雪の夜
昼間見た夢は仕事がはじまってしまえば頭の片隅よりもさらに端に追いやられる。
アンズは再び人形モードに切り替えるとにこりとも笑いもせず荒れくれ者達が来る前の開店の準備をしていた。
店の裏にある森をぬけた所にある井戸からたくさんの水を汲む事から準備をはじめる。
アンズは空を見上げ、水分を含み重たそうに上空を覆い尽くしている灰色の雲を見つめ、今日は雪が降りそうだとげんなりとした表情を作った。
「あと二往復しないと無理そう」
万が一水が足りなくなってしまった場合、真っ暗の中ここに水を汲みにこなくてはならない。それだけはアンズはどうにかして避けたかった。
夜の森は怖い。
これは嫌がらせを受けても何も感じない人形モードに入っていたとしても夜の森の怖さだけは克服できずにいた。
不気味なのだ。
人の怖さとは違った恐ろしさがある。
アンズは恐ろしいと感じる理由として暗闇から人や獣から襲われたら怖いというそれっぽいものを例としてあげるが、それだけではない。
おばけがでそうで怖いのだ。
そんな子供っぽい理由で苦手なのだ。
しかし、そんな理由で怖いとバレてしまえばいいネタにしかならない為絶対に隠し通さなくてはいけなかった。
「よっこらせ」
アンズは気合いを入れるように声をだしながらバケツを両手で持つ。
さっさと終わらせて料理の仕込みをしなくては。と仕方なく気合いを入れて水の入ったバケツをふたつ両手にぶら下げて森の中へ戻った。
アンズはいつもの倍の速さで準備をしていた。途中、ロストン夫妻とメリーから嫌味の言葉をかけられたがすべてシカトし増やされた仕事もこなしつつ、いつもの時間ぴったりに準備を終えるとほどなくして荒れくれ者達がドカドカと足音を立てながらやってきた。
いつも通りの地獄のような日常がはじまった。
アンズは何を投げつけられても何を言われても構わずに動き続けた。
そうして日がどっぷりと沈み、騒がしい夜が最高潮に達した頃、アンズはいつもよりも減りの早い水瓶にわずかに眉を寄せて厳しい表情を見せた。
大きな水瓶に入るギリギリまで水を汲んだにも関わらず今日はもう半分をきっていた。
「…………」
どうやってやりくりしようか。と考えながらアンズが作った料理を届けていると、突然、キッチンの方からガッチャーンッという音とバシャーンッという音が混ざった大きな音が聞こえた。
「!」
はっとしてそちらへ目を向けると、メリーが割れた水瓶のそばで突っ立っていた。
「やーん、わたしったらドジっ子ぉ!」
両頬に手を当てて甘ったれた声を上げるメリーにアンズの顔色がサッと青くなる。
「せっかく井戸から汲んできた水ぜーんぶこぼしちゃったぁ!」
「水瓶まで壊しちまって、何してんだい!」
「ママぁ、怒らないでぇ。水ならまた汲んでくればいいじゃない」
アンズに嫌がらせをする為とはいえ必要不可欠な水瓶ごと壊された事でアローザが珍しくメリーに怒りの様子を見せるがメリーはまったく気にした様子はない。
「ほら!あそこに便利そうなお人形さんに任せればいいのよ!水瓶がなくたって今度から水がなくなる度に森の先にある井戸から水を汲ませにいけばママもわたし達も困る事なんてないわぁ」
ビシッと指をさされたアンズの心の中は必死に暴れ回ろうとしている本来の自分を人形モードの自分が取り押さえている真っ最中だった。
「ほら、なに棒のように突っ立ってんだい!さっさと水を汲んできな!」
アローザはアンズに向かってふたつのバケツを投げると、それが足元に落ちて転がった。
アンズはそれを言われた通りに拾い上げると、ロストン夫妻から早くしろと怒声を浴びせられたが特に反応する事はなく、キィ……と寒さで軋む裏口の扉を開けて大雪の降る夜の森へ向かった。