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 エミリオの先導で、目的地の講堂に辿り着いた。

 古色蒼然(こしょくそうぜん)たる円形講堂は、石造りの巨大建築で、外壁は幾世紀もの風雪を刻んだ石が幾重にも積まれ、時の重みを(もく)して語っていた。

 しかし、一歩足を踏み入れた途端に空気は一変する。

 滑らかな曲線を描く構造に、黒革の観覧席が整然と並び、そこかしこに現代の意匠が息づいていた。

 確かに現代風なのだが……黒い制服に身を包んだ生徒たちが席を埋め尽くす光景は、どこか黒魔術結社の秘密集会を思わせる。

「……ちょっと、緊張する」

 消え入りそうな声で、エイミーはぽつりと漏らした。オリヴィアはふわりと身を屈め、茶色の瞳を覗きこんだ。

「あなたは素敵よ。もっと自信をお持ちなさいな」

 明るい碧眼に、茶目っ気と慈愛の光が宿っている。

「ありがとう、お義母さま」

「では、僕は自分の席に戻るよ。エイミーの挨拶、楽しみにしているね」

「はい! 頑張りますっ」

 ふたりに励まされて、エイミーは両拳を固く握りしめる。

 エミリオはふっと微笑し、エイミーの髪に指先をそっと置いた。優しく撫でるその仕草の余韻を残したまま、彼は大学院生の列へと歩を進めた。 

 一方、エイミーとオリヴィアは貴賓席に着席した。

 高い天窓から斜めに射す光が、月日を重ねた(かし)の壇を柔らかに染めている。

(あそこに立つのかぁ……壇上に立ったら、台詞が飛びそう。でも並列化水晶(バベル)があるから大丈夫……)

 待ち時間が、余計に緊張を煽る。

 いっそ早く始まってほしいと思いながら、挨拶する自分の姿をシミュレーションしていると、壇上に学院長が顕れた。

 彼が歩くのにあわせて、琥珀を象嵌(ぞうがん)した白金のマントが片肩から翻り、魔術紋のように裾を縁取る金糸の刺繍が光る。

 緩んでいた空気は引き締まり、講堂は(しん)と静まりかえった。

 学院長は壇の中央に立つと、思慮深い眼差しで生徒を見据えた。

 照明の光をもらい受けて、学院長の肩章に、袖に、王国の紋章のあしらわれた胸章が煌めいている。

 学院の長というより、厳格な騎士を思わせる男性だ。

 オールバックにした青金髪、豹を思わせる白金の瞳。短く刈り込まれた顎髭。全身から漂う覇気といい、威厳と知性の化身のようだ。

 外貌は四十代に見えるが、黄金種(ベルハー)である彼の実年齢は、ゆうに百歳を超えている。

「今日は、喜びに満ちた祝祭の日。学問と友情と魔術が交わる特別な場。文化祭の幕開けです」

 重厚でありながら穏やかな口調で、彼の言葉は、講堂の隅々にまで響き渡り、聴衆の胸を静かに打った。

「知とは孤独の果てに眠るものではなく、共に磨きあう炎です。

 この場に集いし全ての生徒たちに、他者と交わる喜び、世界に触れる勇気を、今日この日、心に刻んでほしい」

 誰もが、(もく)して聴き入っている。

「思索も討論も演目も、どれもがあなたたち自身の表現であり、記憶に刻まれる煌きとなるでしょう。

 さあ、グラスヴァーダムの名において──どうか、存分に楽しみなさい」

 その言葉が閉じられると、講堂の空気は、再び緩やかな息吹を取り戻した。遠慮がちな拍手が起きたが、学院長の視線が客席へと向けられると、再び講堂は静まり返った。

 学院長と視線がぶつかった瞬間、エイミーは、光の矢に射抜かれたような錯覚がした。

「エイミー・アガサ・ゼラフォンダヤ」

 その名が呼ばれると、講堂内に(かす)かな囁きが(さざなみ)のように駆け巡った。

「はい」

 返事をして、エイミーは静かに席を立つ。

 オリヴィアが、励ますように、そっと腕を叩いてくれた。エイミーはほほえみで応えると、視線を正面に戻し、緊張した足取りで壇上へと向かった。

 数百人を収容する講堂は、静謐(せいひつ)に包まれている。

 落とされた照明のなか、天窓から斜めに射す光が、くっきりと明るい。まるで深海の底を照らしているみたいだ。

 細心の注意を払って階段をのぼり、壇上に立つと、圧倒的な視線の重圧が降り注いだ。

 緊張のあまり、頭のなかが真っ白になる。

(大丈夫、落ち着いて)

 あらかじめ、並列化水晶(バベル)に台詞をインストールしてある。

 ただ読みあげれば、それでいい。

「皆さま、お久しぶりです。エイミーです。五年前まで、こちらの学院に通っていました」

 言葉を区切る。

 静寂が支配する。

 空気が、ひとつの呼吸すら躊躇うような沈黙に支配されていた。

 数百人の生徒たちの意識が、自分へと焦点を結ぶのを感じる。

「今日、このような場でご挨拶できること、心から感謝しています。そして、あの頃の私を知っている方には……様々な形で、大変ご迷惑をおかけしました」

 視線を巡らせると、数人の生徒が顔を寄せあい、こちらを見て笑っていた。

 視力のいいエイミーは、彼らがかつてのクラスメイトだと判っていた。

 ほんの僅かに、そちらに向けてお辞儀をする。皮肉ではなく──贖罪の証として。

「以前の私は──ちょっと、いえ、かなり問題のある生徒でした。怒りに身を任せ、周囲を破壊し、迷惑を撒き散らして……多くの人々の平穏を乱しました。でも、そんな私を見捨てなかった人たちがいたのです」

 言葉は、流れるように紡がれる。

 けれどそれは、決して平板な読みあげではなかった。台詞でありながら、確かな感情を宿していた。

「家族であり、施設の、学院の、通信制(アルカ)の先生であり、そして同じ通信制(アルカ)で出会った友人です。

 暖かい善意に、応えたくて。そして、次の誰かの助けになりたくて。私は、奨学金制度を創設することにしました」

 声が震えそうになり、エイミーは一度、言葉を切った。大丈夫、自信をもっていえる。

「名前は、“アガサの灯火”。アガサは、義母であるオリヴィアが授けてくれた、私のミドルネームです。

 灯火──それは、誰かがくれたぬくもりを、次の人に渡すこと。希望が消えそうになった時に、そっと照らしてくれる、小さな光のことです」

 話しながら、エイミーの脳裏に孤児院の記憶が(よぎ)った。

 騒々しい食堂、慎ましい食事、隙間風……冬は部屋のなかにいても息が白く、冷たい床に辟易しながら、ほんのりと温かかった、誰かの手。あの頃は判っていなかったけれど、ささやかな暮らしは、誰かの善意で成り立っていた。

「私は、もともと孤児院で育ちました。学校にいけない子の気持ちも、家族のいない子の寂しさも、少しだけ知っています。

 でも、私が学ぶことを諦めないでいられたのは、ゼラフォンダヤ公爵家の人々が、先生方が、手を伸ばしてくれたからです。だから今度は、私が誰かに手を伸ばしたい。そう思いました」

 深く、ひとつ呼吸をおいて、遠くを見つめるように。

「この奨学金は、返さなくていいお金です。でも、ひとつだけお願いがあります。

 それは、将来、その子たちが誰かの“灯火”になってくれること。それだけです。

 たとえ困難があっても、自分を信じて、未来を信じて、歩いていけるように。私の灯した火が、小さくても、誰かの足元を照らすように。そう願っています」

 ほんの僅かに、ほほえむ。

 これがパフォーマンスであることは否定しないけれど、奨学金で未来を掴む子がひとりでも現れてほしい、その祈りは真実だ。

「以上をもちまして、ささやかながら、私からのご挨拶とさせていただきます。

 グラスヴァーダムの文化祭が、皆さまにとって──学びと出逢いに満ちた、実りあるひとときとなりますように。ご清聴、ありがとうございました」

 深く丁寧に、一礼する。

 最初はぽつり、ぽつり──やがて全体に広がるように──温かな拍手が講堂を包んだ。劇的な万雷……ではないけれど、真摯な拍手だ。

 燃え尽きた心地で、エイミーは貴賓席へと戻った。着席すると、膝に置いた手を、オリヴィアが、ぽんぽんと叩いて労ってくれた。

「立派だったわ」

 顔を寄せて、そっと囁く。

「ありがとう、お義母さま」

 エイミーも小声で返した。

 鼓膜の奥で、まだ心臓が(とどろ)いている。

(お、おお、終わったあぁぁ……っ)

 人前で話すのは、本当に久しぶりだった。もう一回やれといわれても、膝が震えて無理だ。

 気が緩み、半ば茫然自失しているうちに、開幕式は終わった。

 講堂の扉が左右に大きく開かれ、来賓が先に外へでると、続いて生徒たちがぞろぞろと続く。

 講堂前の広場で待っていると、すぐに、エミリオが駆け寄ってきた。

「エイミー、素晴らしかったよ!」

 いつでも冷静な彼にしては珍しく、感情の色濃い声が弾けた。菫色の瞳が、きらめく星のように輝いている。

「ありがとう、お義兄さま! なんとか終わりました……」

 エイミーは表情を綻ばせた。張りつめていた糸が、ふっとほどけた気がした。

「よく頑張ったね」

 手をそっと握られた瞬間、自分の手が、震えていることに気がついた。

「……うん。ほっとしたら、なんか……」

 声が震えて、目元が熱を帯びる。

「エイミー」

 ぎゅっと、包まれるように抱きしめられた。

 温もりが、冷えきっていた感覚を溶かしていく。

 とても心地良かったけれど、周囲の視線が気になり、控えめに身を引こうとすると、エミリオも離れた。けれども、指先は優しく握られたままだ。

 顔をあげたエイミーは、息を止めた。

 エミリオの頭上に、光の粒子が集まりはじめている。


 68%


 好感度だ!

 すごく、あがっている!!

「母上、エイミー、文化祭を見にいきましょう。案内しますよ」

 指先をつないだまま、エミリオは優しげに笑みかけた。

 その無垢な微笑がこぼれた瞬間、空気が──ざわり、と波立つ。

 胸を撃ち抜かれた生徒たちは次々と心臓をおさえ、呻き声さえあげていた。エイミーもまた、眩しさに射抜かれて視線を逸らした。

「……さすが、お義兄さま」

「何が?」

「すごく注目されるから。学院では、いつもこんな感じなの?」

並列化水晶(バベル)雑音遮断(ノイズ・キャンセル)を有効にしているんだ。どうでもいい会話は聞こえないから、楽でいいよ。エイミーもそうしたら?」

 あまりにもあっけらかんとした口調に、思わず吹きだしそうになる。

 ……エミリオの学院生活が垣間見えた気がする。向けられる秋波も、情熱も、涼しい顔で受け流し、無意識に幾人もの恋心を袖にしてきたのだろう。

「ほら、いきましょう。エミリオの研究成果を見せてちょうだい」

 オリヴィアの明るく艶やかな声が、膠着していた空気をさらりとほどいた。

 いざ魔導光学部へ──

 若き天才が飛び級で籍を置く、大学院の中枢領域。深淵光(アビサル・フレア)に挑む叡智の砦、魔術と理論が交差する祭典の(コア)へと向かった。

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