蝿の王
世界史の時間が心地よい睡眠時間であったツケが回ってきた。定期試験は明日に迫るが、この近代ヨーロッパ史というものは教科書を読んでもどうにも要領が得ぬ。困りきった私は本の虫で、バカに世界史に詳しい桐野朱里に助けを求めた。彼女はあなたのテスト勉強を手伝う義理はないと冷たくあしらったが一考すると、うん、まぁあなたのような覇気のない男はこの話を知るべきかもしれない。そう言うと、こう続けた。
「はたして、傭兵上がりの男が自らの才覚のみで王になれるのだろうか?」
ヴァレンシュタインは1583年、現在のチェコ西部にあたるボヘミアに生まれた。彼は小さいころから野心と野望を抱えていた。あるいはこの世に自分の才能を示さんという欲望があった。彼は青年時代を辺境の地で傭兵隊長としてオスマン帝国と戦いながらも常に立身出世のチャンスはないかと機をうかがっていた。そしてそのチャンスは間もなく訪れる。戦争が始まったのである。それも彼の故郷ボヘミアで。
1518年5月23日 ボヘミア王国の首都プラハはいつもと変わらない静かな朝を迎えていた。プラハ城の王宮に集まった王の顧問官は朝食をすませ談笑をしていたが、にわかに王宮の外が騒がしいことに気がついた。すると突然200人ほどの武装したプロテスタントが王宮の中に侵入してきた。彼らの語気は荒く怒りをあらわにして顧問官たちに詰め寄った。彼らは新たにボヘミア王に就いたフェルディナント2世の新教弾圧の抗議に来たのだ。少しの問答があったがプロテスタントたちは興奮しており、ついに顧問官たちを城の窓から外に突き落とした。窓の下にはワラが高く積んであったため顧問官たちは奇跡的に一命をとりとめたが、プロテスタントたちはなおも窓から罵声を浴びせ、小銃をうち続けた。顧問官たちは命からがら逃げだした。この喜劇のような事件が後の世に”最後の宗教戦争であり世界最初の国際戦争”などと呼ばれる、30年戦争の発端となるとは、怒れるプロテスタントたちは想像もしなかったであろう。彼らはただ信仰の自由を認めて欲しいだけであって、つい怒りのあまり200年前の事件の再演となっただけなのだ。
ルターから始まる宗教改革はドイツを中心にヨーロッパ全体に広がり、特にドイツ、北欧では新教徒の数が多かった。北欧やイギリスでは新教を国教にしたが、守旧なカトリック国家である神聖ローマ帝国は彼らプロテスタントの扱いに苦慮した。苦慮に苦慮を重ねた結果、帝国は各諸侯に信仰の自由を認めるという柔軟性をみせたが新たにボヘミア王となったフェルディナント2世はそのバランスを崩してしまった。幼少からイエズス会から教育を受け厳格なカトリック教徒だった新王は新教を弾圧する政策を進めた。
プラハで暴動を起こしたプロテスタントたちは別の王をボヘミア王にかつぎ上げた。この動きを知るとボヘミア王フェルディナント2世はただちに軍を差し向けた。表向きは宗教戦争だがフェルディナント2世にはこれを機にボヘミアの支配をより強めようという魂胆があった。軍は有能な傭兵隊長であるティリー伯を総司令官として新教徒の鎮圧に向かった。
「戦いはプラハ近郊のピラー・ホラ、白山というところで行われたわ。軍容は両軍とも2万を超える軍勢だったけど、戦いは2時間ほどで終わった。フェルディナント2世の大勝でカトリック側の損害が500人程度だったのに対して新教徒軍は2000人余りの損害があった」
「随分と一方的な勝利ですね」私は言った
「この時代の戦争はこうなりがちよ」
「国民国家という意識が芽生えていない民衆にとって戦争はどちらが勝とうが関係なかった。それよりも自分の命と明日の生活の方が大事だった。お金で雇われている傭兵に主との一対一の忠誠心はなかったし、傭兵たちは戦いが不利になると戦う振りだけして真面目に戦わなかったりした。でも、見知らぬ遠い土地のために命をささげて戦う近現代の戦争が異常なのであって、むしろこの時代の戦争の方が人の自然のあるべき姿だと、私は思うけど」
欲深いフェルディナント2世の敗者への処罰は苛烈を極めた。主な首謀者たちはプラハの広場で処刑され、戦争に参加した貴族の財産と土地は没収され国外へ追放された。こうして帝国はボヘミアへの支配を強めたがこの苛烈な処罰に周辺国は警戒心を強めた。
新教徒の国であるスェーデン、イギリス、デンマーク、さらにカトリックであるはずのフランスまでもが新教徒救援を名目に手を結び、デンマークとスウェーデンは帝国領に軍をすすめた。戦争は国際戦争の風を帯びてきた。ユトランド半島の王国、デンマーク王国の王クリスチャン4世はこれを機に北ドイツへの領土拡大を目論んでいた。北欧の強国スウェーデンはポーランド問題に専念したため、事実上帝国とデンマークとの戦いとなった。30年戦争は大きく4つの段階に分けられるがその2つ目、デンマーク戦争の始まりである。
一方の神聖ローマ帝国はボヘミア王フェルディナント2世を神聖ローマ帝国皇帝に選出したが、深刻な問題に直面していた。
金がないのである。
長年続く戦争で、帝国にはデンマークの正規兵に太刀打ちするだけの傭兵を雇おうことが出なかった。頭を抱える皇帝の前にヴァレンシュタインが現れた。そして、彼はこう言った。
「陛下、私が2万の兵を集めましょう。戦費は必要ありません」と。
「なぜ、ヴァレンシュタインはそれほど多くの傭兵を用意できたのですか?」私は尋ねた。
ヴァレンシュタインは優れた軍人であると同時に優れた実業家でもあった。彼は実直で不正を嫌う人物であったが野望を叶えるためにはあらゆる手段を講じた。彼は裕福な未亡人と結婚するとその資産を基に領地で殖産し、資産を蓄えた。さらにボヘミア戦争で没収されたボヘミア貴族から土地を安く買いたたき、今ではボヘミア有数の大貴族にのし上がっていた。彼は自前で徴兵し、さらに装備は最新式であった。
皇帝に対しヴァレンシュタインは自分を軍総司令官に任ずるよう求めた。皇帝は大きな要求にいい思いをしなかったがこうしている間にもデンマーク軍は迫りつつある。皇帝は断ることができずヴァレンシュタインを総司令官に任命した。
ヴァレンシュタインは2万の大軍を率いて北上しテリィー伯ら帝国軍と合流した。劣勢であった帝国軍だったが、ヴァレンシュタインの到着すると状況が変わった。皇帝軍はデンマーク軍に勝利を重ね、一気にユトランド半島にまでおしいった。デンマーク王クリスチャン4世はバルト海へ逃れた。
戦争に見事勝利し、凱旋したヴァレンシュタインだったが、彼を待っていたのは帝国諸侯からの冷ややかな嫉妬であった。小貴族から自らの才能のみで軍司令官、さらに帝国を勝利へ導いた男の存在は、封建的で伝統はあるが無能な諸侯達にとっては妬ましくもあり同時に脅威であった。いくつかの領主たちはすでに宮廷工作を行っている。ヴァレンシュタインに新たな敵が現れた。