(9) 秘密の共有
・・・
アタシたち3人は、今夜、約束通り食事会を開くことになった。
何だか良くわからないけど、今日の食事会のコトを家族に伝えてあるかどうかを、緒上さんが何度もアタシに聴くから…そんなに楽しみにしてたなら約束を反故にしちゃ可哀想だと思ったんだ。
実際のところ、食事会のことなんかスッカリ忘れていたアタシ。
だって仕方ないじゃない?…それどころじゃ、なかったんだもの。体調不良だったし、睡眠不足だったし…妙な薬を3錠も飲んじゃって…異世界へ行っちゃってたし…
「ってことで、僕は、この痛むお腹をお医者さんに診てもらわなきゃいけないんで、食事会はお二人で…って痛っててててて、耳、耳がち、千切れる」
アタシに蹴られたお腹をさすりながら去ろうとする山下を、緒上さんが耳を掴んで引き留める。
「工学医療技師の資格を持つ私が診たところ、お前の症状はそれほど酷くありません。なんなら、後で私がお前の症状に見合ったナノタブを調整してあげましょうか?」
「ややや。嫌デスよ。先輩みたいなブルジョワと違って、僕たち庶民にはナノタブなんて高価な治療なんて、後の請求が怖くっておいそれと受けられません。先輩がしてくれるのは調整だけで…どうせ、ナノタブ自体の調達は自分でやれ…って言うんでしょ?」
「当然ですよ。私とお前の年俸にそれほど大きな違いは無いハズです。調整をタダでやってあげるだけでも大盤振る舞いというものです」
・・・
良く分からないけど…この二人は、これで非常に仲が良いらしい。
まるで下手くそな漫才みたいで、アタシが緒上さんに抱いていたイメージは少しだけフレンドリーな方向へとシフトした。
「安藤さんは、お酒はイケる方なんですか?」
「え。あ。あんまり飲めないかな?…っていうか、ほとんど飲んだことありません」
「…そうですか。それは困りましたね…」
アタシがお酒を飲めないと、何か問題があるかしら?
緒上さんが、難しそうな顔でなにやら考え込む。
(…先輩。どうやら酔い潰して眠らせるって作戦は難しそうですよ。どうします?)
(人聞きの悪い表現を使わないでください。…しかし、確かに困りましたね)
(あ。そうだ。お腹いっぱいにして、眠くなっちゃったぁ~作戦はどうですか?)
(…どうですか…って、お前。その名称の作戦が上手くいくイメージが浮かびません)
後をついて歩くアタシをそっちのけで、何やらヒソヒソと相談をしている二人。
けど…何?今の。酔い潰す…とか、お腹いっぱい…何チャラ作戦?
「緒上さん。アタシ、そういうつもりだったら帰ります。もっと紳士的な方だって思ってたんですけど…け、結局、ただの『男の人』だったんですね?」
アタシは、声音を氷点下にまで下げて冷たく言い放ち、くるっと方向転換する。
・・・
「あぁ…安藤さん。どうしたんです突然。ほら、アキラ、お前が馬鹿なことを言うから…お詫びしなさい。す、すいません。別に変なことをしようとか…か、考えてませんから…あの…ご、誤解ですから…」
アタシが、駅の方に向けてスタスタと歩き始めると、緒上さんが慌てて追いかけてくる。
山下の奴は、悪びれた風もなく後から適当な調子で形だけの詫びの言葉をいう。
「ネイさん。誤解ですよ。ネイさんを美味しく太らせてから食べちゃおうだなんて思ってませんから安心してください。草食だらけの今時の男二人が、そんな肉食なコト考えるわけ無いじゃないですか?…しかも、ネイさん相手になんか…って、あ痛ててて」
詫びどころか、後半は侮辱になってるわよね?
アタシは振り返り様に、山下のスネに足刀蹴りを叩き込んでやった。
もちろん、ラボ…とかいう場所でのお返しも兼ねてる。
緒上さんはというと、そんなアタシの勇ましさに驚いたのか、硬直している。
山下が言ったとおり、今の時代、環境ホルモンの種類が数え切れないほどに増えてしまって、政府系の機関でも対応が困難らしく、ここ何十年かは「男性の草食化」による少子化が進んでいることが社会問題になっている。
だから、男性が少しぐらいエッチなことを考えるのは、この時代としては歓迎されるべきことなのかもしれない…と数日前のネットTVでやっていたけど…。
だからと言ってアタシは、出会って数日でそんな関係になれるほどオープンなマインドの持ち主じゃありませんから。
・・・
「…すいません。正直に全部、説明しますから。帰るかどうかは、それを聴いてからにしてくれませんか。一応…アキラも私も、安藤さんのためを思って動いているんですから。ふ、不健全なことなど…これっぽっちも考えてはいませんが、出来れば人に話を聞かれないですむ個室のある店で…」
「アタシのために…個室って!?…どういうこと?アタシはそんな…」
「違いますって、違います。何なら会社へ戻って、談話室とか借りても話しても良いんですが…お、お腹も空いているでしょうし…。へ、変な誤解をしないで下さい」
「へ、変な誤解って…し、失礼ね。それじゃ、まるでアタシの方がエッチみたいじゃないですか!?…分かりました。その通りの先に、アタシの父が贔屓にしてるお店がありますから、そこで座敷を借りましょう。それで、いいですよね」
「あ。は、はい。他人に話が聞かれないで済むなら…それで構いません」
「その店の店主とは、アタシも面識があります。信頼できる方ですから、人払いを頼めばこちらから声を掛けるまで部屋には誰も近づかないと思います」
「わ、分かりました。で、ではそこで」
アッサリとアタシの条件を呑んだ緒上さん。
山下の奴も別にガッカリした様子もなく…
「へぇ、ネイさんのお父さんのご贔屓の店ですか?…何料理です?…和食?中華?…えへへ、何か高級そうな匂いがする設定ですよね。父の贔屓かぁ…僕も言ってみたいなぁ…そういうブルジョワな感じのセリフ。…あ、もちろん先輩の奢りですよね?」
とか、相変わらず適当な感じのコトを呟きながらヘラヘラとついてくる。
・・・
あれ?…ひょっとして、二人ともエッチなコトをアタシにしようとか…最初っから考えてなかったってこと?
嫌だ。だとしたら超恥ずかしい。
アタシが一人で勘違いして、過剰に警戒して大騒ぎしちゃったってこと?
うわぁん。それじゃ、アタシが自意識過剰の箱入り娘みたいな感じじゃん!!
よく考えれば、そうだよね。
あの企画開発室のラボってところで、午後の数時間を気持ち良く爆睡しちゃってたアタシが、今、こうして何事もなく無事にいる時点で、二人が変なコトをアタシにしようとしてるんじゃないって…わかるわよね。良く考えたら。
あそこは会社の中にあるけど、凄い厳重なセキュリティがかかってて、外から誰かが入ってくる可能性は少ないみたいだから。
アタシに何かしようと思えば、あのままあの場所で…あんなコトや…そんな…
きゃっ。何考えてるのアタシ。や、やっぱりアタシの方が…もにょもにょ…。
「だ、大丈夫ですか。安藤さん。顔が真っ赤ですよ?…ね、熱でも出ましたか。困ったな、それなら残念ですが、話は今日ではなく明日、ラボの方で…」
「い、いえ。違います。大丈夫です。何でもありませんから。ラボ…のほうが、何か…あの、いやん…その…あ、ココです。このお店。さぁ、入りましょう。すぐ入りましょう!今、入りましょう。今晩は!」
アタシは、恥ずかしさを誤魔化そうと、妙なテンションで店へと入った。
・・・
・・・
「いらっしゃいませ。おぉ。緒上さんじゃありませんか。お久しぶりです」
「や。そ、そうですね。何ヶ月かぶりでしょうか?」
あれ?
アタシの父の贔屓のお店っていう…ことで選んだハズなんだけど…、店主はアタシを見るより先に緒上さんを見つけて、頭を下げながら丁寧に挨拶する。
「い、一応。わ、私も…会社の接待で、このお店を利用することがありますので」
「そ、そうなんですか」
「はい。た、確かに、この店なら…重要な話をしても大丈夫ですね」
この店は古風な料亭の構えをしているが、会社の重役たちも食事をしながら重要な案件を打ち合わせしたりできるように、そこそこのセキュリティを備えている。
「すいません。今日はプライベートですが、できれば打ち合わせの出来る部屋でお願いしたいんですが」
「おやすいご用ですよ。あの部屋は、緒上さんたちのためにご用意したようなもんですから。いちいち、断らずに勝手に使ってください」
「いや。さすがにそういうわけには。他のお客さんだっているでしょうし」
よほど緒上さんが上得意なのか、調子の良いコトをいいながら機嫌をとってくる店主を適当にあしらって、アタシたちは店の奥へと入る。
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結局、店主や店員が、アタシの顔に気づくことはなかった。
なんか…恥ずかしいんですけど。見栄を張ったみたいで。
アタシのそんな気持ちが表情に出てしまっていたのか、緒上さんが気をつかって言う。
「あの。気にしないで下さいね。私は、仕事上、秘密のプロジェクトを取り扱うことが多いものですから、どうしてもこういうセキュリティのしっかりとした店舗の部屋を利用することが多くなるんです…。でも、安藤さんのお父さんも、この店を贔屓にされているっていうことですから…相当良い会社の重役さんなんでしょうね」
「え。あ。はい。まぁ…少々。って、実はあんまり父の仕事の内容はしりませんけど」
「そうですか。いや。安藤さんのお父さんのご職業を根掘り葉掘り聞き出そうというつもりはありませんが…。ただ、やはり、この時代に『安藤』さんという由緒正しい血族名を保持されているということは、それだけでも名家だということが窺い知れますね」
血族名。昔ながらの言い方で簡単に言えば「氏名」の「氏」に当たる部分、つまり姓とか名字とか言う部分だけど、22世紀後半から今にかけては、実はこの「血族名」を持つ人の割合はかなり少なくなっているらしい。
男性の草食化が問題視されている反面、逆に、そんな状況でも…その…旺盛な男性も確かに存在し、そういう男性と、結婚とかで自由を束縛されたくない個人主義の女性が…あの…その…するコトだけをシた結果…世間にはいわゆる「私生児」と呼ばれる子どもたちが溢れかえることになったらしいの。
一時は、社会問題化してたけど、今は「ユリカゴス」という私生児養育システムが整備されて、社会全体で子どもたちが就労年齢に達するまで養育するようになったんだけど…
・・・
「お、緒上さんだって、山下…くん…だって、良い血族名を持ってるじゃないですか?あ、アタシの家だって…この区域ではそこそこの家柄ですけど、首都区域に財産を持つ名家と比べたら、全然だし…」
あまり家柄のことを話題にされると、金持ちの家の子だから仕事をいい加減にやっているんだろう…とか言われそうで、アタシは慌てて言い訳めいたことを口走ったけど…
緒上さんと山下は、複雑な表情で互いの顔を見合い、小さな声で意外なことを呟いた。
「私のこの『緒上』…という名前は、血族名ではありません。私は、ユリカゴス-D13の出身ですから。私の名前は、単なる『オガミ』で、これが固有名称の全てです。仕事上…漢字表記した方が血族名っぽくて都合がよいのでそう名乗っていますが…」
「え…だって、緒上って…凄く由緒ある血族名じゃないですか?」
「そうらしいですね。おそらく、私の遺伝子上の父か母は、その緒上の血族名を持つ若者だったのでしょう。ユリカゴスに子どもを預ける際に、固有名だけはいずれかの親が登録するコトになっているそうですが…、きっと考えるのが面倒だったのか、入力欄の問いの意味を取り違えて…そのまま血族名を入力してしまったんだと思います」
「…そ、そうなんですか…」
アタシは、どんな表情をして良いんかわからず、ただそう呟いた。
きっと間抜けな表情で緒上さんを見つめてしまっているに違いない。
別にアタシは、血族名持ちかどうかで相手を差別したりする気はないのだけれど、仕事の上で血族名の有無や良し悪しを気にする取引先が多いのも事実だ。
・・・
だから今、緒上さんがアタシに話してくれたコトは、かなり親しい間柄でも簡単には明かさない、極めてデリケートでプライベートな内容だ。
本来なら出会って数日で訊けるような情報ではない。つまりは、緒上さんがアタシに対して隠し事をする気はない…という意志の表明のために、敢えて最も隠したくなるような事実をオープンにしてくれたんだと思う。
「包み隠さず話しますが、私は家柄も何もない、努力と少しの才能だけでのし上がった…そういう人間です。時に由緒ある血族名の方からは『成り上がり者』などと蔑まれることもありますが…。安藤さんも、どうぞ私になど敬語は用いず、お話くださっても構いませんよ」
「い、いえ。あ、アタシは、そういうので人を区別したりは…しませんから。そんなことをしたら…ち、父にも怒られますし。何より、家は、血族名はあっても、古いだけの家柄なので…その…ゴメンなさい」
「謝ることはありませんよ。私が勝手にカミングアウトしたのですから」
緒上さんは気にしないと言ってくれるが、思いがけない話の展開に、どうして良いのか分からず、アタシは同じ血族名持ちの山下の方へ救いを求めて視線を向ける。
山下は、店のお品書きを興味深そうに眺めていたけど、アタシの視線に気づいて顔を上げ、イタズラっ子のような表情で笑いながら…
「あ。ちなみに僕も、ユリカゴス・チルドレンですから。お構いなく!」
あっけらかんと言った。
・・・
は?
今、なんて言ったの?
アタシは、山下がサラリと口にしたセリフの意味が分からず、呆けた顔をする。
すると緒上さんが、フォローが必要だと判断して、アタシに向かって説明してくれた。
「アキラも、私と同じユリカゴス-D13の出です。コイツが私を先輩と呼ぶのは、会社での部署が同じだからでは…無いんですよ」
「え?…嘘。だって…山下…アキラって…2節からなる名前じゃないですか?」
アタシは、ひょっとして二人の悪ふざけに付き合わされている?
緒上さんの生まれの話を、素直に信じて神妙な顔つきで聴いてしまったが…さすがに山下までもがユリカゴス・チルドレンだとは…とても信じられない。
それじゃぁ…さっきの緒上さん風の論法で言えば、山下の親は、山下の固有名としてユリカゴスに「山下アキラ」という5文字を登録した…ってことになる。
いくらアタシが簡単に他人の話を信じちゃう単純なお馬鹿さんでも、さすがにそんなあり得ない説明は信じられない。
「そうですね。ですから少し前まで、アキラの名前は…単なるアキラでした。アキラが『山下』という血族名を名乗るようになったのは、最近の話です」
信じ難い…話なだけに、わざわざそんな誰もが疑わしいと思うような話をアタシに聞かせる理由がわからない。だから…それが逆に、話に妙な説得力を持たせている。
・・・
「…よ、養子か…何かに…なったってコト?」
他人のプライベートな情報に踏み込むのは、本来、アタシの主義じゃないんだけど…興味の方が勝ってしまって、アタシはついつい不躾な問いを発してしまう。
「あははは。近いっ!惜しい!…う~ん。でも、正解にしてあげてもいいかな?…どう思います?先輩」
「それは、お前が決める事でしょう。私に意見を求めないでください。ほら、安藤さんが困ってしまっているじゃありませんか。今夜は、安藤さんにとって、もっと重要な話をしないといけないんですから…勿体ぶるのは止めなさい」
「あ。そうでした。ネイさん。じゃぁ…正解ってことで良いや。本当の話をしちゃうと、ちょっと深刻な重たい空気になっちゃうかもしれないからね。養子、養子、よ~しっ」
まったくシャレになっていないような妙なかけ声で、山下は自分の生まれに関する話を終わらせてしまった。
アタシは、唖然としながら目の前に座る二人を交互に見る。
二人は、同時に髪をかき上げて、耳の後ろを私の方に向けて見せた。
そこには、二人が紛れもなくユリカゴス・チルドレンであることを示すタグが埋め込まれていた。
ユリカゴス・チルドレンはこのタグにより、就労可能年齢までの各種社会保障を何の手続きも経ずに受けられるのだ。
このタグを、烙印…だと受け止める人もいるけれど、育ててくれる特定の親を持たないユリカゴス・チルドレンにとっては、命綱でもある印だ。
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ユリカゴス・チルドレンであったことを隠したい人は、大人になるとこのタグの摘出手術を受ける事もあるらしいけれど、このタグを自分のアイデンティティの一つとして一生大事にしている人も多いらしい。
「まぁ…とにかく、食事にしましょう。取りあえず、私とアキラという人間の、目下のところ一番のプライバシーを打ち明けました。これから、本題の安藤さんに関する重要なお話をさせていただきますが…どうか、我々が嘘を言うような人間でないことを信じていただきたかったんです」
言い終わると同時に、緒上さんは机の上を人差し指で二度、トントンとタップした。
すると、座敷のテーブルの上にオーダーの入力画面が現れる。
ココに、表示される写真付きのメニューから注文をセレクトすることもできるけど、昔ながらの雰囲気を楽しみたいお客用に、山下の手元にあるような手書きのお品書きも用意されているのだ。
・・・
先にお品書きを見ていた山下は、オーダーシートが開くと、緒上さんの横から勝手に手を伸ばして、適当にどんどんと料理を選んでいってしまう。
「お、お前…。た、高いものばかりを…」
「え?…だって、ココ、先輩の奢りでしょ?…まさか、割り勘とか?…如何にも常連みたいに店から迎え入れられておいて、そんなセコイこと言いませんよね?」
「わ、私に奢らせるつもりなら…なおさら少しは遠慮したらどうですか?」
二人は、先ほどまでの身の上話のことなど何でもなかったかのように、いつもの通りの賑やかな掛け合いをしている。
だから、アタシも一人だけ神妙な顔をしていてもしょうがないし、確かにお腹もだいぶ減ってきていたので、二人がじゃれ合っている隙を見計らって…ポチッとな。
「あぁあぁぁ…安藤さんまで…そ、そんな狼藉を!」
「おぉ。やりますね。ネイさん。僕も、それ頼もうと思ってたんですよ。そんな高級な料理、この機会を逃したらそうそう食べることできませんもんね」
「も、もう。こうなったら自棄だ。わ、私も、食べます。た、高い奴を。まぁ、場合によっては、…後で会社に経費として請求できるかもしれませんし」
そんなコトできるわけないじゃん!…とか陽気にツッコミを入れながら、アタシたちは空腹の勢いに任せてメニューを選んでいく。
二人が何を思って自分の生い立ちを話してくれたのかは不明だけど、その話の後も態度が変わることなく接してくれるのが嬉しくて、アタシは少しだけ気が楽になる。
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どうして身の上話を聞かされたアタシの方がこんなふうに感じるかというと、今の時代、社会全体でみると血族名持ちの方が既にマイノリティなのだ。
だから血族名持ちに対して、ユリカゴス・チルドレンは敵意というか…あまり良い感情で接してくれることは少ない。
もちろん社会人ともなれば、仕事上でそんなことを言ってられないので、基本的には自分がどちらに属するかなんて自己紹介し合わないし、訊こうともしないのが暗黙の約束で、何故か血族名っぽい名前の人が多いうちの会社でも、その約束は守られている。
「そういえば…。うちの会社って、ほとんどの人が…親持ち子女っぽい名前よね?」
アタシは、この際だから日頃から感じていた疑問を口にしてみた。
緒上さんは、少しだけ困ったような顔をして、それでも疑問に答えてくれる。
「安藤さん。あまり『親持ち子女』という言葉は口にしない方が良いですよ。一応、それは差別用語として認識されていますので…。まぁ、血族名をお持ちの方が、ご自分でその蔑称を口にすること自体が珍しいですが…」
「ゴメンなさい。でも、せっかく二人がある意味タブーの話題をしてくれたじゃない?…アタシ前から疑問だったから…つい便乗しちゃったの」
「まぁ…。貴女のその悪意のない口調で言われると、別に問題視しなくても良いのかも…と私も思ってしまいますが。安藤さんが疑問に思うのももっともで、我が社は、実際に血族名持ちが社員の大半を占めています」
「やっぱり!…そうよね。だって、小原課長もそうだし、西村さんも、それから…山田さんに佐藤君も…そんな感じの名前だもんね」
・・・
「はぁ…。ネイさんって、本当に今まであんまり勉強とか、してこなかったんですねぇ。ひょっとして、この地域が何と呼ばれてるかも知らなかったりして…」
アタシは緒上さんに質問したのに、山下が横から失礼な事を言ってくる。
「し、失礼ね。知ってるわよ。いくら何でも、そのぐらい。えっと『都会』って呼ばれてるんだわよね。…首都区域に比べると…全然、田舎なのに…皮肉な名前よね」
「ははは。ほら。やっぱり勘違いしてるし」
「何でよ!?失礼ね。TOKAI地区って、ほら、このスマート・リングで検索してもちゃんと表示されてるじゃない」
「ややや。網膜直接投射型のフォログラム・スクリーンは、そんな風にこっちに押しつけられても他人には見えませんってば。んで、そのTOKAIって部分は、トカイって読むんじゃなくて、トーカイって読むんですよ。『東海』って!」
あぅ?
緒上さんが、アタシと山下のやり取りを聞いてクスクスと笑っている。
アタシは慌ててスマート・リングに思念を送り、自分の家や会社がある、このTOKAI地区に関するより詳細な情報を検索してみた。
(東海…東海…ふむふむ。21世紀前半の『苦難の20年』の際に、奇跡的に最小の被害で済んだエリアで、21世紀前半の建造物や自然を比較的保っている歴史的な地区…か。そういえば歴史で習ったかも?…アタシ地理とか歴史全般が苦手で、ほとんど授業聞いてなかったからなぁ…)
・・・
「そのスマート・リングの検索にもヒットしたかもしれませんが、このTOKAI地区は、『特別歴史景観保存区』として国の指定を受けています。元々、20世紀の人々が夢見たほどに、22世紀…おっと、もう今年からは23世紀でしたっけ…の我々の世の中は、未来的な風景にはなりませんでした」
緒上さんが、アタシのために補足の説明をしてくれるらしい。
アタシは、素直に耳を傾けた。
「科学技術は、この200年間でかなり発展しましたが、街並みを全て近代的に造り変えるなどということは、経済的な問題で無理でしたからね。特に、21世紀の前半に、幾度となく我が国を襲った自然災害と、政治選択の失敗による経済的疲弊が、大規模な開発行為に水を大量にさしてしまいました」
「つまり、お金が足りなくて、街を造り変えるだけの余裕がなかった…ってこと?」
「はい。もちろん、自然災害により壊滅的な被害を負った地域は、ワザワザ古い技術で災害に弱い街を造る意味はありませんから、それなりに先進的な技術で、見ようによっては未来的な景観になりました。例えば、首都区域などは、2度に渡る災害を経て大きく生まれ代わりましたからね」
「そうね。首都区域は、外国…っていうより、まるで別の星の街みたい。でも、アタシは、あんな高い塔と空中通路だらけの殺伐とした都市より、このTOKAI地区の方が、ずっと好きだわ」
「同感ですね。まぁ、私は、仕事の都合で結構頻繁に首都区域へ出張しなければなりませんので、好き嫌いを言っているわけにはいきませんが…この街は…良い。とても落ち着きます…」
・・・
緒上さんは、目を細めてしみじみと言う。
横で山下もウンウンと頷いている。
そんな話をしている間に、料理が次々と運ばれてきた。
アタシたちは、取りあえず話を中断して、食事に集中する。
腕の良い職人が、心を込めてつくってくれた料理を、話をしながら片手間に食べるなどという失礼なことは出来ない。
後で緒上さんに教えてもらったんだけど、ここの料理は20世紀以前からの伝統を今に伝える由緒ある料理で、あの『苦難の20年』の際に失われかけたレピシを店主の先祖が必死に守り続けてきたものなんだそうだ。
以前に、父につれられて来たことのある店だけど、その時にはそんな事をしらずに、ただ空腹を満たすためにガツガツと食べただけだった。
アタシは、なんともったいない食べ方をしていたんだろう。
美味しいものを食べると、何だか心が幸せになる。
アタシたちは、食べている間、何の会話も交わさなかったけど、時々、目を合わせては互いに微笑みあった。
家族以外と共にした食事で、こんなに食事が楽しく、食べたものを美味しいと感じたのは始めてかもしれない。
「「ご馳走様でしたぁっ!!」」
アタシと山下が、元気に手を合わせて声を重ねるのを、緒上さんが微笑んで見ている。
・・・
「安藤さん。午後に比べると、随分、顔色も良くなりましたね。あまりにも体調が悪そうに見えたので、心配だったんですよ」
はしたないかも…と思いながらもアタシが満腹のお腹をさすっていると、緒上さんがアタシに話しかけてきた。
あ。そう言えば…暖かくって美味しいものを食べた直後だからかもしれないけど、随分と楽になったような気がする。
「ありがとうございます。あの、夕方…あのCTとかMRIみたいな見た目の機械の中で…アタシ、ちょっぴり眠っちゃったみたいで…それで、少しは疲れが抜けたみたい」
さすがに女性特有のアレのピークを過ぎたから…とは言えないし、実際に1時間強ぐらいの短い時間だったけど、はしたなくも眠りこけてしまったアタシを、何も言わずにそのまま寝かせておいた緒上さんのお陰で、だいぶ楽になったことは間違いない。
「何日もの間、眠っても起きているのと同じように物事を考えては…さぞ疲れたでしょう。短い時間でも、何も考えずに眠れたのは大きいでしょう。夢は見ましたか?」
「…夢…は…見なかった…です…け…ど…。あれ?…」
アタシは、何気なく聞き流しそうになった緒上さんの言葉に、強烈な引っかかりを覚えた。眠っても…起きているのと同じように…物事を考える…って、今、そう言った?
「どうして、緒上さんが…それを…知ってるんですか?」
・・・
あ。いや。あの薬みたいなシムタブとかいう錠剤のことは、緒上さんは知ってるのか。
一昨日、自販機の前で話をしたときは、山下が引継ぎをちゃんとしなかった別の薬の話だとかなんとか上手く誤魔化されちゃったけど…あの時の話は、やっぱりアタシが飲んだ薬のコトだったんだ。
今から思えば、どうして、あんな不自然な誤魔化し方に、アタシは納得してしまったんだろう。
そして、今まで不思議とアタシの不眠の原因について尋ねようという気にならなかったけど…、薬の持ち主である山下なら、アタシの置かれた今の状況についても何か知っているハズなんだ。
「…ひょっとして…今、アタシが…どんな目にあってるのか…2人とも知ってる?」
「申し訳ありません!」
「ゴメンなさい!!」
2人は、揃って頭を深々と下げた。
あぁ…。これが、どござ?…じゃなくて…えっと、土下座ってやつね。
ジャパニーズ・ビジネスマンの最上級の謝罪の姿勢だって、父が言ってた。
この3日間のアタシの不安やら、苦しみとかを思い出すと、事情を知りながら助けてもくれなかった2人には正直腹がたつけれど…
まぁ、最上級の謝罪までされたら、話ぐらいは聞いてあげなきゃね。
美味しいものも食べさせてもらったし。
・・・
「ふぅ。怒らないから…教えてちょうだい。アタシ…どうなっちゃうの?」
今、どうなっているのか。
…については、あの異世界でジウに教えてもらったから、取りあえずいい。
でも、このまま全然、睡眠らしい睡眠もとれずに、アッチの世界とコッチの世界の両方で起き続けていたら…
今、一番の心配事は、それだった。
だって、このままだと、やっと楽しいと思え始めた仕事だって集中してできないし、それどころか寝不足と過労で倒れるのは時間の問題だもの。
あまり考えないようにはしてるけど…2週間寝なかったネズミが…死んじゃった…っていう昔の残酷な実験の話も…頭の片隅から離れてくれないし…。
「本当に、申し訳ありません。アキラが…不用意に開発中のシムタブのパッケージを机に置きっぱなしにしたばっかりに…。安藤さんには、とても辛い思いをさせてしまいましたね。ほら、アキラ。お前も、もっとちゃんと謝りなさい」
「いや。先輩。これ以上は無理ですって、床に頭をめり込ませでもしなきゃ…ぎゃぁ」
床におでこを直付けしていた山下の後頭部を、緒上さんが容赦なく上から押しつける。
グリグリ…と音がしそうなぐらい強く押しつけるので、さすがに少しだけ気の毒になってしまう。
「あ…あの、緒上さん。も、もう土下座は良いですから…とにかく教えてください」
・・・
アタシは、2人を元のように座り直させると、自分も居住まいを正す。
「お願いします。アタシ、どうしたら良いか全然わからないの。こんな変な状況、家族にも…小原課長にも相談できないし…アナタたち2人しか頼れる相手がいないの」
「本当に申し訳ありません。その元凶である私たちが、どんな顔をしていれば良いのか…非常に恐縮ではありますが…、取りあえず、安藤さんの安全は、我々が何としてでも保証しますから。貴女を絶対に、倒れさせたりはしません」
「ぼ、僕も、び、微力ながら、お手伝いしますんで…」
アタシは、少しだけ潤んだ目で2人を見つめ、目で話の先を促す。
緒上さんは頷いて、これからの当面の対策を話し始めた。
「今日の夕方。貴女を少し騙すような形になってしまいましたが、あの機器の中でなら、貴女が健やかに眠ることができることを確認できました。アレは実はCTでもなければ、MRIでもありません。本来は、ノイズとなる量子通信波を遮断して、量子通信デバイスの指向性の調整や各種テストをするための遮断容器なんです」
「はぁ…。良く分からないけど…アレの中なら、アタシは眠っても異世界へ行かずに済む…ってこと?」
「はい。そのとおりです。安藤さんは、難しい話を要約するのがお上手ですね。理解が早くてとても助かります」
「で?」
「実は、貴女が4度目のログインをされるまでは、私たちは敢えて何もせずに様子を見守らせていただいていたんです。通常なら3度で、症状は終わるハズでしたから」
・・・
うん。ジウも確かに同じコトを言っていた。
皆、アタシが3度目の異世界から帰還した以降まで、こんなふうに眠る度に異世界へ行っちゃうコトになるなんて…想定してなかったのよね。
副作用…なんて単語も話に上がってた気がするから、まったく予見出来なかったとは言わせないけど…
で、実際、アタシは4度目のログインとかいうのを体験してしまったし、恐らくこの状況はしばらく続いてしまうだろうと思う。
「本来のシムタブには、1度のログイン後は自動的に死滅するアポトーシス機能が組み込まれていて、その効果が持続してしまうということはありません。これは、安藤さんが今、体験しているような状況となるのを防ぐ意味もありますが、脳に異常な負担を与えて…癌化してしまうのを防ぐためでもあります」
「が、癌?」
「はい。シムタブは基本的には人間の体細胞と同じくタンパク質を主成分としている生体ナノマシーンです。そのままなら人間の免疫機構に異物として攻撃され、すぐに体外へと排除されるのですが、ある一定の効果を得られるまでの時間は体内で機能を保ち続ける必要があるため、自己防衛と自己複製の機能が備わっているのです」
「そ、それで癌?」
「そうです。自己防衛…ということは、つまり宿主である人間の体にとっては攻撃のようにも受け止められますし、自己複製機能の歯止めが利かなくなれば、無限に増殖を繰り返してしまいます。…それは、まさに癌のような勢いで…」
アタシは何故か、自分の体の中で無限に増殖する山下を想像して、身震いした。
・・・
「そ、それは…こ、怖いわね」
「ええ。さぞ怖いでしょうね。そんな恐怖を感じさせてしまい、申し訳ありません」
アタシが何を想像したのか知らない緒上さんは、素直に頭を下げる。
「体内におけるシムタブは、ログインのプロセス中が最も活性化します。ログイン中や、ログイン前の血液や体液中を流れている間はそれほど大きな活動をしないように設計されています。ですから、貴女は、できるだけログインする回数を増やすべきではないのです。3度目までは…体外から排除されると期待していたので、静観していましたが…」
「それで、僕、思いついたんですよ。営業部と自宅を行き来しているだけの通常の生活じゃ、ネイさんが何度もログインを繰り返すのを止める術がないけど、企画開発部に異動してもらえば、先輩が何とか対策を考えてくれるって」
「…あ。それで、あんなに必死に…ムキになって部長にまで噛み付いたりしたのね?」
「はい。あそこで駄目って断られたら、もう、他にネイさんを助けてあげる手段が思い浮かびませんから」
アタシは、日中に思い浮かべた「泣いた赤鬼」の話を少しだけ思い出して、改めて山下の顔を見つめる。この子、いい加減でどうしようもない男に見えて…案外、良い奴なのかもしれない。
「そっか。ありがと。それなのにアタシ、2週間のお試し…とか勝手に話しを変えちゃって…ゴメンなさい」
「いえ。できるだけ早く解決するつもりですから…」
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アタシは、せっかくなので日中、自分が考えたアイデアも伝えてみることにした。
「あの。ログインの回数が増えるのが問題なら…ずっとアッチの世界に行ったままにしたらどうかしら?…それなら、回数は増えずに済むでしょ?」
「…それは、こちらの世界で、ずっと眠っている…ということになってしまいますが…そういう状況で誰にも心配をかけないシチュエーションが、何か思い浮かびますか?」
アタシは、天井を見上げながら考えて見た。
眠り続けるとなると…会社のデスクで…ってわけにはいかないから…やっぱり家か。
でも、アタシが朝になっても目覚めようとしなかったら、父も母も…それから弟たちも心配するに決まってるわよね。
で、当然に…ゆり起こされちゃう。
「無理ね」
「はい。無理でしょうね。ですから、あの遮断容器の出番なんです。アレなら、多少コストはかかりますが、貴女が眠っても向こうへとログインするのを確実に防げます。ですから、日中はしっかりとあの中で眠っていただいて、ご自宅では、申し訳ありませんが頑張って起きていて欲しいのです」
「あぁ…。昼夜逆転の生活を送れ…ってことなのね」
「そのとおりです。ぜひ、ご協力下さい」
本当は、日中に頑張って色々と知識を習得したいと思っていたんだけれど…
アタシは、それしか方法が無いと知って、仕方なく頷いた。
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次回、「世界設定(仮題)」へ続く。