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 一方、エミリオはテンペスティスの研究室を訪れていた。

 厳重な警備のもと、扉の前には衛兵が立ち、入室には白衣と手袋、マスクの着用が義務付けられていた。さらに、並列化水晶(バベル)認証を経なければならず、エミリオも事前に登録を済ませ、情報漏洩防止と精密機器の保護のため、通信を完全に遮断した。かなり厳重だが、今日は友人として招かれているので、常時作動している自動音声筆記機は、さすがに停止しているらしい。

 研究室の内部は、白大理石の敷かれた広々とした空間だった。整然と管理された精密機器と秘術の道具が棚に並び、壁には窓の代わりにホログラフが埋めこまれ、奥行きのある森林が投影されている。反対側の壁には浅いくぼみ(アルコーヴ)があり、横長の硝子棚や本棚、長椅子が配置されていた。室内にはほとんど匂いがなく、徹底した清浄が保たれている。

 テンペスティスは、特別に硝子棚の鍵を開けて、そのなかに収められた水晶を取りだした。

 六角錐の結晶――オラクル・スフィアの模型(レプリカ)。エミリオはそれを手に取り、静かに息を呑んだ。

 本物は厳重に保管され、王宮の奥深くに眠っている。滅多に世に姿を現さぬ神秘の結晶。その片鱗すら、ただの模型(レプリカ)であれ、畏敬に値する。

 オラクル・スフィア――未来を読み解く究極の魔導装置であり、魔導と科学の(すい)を結集した奇跡の産物。巨大な水晶体の内部には、魔法回路と精密機械が複雑に絡みあい、不可視の深淵光(アビサル・フレア)を解析する。人の手では計り知れぬ膨大な情報を紡ぎだし、宇宙の摂理を可視化する神器。その演算能力は、過去と未来を交錯させ、可能性の分岐を瞬時に示す。王国の政策決定や軍略、果ては経済動向までもこのスフィアの示す指針によって左右されるのだ。

「これは……すごい……」

 エミリオは感慨深げに呟いた。

「最年少のグラスヴァーダム大学院生に関心してもらえるとは、光栄だよ」

 テンペスティスの言葉に、エミリオは微笑した。

「僕はただの学生ですから。僕の方こそ、今日ここにこれたことは僥倖でした。オラクル・スフィアの叡智に触れることができるなんて」

 オラクル・スフィアは超自然魔術と科学の融合の極致だ。魔導学会では不朽の議題のひとつであり、今日まで侃々諤々(かんかんがくがく)と議論が交わされ続けている。

「ここにある水晶は、すべて複製ですか?」

 硝子棚に並ぶ水晶を眺め、エミリオは問いかけた。

「いや、少しずつ違う。これらの模型(レプリカ)は、予測の崩壊境界線――僕たちは限界数字と呼んでいるけれど、それを探るために調整されたものなんだ」

 エミリオは小さく目を瞠った。

「オラクル・スフィアの未来予測はすでに驚異的な精度を誇るはずですが……まだ向上の余地が?」

「研究に終わりはないよ。でも年々、空想社会主義派の声は大きくなっているから、そういった意味では、研究の存続は難しい一面もあるけれど」

 最近は懐古主義(ノスタルジー)が流行し、並列化水晶(バベル)をはじめとする未来予測技術に対し、知への警告と捉える憎悪(ヘイト)が増していた。「人は預言者を語るべきではない。それは神の領域だ」と、空想社会主義派は主張している。主張するだけならまだしも、過激な者たちは暴動すら辞さない。

反駁(はんばく)者は身勝手ですね。災害予測や気候予測の恩恵を享受していながら、オラクル・スフィアを否定するとは」

 エミリオがこぼすと、テンペスティスは苦笑した。

「本当に困った人たちはごく一部だよ。何か、きっかけが必要なのだろうね。そうすれば、嫌悪が崇敬に変異することもある」

 しばしの沈黙のあと、テンペスティスは穏やかに言葉を紡いだ。

「僕たち家族は、エイミーにとても感謝しているんだ」

「エイミーに?」

 突然の話題変換に、エミリオは戸惑いながら顔をあげた。

「そう。アンと話していると、頻繁にエイミーの名前がでてくる。まるで彼女を崇める信者みたいだよ」

「エイミーも同じです。しょっちゅう、アンの話をしていますよ」

 エミリオの言葉に、テンペスティスは満足げに頷いた。

「アンは学院を辞めた後、しばらく食事もできないほど落ちこんでいた。家族といても黙しがちで……でも通信制を始めてしばらくすると、笑うようになって……今思えば、その頃エイミーと出会ったのだろう」

 エイミーもまた、同じだったのではないかとエミリオは思う。

「ひとりでシルヴァニールを訪れるといったとき、家族全員が驚いたよ。つき添いを申しでたけれど、アンはひとりでいくと聞かなくて。心配したけれど、杞憂だった。帰ってきたアンは満面の笑みでね、まるで宝物を披露するように、森の落ち葉で描いた絵を僕たちに見せてくれたんだ。エイミーから贈られた絵と自分の絵を額縁にいれて、大事に部屋に飾っているよ」

 テンペスティスが朗らかに笑うと、エミリオもつられて微笑した。自分もまた送られた秋の絵を思いだしながら。あの贈り物は、確かにエミリオの心の琴線をかき鳴らした。

「アンときたら、森で拾った落ち葉まで宝物のように大事にしまっているんだ」

 思いだしたように、ふっとテンペスティスは笑う。

「アンはエイミーに夢中だ。妹の影響で、僕たち家族はすっかりエイミーのファンになってしまったよ」

 彼がエイミーを賞賛するたびに、エミリオは奇妙な感情を覚えた。エイミーを誇らしく思う一方で、焦燥にも似た何かが胸をかすめる。

「僕が彼女に見合う年齢なら、きっと交際を申し込んでいただろうな。素敵な女の子だよね。彼女と義姉妹になれたら、アンも大喜びするに違いない」

 好意ある社交辞令だ。

 そう判っているのに、エイミーを「素敵な女の子」と評するテンペスティスに対し、正体不明の苛立ちを覚えた。

「エイミーはもう、アンを姉妹のように感じていますよ」

 エミリオは如才ない笑みで応えながら、焦げつくような心のざわめきを持て余した。

(僕だって、今の(・・)エイミーは評価している。けれど、彼は酷かった頃のエイミーを知らないから、呑気に交際なんていえるんだ)

 どこかひねくれた考えが、心の奥底に渦を巻く。

「もしふたりが学院で出会っていたら、違った未来があったのかもしれませんね」

 エミリオの言葉に、テンペスティスは頷いた。

「でもね、これでよかったと思うんだ。グラスヴァーダムは名門だし、僕のような研究気質には良い環境だけれど、アンのように内気で霊感の強い子には不向きだったろう。長く在籍すれば、感性は馴致(じゅんち)されて規範化されていく。言語化の日常にいては、天与の霊感は鈍ってしまう」

 澄んだ水晶のような瞳に、ふと憂いが宿る。オラクル家は霊感を重んじる家系だからこそ、なおさらそう感じるのかもしれない。

並列化水晶(バベル)を義務づけられている以上、僕らの感性はある程度制御されている気がしますが」

 エミリオの厭世的な言葉に、テンペスティスは笑った。

「そんなことはないさ、並列化水晶(バベル)の基本は出力(アウトプット)だ。何を見て、聞いて、感じるのか。入力(インプット)で養われる感性や情緒の可能性は無限大だよ」

「……」

 なら、テンペスティスは自ら培った感性で、エイミーを「素敵な女の子」だと意識しているわけだ。

 またしてもくだらない考えが脳裏を過り、エミリオは自分に対して苛立ちを覚えた。

「オラクル家は未来予測に長けているうえに、僕らはアンに対して過保護になりがちだ。あの子の日常は、平穏に守られた凪そのものだった。でも、エイミーと出会ってからは、毎日が驚きの嵐らしいよ。ふたりの友情が、長く続くといいなぁ」

 柔らかな口調で語るテンペスティスから、エミリオはそっと視線を外した。言い分があるとはいえ、義妹に冷たく接してきたエミリオにとって、純粋に妹を思い遣るテンペスティスの横顔は、あまりにも眩しかったのだ。


 *


 帰館の時刻になり、エイミーはエミリオと合流した。

 正面玄関をでると、陽は西へと傾き、朱金の光が白亜の邸を神々しく染めあげていた。

 別れ際、テンペスティスはエイミーの前で恭しく丁重に屈みこみ、そっと手を取り、

「ぜひ、また遊びにきてほしい」

 甲に寄せられたくちびるの感触が、淡くくすぐったい。手を離さぬまま水銀色の瞳が細められ、ほほえみの波紋が広がる。

 エイミーの心臓がどきんと跳ねた。

 頬に熱を感じ、視線を伏せつつ身を引く。慎ましく淑女の礼を返すが、どこか気取った仕草になったかもしれない。エミリオの採点するような視線を全身に感じた。

「今日は、あ、ありがとう、エイミー」

 アンが一歩詰める。エイミーも両手を伸ばし、華奢な躰をぎゅっと抱きしめた。

「こちらこそありがとう、すごく楽しかったわ」

 ミルクティー色の柔らかな髪に頬を寄せると、金木犀のような香りが鼻先をくすぐった。

「また遊びに、き、きてね。今度は、と、泊まっていってほしいわ」

 耳元で囁かれ、くすぐったさと共に嬉しさがこみあげた。

「いいわね! ぜひ」

 ぱっと躰を離し、笑顔で頷いた。

 後ろ髪をひかれる思いで馬車に乗ると、エイミーは小窓から顔をだし、名残惜しげに手を振った。アンも振り返してくれる。

 黄昏のなかで彼女の姿が次第に小さくなっていく。寂寥感と幸福感を同時に覚えながら、アンの姿が見えなくなるまでそうしていた。

 やがてポプラ並木に邸が隠れると、エイミーはようやく小窓をしめた。正面を向くと、こちらを見ていたエミリオと目がった。

「お義兄さま、テンペスティスさんと何を話していたの?」

 エイミーはにこやかに訊ねた。

「オラクル・スフィアの模型(レプリカ)を見せてもらったよ。研究のさわりを少し……それから、アンとエイミーの仲が良くて嬉しいっていう、彼の感想?」

「それは気になるわね。アンの家族には、よく思われたいわ」

 エイミーは明るい気持ちで身を乗りだすが、エミリオの表情は変わらなかった。

「テンペスティスさんに、どう思われているか気になる?」

「それは、もちろん。アンのお兄様だし」

「褒めていたよ。アンは毎日のように君の話をするそうだ」

「あら~、嬉しい」

 頬に手を添え、にんまりとほほえむ。そんなエイミーを、エミリオはじっと見つめる。

「もし、テンペスティスさんが……」

 言葉が不自然に途切れた。言葉を濁すなんて、彼にしては珍しい……なにか苦言でもあるのだろうか?

「……テンペスティスさんが、何?」

 エイミーは先を促すように姿勢を正した。

「エイミーは、テンペスティスさんのことをどう思う?」

 問いかける声は穏やかだが、どこか試されているような感触があった。

(あれ、機嫌悪い……?)

 戸惑いつつ、彼のことを思い返してみた。前世もちのエイミーから見ても、十四歳のテンペスティスは大人びて見えた。品があり優しげで、アンのおかげだと思うが、エイミーに対して好意的で感じがすこぶる良い。

「とても素敵な人だと思うわ」

 別れ際の挨拶を思い返して、赤面しそうになる。年上の美少年からあんな風に、丁寧に貴婦人に接するようにされたら、ときめいてしまうのは仕方がない。

「素敵な人、か」

 なぜかエミリオは、胡乱(うろん)な目つきでエイミーを見た。その時、彼の頭上に光が集まり始めた。


 50%


 最後に見たときは52%だったのに!

 エイミーは息苦しさを覚え、両手で胸を押さえた。

(な、何がいけなかったの……?)

 ここしばらく数字は右肩あがりだったので、さがるとは思っていなかった。突然のことに焦燥が胸を()く。何か彼の気に障ることをしてしまったのだろうか?

 不安に駆られ、そっとエミリオを窺う。すると彼は、どこか拗ねたような表情で視線をそらした。

(――まさか、嫉妬?)

 馬鹿げた考えが一瞬よぎるも、秒で否定する。エミリオがエイミーに嫉妬するなんて、あるはずがない。関係修復中とはいえ、つい最近まで蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われていたのだ。

 冷静に考えれば、単にテンペスティスの社交辞令に浮かれていたエイミーの態度が、目障りだったのかもしれない。淑女たるもの、異性に手をとられたくらいで動揺してはいけない。或いは、彼に会いたい、仲をとりもって、などとせがまれることを懸念しているのかもしれない。

 それならば、心配無用だ。エイミーは、エミリオに精一杯の愛想で笑みかけた。

「だけど、お義兄さま以上に素敵な人はいないと思う」

 エミリオはエイミーに視線を戻した。菫色の瞳が一瞬だけ揺れ、ふいっと逸らされた。

「そう、ありがとう」

 そっけない返事だが、頭上に顕れた数字は一目瞭然だった。


 53%


 あがった!

 ほっと安堵すると同時に、不思議な気持ちになる。

 常日頃から美辞麗句や好意に恋情など、浴びるほど受け取っているエミリオが、エイミーの一言で機嫌を直すとは。

(些細なことで、数字ってこんなに動くのね……)

 振り回されないようにしないと。そう自戒しつつ、なんだかほほえましいような、胸の奥がふわりと温かくなる。

 最近、こういうことが増えた気がする。エミリオに対して、愛しさを覚えるのだ。

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