行きはよいよい、帰りはいよいよ
夢の中で会った姉は、茄子に跨がっていました。
人が上に乗れるほどなので、それくらい大きな茄子です。
対して、私の乗り物は胡瓜です。姉と同じく、大きな胡瓜です。
どちらも木で出来た4本の脚を持っていて、それらはほっそりとしており、胴体と比べるとかなり頼りないです。だけど茄子も胡瓜も力強く、速く、確実に前へ進んでいました。
私は胡瓜に乗り、茄子に乗る姉を追いかけていました。
辺りはまるで雲の中にいるみたいにひどくもやがかかっていたので、遠くに見える姉の背中を見失ってしまわぬよう、私は必死に追いかけました。
途中、何人かの茄子に乗った方たちを追い抜き、やっと見つけたのです。私はあの人の妹なので、見間違うはずがありません。あの後姿は、姉です。
たしか、彼女になにか忘れ物を届けるつもりだったのですが、追いかけているうちに忘れてしまいました。
姉は私が眠る前にはすでに出発していましたから、とにかく急ぐ必要があったのです。
乗り物に胡瓜を選んだのも、こっちのほうがスピードが出ると踏んだためです。
目論見通り、前方に見える姉の背中は徐々に近づき、もう少しで追いつきそうなところまで来ました。
「お姉ちゃん!」
私が叫ぶと姉はとても驚いた様子で、まるで幽霊でも見るような目で私を――、って「幽霊はそっちのほうでしょ」なんて、ごめんなさい、こんな冗談は良くないですよね。
とにかく姉はびっくりしたみたいで、そのあとすぐに怒りだしてしまいました。
「何やってんのあんた!?」
姉は茄子を上手に操り、私の横に並びました。
そこで私は思い出します。
私は、姉のために焼いたホットケーキを届けようとして、ここまで来たのでした。
――ですが、やってしまいました。
私は急ぐあまり、手ぶらで出てきてしまったようです。
「ごめん、お姉ちゃんにホットケーキを届けに来たんだけど、それ忘れてきちゃった」
「ちゃんと持ってきてるよ。だから早く戻りなって」
そう言った姉は、背負っていた唐草模様の風呂敷をポンポンと叩いてみせました。
たくさんのお土産の中に、ホットケーキもちゃんと入っていたようで、私は安心しました。
「良かったぁ」
「あのさ、お願いだから早く帰ってくれない?」
姉の度重なる冷たい言葉に、私は悲しくなりました。
「どうしてそんなこと言うの」
「私と一緒に来たら、よくわかんないけどヤバいからだよ」
「もっとお話ししたいのに」
「いっぱい話したでしょう。あんたが寝るまでペチャクチャ喋ってたの、全部聞いてたから。うんうんって、私も言ってたから。だから帰んなって」
姉の焦りように、私もなんだかヤバいような気がしてきました。
心なしか『何処か』へ近づいている気配を感じます。
「分かった。けど、帰り方が分からない」
茄子も胡瓜も、勢いを失うことなく走り続けます。
むしろ、二本とも『何処か』へ向かって脚を速めているような気さえします。
「どうしよう、どうしよう」
気配は近づきます。
前方に眩い光が見えます。柔らかく優しい光です。だけど優しすぎて、大きすぎて、それが私には怖いのです。
あれがお姉ちゃんたちの帰る場所なんだと、私は理解しました。
「どうしようお姉ちゃん、この胡瓜止まんない」
泣くしかありません。
そんな私に姉は茄子を寄せ、そして両腿に力を入れてこちらに腕を伸ばしました。
「よしよし、安心しな。胡瓜ってのは単純なんだ」
そうして歯を食いしばり、私を持ち上げて後ろ向きに乗せ直したのでした。
「あとさ」
「え?」
「あんたそれ、アタマとケツが逆だ」
――それじゃ、元気でね。
姉の笑顔。大好きなその表情は、すぐに残像へ変わりました。
進行方向を正反対へ変えた胡瓜は本来の頭を一番先にして、さっきまでとは比べ物にならない速度で走り出したのです(なんと胡瓜というのはヘタのほうが頭らしいのです)。
振り落とされないように、私は胡瓜に爪を立てて必死にしがみつきました。
首に違和感があります。きっと、急発進のせいです。むちうちになったのでしょう。
また、相変わらず私は泣いていましたがそれは怖いからではなく、首が痛いからでもなく、悲しかったからです。
私はやっぱり、姉ともっと一緒にいたかったのです。
「ホットケーキ、いつの間に食べたの。駄目じゃない、お姉ちゃんが食べる前に食べたら」
私は母の声で目を覚ましました。
起き上がろうとすると、首に痛みが走ります。
「首いたい」
「寝違えたんでしょ。お姉ちゃんの分まで勝手に食べたから、きっと怒られたのね」
「お姉ちゃん、ホットケーキ持ってたよ」
「また焼いた時に、お供えしなくちゃね」
母は聞く耳を持たない様子だったので、私は諦めました。
それからあの光の中へ帰っていった姉を想い、また少し泣きました。
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