8.綺麗な薔薇には棘がある
「大丈夫、ケガはない?」
「は、はい。何とか」
鬱蒼とした森の中で息も絶え絶えな状態で返答する。ユキトは何とか呼吸を整えると、折っていた腰を起き上がらせて赤髪の女性へと顔を向ける。
「ここまでくればあの獣人もさすがに追っては来ないだろうね」
今しがた走って来た道を振り返る。立ち止まって少し時間は経つが耳に入るのは風に揺れる木の葉の音だけ、あの青い巨体が追跡してくる様子はない。
「助けてもらってありがとうございます」
「いいっていいって、困ったときはお互い様だから」
赤髪の女性は顔の前で左右に手振りする。
紅玉のように煌いた赤い瞳はユキトを映し、身体の線をそのまま表す服装が彼女のすらりとした身を纏う。歳はおそらく二十歳前後、くびれのある腰には長剣が下げられている。腰上まで伸びた朱色のストレートを靡かせて街を歩けば、間違いなく目を引くほど美麗な女性である。
「君、もし森かアルフェイムに用があるならうちに寄ってかない? この近くに小屋があるんだけど」
「いいんですか?」
「あの辺りは転生者狩りが多くてね、そういう人を助けて案内するのがあたしの日課なの。それにいくら初心者御用達の森って言ってもモンスターが出てくる危険な場所なんだよ、そんな所に剣も持ってない人をひとりで行かせられないって」
ふと短剣の行方を思い出す。ユキトの短剣は獣人の左目を刺したまま、今すぐ手元に返ってくる可能性はないに等しい。
魔法も何も身についていない無防備な少年では、たとえ相手がスライムだったとしても倒すことが出来るか怪しいところである。
「それじゃあ、お願いしようかな……」
誘いを断って痛い目を見るより、途中まででも彼女と共にいる方が賢明だろう。もちろんお近づきになれるかも、などというやましい思いは断じてない。
「おっけー、ならいこうか」
長い髪を振りまいた優しい美人の横について、再び先へと歩みを進め始めた。
§
木漏れ日が差す森の中をひたすらに歩くこと十数分、いくら進めど続く草道に段々と気が滅入り出す。
ユキトを救出した女性――メイ・レイズルードと名乗る赤髪の美人――は自身の居住する小屋を目指し、似たような木々の間を何の迷いもなく抜けていく。
「どうしたの、さっきから気落ちしてるみたいだけど」
メイが横を歩くユキトの曇り顔を覗き込む。
「いえ、リズに生まれ直してからこの短時間で色々と災難に遭っては救われてばっかりだって思うと、何だか情けなくなってきただけです」
「転生したてなら皆そんなものよ。気にしない気にしない」
目元をほころばせてユキトを慰める麗人。その傍目に見える綻んだ横顔がユキトの心を明るく照らす。
「そんなことより、君はどの転生使様に転生してもらったの?」
出身地でも尋ねるような感覚の軽い声が耳に届く。
「レクリムって名前の神様ですけど、転生使って何人もいるものなんですか?」
「そうだよ、あたしが知っているだけでも三柱。それでもって君はあたしの知る限り最もハズレな神様を引いたみたいだね」
憐れみを含んだ唐紅の瞳がユキトに向けられる。
あの神様からはでたらめな印象こそ受けたが、特別に面倒事を押し付けられたわけでも意地悪されたわけでもない。むしろ厄介事なら転生後の方が圧倒的に多い。
「レクリム様ってそんなに評判悪いんですか?」
「噂を聞く限りダントツで不人気だね。他の転生使様より気まぐれかつ適当で、転生者に事前情報を伝えないのは当たり前、なかには顔が合って三秒でリズに落とされた人もいるらしいよ」
「えぇ……」
メイの説明に軽く口もとを引きつらせるユキト。何も知らされずに突然空に放り出された挙句、あの灰色の巨躯を目の当りにしたら確実に失禁する自信はある。
「君はそういったことをされた覚えはないの?」
「からかわれたりはしましたけど、そこまでヒドイことはなかったです。ちゃんと願いも叶えてくれたようですし」
ユキトの場合は最低限の説明を受けることが出来た上に、願いに関してはこの上ない取り計らいをいただいた。石頭な転生使であればそうは問屋が卸さない。そう考えると決して相性は悪く無かったのかもしれない。
いずれにせよ、過ぎたことは水に流してしまうに限る。
「メイさんってこの森で生活してるんですよね、なんでノルカーガに住まないんですか?」
幅の狭い小川に着くと今度はユキトから質問を投げかける。
「森に住むといろいろと便利なことがあるからね。あたし以外にも点々とした場所に居住したり、旅をするヒトは案外たくさんいるんだよ」
手で押さえた腰の剣を揺らしながら、メイは飛び石を伝って小川を軽快に渡る。
「それによく勘違いしている人が多いけど、あの国は別にヒトの国じゃないよ」
「えっ」
思いもよらない返答につい石の上でバランスを崩しかける。
「ノルカーガって正確には機人っていう全身鎧を纏ったような恰好の種族が統治してる国でね、ヒトは労働の対価に居住権を貰っているにすぎないんだ」
「そんな仰々しい見た目のやつ、いたっけな……?」
「彼らがいるのは城内と国の北部、転生したばかりの君が見たことないのも無理ないよ。それに機人はもともと希少なこともあって国の人口はほとんどヒトだから、機人の国って話も現状では形式的な話に過ぎないんだよね」
「なんだそういうことですか、てっきり幻でも見てたのかと思って驚きましたよ」
「いやいや、驚くところだよ? 現状は何ともないけど、機人の態度次第でヒトも一瞬で彼らと同じ扱いになるんだから」
そういった彼女がピンと先まで伸びた指、その先には木の根元でぴょこぴょこと跳ねる何匹ものスライムが一叢の草を我先にと体の内に取り込んでいる。その様子を人間に置き換えたユキトの脳内には、地獄絵図のような光景が広がる。
「確かに、それはご勘弁願いたいな……」
「大昔にはヒトの国を築こうとした大集団が何十年にも渡る大戦争を起こしたって話もあるくらいだし、自国を持たないっていうのは案外ばかにできないことなんだよ。まあ担当がレクリム様だし知らなくても無理ないね」
少しからかいの混じった口調でメイは笑みをこぼす。個人的には転生使ガチャの失敗を悔やむより、そのような説明を一切しなかった例のウソつき受付嬢に灸を添えてやりたい。
「そんな未来が来るかどうかはさておいても、この世界で生き抜くのなら力はあるに越したことはないよ。こんな風に……」
言葉の端でメイは手のひらを上に向ける。するとそこに小さな火の玉が揺らめき現れ、ユキトの冴えない表情を赤く照らし出す。
「魔法くらいは使えるようにならないとね」
炎は手からわずかに浮いたところで燃え続けている。じっと目を凝らすが仕掛けは見つからず、近づけた顔がほのかに暖かい。
正真正銘の魔法だ。先の獣人との闘いでも微かに目視できたが、間近にするとただの炎にも胸が熱くなる。
「こういう魔法って俺でも身につけられるものなんですか?」
「その話は小屋に行ってからってことで。ほら、見えてきたよ」
気負い立つユキトを優しく制止してメイは顔を前に向き直す。木陰に薄暗い道の先に光が差し、開けた平地が見えてくる。
野球のグラウンドより少し広い空き地には木造の小屋が一つだけ、真ん中にポツンと建っていた。
「ようこそ、我が家へ。何もないけどゆっくりしていってね」
ドアを軋めかせて部屋のなかへ迎えいれてくれるメイ。
木独特の温もりある香りが満たす部屋には、四人掛けの横長なテーブルに背もたれのついた椅子が二つ、棚に少しの食器と簡易な台所と、必要な家財道具以外は見当たらない。照明らしいものもなく部屋には窓から差し込む陽光だけが充満している。質素な内装が自然の中に建つ小屋の雰囲気を程よく醸す。
「遠慮しなくていいよ。ほら、座って座って」
こなれた様子でドアから離れた方の椅子を引いてユキトを手招くメイ。催促されるままその席に腰かけると、彼女は奥から水の入った木のコップを手にしてそれをユキトに手渡した。
ユキトの対面へと回り込んだメイは、魔導士には似つかわしくない長剣を腰から下ろしてそっとテーブルの上に置く。
「さっきから気になってたんですけど、魔法を使うのに何で剣なんか持ってるんです?」
「ああ、これ? これは補助用の武器だよ。ほら、魔導士って接近戦にはめっぽう弱いからさ、これで応戦するんだ」
笑みを浮かべながら剣の鞘をわちゃわちゃと撫でるメイ。魔法も剣術も扱える彼女にユキトは感嘆の声を漏らす。
「質問されてばかりなのも何だし、今度はこっちから質問というか確認。君は何も能力を持っていたりしないんだよね、転生使様へのお願いで与えられたものとか」
「かなり曖昧な願いを叶えてもらったんではっきりとはわかりませんが、おそらくないかと」
剣を壁にかける彼女の綺麗な背に、ぼやかした言葉で答える。
赤髪のかかる玉のような肌を目して、美人とひとつ屋根の下にいる状況へ意識が向く。すっと彼女から目線を外したユキトは冷えたコップに口をつけて乾く喉に水を流し込んだ。
「ふーん、そっか。なら短剣を失って、なおさら魔法が必要ってわけだね」
「メイさんの炎を操る魔法って、俺でも時間をかければ使えるようになりますかね?」
「もちろん、炎術は他の魔法より会得しやすい部類だから。でもその前に、魔力について少しだけ知っておかないとね」
正面の椅子に座ったメイが前髪をかき上げて、意気込むユキトを唐紅の瞳に映す。
「魔力は異能を使う際の原動力になる他にあたしたちの体を構成する、いわば栄養素としての役割もあるんだ。魔力が枯渇すると活力もなくなって、体内の魔力を完全に失ったら死に至るから気を付けないといけないの」
「なら、もしかして寝食で魔力を補ったりするんですか?」
「大まかにはその通り。前世と体の仕組みは違えどやることは同じ、体調管理なくして強い魔導士にはなれないってことよ」
「にしては、ここには寝具も貯蔵庫も見当たらないんですけど」
「うっ」
いかにも自信ありげに胸を張ったメイがユキトのそっけない指摘にピクリと肩を揺らす。
「いや、あたし寝るときは雑魚寝だし食料はその日のうちに必要な分しかとらないから。体調管理は出来てるよ、ちょっとだらしがないところがあるだけというか何というか」
背もたれの上部に腕を置いて部屋を見渡すユキトに苦笑いを向けるメイ。布も敷かず板の間で毎日雑魚寝するのはだらしない以前の問題である。
「それに、ついこの前までは魔力の自然回復量も高かったから頻繁に寝食する必要もなかったんだ。全く、誰の仕業か知らないけど困ったものだよ」
「ごめんなさい……」
「ん、なんでユキト君が謝るの?」
「え、いや、なんとなく申し訳ないこと尋ねちゃったなって思っただけです……」
ついうっかり頭を下げてしまい、しどろもどろに弁解するユキト。最近起きた変化と聞くと全て自分のことのように思えてしまって心がむず痒くなる。
「とにかく魔法を会得したいなら、まずは使える魔力を増やした方がいいって話。魔法を使って死んでしまったら元も子もないからね、わかった?」
「はい、もちろんです」
互いに居た堪れないような顔を引き下げて、話を打ち切る。
「それで話は変わるけど、ユキト君はこれからどうするの? 森の方面に用があったってことはノルカーガには戻らないんだよね」
「アルフェイムに行って宿を探します。と言っても当てがあるわけじゃないんで、最悪の場合は道端で野宿ですけど」
苦笑いを浮かべたユキトは銀髪を掻き撫でる。
「ということは、決まった予定も先客もなしってことだよね」
「まあ、そういうことになりますね」
そっか、と一言呟いた麗人は謎めいた笑みを浮かべ、唐紅の両眼を対面する少年へと向ける。
「――なら、よかった」
異変を感じ取るのにそう時間はかからなかった。
しかし気付いたところで意味もなかった。
突然メイの姿が二つになって揺れる。ぼやけた視界は薄く暗くなり、彼から鮮明さを奪う。
全身のどこにも痛みはない。ただ身体が、瞼がひどく重い。
「あたし、だらしはないけど体内時計にだけは自信があるんだ。君がコップに口をつけてからしっかり五分、数えてたんだよ。気づかなかったでしょ」
テーブルに腰掛けた麗人は長い足を組み、わずかに水の残ったコップを手に取って目の前で軽く揺らす。
飲み水に何かを仕込まれた――その理解も脳の端へと追いやられる。
「ごめんね、でも恨むのなら草原にいた自分の不幸を恨んでね」
意識が断片的になり、波のように寄せては引く。いつしか目の前は黒く閉ざされ、側頭部がテーブルの上に接していた。
「おやすみ、君」
耳元に発せられた柔らかな声は沈みゆく彼の意識を暗闇へと誘った。
次話あたりからダークでシリアスな場面が徐々に増えていきます!
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