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 研究室をでたところで、後ろから声をかけられた。

「オリヴィア、お久しぶりです」

 女性にしては低めの澄んだ声が、上品な余韻を伴って響いた。

 振り返れば、長身の貴婦人がいた。

 長く流れる青金髪に、白金の瞳を湛えた、うっとりするような美女だ。その透明度の高い麗貌は、ただそこに立つだけで周囲の視線を奪っていた。

「ルシア! いらしていたのね」

 オリヴィアの声が一段明るく弾けた。

 こんなに嬉しそうにする彼女は珍しい。どこでも人気者の義母だが、どうやら特に親しい旧知のようだ。

「紹介するわね。こちら、ルシア・ルナ・アイスガルテン侯爵夫人。リオと生徒会で一緒だったアンジスタ君の、お母様よ」

 紹介され、エイミーとエミリオは礼節正しくお辞儀した。

 アイスガルテン侯爵家といえば、王国北端、氷雪と鉱脈に覆われた白銀高地(アークティカ)を治める名門だ。実質的に北域の防衛辺境伯としての機能を担っており、我が公爵家(ゼラフォンダヤ)と並ぶ、国防の双璧である。

(キアルスさんといい、やっぱりお義兄さまの交友関係って、上流階級なのね……)

 エイミーは思わず、涼しげな顔をした義兄を横目で見やる。

「ふたりとも初めまして。エミリオさんのことは、アンジェからよく伺っております。とても優秀で、素晴らしい方だと」

 ルシア夫人の声は、水面をなでる風のように柔らかく、同時に毅然としていた。

「ありがとうございます。生徒会では、アンジスタに助けられました。中等部での活躍も聞いています」

 エミリオは、端正な社交の笑みで応じた。

「ふふ、ありがとう。アンジェが聞いたら、きっと喜ぶでしょう」

 凛とした女性の瞳が、慈母のように優しく細められる。柔らかな眼差しが、今度はエイミーへと注がれた。

「エイミーさんも……壇上のご挨拶、拝見していました。とても感動いたしました。もう、立派な淑女(レディ)ですね」

「ありがとうございます」

 スカートの裾をつまみ、エイミーは丁寧に礼を返した。

(“アンジェ”って呼ぶんだ……私の“アン”と似てるな)

 そう思うと、ふわりと親近感が湧いた。

「エミリオさん、大学院でもご活躍と伺っております。アンジェがあなたを尊敬していて、会えなくなって寂しがっているんですの。よろしければ、また声をかけてやってくださいな」

「はい」

 エミリオは如才ない笑みをたたえたまま、軽く頷いた。

(……以前、生徒会には仲のいい子なんていないって、いってたけど……)

 実際はどうなのだろう──エイミーの胸に、好奇の灯がともる。

「ねぇ、時間あるかしら? 少しサロンでお話でもしない?」

 オリヴァアが誘うと、いいの? という顔でルシアはエイミーとエミリオを見た。オリヴィアも子供たちを振り返り、

「エイミーたち、いいかしら?」

「はい」「ええ、お義母さま」

 ふたりが頷くと、義母はにっこり笑った。

「では、自由行動にしましょう。何かあればウィスプで連絡してちょうだい」

 そういい残し、オリヴィアはルシアと腕を組み、優雅に歩きだした。

 その歩みは軽く、品があり、どこか少女めいている。

(お義母さまは、どこにいても自由な人ね)

 エイミーは同意を求めて、エミリオと視線を交わそうとした──そのとき。

「こんにちは、エミリオ様。お久しぶりです、エイミー様」

 甘く、高慢な声が聞こえた。

 波打つ青金髪に、白金の瞳をもつ黄金種(ベルハー)の令嬢。左右にとりまきを従えて、まるで女王様のような──

 タリヤ・ラグラーナ。

 エミリオに釣書を送ってきた令嬢のひとりだ。

「お久しぶりです、タリヤさん」

 嫌悪が顔に顕れないよう気をつけて、愛想笑いを浮かべた。タリヤの目的は明らかだが、無難にやり過ごしたい。

「エミリオ様、魔導部の研究作品、とても興味深かったですわ」

「ありがとう」

 エミリオは冷めた表情で答えた。

「エイミー様のご挨拶も、立派でしたこと」

「ありがとうございます」

「……本校に復学されるご予定は?」

「いいえ、通信制(アルカ)を続けるつもりです」

 返した瞬間、タリヤの取りまきたちが、押し殺したように笑った。

 本校の生徒は、通信組を下に見ているのだ。いかがなものかと思うが、エイミーは混血種(アミー)なうえに、超がつく問題児だったから、まぁ馬鹿にしたくなるのだろう。

 まったく、意地悪く輝く白金色の瞳を見ると、アンの優しい琥珀色の眼差しが恋しくなる。

(昔のエイミーなら、闘いのゴングを鳴らしていたわね)

通信制(アルカ)もなかなか楽しいですよ。でも、こうして文化祭にきてみると、やっぱり学院は素敵だなって思います」

 エイミーは微笑を崩さずに、柔らかく返した。

「久しぶりの文化祭ですものね。良ければ、ご案内しましょうか?」

「ありがとうございます。でも、お義兄さまが案内してくださるので、大丈夫です」

 丁寧に、しかしはっきりと断った。タリヤの白金の瞳がきらりと光る。

「ぜひ、ご一緒させていただきたいですわ」

(え……面倒くさ)

 と、返事を迷う間もなく、エミリオに手を取られた。

「ふたりで見て回りたいから、失礼するよ」

 エミリオが、静かに、けれど明確に告げた。

 空気が凍る。

 エイミーと目があうと、タリヤの瞳に、隠しきれぬ屈辱の色が滲んだ。

(わぁ、こわ……逃げよう)

「では、失礼します」

 笑顔を保ったまま、エミリオに手を引かれてその場を離れる。角を曲がったところで、ようやく手を離した。

「ふぅ……」

 安堵の息をつくエイミーの頭を、エミリオはぽんと撫でた。

「どこかで休憩しようか」

「ええ、ぜひ」

 エミリオは、ふと柔らかに微笑した。

 さきほどの塩対応を見たあとでは、いっそう優しく感じる。自分だけに向けられる微笑に、胸の奥がそっと疼いた。

「広場は出店が色々あるけれど、混雑しているから、別のところでもいい?」

 エミリオは彩り豊かな小冊子を取りだした。文化祭の案内地図だ。

「私、お義兄さまがよく食べてる、携帯包装食(エーテル・パック)を食べてみたい」

 エイミーがそういうと、エミリオは苦笑を浮かべた。

「……それは……お土産に買ってあげるから、もっといいものを食べよう? どこか、落ち着ける場所がいいな」

「そうね」

 エイミーは笑顔で頷いた。

「少し階段を登るんだけど、いい? 気に入っているカフェがあるんだ。地図には載っていないけれど、このあたり」

 そういって彼が指さしたのは、地図の端の方だった。

「大丈夫よ、いきましょ」

 道すがら、噴水のある広場を覗いてみる。

 天幕で日陰をつくり、出店や、木のテーブルと椅子が並んでいる。家族連れや学院の教授、学生たちが思い思いに腰かけ、寛いでいた。まるで小さな(いち)のようだ。

 天幕には無数のランプがついているが、今は陽射しが明るいので点灯はしていない。きっと、夜は明かりが綺麗なのだろう。

「文化祭は夜まで続くのよね?」

「うん、夜は上映会があるよ。天幕を校舎の外壁に垂らして、映像を映すんだ」

「いいなぁ! ランプも灯されて、綺麗なんだろうな」

「エイミーは気に入ると思う。今日は無理でも、次回は夜までいたら? 旅館を予約してさ」

「そうね」

 次の文化祭は二年後だ。

(その時も、またお義兄さまと並んで歩けたらいいな)

 賑わいから離れて、小径をたどってゆくと、細い階段が見えた。

 いざ登り始めると、幾重にも曲がりくねり、先が見えず、まるで迷宮のようだった。

「ふぅ、はふ、お義兄さま、いつも階段を登っているの?」

「たまにね。無理しないで、ゆっくりいこう」

「ありがとう」

 小さく息をつきながら、一段一段、足を運ぶ。途中、石造りの踊り場に差しかかり、ふたりは自然と立ち止まった。

「綺麗……」

 エイミーの声が、風に溶ける。

 見晴らしの良いその場所からは、学院の尖塔や、樹海のように広がる森が一望できた。陽光が葉の海を照らし、翠の波がゆるやかに揺れている。

 感動のあまり、しばらく動けなかった。

 悠久を感じさせる景色に、時間も言葉も緩やかにほどけて、まるで夢を見ている気分になる。

「……この景色を見るためなら、階段地獄も耐えられるわ……たまになら」

「ふ、地獄? 頑張って、あと少しだよ」

「ええ」

 再び階段を登りはじめて、間もなく、ようやく天辺についた。

「はぁ、ふぅ、着いたぁ……っ」

「お疲れ。階段は終わり、ここからは平らな道だから」

 木漏れ日に癒されながら、森の小路を歩いていると、光の揺らぎがあった。

翔環(ポータル)?」

 エイミーは思わず脚をとめた。

「魔術認証だよ。この先は入場規制されているんだ。僕と一緒なら、エイミーも入れるよ」

 そういってエミリオは、エイミーの手を取った。

「どうして、お義兄さまは入れるの?」

 光の揺らぎを抜けても、翔環(ポータル)と違って景色は変わらない。いまいち実感がないが、恐らく、認証されていない人は弾かれるのだろう。

「生徒会の特権だよ。といっても、僕はもう生徒会に所属していないけれど、認証登録されたままなんだ」

「そうなの」

 雑談しながら、さらに歩いていくと、雰囲気の良い、秘密めいた佇まいのカフェがあった。

 古木の看板に「森の(ふくろう)カフェ」と彫られてあり、翼を広げた金の(ふくろう)と三日月が描かれている。

「素敵ね」

「森の魔力を活用しているカフェで、照明も深淵光(アビサル・フレア)ではなく、天然の微光石(エーテライト)なんだ。夜になると星のように灯って、綺麗だよ」

「へぇ」

 テラス席に、数人の客がいた。生徒はひとりもいない。教授や学者ばかりで、隠れ家的な名店といった雰囲気だ。

「テラスと店内、どちらがいい?」

 エイミーは少し悩み、テラスと答えた。内装も気になるが、木漏れ日の揺れる石畳のテラス席は魅力的に見えた。

 パラソルつきの丸テーブルに着席した。テーブルに硝子のランプが置かれている。暗くなったら点くのだろう。

「いらっしゃいませ」

 感じのよい給仕がやってきて、メニューを渡してくれた。

 お店は素朴な雰囲気だけれど、最新鋭の映像つきメニューで、星霜(せいそう)雫氷(しずくごおり)や、雲間のレモンティータルトセット、スノウ・オパールの氷晶菓ひしょうかといった、魅惑的な名前ばかりだ。

「どれも美味しそう……迷う……でもブリュレかな。月環のプリュム・ブリュレ・ティーセットにする」

 生クリームの羽雲に、月を(かたど)った金箔チョコがのっている。濃厚なカスタード・プリンにカラメルソースをかけて、表面をトーチーで炙ったものだ。

「僕は星図のレーヴ・ブルー・ティーセットにしよう」

 エミリオが選んだのは、星々が煌く天蓋のようなジェリーグラサージュと、月光苺(ルナ・ストロベリー)のトッピングが特徴的な、青いケーキだ。

 間もなく、いい香りのする紅茶と共に供されると、エイミーは思わず携帯水晶(ミリスフィア)で映像におさめた。ウィスプ映えする一枚だ。

「映像を、アンに共有しても大丈夫かしら?」

「いいと思うよ。入場制限されているけれど、秘密というわけではないし、撮影禁止もされていないから」

「判ったわ」

 エイミーは頷き、スプーンを手に取った。

 飴色に焼きあがったブリュレの表面を、そっと叩き割る。軽やかな音とともに砕けたカラメルのしたから、なめらかなカスタードが顔を覗かせた。

 一口すくって口に含むと、優しくとろける甘さが舌を包みこむ。

「ん~、美味しい! ……なんだか懐かしい味がする」

「懐かしい?」

 首をかしげるエミリオに、エイミーは思わず笑ってごまかした。

 それは、前世──笑美の生で幾度となく味わった、あのブリュレに似ていた。優しい、けれどどこか切ない記憶の味。

「お義兄さまも、一口食べる?」

 プレートとスプーンを差しだすと、エミリオは少し躊躇ってから、受け取ったスプーンで慎重にすくい、小さく口に運んだ。

「……ん、美味しい」

 それだけの言葉なのに、どうしてこんなにも、胸があたたかくなるのだろう。

 ひとつの味を、同じ時間に分けあうだけで──こんなにも、満ち足りた気持ちになる。

 ふと、心地いい風がふいた。

 樹々の葉に()された午後の陽射しが、地面のうえで戯れている。涼しげな葉擦れの音、枝にかけられたウィンドウチャイムの音色。

 木漏れ日が踊り、風がそよぎ、まるで世界が一息ついているかのようだ。すべてが穏やかに交わる、甘く静かな午後だった。

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