出会い
「さっっっっむ!!」
森の中へ入った瞬間、アンズはあまりの寒さに叫んだ。
それもそのはず、生地の薄いペラッペラなワンピースに底に穴のあいた靴しか身につけていない状態で大雪が降り続く外に放り投げられたのだから。
裏口に置いてあった心細いランタンをぶら下げてふたつ渡されたうちのひとつのバケツを持ってアンズは森の中へ足を踏み入れた。
アンズはブルブルと体を震わせながら心の中で〝覚えてなさないよぉ!〟メリーとロストン夫妻に対して怒りをあらわにする。
本当ならばこの森中に響き渡るくらいの声量でぶちかましたいが、今日は寒すぎる。なんなら呼吸すら凍りつきそうなくらい。
アンズは極寒の窮地に追い詰められながら最も苦手な夜の森に足を踏み入れなくてはならない事態になった事に果てしない怒りを感じていた。
あの小娘、わたしが夜の森が嫌いな事わかってるわね。だからって水瓶まで壊さなくたっていいじゃない!水がなくて困るのはあんたも同じでしょうが……!
ギュッギュッと雪を踏みしめながら大股で進んでいくアンズは夜の森に対する恐怖心よりもメリーへの怒りの感情が勝っているのかズンズンと進んでいく。
夜の森はキーンと耳鳴りがしそうなほどとても静かだ。
そんな森の中をガチャガチャとバケツを揺らしながら雪に埋もれる足を持ち上げて一生懸命歩くアンズの体は冷たい雪によってどんどんと奪われていく。
寒いなんて可愛らしいものではない。全身が痛く凍りついていき、歩き続ける足にはもはや感覚はなかった。
冷たい雪を掻き分けながらいつもより時間をかけて歩き続け、ようやく森の出口までたどり着いた頃にはアンズの頭は寒さでぼんやりとしており、どうして自分がここに居るのかすらわからなくなってしまっていた。
ただ水を井戸から汲む事が習慣づいている体はフラフラとした足取りで井戸へ向かって歩いていく。
そして、アンズがすでに真っ赤になった手でロープを握った時、何かに気がついた。
いつもと井戸の様子がおかしい。
アンズはよくまわらない頭で考えなしにその中を覗き込む。
中に何かがいた。
鈍く光る赤いふたつの光と井戸に反響して聞こえるぐるぐるという音がアンズの違和感と結びついた瞬間、アンズは反射的にその手を離した。
「…………!」
しかし、ぼんやりとしていたアンズが危機を察した時には既に逃げるには遅かった。
あっという間に井戸から大きな何かが飛びだすと、アンズの喉元を狙ってキラリと光る牙を剥いて襲いかかった。
アンズは目を閉じる事もできずにそれを見ていた。
一秒も満たない速度で目の前に真っ赤な光が至近距離に迫りきたそれにアンズは喉がひゅっと音を鳴らして息を吸い、〝ここで死ぬのか〟と頭の片隅でそう悟ったその時だった。
突然右側から強い風が吹き込んできたのだ。
すると、ものすごい音を立てて何かが森の方へ飛ばされていった。
何かが飛ばされた方を唖然と見つめていると、ギュッギュッと誰かが雪を踏みしめる音が聞こえ、アンズは肩を震わせた。
「!」
はっとして右を向くと、そこにはランタンを手に持った男が立っていた。
この暗闇の中真っ黒なコートに身を包んだ人物を男だと判断した理由はその高い身長と背格好が男のシルエットに見えたからだ。
「…………」
アンズはその男をじっと見据える。
自分を狙った何かから守ってくれたようだが、それだけでは信頼に欠ける。
何者なのか。そして、何が目的でここにいるのかがわからない以上警戒するなというのは無理な話である。
「…………ズ」
「…………え?」
男はアンズを見ながら何かを言った。
しかし、なんと言ったのかよく聞こえなかったアンズが戸惑う表情を浮かべると男はランタンをぐっと上に持ち上げた。
そランタンの火で照らされたその男の顔はフードにで隠れていても非常に整っている事がわかり、アンズは思わず息をもらす。
「お前がアンズだな」
「………………えっと?」
アンズはどうして自分の名前を知っているのかわからず首を傾げると、男はアンズの頭からつま先まで見つめた。そして、アンズに向かって手を伸ばした。
「え?ちょっ……」
驚いたアンズが後ろへ一歩下がった時、アンズの視界がグラリと揺れた。
あ…………。
アンズは後ろへ引っ張られる体を止めることはできずに、そのまま体が傾きどさりと雪に埋もれた。
あれ……、わたし、すごく、寒い……。
そう思った直後、アンズはブツリと意識を手放した。