミリオが何を考えているかはわからないが、エイミーは、祠堂(しどう)で見た、厳かなエミリオの姿を思い返していた。

 ほんの一瞬、見つめあっただけなのに、その一瞬で、無限の時間が過ぎ去ったようにも思えた。

 こんなに美しいひとが、この世界にはいるのかと、感動に打ちのめされていた。

 容姿も然ることながら、声も、眼差しも、所作も、身に(まと)う空気さえも──この清廉(せいれん)な精霊のようなひとが、エイミーの、義兄なのだ。


 もうすぐ五時になる。

 森を抜けて中庭に近づくと、途端に人の往来は活発になった。

 明るい音楽が聴こえてくる。

 ダンスに興じる人々の、楽しげなささめき笑う声。

 女子生徒たちの、期待に満ちた視線がエミリオに寄せられたが、彼は冷ややかに通り過ぎるばかりだった。

 その隣で、エイミーはなるべく目立たぬよう、顔を俯けて歩いた。

 五時を告げる、鐘の音が響いた。

 学園の正門前は、傾きかけた陽光に照らされ、薄金の縁どりを帯びていた。どうやら義母はまだきていないようだ。

「良かった、間にあったみたいね」

 辺りを見回しながら、エイミーがいった。

「きたみたいだよ」

 エミリオの言葉に正面を見ると、軽やかな足取りでオリヴィアがやってくるところだった。

「ふたりとも、楽しかった?」

 その問いかけは、春風のように柔らかい。

 エイミーが頷くと、義母は優しくほほえんだ。

「お義母さまも、楽しかった?」

「ええ、とっても」

 きらきらした空色の瞳は、友人との逢瀬を満喫してきた余韻に揺れていた。

 オリヴィアの指がそっとエイミーの髪を撫でる。彼女は笑顔のまま、エミリオに目を向ける。

「私たちは翔環(ポータル)で帰るわ。またね、リオ」

 オリヴィアは両腕を広げ、抱擁しようとしたが、エミリオは一歩退いて避けた。

「学園では、やめてください」

「そぉ?」

 ふふっと笑う義母の眼差しは、あなたも年頃ね、とでもいいたげだ。

 エイミーは、ぎゅっと両手を握りしめ、手を伸ばしたい衝動を堪えた。義母に倣い、人前での抱擁は控えるべきだろう。

「またね、お義兄さま」

 両手を背に組み、小さなほほえみを浮かべる──その瞬間、ふわりと腕が伸びてきて、やさしく引き寄せられた。

「またね、エイミー」

 ほの温い感触が、頬にそっと触れる。

 驚きと嬉しさが胸に溶けて、エイミーは自然と、腕を彼の背にまわしていた。

「まぁ、この子ったら。エイミーはいいのね?」

 オリヴィアは腰に手をあて、呆れたようにいった。非難がましい口調だが、明るい空色の瞳には、悪戯めいた光が灯っている。

 エイミーは照れ隠しに義母から目を逸らしたが、胸の奥では春が芽吹くように、ぽかぽかと温もりが灯っていた。

 とんとん、と背を軽く叩いて、名残惜しい気持ちで躰を離す。

 エミリオはほほえんで、手提げの小包を差しだした。

「これ、お土産」

 薄茶色の包みには、森の(ふくろう)カフェの印があった。

「これは?」

「“星詠みのチョコレート夜箱”。魔導天文学部とのコラボらしい。限定ショコラアソートだって」

「いつの間に買ったの? 全然気がつかなかった」

「人気らしいから、先に買っておいた」

 どこか得意げな口調で、エミリオがいった。

 エイミーは、ぱっと花開いたように笑った。

「ありがとう! 嬉しい」

「食べたら、感想を教えて。美味しかったら、僕も買ってみる」

「ええ、もちろん」

 続けて渡されたのは、銀色の小袋。

「これ、もしかして?」

 エイミーは期待に満ちた目で、エミリオを見た。

「うん、僕がいつも食べている携帯包装食(エーテル・パック)

「わぁ、ありがとう~。これ食べてみたかったの」

 両手で受け取って顔をあげると、エミリオと目があった。なんだか感じ入ったように、こちらを見ている。

「?」

 どうしたのかな、と小首を傾げた、その瞬間──

 エミリオの頭上に、またもや光の粒子が舞い始めた。


 74%


 きらきらと、煌めく好感度の(きざ)し。

 ここ数年、停滞していた好感度が、今日だけで三度も動いた。

(え、え──ッ、どうして?)

 心臓がドキドキする。

 わけがわからないが、嬉しい! という強烈な思いが、胸の奥からこみあげてくる。

 テンペスティスのときは、好感度があがることに怖気づいていたのに、エミリオに対してはもっと、と願ってしまう。

 その答えはひとつしかないのだけれど、この時はただ、嬉しくて、嬉しくて、それだけでもう胸がいっぱいだった。

 エイミーの初恋だった。

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