今世紀一番のモテ男
今でも、思っているの。あの時、本当は何と言えば良かったのだろうと。
一生のお別れのつもりは、なかったのに。あなたはそうは思ってくださらなかった。言葉が足りなかったのね。だったら、どう言えば良かったの?
私が贈った霊薬を、あなたは山頂で燃やした。
あれから――。
クリスマスイブ。ほとんどの日本人が、家族と楽しい時間を過ごす頃、僕は富士樹海に居た。
数日前からの寒波の影響で、氷点下の冷え込みだ。ここでなら、静かに死ねると思った。クリスマスイブに、24歳で、まだ何も成していないのに。それでも、僕は死ぬしかなかった。
朝まで座っているだけでも死ねるかとも思ったが、寒風の中とてもじっとして居られない。心が冷え切っている時に、身体まで寒いのは耐えられそうになかった。
ここは、先例に従おう。途中で見つけてしまったやつのように首を吊ってしまえば、一瞬で終わる。最初からそのつもりで、ロープを購入して来たのだから。
かじかんだ手で木にロープをかけ、その先に輪っかをつくる。つま先がギリギリつかない微妙な長さにロープを切って木の幹に縛りつけて。適当な踏み台が見当たらなかったので、軽くジャンプしてロープをつかみ、輪っかに頭を入れることにしてみた。
結構難しい。何度目かのチャレンジの時だ。
「みーつけた」
頭上から、突然響いた声。誰だと思う暇もなく。
きゅっと首が締る。どうやら、荒業に成功したらしい。
遠ざかる意識。そこで見た。僕の目の前に舞い降りた女神の姿を。
そして。
「べちゃ」という音を立てて、僕の身体は地面に投げ出されていた。
こみあげる咳を止めることも出来ずに、首にかかったロープを手繰ると、途中で切れていた。そして、女神はやはり僕の前に居た。険しい目で、こちらを見ている。
「何をするんですか!」
咳と同時に、涙まで出て来た。僕はひどい顔をしているだろう。
すると、女神は細い指を伸ばして、僕の涙を拭ってくれた。
女神――天女と言うべきか。漆黒の髪を長く伸ばし、ひらひらとたゆたうストールを巻いた、絶世の美女。
とてもじゃないが、こんな時間のこんな場所に居るべき女性とは思えない。僕は既に死んでいて、ここは天国である可能性が高い。
「助けてあげたつもりですが?」
彼女の口から出たのは、思いっきり不機嫌そうな声だった。
「頼んでませんよ」
負けずに、不機嫌に応じると、彼女の表情が緩む。
「メリー、クリスマス、ですね」
少し言いにくそうに告げる、女神だか天使だか。
だが、その言葉は今の僕にはとても痛い。
「間違っていました? 今日は、そういう日なのだと聞いて来たのですが」
黙り込む僕に、彼女が告げる。
そうとも、そういう日だよ。いや違う。クリスマスは、明日だ。その明日が来る前に、僕は死ぬんだ。
「どうして、助けたりしたんですか。僕は、死ななければならないのに」
女神の綺麗な顔が、間近に迫る。暖かな手が、僕の両手を掴んだ。
「どうして?」
ああ、もう。
あああ、もう。
その手があたたかすぎて、彼女は、本当に綺麗で。この世の人とはとても思えなくて。
だから、僕は話すことにしたんだ。
「僕は、今世紀一番のモテ男なんだそうです」
ケチのつき始めは、初詣。参道に座していた占い師が突然、告げた。
『なんという、幸運の持ち主でしょう』と。元旦から、幸運の持ち主などと言われたら、悪い気はしない。折角なので今年の運勢を、占ってもらおうと、二千円を支払った。
今年の僕は『今世紀一番のモテ男』なのだそうだ。数百年、否、千年に一度とも言える出会いが待っている、と。
頭ごなしに、信じたわけではなかった。そもそも職場で顔を合わせるのは、老人と職員ばかり。
だが、『今世紀一番』『千年に一度』のモテ期、あなどるなかれ。
おばあちゃんに、モテるモテる。
介護福祉士の資格を取るには、三年の実務経験が必要だ。突然に訪れたモテ期は、日常を充実させてくれるものだったし、お菓子だってたくさんもらえた。
そんな僕に初めて出来た後輩は、四歳年上の女性だった。
つきあうきっかけは、予期せぬ残業。仲良くなって、いろんな話をした。彼女の人生は、辛い事の連続で。同情するわけではなく、ただ、強く生きて来た彼女に、僕は惹かれた。
だが。
少し前に、彼女は姿を消した。全額前払いした筈の式場に、予約は入っていなかった。
「浮かれていたんです。明日になったら誰もが知るんだ。金もない。親に会わせる顔もない。死んだ方がマシなんです」
女神が、少し考えるようにしてから、何かを取り出した。
「千年に一度のモテ期だというのは、本当かも知れませんよ。私はずっと待っていた。あなたは、あの方の生まれ変わり」
「は?」
「信じます? これは、不死の霊薬。精製するのに、百年単位の時間が必要で。私は一度それを失った」
クリスマスイブ。聖なる夜の天空には星の川が浮かんでいる。冬の銀河は、冴え冴えと輝く光の渦だ。
眼が眩む。
「今度こそ、私と同じ時を生きて下さい」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は「冬童話」が「IF童話」を表にだしていたので、こっそりコラボ。
あの童話の主人公を出してみました。
主人公は、どのような結果を選んだのでしょう?
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。