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「やぁ、エミリオ」
ふと涼やかな声音が聴こえた。
エイミーが振り向くと、見知らぬ黄金種の少年がいた。
白金に透ける髪がきらきらと木漏れ日に煌めき、光の精霊が顕現したのかと思った。その高貴さと透明度の高い美貌には、不思議と見覚えがあった。
「アンジスタ? どうしてここに?」
エミリオは怪訝な顔で、やってきた少年を見つめた。
「驚いたよ。君が、本当に女の子と一緒にいるなんて」
好奇心を湛えた白金の瞳が、エイミーを捉えた。
「生徒会の、お友達?」
エイミーがエミリオに訊ねると、
「どうかな」とエミリオは曖昧に小首を傾げ、アンジスタは「そう」と断言した。
「ひどいな、友よ」
ストイックな仮面に、うっすらと笑みが浮かぶ。
涼しげな微笑は、先ほどお目にかかったルシア・ルナ・アイスガルテン侯爵夫人によく似ていた。
「初めまして、エイミー嬢。アンジスタ・リュクス・アイスガルテンです」
やっぱり、とエイミーはほほえんだ。
「初めまして。エイミー・アガサ・ゼラフォンダヤです。先ほど、お母様にご挨拶しました」
「うん、聞いてる。母から、エミリオが妹君と一緒にると聞いて、これは挨拶せねばと思ってね」
「面白がっているだけだろ。義妹と過ごしているんだ、帰れ」
つれない義兄の物言いが珍しくて、エイミーは目を瞬かせた。
「邪険にしないでくれたまえ」
肩をすくめるアンジスタ。その表情は親しい友人に向けるもので、どうやら本当に面白がっているらしい。
「そっちこそ、邪魔をするな。生徒会の見回りはどうした?」
「してるさ、ちゃんと。合間に、こうして休憩するのも仕事のうち」
「勝手だな」
エミリオは呆れたようにいった。
「少しだけ、一緒してもいいかい?」
「よくない。エイミーがゆっくり食べられないだろう」
ぽんぽんと交わされる会話の応酬に、エイミーはくすりと笑みをこぼした。
義兄の知らない一面、同年代の友人にだけ見せる少年らしい一面が新鮮で、ふたりのやりとりを聞いているだけでわくわくする。
(お義兄さま、友達にはこんな感じなんだ)
「エイミー嬢、気にせず召しあがって。僕も何か頼もう。お詫びに、フルーツの盛りあわせを献上するよ」
「いいから、帰れ」
ぴしゃり。
礼儀正しいエミリオが、ここまでぞんざいな口を効くのも珍しい。生徒会の仲間には、こういう顔も見せるのか。
ほんのり笑って給仕を呼ぶアンジスタ。軽やかな仕草でケーキセットを注文し、手を洗ってくるといい残してアンジスタは席を離れた。
その背が遠ざかるのを見届けてから、エイミーはこそっと義兄に囁いた。
「お義兄さま、アンジスタさんと仲がいいのね」
エミリオはわずかに眉根を寄せた。
「そう見える?」
「うん」
「遠慮していないだけだよ。ああいう、人の話を聞かない相手には、つい口調が雑になる」
困ったような微笑を見て、エイミーは胸が高鳴るのを感じた。これは、自分にしか見せてくれない表情だ。笑みを漏らさずにはいられない。
「お義兄さまが楽しそうで良かった」
ふと、エミリオは真面目な顔をした。
「エイミーは……本当に、復学に興味はない?」
「ないわ。通信制の方が、気楽でいいもの」
小さく首を振って応じると、彼はほんの一瞬だけ寂しそうな目をした。
「でも、今日みたいに、たまにはお義兄さまと学園でお会いしたいわ」
そうエイミーが笑って続けると、エミリオもまた柔らかな笑みで応えた。
「お安い御用だよ」
ちょうどその時、お待たせ、と朗らかにアンジスタが戻ってきた。両手には、涼しげなフローズンフルーツの皿を携えている。
「別に待ってない」「お帰りさない」
ぴったり重なる二人の返事に、アンジスタは楽しげに笑った。
「ありがとう、エイミー嬢。お近づきの印に、フルーツを献上しよう」
「わぁ、ありがとうございます!」
身を乗りだして皿を受け取ろうとした瞬間、エイミーとアンジスタの顔が図らずも近づく。すると、エミリオの手がすっと伸びて、少年の胸を制した。
「近い」
「心、狭くない?」
「相手による」
ふたりの軽口を聞きながら、エイミーは照れ笑いを浮かべた。エミリオの過保護めいた仕草がくすぐったくて、嬉しい。
アンジスタと目があうと、にこっと笑みかけられた。
「エイミー嬢。スピーチ、素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
思わず、背筋を伸ばして答えるエイミー。
「“アガサの灯火”は素晴らしい試みだと思う。勇気づけられる子供たちは大勢いるはずだ。奨学金の受給者は、もう決まっているのかな?」
「はい。五名は確定しています。私がお世話になった孤児院の子たちです。これからも、院長先生に紹介して頂く予定で、年内には二十名に増やしたいと思っています」
孤児院という言葉をくちにしても、アンジスタの友好的な表情は揺らがなかった。
「すぐに希望者が殺到するさ。今日のスピーチは話題になる、機会を待っている子供たちの耳にも届くと思うよ。エイミー嬢の声は、まだ見ぬ誰かの未来を、確かに開くと思う」
暖かい激励の言葉に、エイミーは感謝の笑みを浮かべた。エミリオを見てから、アンジスタに視線を戻す。
「ありがとうございます、賛同してくれる方がいて心強いです。義兄も、ずっと応援してくれていて……皆さんのおかげなんです。今日、壇上に私が立てたのは」
まっすぐ見つめてくる白金の瞳を、エイミーは見つめ返した。真心が通じあうのを感じたが、間もなく、全く別の驚きに意識を奪われた。
アンジスタの頭上に、光の粒子が舞い始めたのだ。
(え、うそ、まさか……)
胸がざわめく。
これは、まさか──好感度の兆し?
58%
好感度だ!! しかもけっこう高い!!
笑顔のまま固まったエイミーを、ふたりの美少年が同時に覗きこむ。
「エイミー?」「エイミー嬢?」
「あ、いえ……いただきます」
ごまかすように葡萄を一粒、くちに運ぶ。
皮を割って、じゅわりと甘酸っぱい果汁が舌を濡らす。その清涼な刺激よりもずっと強く、内心は驚きで泡立っていた。
──この能力が発現してから、数値が見えたのはエミリオとテンペスティスだけだった。
なのに今日は、ほんの数時間で、ふたりも増えたなんて……
(ここが学院だから? 出会いが多いということ?)
普段のエイミーは、引きこもりといって過言ではない。通信制で交流のある友人は女の子ばかりだし、あちこちから届く招待状も、面倒だからと応じていない。つまり、同年代の男の子と知りあう機会は殆どなかった。
──恋を楽しみなさい。
ふいに、耳元で風がくすくす笑った気がした。
女神様の悪戯めいた囁き。
ひょっとして、ものぐさなエイミーに焦れて、背中を押しているのだろうか?
そのあとは、他愛のない会話が続いた。
アンジスタは生徒会の日常や、ちょっとした裏話、学院の出来事を面白おかしく語ってくれた。
同級生の視点から語られるエミリオの姿は、エイミーにとってどれもが新鮮で、まるで異国の絵葉書を眺めているようだった。
お返しに、エイミーも自宅──ゼラフォンダヤ公爵邸で過ごす“お家のエミリオ”の話を披露したり、通信制の親友や、勉強についても触れた。
気がつけば、三人とも紅茶をおかわりし、硝子の器に盛られていた冷たい果実は、ほとんど残っていなかった。
カラーン……コローン……
午後四時を告げる鐘が、遠く高く、響いて聴こえた。
規則正しく続いた鐘の音のあと、澄み透ったカリヨンの音色が響く。誰かが、聖なる鐘を奏でているのだろう。
「素敵ね」
エイミーは陶然と目を細め、椅子の背にもたれた。
会話はふっと途切れ、三人はそれぞれ、木立の向こうから聴こえる音に耳を澄ませた。
そよ風に、梢が揺れる。
涼しげな葉擦れの音、森の音楽と、澄んだ鐘の音色が重なる。
やがて音が止み、夢から醒めたような静寂が訪れた。
それは同時に、午後ののんびりした休息が終わりを告げた合図のようでもあった。
「……いい演奏だったね」
アンジスタは名残惜しそうに呟くと、膝をぽんと叩いた。
「さて、僕はもういくよ。生徒会の仕事に戻らないと」
「そうか」
「アンジスタさん、お話できて楽しかったです」
すっと席を立ってお辞儀すると、アンジスタの顔に晴れやかな笑みが浮かんだ。好ましい者を見る眼差し。白金の虹彩が、まるで陽の光を受けた湖面のように、柔らかく優しく揺れていた。
「ありがとう、こちらこそ楽しかったよ。学園にきたら、また声をかけてほしい。エイミー嬢となら、いくらでも話せそうだ」
エイミーは、賛成の意をこめてうなずいた。きびすを返して去る姿が、舞台俳優みたいだと思いながら。
ふたりきりになると、エミリオとエイミーは目をあわせた。
──そろそろいく? と視線で問い交わしたとき、互いの携帯水晶から通知音が聴こえた。
「母からだ。あと一時間後に集合だって」
エイミーも自分のウィスプを見て頷く。残念だが、そろそろ帰る時間らしい。
カフェをでる際、すでに会計が済んでいることを知らされた。アンジスタが、何もいわずに支払ってくれたのだ。
「お義兄さま、よくお礼を伝えてくださいね」
「うん」
「アンジスタさん、アイスガルテン侯爵夫人にそっくりだったわ。ふたりとも、光の精霊の戦士みたい」
そういうと、エミリオは片眉を器用にあげてみせた。なんだそのたとえは? とでもいいたげな顔だ。
「黄金種は皆美しいけど、あのふたりは、なんていうか……舞台俳優みたい。常にスポットライトを浴びているみたいな」
「アンジスタが気になる?」
「そういうんじゃない」
即答すると、エミリオはふと立ち止まり、まっすぐにエイミーを見た。
「まだ少し時間があるから、祠堂に寄っていく?」
「さっきの鐘が聴こえた場所?」
「そう」
「近いの?」
「うん。この先の階段を登れば、すぐ」
「また階段~?」
思わずうなだれたエイミーに、エミリオの肩がくくっと震える。
笑っている。めずらしく──声をだして。
エイミーは顔をあげた。
彼の楽しそうな様子が嬉しくて、気がつけば、自然に頷いていた。
「ええ、いってみたいわ」




