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帝国の死


「それで、戦いはどうなったのです?パッペンハイムは戦場に間に合ったのですか?」私は尋ねた。

「パッペンハイムの援軍は午後には戦場に到着したし、5度にわたる突撃で奮戦したけれど、結果だけ言うと、ヴァレンシュタイン率いる帝国軍は大敗した。しかし、誰もが予期せぬことが戦場においておこっていた。スウェーデン王グスタフ・アドルフが戦死したのだ」


 グスタフ・アドルフは極度の近視であり、それに加え、朝から残る霧と大量の小銃と大砲による硝煙で非常に視界が悪かった。グスタフ・アドルフは自ら騎兵を率いて戦場を駆け回っていたが、いつのまにか敵陣に突出してしまい、銃弾に胸を撃ち抜かれて死んだ。戦いのあと、スウェーデン兵はたくさんの遺体が重なり倒れている中から、スウェーデン王の遺体を発見した。遺体はシャツを残しそれ以外の装備が奪い取られており、着用していた黄色いパフコートは戦利品として皇帝におくられた。


 ヴァレンシュタインは敗退した軍を撤退させながらもほくそえんでいた。この戦いでは負けたが次からは負けることはないだろう。グスタフ・アドルフは死んだのだ。しかし、これを機により大きな勝利を得なければ。


 グスタフ・アドルフの死を聞いて歓喜した皇帝とその取り巻きたちだったが、彼らを尻目に、ヴァレンシュタインは独自に和平に向けた交渉を始めた。ヴァレンシュタインは、大義や目的のための戦争が、いつしか終わりのない国際戦争へなりつつあることを明確に意識していた。早期に戦争終結に向かわなければ泥沼化しドイツの国土は荒廃するであろうことも予知していた。


 しかし、皇帝の支援の無き和平工作はあっけなく失敗した。


 こうなっては、再び武力に頼るしかない。なによりまず、まだ帝国領内に残り村々を荒らしているスウェーデン軍を追い払わなければ。軍勢を整えるために居城に戻っていたその時である。1634年2月25日、ヴァレンシュタインは2人の皇帝軍の将校により暗殺された。暗殺を企てたのが誰であるかははっきりと分かっていない。けれど、彼の出世を妬む諸侯かあるいは皇帝であったことは確かだろう。神聖ローマ皇帝は、力を蓄えたヴァレンシュタインが皇帝の座を狙っていると本気で恐れていた。


 ヴァレンシュタイン亡き後の帝国はどうなったのだろう。


 暗殺という卑怯で卑劣な政治手段がその首謀者にとって後に良い方向に作用する例はわずかしかない。そしてこのヴァレンシュタインの暗殺もその例外ではなかった。

 帝国領内に残っていたスウェーデン軍を追い出し、対スウェーデン戦争は休戦の条約と共に終結したが、休戦期間を過ぎた後、スウェーデンの有能な宰相オクセンシェルナのはたらきかけもあって、今度はフランスとスウケーデンが同時に帝国に戦争を仕掛けた。帝国は2国を同時に相手することになった。この戦争においては神聖ローマ帝国は序盤から劣勢になり、戦況を覆すこともできず戦場となった国土は荒廃した。


 1648年、ついに帝国は耐え切れなくなり敗北した。ヴェストファーレン条約が結ばれ戦争は終結した。ヨーロッパの大国ほとんどが関わったこの条約には多くの取り決めがなされたが、その中にひとつ、帝国の未来を占うものがあった


 帝国の領邦は主権と外交権を認められる


 この一文によって神聖ローマ皇帝は形として君臨するだけになり諸侯に対する権力を失った。この時代、神聖ローマ皇帝はハプスブルグ家によって代々継承されていたが、これ以降、ハプスブルグ家の権力は自領であるオーストリアとハンガリーにとどまり、この地の統治に専念することになる。帝国内には何百という諸侯、領主が主権国家として君臨し、帝国とは名ばかりの存在となった。当時プランデンブルグ候に仕えていたプーフェンドルフは、彼の著作の中でこう述べている

「ドイツ帝国は政治の原則で分類しようとすれば不規則で怪物と似たものと呼ぶしかないだろう」

 1648年の条約によりドイツは内部から決定的な変革を行う道を閉ざされ、周辺国が中央集権化、国家への道を進むの中でドイツは近代化に大きく後れをとることになった。

 神聖ローマ帝国は名前だけが残り、およそ200年後ナポレオンによって蹴散らされるまで亡霊のように存続した。


 傭兵上がりの男が自らの才覚のみで王になれるのだろうか?


 ヴァレンシュタインは王にはなれなかった。が、限りなく近いところまでは登りつめることができた。カチカチに固まった封建社会の中であったが、そういったチャンスがあった時代ではあった。しかし、彼はただ王になりたかったのだろうか?

 

 彼は局地的な宗教戦争から大国間の国際戦争へ発展する戦争の中で、各国が国家を目指して中央集権化する、今の視点からいえば近世から近代への時代の変換がはじまりつつあることを意識していたのではないだろうか。とはいえ、それを実行できる身分になくても、彼が生きていれば30年戦争の勝者はどちらになるか定かではなく、ドイツ近代化のくびきとなった1648年の条約は結ばれなかっただろう。

 もしこの男が生きていれば世界史が変わっただろう。そう評されることは、ただの一領主の王となるよりよっぽど胸のすく、ロマンあふれる物語ではないだろうか。


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