ギルファルム・上
薄暗い部屋に、かたかたかたと、ただひたすらにキーボードを叩く音が響く。二つのディスプレイから漏れる光が照らすのは、長い髪で顔を隠した青年。
「エピック……新、エピック……」
ボソボソと呟きながら彼がプレイするのは、つい先日、大型アップデートを果たしたばかりのネットゲーム。そこで追加された新規レアリティの武器を求めるため、彼は一人で、最高効率で、その廃火力で、ダンジョンを周回していた。
十周、二十周。周れども周れども、目当ての武器は落ちてはくれない。黄色い文字のその武器が落ちたと思えば、自身のキャラクターが装備出来ないもの。これでは使えない。
彼の操るキャラクターが、ボスエネミーに銃を向ける。その瞬間、彼の背後から無数の巨大な銃が現れ、ボスエネミーを蜂の巣にする。エネミーのHPゲージはみるみるうちに減っていき、即座にゼロになる。最高難易度のそのダンジョンを、廃プレイヤーである彼は、難なく周回している。並大抵のプレイヤーにできることではない。
丁度それから更に二六四週の後。ボスエネミー討伐と同時に特殊エフェクトが発生する。それは、エピック武器がドロップした際に発生する特別なもの。カッと目を見開いて画面を見た彼が目にしたのは、自分がずっと追い求めていたエピック武器、『ロードオブガンナー』。
ずっと、これを目当てにダンジョンを周回していた。
「う……ぁあっ!?」
柄にもなく、つい叫んでしまう青年。その衝撃で椅子がひっくり返り、後頭部から地面に激突する。
大慌てで起き上がり、画面を再度確認するが、間違いない。それは現時点の情報で、銃ジャンル最強と名高いエピック武器だった。
全体チャットで彼がそのエピック武器を取得したことが伝えられる。すると、大勢の人間からの個人チャットが届く。嫉妬、怒り、羨望、冷やかし。友人からのおめでとうという言葉も多かったが、まあ、その殆どは羨望だった。
なにせ、サーバーで一人目の取得者だ。全体チャットで通達されたことがその証。皆の気持ちも分かる。
感極まりながら、彼は椅子を元の位置に戻し、座り直す。そして、取得したロードオブガンナーの情報をまじまじと見つめ、ある違和感を覚える。
「……招待状?」
武器攻撃力は特殊能力の下。その最下層に、『おめでとう。特別招待状を贈呈する』という一文があった。
前情報では、このような一文は存在していない。試しに武器辞典を開いてみるが、そこにも載ってはいない。
誤植か、スタッフのミスか。恐らくは、違うアイテムにつけるはずだった一文を、間違って入れてしまったのだろう。青年は特に気にすることもなく、一度休憩を挟むため、席を立った。
冷蔵庫から飲み物を引っ張り出してこようと、彼が振り返り、ディスプレイに背を向けた瞬間……それが、突然、光り出した。
「……なに?」
再び振り返り、それを確認しようとした青年だったが、何故か猛烈な眠気に襲われ、意識を失った。
――――さい。
……うん?
――――下さい。
……誰かが、何か言っている?
「起きて下さい!」
「うぉっ!?」
突然、耳元で叫ばれ、僕は覚醒した。視界に飛び込んできたのは見慣れない景色と、一人の少女。いや、見慣れないわけじゃない。僕はこの景色を知っている。
……クードオンライン。そのチュートリアルで訪れる『はじまりの森アラタ』というダンジョン。その景色によく似ている。
見れば、その少女の顔にも見覚えがあった。クエストNPCのレッタという少女だ。チュートリアルダンジョンの終了時に、エネミーに食われて死ぬという、大いなるトラウマをプレイヤーに与えてくるNPC。
これは……夢、だろうか? いつの間にか寝ていたのか。それとも、プレイのし過ぎで意識が混濁して、新しいキャラクターを生成してそこに入り込んでしまっているのか。
「あの……大丈夫ですか?」
「あぁ、うん……君は?」
どうやら木の幹にもたれかかって眠っていたようで、木を支えにして立ち上がると、確かに大地を踏みしめている感覚があった。夢だとは思えない。夢、だとしたら、相当リアルな夢だ。
「私、レッタっていいます。薬草を採りにきている時にあなたを見つけて。うなされてたようですけど、大丈夫ですか?」
「うなされてた? 僕が?」
「はい。何だか、エピック? って言ってましたけど」
眠っている間までエピック掘りの呪縛に悩まされるとは……いや、そんなことは今はどうでもいい。
問題は、目の前にいるこの少女が、今確かに、レッタと名乗ったことだ。それは間違いなく、ここがクードに出てくるアラタだということを証明している。
一体、どういうことだろう。ここに来る前に、何があった? 僕はロードオブガンナーを掘るために周回していて、それで……そこから先が、いまいち思い出せない。どうやってここに来たのか、そもそもここがどこなのか。クードオンラインの中なのだとしたら、何故そんなことが起きているのか。
分からないことが多すぎる。一つ、分かることがあるとするなら。
「レッタ。起こしてくれてありがとう。それより、早くここを離れよう」
「はい? 離れる……ですか?」
「ああ。ここは……」
そう言ってレッタに説明しようとした時、森の奥の方から唸り声が聞こえてきた。酷く低く、背筋が凍りつくような声。明らかに人のものではなく、それの正体は、森の主であるギルファルムの声。
チュートリアルダンジョンのボスにして、通称『初心者殺し』。
そして、トラウマの主。ダンジョンの最後に遭遇し、倒すとレッタを食らって逃げていく。こいつに遭遇することだけは避けなくてはならない。
「ギルファルムだ。危ないから早く離れるよ。おいで」
「え、わ、ちょっと!?」
レッタの手を取り、森の出口へ向けて走り出す。初めは驚いていたレッタだが、ギルファルムの声を聞いた後だと恐ろしさもあるのか、途中からは素直に走るようになった。
「あああ、あの、ギルファルムって何ですか!?」
「森の主だよ。魔物の影響で目覚めたんだ」
「ええっ!? つ、強いんですか!?」
「アリと象くらいの差はあるね」
走りながら聞かれたその問いに、僕はそう答えた。
ギルファルムは本来眠っていて、目覚めることはない。目覚めたとしても大人しい性格で、人を襲うことなどないのだ。
しかし、今は違う。クード全体で起こっている『魔物事件』のせいで、クード中の獣が暴走している。ギルファルムもそのうちの一体だ。
森の主であるギルファルム。人を襲うことはないが、その戦闘能力は高い。チュートリアル開始時のプレイヤーでは倒すことは出来ず、手傷を負わせることしかできない。現に、HPをゼロにしても逃げられるだけだ。レッタという少女を犠牲にして。実際に倒すことができるのはもう少し先。
これがゲームならば、別にそれでもいい。そういう展開なのだからと諦める。だが、今はそうじゃない。奇妙なことに、僕はゲームと同じ体験をしている。画面越しではなく、この身体で。
なら、レッタが死ぬのも、当然この身で経験することになる。それだけは嫌だ。
「……ちっ。流石に足が速いな。追い付かれそうだ」
「だ、大丈夫なんですか!?」
「いや、大丈夫じゃない。死ぬ気で逃げるよ」
遭遇すれば、レッタは死ぬ。文字通り死ぬ気で逃げなければ。
気付けばレッタの手を離していた。危険性は理解している。僕も彼女も、森から抜けるために必死に走っていた。
刻一刻と迫るギルファルムの音。森の出口はもう直ぐそこにある。そこまで行けば……そこまで、行けば。
「……あ」
そこで、ある可能性に思い至り、足を止める。レッタも急停止した僕に倣って、躓きそうになりながら止まる。
「ど、どうしたんですか!?」
「駄目だ……村には行けない」
森を抜けた先にはレッタの住む村がある。だが、それでは駄目なのだ。
クードオンラインでは、システム上、イベントを終えるまでは森から抜けることは出来ない。このようにして逃げたとして、村に辿り着くことは出来ないのだ。
それが、今回はこのことを知っていたから、いつもより早く逃げている。村まで逃げることも出来るだろう。しかしそれでは、ギルファルムはどうするのか?
ゲーム内ではギルファルムに追いつかれ、必死の抵抗の末、レッタという犠牲を払ってギルファルムを撃退する。そうすることでギルファルムは村には近付かない。しかし、このまま撃退せずに村に行けばどうなるか。
村には戦える者はいない。ギルファルムの襲撃など、耐えられるはずもない。
「レッタ、先に村へ。止まらずに走って、村の皆を避難させてほしい」
「あ、あの、あなたは!?」
「僕はここでギルファルムを足止めする。そうでないと、時間が足りないだろ?」
そう言って、腰のホルダーから二丁、銃を引き抜いて構える。チュートリアル段階で装備している『RE:プロト』。攻撃力は言わずもがな、最低値。こんなもので本当にギルファルムを足止め出来るのかは分からないが、これしかないのだから仕方ない。
ギルファルムの重々しい足音が着々とこちらに迫ってきている。恐らくは、数十秒もしないうちに接敵するだろう。レッタが村まで逃げる時間を考えれば、かなりの時間足止めが必要か。
「レッタ、早く。もう時間がない」
「わ、分かりました……必ず、皆を避難させますから!」
急かすと、レッタは走り去っていった。
これでいい。一先ず皆を避難させれば死人は出ない。レッタも。ギルファルムとの戦闘に遭遇しないのだから、彼女が食われることもないだろう。その分、僕が危険に晒されるわけだが、そこは隙を見て逃げればいい。
音のする方に、RE:プロトの銃口を向ける。やがて木をなぎ倒しながら現れたのは、巨大な腕部を持った四足歩行の獣。アラタの主、ギルファルムだ。設定上は、古代に滅びたとされる竜の遺伝子を受け継ぐ獣であり、同種の獣がストーリー後半にも度々登場する。むしろ、全体的に見ればギルファルムは雑魚に分類されるのだ。
だが、それは、あくまでもストーリーを終わらせたプレイヤーの感想。操作にも慣れないこのゲームのプレイヤーは、ギルファルムに幾度となく敗北する。それは、多分、僕も同じだろう。
ゲームとは違って、身体は自分の感覚で動かす。それは攻撃を避ける際のメリットにもなり得るし、デメリットにもなる。それに、ここで死ねばどうなるのか、今はよく分からない。そのまま死んでしまうのか、元の世界に帰れるのか。
ただ、そういう危険がある以上、僕が死ぬわけにもいかないんだ。時間を稼いで、逃げなくては。
『GROOOOOOOOO!!!』
「さて……どこまでやれるかな」
ギルファルムに銃弾を撃ち込む。それは着弾すると、その硬い皮膚に阻まれ、ちゅいん、と音を立てて消えた。
やはり、一筋縄ではいかないようだ。