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お題創作 ~桜~

作者: 渚石

「先生はどうして私を助けるの」


すっかり髪が抜け落ちて地肌が剥き出しの頭皮。そんな私の頭を、先生は慈しむように撫でた。


「医者が患者を助けない道理がどこにあるんだい?」


先生は飄々と答えた。窓から吹き抜ける桃色の風。風の支配下から免れ、桜の花びらが重力に従って舞い落ちる。先生はそれを拾い上げると「もう、こんな季節か」と小さく呟いた。


「だって、前の病院の先生は助けてくれなかったから」


私がそう言った瞬間、先生の表情に翳りが差した。きっと私に同情しているのだろう。そんな医者に当たってしまった私に。

でも、良いのだ。私をちゃんと救ってくれる先生に巡り会えたから。だから先生がそんな顔をする必要はどこにも無い。というのを前々から言ってはいるのだが、どうやら先生はこんな私にも同情してくれるらしい。


「先生達にも色々な事情があるのさ。僕だって……いや、よそう。これ以上は不毛だね」


先生はそう言って病室の窓を閉めた。風を孕んで靡いていた純白の白衣が会話の終わりを告げるように萎む。


「じゃ、僕はそろそろ行くよ。何か欲しいものはあるかい?」

「うーん。健康? ……嘘だよ。だから先生、そんな顔しないで。そうだ、お花見に行きたいな。ほら、この前行ったあの場所。今頃は満開でしょ? 散る桜ほど、綺麗なものはないし」

「……分かった。すぐに車いすを持ってこよう」


先生はそう言って部屋を後にした。床を叩く革靴の音が慌ただしく耳朶を打つ。

刹那、私の瞼は何者かに引っ張られるようにずり落ちる。抗おうと思えばきっと抗えただろう。しかし私にはもう、そんな気力は残されていなかった。




数日後。時がやってきた。いいや、やってきてしまった。


「先生……」


白い壁に覆われた、硬質で殺風景な部屋の中で。

少女のご親族の縋るような視線。僕はそんな視線に、首を横に振ることで応える。

目の前に横たわっているのは、数日前とは比べものにならないほどに憔悴した少女。咲き誇る桜を見ること無く、そのまま意識を手放してしまった少女だ。

僕はそんな少女の瞳から零れる雫を掬い取る。


「声は、聞こえている筈ですから」

「ありがとう、ございます」


少女のご両親は涙を流しながら少女に話しかけ続ける。勿論、その顔には笑顔を貼り付けて。

終末医療。なんて綺麗で、そして、残忍で、残酷で、冷酷な言葉だろう。何故、言葉にしてしまったのだろう。曖昧な概念にしておけば、求める人も少なかっただろうに。

もう、何人目だろうか。僕の目の前で死んでいく患者は。僕はまたしても救えなかったのだ。彼女の身体だけでなく、心すらも。


しかしそれでも、僕は見届けなくてはならない。それが彼女の望みなのだから。

彼女は桜は好きだった。とりわけ散りゆく桜が好きだった。

あぁ理にかなっている。この瞬間が死ぬほど嫌いな僕ですら、薄れ行く少女の灯火を美しいと思ってしまうのだから。


ピーピーピーピー――。


その音を聞いて、幾度となく乗り越えた後悔を、僕は再び経験する。


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[良い点] 散って舞う桜。
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