表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

コンセント/プラグイン

作者: 沙堂 瑠々亞

夏ホラー2007参加作品です。「夏ホラー2007」と検索すると、他の作家さま方の作品がご覧になれます。

 ――あなたも肉の塊になるのね。プラグはまだ見えないけれど。

 例えばそんなことを笑顔で言い放たれたら、人はどんな反応を返すだろう。

 少女Nが言ってきたのは、凝り固まった場の空気をほぐそうとしたわけではない。自分に視線を向けさせようとしたのでもなく、また突き放そうとしたわけでもない。Nは、僕の顔の『造詣』が目に入ったから、感想として述べただけだった。

 頭の中で言語を組み立てる。特別履修希望者は準備室に行けと紙に書いてあって、時間よりも早く着いたら、部屋にはよく知らない履修希望者がひとりだけ居た。とりあえず待つこと七分――一旦出て飲み物でも買おうかとの思案中、向かい側に座っていた相手に切り出された話題が、よりにもよって。

 ――比喩でもなんでもないわ。私には人の狂気が形になって見えるの、便利でしょう。

 異常な閉鎖空間だった。

 十畳ほどの準備室に、男女がふたり。備え付けのクーラーは壊れ、扇風機が単調な動きで熱風を当ててくる。全開の窓も、風ひとつ入れてこない。直射日光を受け 沸騰寸前になったサッシを手から離すと、僕は微笑む相手を見やった。一見して、話を聞かずにべらべら語りだすアンテナ持ちの人間には見えない。

 僕は悪意を与えさせない程度の顔で、当たり障りのない話題を振ろうとした。

 ――あなた、こういう状況下に慣れてるのね。なら、聞き流せばすぐ終わることも知っているでしょう?

 しかし、そんな按配に撥ね退けられてしまう。

 軽い既視感デジャヴがあった。つくづく僕はこういった――頭は良いが何処かが欠けている、あるいは有り剰っている――人間に当たってしまう体質らしい。今までの経験上、回避が失敗した場合に取る方法はひとつしかないと知っていた。

 溜め息を軽く吐く。振り返って、椅子に座っているNと向き合った。その態度が、暗に腹を括ったものだと認識されたようだ。

 ――ねぇ、あなたは誰かを殺したいと思ったことがある?

 僕は首を振った。

 ――人を 死なせたいほど憎んだことは?

 首を振る。Nは苦笑する。まるで自分が、その行為を幾度か経験済みであるか示すように。

 ――でしょうね。嘘をついた痕跡が無いわ。プラグが見えないもの。

 そしてNは話し始めた。あなたはただ頷いてくれれば良いわ、と前置いて。

 

 

 Nは、『それ』を抽象絵画とちょうど真逆のようなものだと云った。

 ピカソ。カンディンスキ。クプカ。ドローネ。彼らの絵は、物体を静止画と捉えていない。そのまま具体的に緻密に描くのではなく、要素や性質だけを取り出して、歪ませて描く。

 人の狂気が具現化して見えるの。Nは繰り返した。本来見えては不可ないはずの、奥底にある黒が見えてしまうのよ。と。

 ある日、雑多なスクランブル交差点を渡ろうとしてNは気付いたらしい。斜め向かい側から来ようとしているほとんどの人間が、一様に何かを持っていたのだ。黒くて小さい代物を、彼らは握るでもなく、掴むでもなく、親指と人差し指で添えるようにただ持っていた。Nは通り過ぎる時に凝視してしまう。黒くて、無機質で、途中くびれが合って、平らな本体に細長い銀色の針金が等間隔に二つ、飛び出している物――振り向き様、彼らのもつ『それ』から、太い糸が空に向かって伸びているのが見えた。

 それから学校に行ったNは、お早うと笑顔で返してくれる者の中にも、『それ』を持っている者と持っていない者が居ることを知る。おかしなことに、『それ』を持っている者は、利き手でない手で常に必ず持っているように見えるのに、平然としていた。

 お早う、『それ』を持っていない女子の一人が声を掛けた。Nは彼女の諸手を凝視してしまい、何故か安堵し彼女の話を聞く。ねぇそれより聞いた、あの子とうとう深夜番組で売り出したって、清純キャラらしくて、男子に×××にされまくってるって噂だってあるのに、そしてNがもう一度視線を移すと、彼女は左手で真っ黒い電気器具を持っていた。


 ――そう、コンセントに入れる器具のプラグよ。

 Nは壊れたクーラーのプラグを引き抜き、根元の部分でくるくると回してみせた。

 突然手に持ち出した女子に聞いても、彼女は何のことだか答えられないようだった。

 ――それで、私には人の狂気が見えてしまうようになったんだって分かったの。

 プラグはあらかじめ保有している狂気。一度憎しみを持てば、人が持ったように見える。

 人と会えば、左手と右手をまず凝視する。誰もが同一の型に見えるので、憎悪の種類までは詳細に分からない。だが、憎悪を抱く性向かどうかの確認はできる。この人はまだ憎悪を抱いたことがない。この人は誰かを憎んで生きている。どれほどまでに憎い相手がいるのか。ただの嫉みか。それとも、誰か殺したいと思っているのか。手っ取り早い話が、Nは人を信用できないようになってしまったのだ。限られた肉親であっても、親しい友人であっても、恋人であっても、誰に向けての『プラグ』であるのか分からないままに。

 Nが意見を訊いてくる。僕は適当に答えた。手短に済ませたいというのが本音だ。この話には、とかく整合性がなかった。正常な人間から見れば、意味の分からない話だ。プラグにコードに――全くもってなっていない。伝えることなどなかったので、そのプラグは引き剥がしたことがあるのかと、僕は逆に問い掛けた。

 ――あるわ。押しかけて、母と冷静に話をしたいと言った父親のプラグなら。

 かつての経験から学んでいた僕は、黙って続きを聞いた。

 


 別居中の父親が、突然押しかけてきた。

 母と冷静に話し合いたいと言いながら、手にはプラグを持っていた。

 Nは恐怖した。父が憎悪している相手は母に違いない。どれほどまでに憎いのか。相手を屈服させたいほどに。詰りたいほどに。締め上げてしまうほどに。

 行動は早かった。玄関に押し入られる前に、Nは父親の手をはたき、持っていたプラグを引き剥がした。玄関の戸を思い切り閉めようとした。父親の手が金魚の口のようにぱくぱくと痙攣し、止まらなくなった。地に落ちた衝撃で、プラグの差込口の金属部分がひしゃげたのが見えた。

 閉まる寸前に、扉を抑止される。

 なあ、と自分の名を呼ばれたNは、しかし身震いした。きちんと、話を、したいんだよ――ごぼりと泡が噴き出したような、水中で無理に言葉を吐いたような、くぐもった声が響いたからだ。

 妙な腐臭がした。放置された生ゴミのすえた臭いでもなければ、血液のこびりついた臭いでもない。どちらかというと、肉の焼け爛れた臭いに似ていた。Nは噎せ返り、たじろぐ。一歩引き下がった拍子に、閉めようとしていた力を緩ませてしまう。

 細長い先端が戸の隙間に掛かった。こじ開けられる。

 だが、人の手であるはずの指は、崩れていた。

 Nは声にならない叫び声を上げ、へたり込んだ。父親は肉塊そのものだった。人の形すらしていない、溶けた黒い塊だった。

 いつか何処かで、戦争の焼け爛れた人間の写真か絵を見た記憶があった。それと同じだった。でろでろに流れて、皰跡が浮かび上がって、ひしゃげてしまった肉。所々が盛り上がって、ぼたりと液体が落ちてくる塊。ヘドロのような濁った色の肉が、全身を覆っていた。目にあたる二つと見える穴には、なんの球体も入っていなかった。



 ――冷静に話をしたいって言ったわ。肉が崩れた私の父親はね。

 以来、父親の姿は 腐臭を伴う肉塊と化してしまった。Nのみが具象化した結果だ。

 多くをNは語ろうとしなかった。断片的に紡ぎ出され、結末を濁す物言いは、虚言癖とも取れる。

 ――考え出したらきりがないわ。どうしてプラグを無理に剥がしてしまうと、肉が崩れていくように見えるのか。コードは何処に繋がっているのか。……あのプラグは、何処に挿し込むためにあるのか。

 目を落とすN。首を振る。

 ――でも調べられない。それを知ることは、他人の憎悪を見ることと同じだから。

 それから、僕を視界の中央に置いた。

 ――ひとつ訊きたいわ。私は、まだ醜いものを見続けながら、生きていくべきかしら。

 僕が真顔になっていたのは、Nにつられたからではない。

 不意を突かれる質問だったが、彼らに好かれる体質でも、彼らに同化を誘致されるわけにはいかなかった。

「そもそも整合性がないんだ。あんたの話には」

 頭脳は聡いように造られている相手になら、この一言で片付けられる。ゆえに、その話は虚言でうわ言で、聞く意味も持たない無価値であり、問いに答えるまでもなく、語り出した当人の価値もまた同じような見解を持たれる者だと。

 そう、整合性が無い。破綻している。意味のわからない話だった――とかく、『正常な人間』から見れば。

 もう終いだろう。外で飲み物を調達すべく、僕は窓を閉めることにする。

 大暑で無風だった外界を隔てても、室内に変化はない。ガラス越しの直射日光が厳しくなるだけだ。

 僕は部屋の戸に向かって歩き出す。努めて平静に、昂りに気付かれないように。

 ――それは残念ね。

 扇風機の蒸し暑い風に乗った 涼しげなNの声を、振り払いつつ。

 廊下に出る前に、彼女の姿を盗み見た。

 途端、澄ました視線と此方の目とが交差した。これによって、僕が哂っていたことも、知られてしまったに違いない。だがもう話すことは無い。構うことなしに。

 僕は。君が穴に見える。目の穴よりも、鼻の穴よりも、口よりも、下の穴よりも、もっと小さな穴が、縦長で奥の見えない差込口が、額に開いているように見える。


 その二つの穴に嵌められる器具の名前を、僕は知っている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。拝読させていただきました。 なんというか真綿でじわりじわりと締め付けられるような恐怖と感覚のゆがみを感じました。 それがまた独特の空気感で、不思議な読後感でした。 夏ホラー執…
[一言]  執筆お疲れ様でした!  沙堂さんの作品に多くみられる浮遊感、どこか哲学的な匂いがあり、読んでいて何故かとても不安になりました。少しずつ自分が不気味なものになっていくような、そんな陰鬱な不安…
2007/08/29 18:22 充電中チャモ
[一言] こんにちは。^^ 作品を読ませて頂きました。 白昼夢を見ていたような、そんな不思議な読後感が残りました。 ホラーとして恐怖する感じは無かったですが、何か人間哲学的なものを感じさせられる、異…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ