レッタとルティ
あれはまだ、クードオンラインのサービスが始まったばかりの頃だった。
「っんだよ、このクソゲー!」
理不尽とも言える難易度のチュートリアルボス、ギルファルム。やっとのことで奴を倒した僕は、その後のトラウマ展開にキーボードを叩きつけた。
ただの村娘、レッタ。チュートリアルダンジョンである『はじまりの森アラタ』のナビゲートNPCである彼女が、最後の最後に、ギルファルムに食われて死亡してしまったのだ。正直、かなりタイプな見た目だった彼女が死亡した時は、このゲームをやめようかとも思った。
それでも続けたのは、その先に、彼女が生き返るようなシナリオが用意されていないかと、薄い希望を抱いていたから。でも、結果的に、そんなものはなく、それよりももっと酷いシナリオが用意されているだけだった。
完全なるバッドエンド。しかしながら、プレイヤーにそれを変える権利などなく、僕たちは黙ってそれを受け入れるしかなかった。
でも————
「……ッ! レッタ!?」
「はわぁっ!?」
目が覚めて、勢い良く身体を起こすと、ベッドに体を預けて眠っていたのだろう。レッタが素っ頓狂な声をあげて驚いた。
そうだ。レッタが、そこにいた。
「……レッタ、生きてる?」
「え、あ、はい……あの、お陰様で」
事情を知らないレッタは、僕が何を言っているのか理解出来なかったのだろう。頭上にはてなマークを浮かべながら首を傾げた。
良かった。本当に。生きていてくれて。
思わず、レッタに抱き付いてしまった。生きていてくれたことが嬉しくて、可能性を教えてくれたことが嬉しくて。
一気に顔を赤らめたレッタは、頭から湯気を出し、『はわわわわ』と慌てふためいている。その様子が面白くて、思わず笑ってしまった。
「何が面白いんですか……」
「いや……生きていてくれて、本当に良かった。本当に……」
そうして安心したことで力が抜けたのか、全身に激痛が走る。どうやらまだ治りきっていなかったようで、その苦しむ様を見たレッタが焦っている。
「だ、大丈夫ですか!? 今、痛み止め持ってきますからっ!」
「あいや、大丈夫。それより、今はここにいてほしいんだ」
慌てて部屋から出て行こうとするレッタを引き留める。痛みは酷いが、それよりも先に、確認すべきことが山ほどある。痛みなんてものは二の次だ。耐えられるから。
「えっと……本当に大丈夫なんですか?」
「うん。色々聞きたいことがあってさ。少し……話に付き合ってくれないかな」
「はい、構いませんけど……あの、お聞きしてもいいですか?」
質問しようとしていたのはこちらだったが、そう言われ、聞き直すとレッタは言った。
「お名前、教えてください。まだ、聞いてないですし……」
「ああ……ごめん。まだ、だったね」
そういえば、レッタには名前を聞いておいて、僕はまだ名乗っていなかった。
しかし、どうするべきか。今の僕は、僕ではない。僕の本名を名乗ってもいいけれど、こちらではあまり馴染みのないものだろう。
そんなことを考えていると、部屋の窓に映る自分の姿が視界に入った。それは、キャラクタークリエイトで苦労して作った二枚目の青年。リアルの自分とは似ても似つかないが、こちらでいいだろう。
「僕はレノン。ガンナーだ」
「レノン、さん……分かりました。それで、聞きたいことというのは?」
それから、時間にしておよそ一時間から一時間半程度、僕は知りたかった情報を、レッタが知っている限りで全て得た。
まずはここが、クード大陸であることは間違いないということ。
そして、ここがファビルナ地方にあるラアニスの村だということ。
『魔物事件』のことは、まだ地方には届いていないということ。
「それで、レノンさんは、あの……ギルファルムって獣を倒した後、気を失ってしまったんです」
「ああ……多分、M……マナを全部持っていかれたからだろうね」
MPというのはマナポイントの略であり、クードの住人たちは『マナ』と呼んでいる。
「マナを全部……凄いですね、あの銃。白い光が、どかーんって」
「ロードオブガンナーのことだね。確かに凄い銃だよ」
ロードオブガンナー。ガンナー職の暫定的最強武器であり、ギルファルムを討った白い二丁銃。アレの三つ目の特性能力、武器と同じ名を冠する『ロードオブガンナー』で、僕は全MPを放出し、ギルファルムを倒した後、気を失った。
しかし、それも不思議な話だ。奴との戦闘中、僕はずっと初期装備である『RE:プロト』を使っていた。それはプロトが初期装備であるということは勿論、装備のレベル制限によるものもある。
ロードオブガンナーはガンナー職の最終エピック武器。エピック武器は全武器中の最高レアリティで、ロードシリーズの装備可能レベルは現キャップ限界値のレベル百二十五。
アレは、当然宙に現れた。何の前触れもなく。しかし、現れたところで、装備出来るはずはないのである。
ふと、机の上を見てみると、そこにはプロトしかなく、ロードオブガンナーの姿は見当たらなかった。
「ああ、あの銃、何処にあるか知ってる?」
「いえ? そういえば、倒れた時にはもう無くなってましたね……もしかして、私、置いてきてっ!?」
森の中に忘れてきたと勘違いしたのだろう。レッタは顔を真っ青にした。
「だ、大丈夫だよ。多分、そういうものなんだろう」
それを落ち着かせるため、自分でもよく分からないことを口にしていた。そういうものってどういうものなんだ、と聞かれたらおしまいだが、レッタはそこまで頭が働くまい。やはり、それで納得した。
長話で少し疲れたのか、ちょっとした倦怠感が身体に訪れる。腹も減ったようで、虫が鳴いている。
「取り敢えず、これで聞きたいことは全部。ありがとう、レッタ」
「いえ。助けていただいて、本当にありがとうございました。あの、私、向こうでお料理してるので、出来上がったら持ってきますねっ」
とてとてと部屋から出ていくレッタ。腹が鳴っているのを聞いていたのだと思う。本当に良い子だ。
……さて。では、試すとしようか。
「コマンドも何もないから……どうすればいいのかな……?」
試しに両手を前に突き出し、頭の中で念じながら、ウィンドウを開くような仕草を取ってみる。すると、宙に半透明の青いボードが浮かび上がった。
これまた、見覚えのある、システムウィンドウ。そのうちの一つ、キャラクター情報だ。
が、そこに記されている情報量のあまりの少なさに、目を疑った。
「レベルしか……情報がないな。というより、ノイズがかってる……?」
レベルは二。ギルファルムを倒したことで上がったのだろう。そこに問題はない。問題は、それ以外。本来のクードオンラインであれば攻撃力や防御力などのステータス表記がある部分。確かにその名はあるが、数値が全てノイズがかったように潰され、見えなくなっている。
全てだ。攻撃力、防御力、攻撃速度、移動速度、状態異常耐性。その他諸々。
ウィンドウを閉じ、今度はインベントリを開こうとしてみた。同じ動作で。確かにそれは開かれたが、そいつもそいつで、どこかおかしかった。
インベントリの一番左上。そこに、ロードオブガンナーのアイコン。それ以外の全ての欄が、鎖で塞がれたような表示でロックされている。
そのロンナーのアイコンをタップし、実際に召喚してみようとすると、エラー音が発生して引き出すことが出来ない。この場所に固定されてしまっているようで、動かすことも不可能だった。
「……どういうことか、さっぱり分からないな。なんだ、これ」
その他、各種ウィンドウを開くことは出来た。取引所ウィンドウや、課金アイテムの購入所など。開くことは出来たが、機能を果たしていないものが全てで、スキルウィンドウさえ文字化けして使い物にならなかった。
果たして、この状態で一体どうしろというのだろうか。頼みの綱のロンナーはインベントリから引き出すことが出来ず、スキルウィンドウも文字化けしているために、新たなスキルを覚える方法が分からない。課金アイテムなど存在するはずもなく、状況としては『詰み』だ。
だが……だとしたら、何故あの時、ロンナーは現れたのか。今は引き出すことも出来ず、本来なら装備することもかなわないはずのロンナーが、突然現れ、僕に力を貸してくれた。あれは、一体。
と、その時、部屋の扉が小さく叩かれた。料理をしていたにしては、完成が早すぎる。レッタでは無いか? とすると、彼女か。
「どうぞ」
入室の許可を出すと、扉の先から、レッタに瓜二つの少女が現れた。燃え上がるような赤い髪に、同じく真紅の瞳。この子もクードオンラインに登場するNPCと同じ存在だとするなら。
「あの……どうも」
「こんにちは。君は?」
知っているが、知らないふりをして聞く。向こうはこちらの事情も何も知らない。名乗ってもいないのに名前を知っていたら、不自然だろう。
「えっと、私、ルティです。お姉ちゃんと、双子の妹で」
「双子か。道理でレッタにそっくりなわけだ」
彼女はレッタの双子の妹にして、クードでのメインシナリオの鍵となるNPC、ルティ。自由奔放なレッタとは違い、随分とおとなしく、オドオドとした性格だ。
「あの……お姉ちゃんを助けてくれて、ありがとうございました。村の皆も、感謝してました」
「いや。助けられたのは僕の方だよ。レッタが来なかったら、危なかった」
「お姉ちゃん、いつも無茶するから……ごめんなさい」
ルティはそう言うが、事実、助けられたのは僕の方だ。あの場でレッタが助けにきてくれなければ、死んでいたのは僕だった。まあ、僕が死んでいれば、その後に来たレッタも死んでいたのだから、お互い様というところか。
彼女を擁するためにそう言ったが、ルティの表情はどこか暗い。それは恐らく、クードでの彼女のそれと同じ理由だろう。
「……怖い夢かい?」
「……えっ?」
ルティが、驚いたようにそう聞き返した。
「……分かるん、ですか?」
「僕も似たような感じなんだ。どんな夢だった?」
「……お姉ちゃんが、死んじゃう夢です」
ルティの表情が暗い理由はそれだ。彼女はクードオンラインにおいて、『予知夢』という能力を持った超能力者として描かれている。故に、ストーリー中盤以降で様々な危険に晒されることになる。
しかし、彼女が自身の予知夢を真実だと認めるのは、レッタの死後。レッタの死を予知夢として見、それが現実になったことで、能力だと理解するのだ。
今は、そうじゃない。
「でも、そこにレノンさんは、いなかったんです……レノンさんがいたから、お姉ちゃんは助かった」
「じゃあ、良かったね。夢を変えられて」
「はい……でも、本当に、夢、なんですか?」
彼女は既に気付き始めているのだろう。恐らくは、レッタから聞いた状況と、自分の見た夢の内容が殆ど一致することから。
ただ、そこに違う要因が紛れ込んだ。
そう、僕だ。
ゲーム内では、レッタは実際に死んでしまう。だからそれが予知夢だと確信するに至った。でも今は結末が少し違う。確信には至っていない。
そのことを教えるべきかどうか、悩んだ。彼女に待つ運命は、正直、レッタのそれよりも悲惨で残酷なものだ。もしも今、彼女の能力が予知夢なのだと教えてしまえば、もしそのことを夢に見た時に耐えられるかどうかが分からない。クードオンラインではそんなことはなかった。けど、ここでは何かが違う。可能性は充分にあった。
「君のそれは————」
言葉に詰まった、その時。
「あれ、ルティ、どうしたの?」
ルティの後ろから、湯気の立つ皿を載せたトレーを持ったレッタが現れた。並ぶと、本当に瓜二つで、違いが分からない。レッタの方が少し癖っ毛なのが特徴だが、それ以外は一緒だ。
「あ、お姉ちゃん……」
「あ、レノンさん。食べられるか分かりませんけど、傷に効くお粥作ってきたので。良かったらどうぞ」
机の上のプロトを除けると、レッタはそこにトレーを置いた。薬草入りのお粥か。帰ってくる時に採取しておいたのだろうか。ゲーム内ではレッタが料理をするシーンなどなく、その腕前は不明だったが、どうか。見た目は、普通だ。
「ありがとう、レッタ。ルティ、また後で話そうか」
「あ、はい……分かりました」
「???」
レッタははてなを浮かべているが、それでいい。彼女はまだ、知らなくていいだろう。折角助かったのだ。もう少し、運命など気にせずに過ごさせてやりたい。
因みに、お粥は美味しかった。少し薬草風味が強かったことを除けば。