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 翌日。昼食をとったあと、エイミーとエミリオは玄関広間に向かった。ふたりとも乗馬に適した身軽に動ける恰好をしている。

 エイミーは、黒を基調としたケープコートを(まと)い、淡いベージュの細いズボンを脚に滑らせ、膝上まで伸びる艶やかな革の深靴を履いている。エイミーにしては装飾控えめだが、裏地に忍ばせた白豹(しろてん)が洒落ている。全体の印象は大人びているが、髪を高く結いあげ、真っ白なポンポン飾りは子どもらしい。

 エミリオは、重厚な刺繍が施された軍服風のデザインで、腰回りを締める金属の装飾ベルトが素敵だ。身体に沿う縫製なので、スタイルの良さが際立つ。深い黒の布地は上質で温かそうだが、外套はいらないのだろうか?

「お義兄さま、寒くない?」

 エイミーが訊ねると、いや、とエミリオは首を振った。

「平気だよ。今日は天気もいいしね」

「そうね。私もコートいらないかな?」

 エイミーは健康な八歳児だが、冷え性だった笑美の影響で、この頃は靴下も肌着も、暖かいものを好んで身に着けている。

「着ておけば? 暑くなったら、脱げばいいんだから」

「うん」

 外にでると、使用人が二頭の美しい馬を引いてきた。

 この時代、人工ではない本物の馬に乗ることは上流階級のステータスで、公爵邸では、十七頭の素晴らしい馬を所有している。黒い雄馬はエミリオ、白銀の牝馬はエイミー専用の馬で、それぞれ養親から誕生日プレゼントに贈られた、一頭あたり一二四〇,〇〇〇ルアー(約一億円)もする超高級馬だ。

 乗馬は貴族の(たしな)みで、ふたりとも五歳の頃から馬に乗っている。エミリオはひとりで乗れるが、エイミーは補助が必要なため、使用人の手を借りて馬に乗ると、視界がぐんと高くなる。

「大丈夫?」

 エミリオの問いに、エイミーは笑顔で頷いた。乗馬には慣れているし、御伽噺のような白銀のシンシアのことは大好きだ。

「お義兄さまこそ、馬は久しぶりですか?」

「いや、学院の授業で乗っていたから、そうでもないよ」

 なるほど、とエイミーは頷いた。

 手綱さばきが軽やかで、凛々しい乗馬姿に見惚れてしまう。きっと学院でも注目の的だったに違いない。このように麗しい少年貴公子を見たら、年頃の少女たちは(たちま)ち恋に落ちてしまうだろう。

 少し距離を置いて、浮遊単駆動車で追従しようとする護衛を、エミリオは振り返った。

「こなくていいよ、僕がいるから。何かあればウィスプで連絡して」

「かしこまりました」

 護衛は、丁寧にお辞儀をして引きさがった。

 きっとエイミーがいっても聞きいれてくれないのに、エミリオの言葉には従うのね……なんてひねくれた考えが脳裏を掠めるが、これも過去の悪行のせいだ。

 公爵家の裏に拡がる森に向かって走ると、ロージーが元気に駆け寄ってきた。今日は馬に乗っているので、いつもより遠くまでいける。

 ラドガ湖を囲む広大な森は、紅葉が見頃を迎えている。

 森のなかで空を仰ぎ見ると、視界いっぱいに、コナラや(かえで)の鮮やかな赤や黄金が目に飛びこんでくる。

 さわさわ、梢の葉擦れの音。遠くから聞こえるせせらぎ。鳥の(さえず)り。自然の交響曲に包まれて、原始の森の美しさに心を奪われる。緩やかな常歩(なみあし)の馬も、心地よさそうに尾を揺らしている。

 ラドガ湖は世界で十番目に広い湖で、外周をギャロップで駆けたとしても、三日はかかるだろう。

 あまりに広大なので、散歩する際はもっぱら、公爵邸から一番近い場所を起点にして、左右五キロから十キロ前後を目安にしている。外周は歩道整備されていて、馬でも走りやすい。

 湖に映る雄大な峰、紅葉が綺麗だ。穏やかな静寂が心を癒してくれる。空気は澄んで、冷たく、そろそろ極光(オーロラ)を鑑賞できる季節になる。

 一刻ほど散策したあと、再び森にわけ入り、秘密基地の前でおりた。

 エイミーが毎日のように訪れているので、なかは綺麗に保たれている。エミリオに雨除けの魔術をかけてもらったので、天幕の外側も綺麗だ。

「休憩にしましょう。火を(おこ)すわ」

 エイミーはケープを脱いで袖をまくりあげ、天幕から道具をもちだし、煉瓦を積んだ小さな窯に火を入れた。その様子を、エミリオは興味深そうに見守っている。

「慣れているね」

「まぁね」

 ちょっと誇らしい気持ちでエイミーは頷いた。薬缶を火にかけて、湯を沸かす間に調理に取りかかる。

 煉瓦のうえに木製のまな板を水平において、持ってきた携帯保存袋から、材料をとりだすと、水筒の水で軽く手を洗う。エミリオの手にもかけてやった。

「こうやって、串にさしすの」

 お手本を見せると、エミリオは目を煌めかせて、キノコやベーコンを串にさしていく。

「僕が火にかけようか?」

 防火手袋をはめるエイミーを見て、エミリオが申しでた。

「平気、いつもやっているから」

「気をつけてね」

「うん」

「火事を起こさないように」

 エイミーが無言でエミリオに流し目を送ると、エミリオは咳払いした。

「失礼、つい」

「いいの」

 実際、庭に火を点けた前科もちのエイミーである。彼が釘を刺したくなるのも無理はない。

 そうこうしている間に湯が沸いた。じゃがいも、ベーコン、チーズ、それからスープの素と調味料を白い琺瑯カップに入れて、湯を注ぐ。木製スプーンでかきまぜて、簡単オニオンスープのできあがり。

「熱いから気をつけて」

 カップを渡すと、エミリオは両手で慎重に受け取った。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 エイミーはにこっと笑みかけ、よく火が通るように、串の向きを変えた。

「そろそろいいわ」

 焼きあがった串に、ハーブと塩胡椒を振りかけて、エミリオに渡した。食べ方を迷っている様子を見て、エイミーはかぶりついて見せた。淑女らしくないかもしれないが、これが正解だ。すると、エミリオも同じようにかぶりついた。意外と躊躇いのない大きなひとくちだった。

「美味しい!」

 菫色の瞳がぱっと輝いた。

「良かった」

 エイミーもぱっと笑った。

「こんなに美味しいもの、初めて食べたよ」

 上品に口元を手で隠しながら、エミリオは感想を述べた。

「本当? 嬉しい」

 携帯保存袋に密封していたとはいえ、外で調理したものだ。エミリオがどう思うか心配していたのだが、気に入ってくれて良かった。

 傍にロージーが寄ってきたので、香料を振りかけていないベーコンを切り分けてあげた。尻尾をぶんぶん振りながら、ロージーはがつがつ食べている。

「エイミーは森でいつも、これを食べているの?」

「たまに。けど、今日は格別に美味しく感じるわ。きっとお義兄さまと一緒だからね」

 目を見つめていうと、エミリオは、はにかむように視線を伏せた。

 この理性的な義兄に、かわいいといいたくなる日がくるとは。思いがけず、エイミーはほほえましい気持ちになる。

「お義兄さま、グラスヴァーダムの寮生活はどんな感じですか?」

「やっぱり小等部とは違うね。皆大人だし……変わった人が多いけれど、個人主義というか、僕を特別視しないでくれるから楽だよ」

 エミリオは、大学課程の「月影寮」で生活している。高度な魔法研究を行う生徒のために用意された寮で、個室が与えられ、静かな環境で研究に集中できると聞いている。

「朝は早いんですか?」

「僕は早いけど、人によるよ。朝から瞑想や魔法の基礎練習に取り組む人もいれば、昼まで寝ている人もいる。皆、午後は講義や実験に集中して、夜は天体観測や個人研究に取り組んだりしている」

 エイミーは興味深く頷いた。ここ最近、エイミーの投資の話ばかりしていたので、彼の学園生活について聞いてみたいと思っていたのだ。これまでは聞ける仲ではなかったから、話してくれるのが嬉しい。

「大学の食事は美味しい?」

「美味しいよ」

「何が好き?」

 ふっとエミリオは笑った。

「そんなこと気になる? 学園内にレストランやカフェはあるけど、僕はいったことない。いつも携帯包装食(エーテル・パック)を買って、公園で食べているから」

 彼らしいな、とエイミーは頷く。

 携帯包装食(エーテル・パック)は、いわゆる弁当のことだ。表面に銀色の簡易封印が施されており、封を開けると食材の鮮度を保つ魔法が一瞬で解除され、温かな湯気が立ち、大きくなる。なかには、ドライミートやチーズ、果物や穀物パンが入っていて、栄養バランスに優れているし味も良い。

「公園で食べるのいいね」

 と、エイミーは同意した。

「気持ちいいよ。良い気分転換になる」

 友達と一緒に食べているのか気になったが、質問するのは気が引けた。周りは大人ばかりで、大学は始まったばかりだ。気のあう友人を見つけるには、たぶん、時間がいるだろう。

「大学の講義は難しい?」

「まぁ、難しいよ。でも、それ以上に興味深い」

「どんなことを学んでるの?」

 エイミーは明るく訊ねた。エミリオは少し言葉を選ぶように考えてから答えた。

「例えば深淵力学で、冥淵界(クォンタム・ヘル)の構造について学んでいる。どのようにこの世界と繋がり、深淵光(アビサル・フレア)を引きだしているのか、その理論を、実験を重ねながら深く掘りさげているところ」

「実験って? 罰則(ペナルティ)があるでしょう、危なくないの?」

 現代科学は光速を可能にし、瞬間転移や上位次元干渉に成功しているが、冥淵界(クォンタム・ヘル)については解明できていない。謎が多いこともあるが、危険を伴うのだ。深淵光(アビサル・フレア)に触れ続けると、“影霊”に侵されてしまう。これを罰則(ペナルティ)と呼ぶ。

「専属の浄心療法士が常駐しているし、対策はされているよ。冥淵界(クォンタム・ヘル)の研究施設は、安全面も重要視されるから」

「そうなんだ。深淵力学って、お義父さまの仕事にも関係している?」

「もちろん、関係しているよ。ゼラフォンダヤ公爵家は、古くから影霊祓いを生業にしているし、父上は冥淵総帥(めいえんそうすい)だしね」

 そう、義父であるエドガー公爵は、冥淵界(クォンタム・ヘル)から生じる影霊との戦いを指揮する、王国最高位の指導者でもある。

 影霊は、(くら)く、(おぼろ)で、(かたち)なく、“いる”と認識してしまうと呪われる。墨が沁みこむように心を(むしば)み、死へと(いざなう)うことから人々に恐れられてきた。

 その問題に対処するのが影霊祓士や浄心療法士で、ゼラフォンダヤ公爵家は彼らの筆頭だ。影霊単体ではなく、その集合体、(かたち)となった 冥災(めいさい)を祓うことができる。一都市まるごと祓う冥照陣(めいしょうじん)断罪光(だんざいこう)を放出できるのは、ゼラフォンダヤ公爵家くらいのものだろう。

「じゃあ、公爵家のことを考えて、深淵力学を就学しているの?」

「半分はね。継承者として学んでいるのはもちろんだけど、僕自身も冥淵界(クォンタム・ヘル)に惹かれているんだ」

「惹かれてる?」

 エイミーは首を傾げた。

冥淵界(クォンタム・ヘル)は、僕たちの世界と並行して存在する、観測可能な別次元だ。その法則や現象を解明できれば、深淵光(アビサル・フレア)の安全な利用だけじゃなく、新しい魔法体系や次元間移動の安定化も見えてくるかもしれない。それに……単純に、未知を知りたいという気持ちがある」

「探求熱心だね。私は、なんでも並列化水晶(バベル)に訊いちゃうからなぁ」

 エイミーはすごいなぁと感じ入りつつ、脱力した。

並列化水晶(バベル)は義務化されているし、使うのは当たり前なんだけど、依存しすぎると自ら考える力を失ってしまうかもしれない。だから、エイミーも並列化水晶(バベル)の力を借りながら、自分で考える癖をつけるといいよ」

「気をつけます。私もお義兄さまを見習って、思考停止しないようにしないと」

「訊くこと自体は、いいことだよ。知ろうとしなければ、何も始まらない。並列化水晶(バベル)や僕に訊いて、そのうえで考えることが大事なんだと思う」

 エミリオは微笑みながら答えた。

「その通りね」

 しみじみとエイミーは頷いた。いやはや、十歳の少年とは思えないほど立派だ。

 心地いい風が流れて、ふと沈黙が落ちる。窯の火はもう消えていて、崩れた炭の端が、わずかに橙に光っていた。

「そろそろ、帰ろうか」

 エミリオの言葉に、エイミーも頷いた。

 椅子代わりにしていた切り株から腰を浮かすと、膝がじんとした。けっこう長い時間、座っていたようだ。

 窯の後片づけを済ませて、荷袋を馬具にくくりつけたエイミーは、エミリオを振り向いた。

「お義兄さま、冬はお戻りになる?」

 エミリオは考えこむ素振りを見せた。去年は帰ってこなかった。冬至祭も、誕生日も、新年を迎えても……公爵家にエイミーがいるから。

 そう考えて、自信をなくしかけたエイミーだが、思い切って誘ってみることにした。

「もし、時間があれば、極光(オーロラ)を鑑賞しにいかない?」

「鑑賞?」

「うん。十二月になれば、見れると思うから。綺麗だよ。ロージーを連れて、暖かいスープを飲みながら、眺めない?」

「それはいい案だね」

 好感触だ。エイミーの胸の奥に、ぽっと暖かな火が灯った。

「そろそろラドガ湖が凍り始めるから、スケートもできるよ」

「いいね」

「楽しみね」

 エイミーが笑みかけると、エミリオもほほえんだ。

「誕生日は判らないけど、冬休みには戻ってくるよ」

「うん! 楽しみ」

 心がふわっと軽くなり、エイミーは衝動的に、足元の落ち葉の山をつま先で蹴りあげた。赤や黄色の落ち葉が舞いあがる。

「はしたないよ」

「お義兄さまも蹴ってみて」

 エイミーが誘うと、エミリオは少しだけ逡巡した後、つま先で蹴りあげた。紅葉した葉が舞いあがり、思わずといった風に、エミリオは声にだして笑った。

「はは、こんなに散らかして、落ち葉を掃除する人は大変だ」

「森で掃除? 誰にも怒られないよ!」

 エイミーは無邪気に笑う。思いきり蹴りあげると、落ち葉が高く舞いあがった。エミリオも続けて蹴りあげながら笑った。

「しまったな。エイミーの振る舞いが僕にも移ったかもしれない」

「楽しくていいでしょ? これだけ降り積もっていたら、落とし穴があっても気づかないね」

「ダメだからね」

 エミリオは蹴るのを止めてエイミーを見た。

「何が?」

「落とし穴を作る気じゃないだろうね」

 エミリオに睨まれて、エイミーは怒ったふりをした。

「作らないよ!」

 エミリオに向かって落ち葉を蹴りあげてやった。枯れ葉が舞いあがり、エミリオの姿を覆い隠してしまう。

「やったな」

 お返しとばかりに、エミリオはエイミーに向かって枯れ葉を蹴りあげた。しまいにはたりとも葉っぱまみれになって、声をあげて笑った。

 やがて興奮も醒めて、そろそろ戻ろうとしたが、互いの姿を見て冷静になった。

「髪の奥にまで枯れ葉が潜んでる。どうしよう、ちっとも取れない。マイヤ夫人に殺される」

 エイミーは髪をいじりながら、深刻げに呟いた。

「僕も同罪だよ」

 協力して、互いの背中や髪についた枯れ葉を取り除いたが、細かな葉片の全てを取り除くことは不可能だった。

「大丈夫かな……」

 エイミーは土汚れの目立つ淡いベージュのズボンを眺めまわした。つい、はしゃいでしまった。

「洗えば落ちるさ。うちには最新のナノ分解洗濯機がある」

「確かに」

 この世界の生活魔道具は実に優秀で、ナノ分解洗濯機は、あらゆる汚れを落としてくれる優れものだ。

「飛び跳ねたら、枯れ葉が落ちるかも」

 その場でステップするように撥ねるエイミーを、エミリオが笑って見ている。

「兎になったつもり?」

「お義兄さまもどうぞ?」

 誘うと、エミリオの笑いは大きくなった。両手で腹を押さえて笑う姿なんて、初めて見る。

 彼の頭上に光が集まりだしたので、エイミーは飛び跳ねながら、見守った。


 41%


 わぁ、随分あがった。

 最後に見た時は、32%だった。会えない間もウィスプをしていたから、夏からさほど疎遠にしてはいなかったけれど……

 あんなに人形めいて見えたエミリオが、今、こんなにも楽しそうにしている。エイミーに笑いかけてくれる。それだけ心を許してくれたのだと思うと、感動して、涙がでそうになる。

 公爵家に戻ると、エイミーとエミリオの恰好を見た使用人たちは、予想した通り、少々慌てた。というよりも驚いていた。マイヤ夫人は少しばかり小言を漏らしたが、その眼差しは優しかった。

 これまで子供らしく遊ぶことのなかったふたりの姿に、その新鮮さに、彼らは胸を打たれのだ。

 その日の夕方、エミリオは静かに馬車へ乗りこみ、グラスヴァーダム魔法学院へ出発した。

 玄関先で見送ったエイミーは、いつもにまして寂しさを覚えたが、次の約束があることが嬉しかった。冬休みになればまた会える。

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