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18

 婚約の話は、間もなく霧散した。

 エイミーは、婚約という将来設計よりも、自立の一助として、また公爵令嬢としての責務を果たすため、かねてより構想していた奨学金制度の創設を養親に話したのだ。

 彼らはその志を真摯に汲み取り、テンペスティスも、あの穏やかな笑顔で快く(うべな)ってくれた。

 奨学金制度の創設は、エイミーが投資を始めた理由のひとつだった。

 三年前から運用している投資は、一,二四〇,〇〇〇ルアー(約一億円)の資金から、約七四四,〇〇〇ルアー(約六千万円)を稼働させ、着実な成果を結んでいた。

 総資産は現在、二,三二〇,〇〇〇ルアー(約一・八億円)にまで増えている。

 当初は五年計画だったが、利益が十分にでたため、四月には学院奨学金制度の構想を専門家たちと具体化し始め、五月には六二〇,〇〇〇ルアー(五千万相当)の持ち株を売却した。

 初年度は、エイミーが全額出資するが、次年度以降は有志からの支援も募る予定である。

 制度名は、“アガサの灯火”。

 エイミーのミドルネームを冠した名であり、孤児院育ちのエイミーに公爵家が灯してくれた希望の火を、次代へ繋げたいという祈りがこめられていた。

 本当は、ゼラフォンダヤの名を入れたいとエイミーは主張したのだが、露骨すぎると義母に不評で、仕方なく諦めたのだ。

 奨学金の基本理念は、「施し」ではなく、「力を伸ばす支援」。

 給付条件は、顧問弁護士と義親、学院教師、そしてエミリオの助言を受けて、次のように定めた。

 ・経済的理由により就学が困難な十八歳以下の子ども

 ・魔力量や血統に依らず、学びたいという意志を最優先とする

 ・返済不要の全額給付(学費および生活費の全面支援)

 ・支援を受けた者は“灯火を継ぐ者たち”の名簿に名を残し、次の子へと灯火を繋ぐこと

 ・特に優秀な支援卒業生には、さらなる奨学金を授与する


 それは、貧困のなかに在っても夢を見続ける子どもたちへの、ひとつの約束だった。

 日々は目まぐるしく過ぎ、八月。エイミーは十一歳の誕生日を迎えた。

 去年までは盛大な祝宴が催されたが、今年は家族のほかに、数人の友人を招待して慎ましく祝うことにした。

 けれど、飾られた談話室と家族と友人の笑顔は、どんな贅沢な宴よりも心を温めてくれた。日帰りだけれど、多忙なエミリオも駆けつけてくれて、とても幸せな一日を過ごすことができた。


 そして、十月。

 “アガサの灯火”の構想が正式に発表され、小さな波紋のように、確かな反響を呼んだ。

 発表から間もなく、エイミーのもとへ、かつての学び舎グラスヴァーダム魔法学院から、文化祭への招待状が届いた。

 秋ごとに学院で開催される文化祭と魔競祭は、隔年で行われており、今年は文化祭の年だった。

 招待状には、もう一枚の手紙が添えられていた。

 かつて退学処分を受けた少女に、“アガサの灯火”について語ってほしいという依頼である。

 人前で話すのは得意ではないが、それもまた灯火の一環。

 広報としても有効であると判断したエイミーは、招待と提案を受け入れた。

 同行者として、アンに声をかけたが、返ってきたのは丁寧な断りの返答で……やはり学院には、良い思い出がないのだという。

 残念だけれど無理強いはできないので、義母のオリヴィアとふたりでいくことにした。


 十一月の瑞々しい朝。晴天。

 窓の向こうには、紺青の空が広がり、綿をちぎったような淡い雲が浮かんでいる。

 公爵邸の私室で、エイミーは全身鏡の前に立ち、自身の姿を入念にチェックした。

 久しぶりに袖を通す、グラスヴァーダム小等部の制服。

 上品なセーラー・ワンピースは、通常は紺地に金釦、黄金のリボンタイとフリルが特徴だが、エイミーは黒地にワインレッドのリボンタイとフリルにカスタマイズしている。

 規定のベレー帽はかぶらず、代わりに、銀の雨樋の怪物(ガーゴイル)とヴァイオリオンがあしらわれたカチューシャ──エミリオからの誕生日プレゼントを身につけていた。

 一階におりると、ちょうど薔薇の間からオリヴィアが現れた。

 目があった瞬間、彼女の顔がぱっと華やぐ。

「あらエイミー、素敵ね。貴女は本当に黒が似合うわ」

「ありがとう、お義母さま」

「私に似て、センスがいいのね」

 いうなり、オリヴィアは舞台のように映える美貌をふわりと綻ばせた。

 彼女は、深海を思わせる青の天鵞絨(ベルベット)のドレスに身を包んでおり、波打つトレーン仕立ての裾が、歩くたびに光の濃淡をまとわせる。

 そのままパーティーに繰りだせそうな装いだが、青い羽根飾りつきの中折れ帽が、厳粛さを加味していて絶妙だ。

「さあ、準備はいい? 翔環(ポータル)でいくわよ」

 オリヴィアの明るい声に、エイミーは笑顔で頷いた。

 翔環(ポータル)は、瞬きのうちに彼方へ至る魔導転移環だ。

 非常に便利だが、飛距離に伴い心身への負荷も増すため、長距離の使用と回数には年齢制限が定められている。

 ゼラフォンダヤ公爵邸には、超高額な私設翔環(ポータル)がある。

 グラスヴァーダム魔法学院にも翔環(ポータル)は整備されているが、アルマデア大陸の王都アルテュール郊外の森の、さらに奥深くに建っていて、シルヴァニール領からは果てしなく遠い。

 十一歳のエイミーが直通で飛ぶにはまだ年齢が足りず、王都経由の二段階を要した。

 一回目。公爵邸から王都へ。

 関所には長蛇の列ができていたが、公爵家の紋章を見せれば、フリーパスだ。

 少々の申し訳なさを覚えながらも、エイミーは列をなす人々を後目に、グラスヴァーダム行きの翔環(ポータル)へと向かった。

 今日は文化祭初日のため、待合は混雑していた。が、やはり公爵家の紋章があれば、待ち時間はゼロだ。

 二回目。王都から学院へ。

 大きな光の環──翔環(ポータル)に足を踏み入れた刹那、空間がたわみ、時間がほどける。

 一瞬にして、景色は変わり、冷たく澄んだ森の空気に包まれた。

 揺らぎの余韻がまだ残る足どりで、エイミーは石の階段をおりた。後方が詰まっているため、立ち止まることは(はばか)られる。

「エイミー、大丈夫?」

 オリヴィアは、エイミーの手を引きながら訊ねた。

 エイミーは小さく微笑し、頷く。

「平気よ、お義母さま。二回連続は初めてだけれど、問題ないみたい。良かった」

 重厚な石碑に、グラスヴァーダムの文字が刻まれている。

 そこから延びる小径は、白樺の並木と黄金の背高泡立草(せいたかあわだちそう)に縁どられ、秋の風にそよいでいた。

 小鳥の(さえず)り。蟋蟀(こおろぎ)の囁き。澄んだ青空と、心地よい涼風が秋の訪れを告げる。この長くまっすぐな道をたどっていけば、王都に辿り着くが、車でも数日はかかる距離だ。

 ふと、誰かの視線が頬を撫でて、エイミーは顔をあげた。

 学院の正門前に、すらりとした佇まいの男子学生が立っていた。

「エイミー」

 懐かしい声を聴いた瞬間、胸の鼓動が高鳴った。

「お義兄さま!」

 エイミーは、ぱっと笑顔を閃かせ、駆け寄った。

 どちらからともなく伸びた腕が、互いの距離を縮めていく。身体がふわりと浮いて、彼の胸のなかへ──

 久方ぶりの、温もり。

 深い安堵と熱の余韻に包まれていたが、周囲のざわめきに気づいて、エイミーは慌てて躰を離した。

「お元気にしていましたか?」

 少し照れながら問うと、エミリオは静かにほほえんだ。八月に会った時よりも、輪郭が少し引き締まったようだ。会うたびに美貌が研ぎ澄まされていくように感じる。

「元気だよ。エイミーも元気そうだね、母上も」

「お久しぶりね、リオ」

 オリヴィアの声が優しく重なると、周囲に波紋が広がった。

「オリヴィア様だわ」「お綺麗……」「素敵な銀髪」「ゼラフォンダヤ公爵家」「エミリオ様が笑ってる……?」

 賞賛と驚嘆が入り混じった囁きが、生徒たちの間に(さざなみ)のように拡がっていく。

 つい耳を(そばだ)ててしまうエイミーだが、義母も義兄も、まるで意に介していない様子だ。

「エイミーの制服姿、懐かしいな」

「私も、久しぶりに着ました」

 エイミーは自分の姿を眺めおろし、それからエミリオを仰ぎ見た。

「お義兄さまはもう、制服じゃないのね。おそろいの制服で並んでみたかったな」

「そうか、僕も着てくれば良かったね。大学院は服装が自由だから、最近はいつも私服なんだ」

「そのお姿も素敵です。学院では、そんな風に過ごされているのですね」

 いいながら、自然と、彼の全身に視線をすべらせる。

 深い藍色のロングジャケットに、縦畝(たてうね)の柔らかなタートルネック。それから、黒い細見のスラックスと革靴。

 シンプルな装いながら、ジャケットの裏地は明るい臙脂(えんじ)で洒落ている。胸元で煌めく紫水晶のブローチは、エイミーが誕生日に贈ったものだ。

 互いに、誕生日の贈り物を身につけている偶然が嬉しい。そして、ちょっと照れくさい。

「いこう、開幕式に遅れる。講堂に案内するよ」

 エミリオの言葉に背を押されて、エイミーは学院の正門を仰ぎ見た。

 ぱち、と焔が爆ぜる音がして、思わず足をとめた。

「……大きな火鉢」

 門の両脇に置かれた孔雀石の火鉢に、碧い焔が、煌々(こうこう)と燃え盛っている。揺らめきながらも途絶えることなく、まるで意思を宿して燃え続けているかのようだ。

「守護の(まじな)いだよ」

 エミリオがすぐ傍らで続ける。

「文化祭の三日間は、さまざまな人が出入りするからね。悪しきものが入りこまないよう、蛇の鱗、棕櫚(しゅろ)の葉、(こけ)水晶なんかを燃やしているんだ」

 エイミーはそっと息を吸いこんだ。(いぶ)された香草の匂いが、胸の奥に沁みる。

「いい香り」

「……そう? 薄荷(はっか)茉莉花(まつりか)も混ぜてあるからかな? 厄除けの香草だよ」

 その時、風が吹いた。

 舞いあげられた落ち葉が、エイミーの足元、煉瓦敷きの足元をくるくると渦を描いて横切っていく。

「秋の匂いもする」

「ふ、森に囲まれてるからね」

 その言葉に誘われるように、エイミーはゆっくりと視線を巡らせた。

 森は秋の盛りを迎えている。

 銀葉の針葉樹を地色にして、真紅や深紅の楓、(だいだい)に染まる白はこやなぎ、黄金のからまつ──極彩色に染めあげられた綴錦(タペストリ)さながらである。

 その森の懐に抱かれるようにして、グラスヴァーダム魔法学院は建っている。

 学院の敷地に脚を踏み入れると、はるか上空を烏や蝙蝠──学院の守護者(ガーディアン)たちが、ゆるやかに滑空していた。

 陽は高く、空はつきぬけるように青い。

 石畳は陽光を跳ね返し、白く(まばゆ)い。

 行き交う制服姿の少女たちを見ながら、エイミーはかつての学院生活を思いだしていた。

 ―ー同級生は嫌いだったけれど、学院の制服と、歴史を感じさせるゴシック建築の雰囲気は好きだった。

 授業は嫌いじゃないけれど、遅刻の常習犯だった。三回遅刻すると、保護者(公爵家)に連絡がいくと知りながらも、やめられなかった。

 教室に早く到着すれば、黄金種(ベルハー)たちに絡まれるから、いつも予鈴ぎりぎりを狙っていたのだ。

 相変わらず、どちらを向いても黄金種(ベルハー)の青金髪が視界に入る。

 世界人口のわずか一割といわれている黄金種(ベルハー)だが、この学院においては、過半数以上を占めている。

 エイミーのアッシュブラウンの髪は、本来なら埋没するはずの色合いだというのに、この場では目立って仕方がない。

 ……いや、目立っているのは髪色ではなく、エイミー・スタイルの独創性ゆえかもしれない。

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