にっこりしたその笑顔
真心を込めた文章ってね。感動するんだよ。
感動したものにね、名前をつけたくものなんだ。
その名前は、きっと大事な、大事なことなんだ。
大人になると、すぐに忘れてしまってね。
何かに、しがみつこうとするんだ。
しがみついても、しがみついても包こんでくれるんだ。
けど、その執着はね、徐々にすり減っていくんだ。
赤子がママの乳にしがみつけば、乳はそのうち枯れていくんだよ。
乳離れするように、しがみついていた手を放す必要があるんだ。
大人たちは、全然手放せないんだ。
お金や人間関係、生活にしがみつくんだ。
我先に、目の前のおいしいラーメン屋に行列をつくるようにしがみつくんだ。
生存に真心を込めてね。
生活するために生存するんじゃなく、生存するために生活をするんだよ。
これを「生きる」って言うんだよ。
赤子は、生存するために泣いて、笑って藻掻くね。
生きることは、藻掻くことなんだ。
藻掻いていると、感動で涙し、笑うんだ。
だから、赤子は泣くんだよ。笑うんだよ。
そっと、優しくね、お母さんの顔を覗くんだ。
にこやかに、笑っていたら平穏が流れるんだ。
大人はね、みんな赤子だったのに、忘れてしまうんだ。
お母さんは、腐敗して蛆が出ていたら、それも微笑むんだ。
その腐敗も、蛆も、同じ空気の元に生存するお母さんなんだ。
お母さんは、きょうも笑っているかな?
スマホをみて、イライラしていないかな?
お母さんに、敏感なんだ。
他にいないんだもん。
その美しさにみとれちゃうね。
美しいものは、幻覚さようがあるんだよ。
生きることを忘れ、逃げ出したくなるんだ。
どうしようもなくなって、しがみつきたくなるんだ。
振り向いてもらうためにね。、壊したく成るんだ。
めちゃんこにして、小さな一部の存在で見栄をはりたくなるんだ。気づいてほしんだ。
そんなの些細な些細なね、海の中の1gの塩にね、しがみつくんだ。
そんな僕をみて、いつも同じように微笑んでいる。
とても、とっても温かいんだ。
ちょっと、その温かさに嫉妬しちゃうな。
見捨てたくもしたくなっちゃうな。
裏切りたくもなっちゃうな。
逃避もしたくなっちゃうな。
嘘も付きたくなっちゃうな。
侮辱もしたくなっちゃうな。
そのどれもね、学んでいるんだ。
するとね、するとね、あきてくるんだ。
美しいお母さんのようにね、私もにっこりしているんだ。
にっこりした顔はね。修羅の道でも光が生まれだすんだよ。
どんなに暗い暗い道でも、そこには中心が輝く蓮の黄い花のようにはっきりとわかるんだ。
甘い匂いに誘われ人は、その花をね、大事に真心込めた花をね、摘もうとするんだよ。
自ら、暗くしてね。けど、それも包むんだ。
また、咲くんだよ。
こんどは、中心が輝く蓮の赤い花なんだ。
摘みとられ、枯れることは、寂し感動もあるけどね、枯れ姿もね、美しいんだよ。
翡翠色の葉も枯れ狐色の蓮となってね、水の中で土となるんだ。
また、次の年はその根の栄養となってね蓮となるんだよ。
水が枯れないための土の一部でもあり、水も循環する土なんだ。
水も、蒸発してね空気となってね。
蓮はそれを葉っぱから、また呼吸するんだよ。
そうやって、そうやってね、なにかの一部の私なんだ。
お母さんも、きっとそんななにかの一部で、偉大と呼ばれているだけなんだね。
こんどは、どんな一部になろうかな?
修羅の道?どんな未知?
一生はいましかなく、同じ道はないんだよ。
ここは、お母さんの偉大さが少し学べるよ。
ここは、お母さんの怒りも大きく学べるよ。
いまは、少しの微笑みと大きな怒りの偉大さを微笑んでみるよ。
だって、私もお母さんの一部なんだからね、そして、お母さんも私なんだから。
そうやって、見える景色の二度と無い一生のあるものを包むんだ。
真心込めて、包むんだ。
それほど、楽しいことはないよ。
小さな煩悶なんて、取るに足らない感動だね。
自然と感動することが、お母さんなんだからね。
溢れてくる、この言葉に名前はつけられないけどね、名前をつけて見ようかな?
「お母さん、包んでくれてありがとう。私もお母さんのように包むよ。
にっこりしたその笑顔で。」