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Optimization -幸せにしてあげる-  作者: kouzi3
第1章 アタシの仕事
6/10

(6) 副作用?

・・・

 

 業務終了時刻。


 昨日に続いて残業なんて全くする気もなく、アタシは荷物をまとめて足早に職場を後にしようとする。

 アタシ以外のほとんどが残業に突入する中、オバァがチラッとアタシの方を向いたけれど、特に何も言おうとはせず視線を外した。


 ってことは、オバァ公認で、アタシは帰ってもOKってことで良いよね?

 アタシは、睡眠不足で重たい体を引きずりながら、職場の扉を外へとくぐった。


 「全く期待されてない…ってのも、ちょっと応えるなぁ…でも、ま、今に見ていろ!」


 アタシは、深呼吸して社外へと出た。

 まだ、日は落ちていないけど、油断は禁物。

 昨日は、電車に飛び乗った直後に、不覚にも泣きながら熟睡という失態をやらかして、終着駅まで電車を乗り過ごしてしまっているのだ。


 駅に向かう途中でコンビニに寄ったアタシは、お目々スッキリ・シャッキリが売り文句のスースーするタブレットを購入した。

 コンビニから出るやいなや、それをパッケージから出して、一つ口に含む。

 刺激的な熱みたいにも感じる冷たい呼気が、喉から鼻へと抜けてアタシを覚醒させる。


・・・

 

 駅のホームに夕日が差して、セピアより少し明るい色に世界は包まれる。

 この時間帯の光の波長って…何故かとても眠気を誘うのよね。

 アタシは、欠伸を噛みしめながら、二粒目のスースータブレットを口に含む。


 「胃が荒れちゃうかもしれないなぁ…はぁ」


 口の中に、これだけの刺激が広がるのだから、きっと胃の中にだって大きな影響があるに違いない。そうとは気づかないだけで。


 (胃って案外に鈍感なのかな?)


 アタシは思ったけれど、思えば体の中の器官の多くは鈍感だ。

 いや。鈍感なのは、アタシの脳の方か?

 色々な感覚が世界にはあふれているのに、アタシがそれを気づけないだけ…

 どうしても内向きになりかける、アタシの思考。

 起きているのに夢うつつのような感覚になって、アタシは危うく自分が乗るべき電車に乗り損ねるところだった。


 (ふぅ…。危ない、危ない。ま、次の電車に乗れば良いだけだけどさ…)


 内心で冷や汗を拭いながら、アタシは電車内を見回す。

 げっ…昨日の親子!!

 アタシのグシャグシャの顔を見て笑っていた、あの子どもがコッチを見ている。


・・・

 

 アタシは思わず「アッカンベ~」をしてやろうと思ったが、子どもは興味なさそうに窓の外に視線を移した。

 そりゃ、そうか。

 昨日のアタシは涙でグシャグシャで、今日のアタシとは全然違うんだから。


 子どもの視線につられてアタシも車窓の外に目を向ける。

 夕方の金色の空に、金色で縁取られたビルや家々が流れて行く。

 あの世界とは、また違った異世界のようで、アタシはしばらくその風景に見とれていた。


 幾つかの停車駅を過ぎても、金色の世界に目を奪われていたアタシは、危うく今日も自分の降りる駅を乗り過ごすところだった。

 次の停車駅の駅名を告げるアナウンスが、どこか遠くの世界のざわめきのように聞こえて…おそらくアタシは、今日も危うく寝てしまうところだったようだ。

 って、立ったまま寝る?…普通?

 …まぁ、電車の中だとそういうこともあるか…あの不規則な揺れが曲者なのよね。

 1/fの揺らぎとか言うやつに違い無いわ。きっと…多分…知らないけど。


 「降りま~す!降ります。降りまぁ~す!!」


 まだ時間が早いので、それほど乗客は多くなかったけれど、アタシは目の前の何人かの背中を避けながら、何とか扉が閉まる前にホームへと降りる。


 「ふぅ。今日は、暗くなる前には家に着くことができそうね」


・・・

 

 改札を出ると、念の為、もう一錠、スースーするタブレットを口に含む。

 まさか、家に帰るまでの徒歩で居眠りすることは無いと思うけど、一応ね。念の為。


 タブレットのケースをポーチにしまいながら、そのまま歩いて駅舎の外へ出る。

 会社を出た時よりはかなり夕闇…という表現が似合うように染まってきた空。

 ルーズボブの髪を指で梳くようにして、頭にも冷たい風を迎え入れる。


 そういう涙ぐましい努力をしないと、いつ眠ってしまうかも分からないぐらい、アタシの体力は限界に近づいていた。


 「ネェちゃん。乗ってくか?」


 駅のロータリーを歩くアタシの後ろから、まるでナンパでもするかのような軽薄な声が投げかけられた。

 けど、「ネェちゃん」って書くから、そういうイメージになっちゃうのよね。

 声を掛けてきたのはアタシの血の繋がった弟だった。だから、「姉ちゃん」って表記すべきところだったわけだけれど、我が弟ながら、この子は凄く整った顔をしていて、まるで人気№1のホストみたいだから、ついつい、その言葉も軽薄に聞こえる。


 「ありがと。けど、アンタのファンの女の子たちに睨まれないかしら?」

 「い、いねぇよ。お、俺のファンなんて…」

 「へぇ。母さんに聞いたよ、時々、ラブレターかファンレターみたいのが届くって」

 「良いから乗れよ。何か、すんげぇ疲れてるみたいだからさ…」


・・・

 

 どうやら、アタシのことが心配で、ワザワザ迎えに来てくれたみたいだ。

 う~ん。カワユイ弟だねぇ。うふふふ。


 「ありがと。でも、自転車ってのがねぇ…」

 「仕方ないだろ?…俺、まだ高3だし。免許は…一応とったけど、兄ちゃんたちの車、勝手に乗ると怒られるからな…」


 アタシが26歳で、この子、末の弟のタケルは18歳。

 アタシとタケルの間に、23歳になる弟が1人と20歳になる妹が一人。

 4人兄弟って…今時ちょっと多いよね。頑張ったなぁ。うちの両親。


 何を頑張ったのかを真剣に考えると、ちょっとエグイので、アタシは頭から雑念を振り払うように2~3度首を横に振って、それから弟の自転車の荷台へと腰掛ける。

 ずり落ちないように荷台に跨ろうかとも思ったが、やっぱり乙女としては横座りが基本?かな?…とか考える。


 「何か、落ちそうだけど…大丈夫?…しっかり掴まってよ?」

 「はい、はい。分かってるわよ。子どもじゃないんだから」


 アタシは、タケルの腰に手を回し、しっかりと体を固定した。

 …ちょっと、胸とか当たっちゃってるかもだけど、そうしないと、ホント眠くて落っこちちゃいそうだったし…ま、弟だし、年も離れてるし…OKだよね。

 弟は、ちょっとだけ体を硬直させたけど、直ぐに自転車のペダルを力強くこぎ出した。


・・・

 

 川沿いの土手を走っている頃に、ついに日は落ちて、家までもう少しという上り坂までやってきた。

 二人乗りで坂道はキツイだろう…とは思ったけど、疲れている体は降りたくない…と言っている。しっかりと腕に力を込めると…


 「大丈夫だよ。降りろなんて言わないからさ。これ、一応、電動アシスト付いてるからね。ハイパワーモードに切り替えたら、いけるでしょ?」


 我が弟ながら、その背中はなかなか逞しく肉がついている。

 電動アシストが、果たして大人二人乗りでも坂道を登れるものかは不安だったけど、アタシは頑張る弟のオトコノコな力を信じて、そのまま背中にしがみつく。


 立ち漕ぎすべきかどうか…弟は少し迷ったみたいだけど、アタシが背中にしがみついているので諦めて座ったまま坂道に突入。

 電動アシストのモーター音が、それまでになく大きく響く。


 そうか。アタシは、やっぱり知らないコトばかりだな。

 電動アシスト自転車って、凄いんだ。こんな風に二人乗りでも、ぐんぐん上り坂を登っていけちゃうんだ。

 18歳のオトコノコも、こんなに逞しく姉思いに育っているんだ。


 ま。あの世界の環境を整えるのには、全く必要の無い知識だけどね…。

 アタシは、取りあえず自分が何も知らないことを自覚する。「無知の知」というやつだ。


・・・

 

 アタシが、良く知りもしないソクラテスの言葉?的なことを頭に浮かべているうちに、坂道を登り切った自転車は、家の前まで滑るようになだらかなカーブを下った。


 「ネェちゃん。着いたぞ。起きろ」


 いや。寝てないし。断じて寝てないし。

 確かに、アタシはもう限界で、いやな汗まで滲んで来てる気がするけど…。


 「って、おい。ネェちゃん。俺の背中で顔を拭くの止めてくれ!」


 ちぇ。バレたか。

 アタシは、タケルの腰に回していた腕をほどき、フラフラと自転車から降りる。


 「お、おい。危なっかしいな。本当に大丈夫か?…ネェちゃん」

 「ありがと。お陰で行き倒れにならずに済んだよぉ~。命の恩人だ、タケルは~」

 「な、なんか酔っぱらいみたいになってるぞ?…ネェちゃん」


 アタシは、もう答えるのも億劫になってきて、ヒラヒラと肩の辺りで手を振りながら、家の中へと入っていく。

 自転車を、軒下へと仕舞いながら、アタシを追いかけて肩を貸そうとするタケルに掴まりながら、玄関でヒールを脱ぐアタシ。

 家族揃っての夕食まで、頑張ろう…そう思って洗面所で顔をあらったけど…

 アタシが起きていられたのはそこまでだった。


・・・

・・・

 

 「…来てしまったんですね。また」


 ジウが悲しそうな顔で、アタシを見ている。

 何?…なんで、そんな悲しそうな顔をしているの。

 アタシが、やっと真剣にこの世界と向き合おうと心を入れ替えたのに…どうして?


 焦点の合わない目を何度も瞬きながら、アタシは強い陽差しの中で覚醒する。

 そう。覚醒。変な感じだけど、いつもの世界でアタシが眠ると、この異世界でのアタシが目を覚ますようなそんな感じ。

 今回のアタシは、何故かベンチに横になっていて、ジウに膝枕をしてもらっているような姿勢で覚醒した。

 黒い日傘を左手に持って、横たわるアタシの上に日陰をつくってくれている。

 右手に持っている白いハンカチは?…あぁ、それでアタシに風を送ってくれているのね。涼しいのはそのお陰か…。


 「ねぇ?…どういうこと?…まるで、来ちゃいけなかったみたいな言い方」


 アタシは、下から覗き込むようにジウの瞳を見つめる。

 上から見下ろす顔って、二重顎になっちゃったり、鼻の穴の中の毛が見えちゃったり…と大抵は幻滅するものなんだけど(お父さんとか、そうだもんね。)…この男性ひと…何だか嘘みたいに整った顔してるのよね。

 下から見上げても、全然、幻滅しない。アタシの好みのまんまだわ。


・・・

 

 でも、いつまでも男性に膝枕してもらってる…ってワケにはいかないから、アタシは重たい体にムチを打って上半身を起こし、足を砂地へと下ろす。

 あ。重たい体…って、アタシの体重が重いってことじゃないわよ?


 矛盾した言い方に聞こえるかもしれないけど、夢の中かと思うほどリアルな異世界へ、眠る度にアタシは来ているんだけど…起きているときも、寝て、この世界へ来ている間も、体を休める暇がないから…どんどん疲労が溜まっていってるんだよね。

 だから、体が泥のように重く感じる…っていう、そういう比喩表現なの。


 普通にベンチに腰掛ける体勢をとったアタシだけど、頭がふらついてしまう。

 目の疲れも相当に酷いんで、アタシはギュッと目を瞑って目の凝りをほぐそうとする。


 「無理せずに、体を横たえたままで良いんですよ?…かなり疲れているようですから」

 「大丈夫よ。ねぇ。それよりも、どういうこと?…答えてちょうだい」

 「アナタは、ここへ来ない方が良かった…そう言ったんですよ」


 その言葉に、アタシは、顔をジウの方へと向けて睨む。

 昨晩、あんなに色々と、この世界の仕組みやルールを教えてくれたのに…それで、アタシが日中も、一所懸命にジウの役に立つように頑張っていたのに…どうして、そんな邪魔者が来た…みたいな言い方をするのか。


 「酷い…。だったら昨日、あんなに色々と説明しなきゃ良かったじゃない!」

 「…いえ。アナタはココへまた来ると思っていました。でも、来ない方が良かった…」


・・・

 

 矛盾したようなジウの言い草に、アタシは意味が分からなくて眉を寄せる。


 「アナタには、また、いつか来ていただきたい。そう思っていました。できれば正規の手順を踏んで…」

 「…正規の…手順?」

 「そうです。昨夜、アナタには、この世界がどんな世界で、そして、ここでアナタが何をすべきか…そのお話をさせて戴きました」

 「えぇ。ちゃんと覚えているわ。だから、今日は、日中も頑張ったんだから」


 ジウは、アタシの答えに、申し訳なさそうに頭を下げる。


 「ありがとうございます。しかし、それは失敗でした。その話は、正規の手順で、アナタがここへ来たときにすべきでした」

 「どうして?…なんでよ?」

 「私が、深く考えもせずに、アナタにこの世界での仕事の話をしたばかりに、アナタは体を休めることもせず、日中も頑張って色々と調べ物をしてしまった」

 「そうよ。知っているのなら、褒めてよ。そりゃぁ、まだ、たった1日分の知識しかないから、直ぐにはアナタの役に立てそうもないけど。でも、アタシ頑張ったんだから」

 「はい。そうですね。でも、そのせいで…アナタの体力はもう限界ですよね?」

 「あぅ…」


 ジウの指摘はそのとおりで、アタシは既に関節やら背中の筋肉やらが痛みを訴えるぐらいに、体調に異常をきたしていた。


・・・

 

 「アナタには、是非、この世界の為に、私のお手伝いをお願いしたい。そう思っているのは真実です。それは信じていただきたい。しかし…だからと言って、アナタの健康を害してまで、そうしたい…と、思っているわけではないんです」

 「アタシの体を…心配してくれてるのね?」

 「はい。アナタ自信が、一番、良く分かっているのではないかと思うのですが…。眠っている間にこの世界へ来ているアナタ。その眠りは…ちゃんとアナタに休息を与えているのでしょうか?…この世界での疲労が、そのまま目覚めたアナタの体に蓄積されていっているのではありませんか?」

 「……ん…」

 「愚かな私は、昨夜までは気づいていませんでした。いや。ネイさん、アナタが疲れていらっしゃる…それには気づいていましたが、それは、この異世界での慣れない環境に対する疲労だと…この世界だけでの疲労の蓄積だと思っていたのです」


 ジウは、アタシの方を本当に心配そうに見つめる。

 止めてよね。そんなに、見つめられたら…異世界だって分かってても惚れちゃうよ?

 って、そこでアタシは、自分の目の下に濃いクマを飼っていることを思い出した。

 慌てて、目の下のあたりを両手の平で覆い隠す。


 「やん。あんまり見ないで。アタシ、化粧も直さないで、いつの間にかコッチの世界にきちゃったから…今、酷い顔してるよね。きっと」

 「いえ。疲れていても、アナタの顔は十分に魅力的ですよ。ネイさん」

 「お上手ね。…ねぇ。そんなコトより、まだ、さっきの質問に答えてもらってないわ。アタシが来ない方が良かった…って、どういう意味?」


・・・

 

 「…非常に申し上げ難いのですが…。アナタが、何故、この異世界へと来ることになったのか…その話は、まだ、していなかったですよね?」

 「うん。そのコトと、来ない方がよかった…ってコトが…関係ある…ってこと?」

 「はい。アナタはここへ、ご自分の意思で来られたワケではありません」

 「うん…。だって、夢だと思ってたぐらいだかね」

 「では、夢では無い…そう分かった、今。アナタは、この世界へと来るキッカケとなったのが何なのか…心当たりはありますか?」


 アタシは、一応考えるような素振りをしたけど…考えるまでもないわよね。

 どう考えても、あの山下の薬みたいなヤツを、3錠まとめて飲んじゃった以降だ。

 あの錠剤が、どんな効能を持っているのかは知らないけど、きっと、この世界へとアタシを連れて来ているのは、アレに間違いないと思う。


 最初の一回が、プレゼンの直前の…あの不思議な星空の世界。

 次が、その夕方の…泣きながら眠りこけたあの電車の中…その時、初めてこの小島に来たのよね。で、そこに、アタシは我が儘を言って、バナナの木と鮭の赤ちゃんを出してもらったんだ。…その直後に、目を覚ましてしまったけれど。

 そして、前回…3度目が…昨日の夜。

 アタシが、この世界の真実にやっと気が付いた…そのときだ。

 枯れたバナナの木と、死なせてしまった鮭の赤ちゃんたちのことが、目から焼き付いて離れない。

 そう言えば、あのバナナの枯れた木や、鮭の赤ちゃんたちの亡骸は…どうしたんだろう?…ジウが片付けたのだろうか?


・・・

 

 「バナナの木も、鮭の稚魚も…時間の流れを調節して土へと返しました。ちゃんと弔いもしましたから…ご心配なく。それよりも、ここへ来るキッカケについて、心当たりは…あるんですよね?」


 アタシが不安げに周りを見回したのに気づき、ジウはアタシの気にしていることを先に答えてくれた。


 「あの…薬…みたいなヤツのせいだわよね。3錠…同時にのんじゃった…」

 「やっぱり…そうですか」

 「…って、何で、ジウが薬のコト知ってるの?…アナタって、私たちの世界のコトも分かってるっていうこと?」

 「はい。この世界と、アナタの世界との繋がりに関することは、当然に知っていますよ。そうでなければ、アナタに正規の手順…なんていう話はできないでしょう?」

 「そうか。この世界には、ちゃんと意図的に来る手段がある…ってことね?」


 ジウは、ゆっくりと頷く。

 それでアタシは、はっ…と気づく。


 「ねぇ?…じゃぁ、アタシが飲んだ…アレって、もしかしたら…この世界へ来るための薬だったの?」

 「…ご名答です。ネイさんは、あまりシムタブについてご存知ないようですが…ナノタブ…についても、ご存知ないですか?」

 「ナノタブ…あぁ…き、聞いたことはあるわよ。あの凄い値段の高い薬でしょ!?」


・・・

 

 「そうですね。今はまだ、とても高額です。治療薬としての効果は抜群ですが、その値段の高さから、まだそれほど普及していません。ナノタブ…というのは、ナノマシーン・タブレットの略称で、ナノタブレット…と呼ぶ人もおります」

 「ナノマシーン…。あぁ…なんか小っちゃいロボットだったわよね?…タブレットっていうのは…よく聞くけど…」

 「携帯端末のことではありませんよ。錠剤を英語でTabletタブレットと言うんです。ラムネ菓子などにもタブレット状のものはありますが、まぁ…薬の錠剤のこともタブレットと呼ぶのです」

 「し、知ってるわよ。タブレットの方だったら」

 「そうですか、それは有り難い。よく誤解される方がみえるものですから…。ナノマシーンの方は…今、ネイさんが仰ったとおり、非常に小さいロボット…で良いのですが、ロボットというよりは免疫細胞の方にイメージは近いと思います」

 「免疫細胞…?」

 「白血球などの免疫細胞は、タンパク質などで出来ていますが、ナノタブも金属製のロボットではなく、タンパク質などからなる生体組織と同じ組成で出来ています」

 「…な、なんか人造のウィルスみたいね」

 「そうですね。その表現は、あながち間違ってはいません。ナノタブを開発するに当たっては、ウィルスの構造や原理は大きな参考となっています。実際、ウィルスに手を加えて遺伝子治療などに用いていた事例もあり、それはある意味、改造ナノマシーンというふうにも言えるでしょう」


 話がどんどん難しい方向へと行きそうになったので、アタシは取りあえずジウに大きく頷いた。良く分かってはいないけど、正直に言うと説明が長くなりそうだから。


・・・

 

 「で?…そのナノタブが…アタシの飲んだ薬みたいなヤツ…ってこと?」

 「いえ。違います。いや。違わないのですが…ナノタブが治療を目的とした医療用であるのに対して、その技術を応用して学習や娯楽用に改良されたものをシムタブと言うんです。ネイさんのお飲みになったのは、そのシムタブ…というモノです」

 「…シムタブ…しむ?…タブレット?…しむ…しむ…【死】ムぅ…?」

 「いや。どんな文字を思い浮かべたのかは、大体想像がつきますが…違います…」


 ジウが、右手の親指と薬指で自分の両方のコメカミを掴むようにする。

 失礼ね。そんな呆れて頭痛がする…みたいな仕草しないでよ。


 「タブ…方は、タブレットで合っています。シムの方は、シミュレーションの略で、シムです。じゃぁ、『シミュタブ』では?…と、今、アナタはそう思ったような顔をしていますが、英語圏ではシミュレーションをアルファベット3文字でSIMと略すことから、それをシムと発音することが多いんです」

 「ね…ねぇ?…あの、アナタもそうだし、他の人も…良くアタシの考えていることを、正確に言い当てるんだけど…どうして?…実は、アタシ以外の人類には、全員、他人の心を読む超能力でもあるのかしら?…異世界とか関係なしに?」


 アタシの質問を不思議そうに聞いていたジウ。

 聞き終えたジウは、左の目尻を下げると同時に左の唇の端も持ち上げて、顔の片方だけで微笑むような微妙な表情をつくる。


 「…ふっ。いえ。アナタが、とても素直で良い人なんですよ。裏表の無い…」


・・・

 

 えっと…。それは、褒められたと受け止めて良いのかしら?

 何か、馬鹿にされているような気もしないではないけど…


 「よく『顔に書いてある』…などと言う表現をしますが、アナタは考えていることが、とても良く表情に表れます。そして、その表情には決して邪気が無い…これは、美徳だと言って良いのではないでしょうか?…少なくとも私は好きですよ…」


 す…


 好き…って言った。好きって言った…スキッって言った!?

 今、考えが表情に表れ易いって指摘されたばかりなのに、アタシの顔は「好き」というたった一言で、面白いように赤く染まってしまった。


 「…あ。いや。申し訳ありません。不用意な一言でした。謝罪します…」

 「な、何で謝罪しちゃうのよ?…べ、別に、悪く思ってなんかないわよ!!」


 ふぅ…ふぅ…。

 い、異世界の…じ、人類かどうかも不明な人の言葉に、何をアタシは狼狽えているんだろう?…れ、冷静にならなきゃ。そ、そうだ。今は、アタシが何故ここに来ない方が良かったか…という話の最中だった。


 「で、そのシムタブを飲んで来たから何だっていうの?…自分の意思で飲まなかった人は、来てはイケナイってコト?…じゃぁ、そういう風に作っておきなさいよ!」


・・・

 

 アタシは、内心の動揺を隠すために…必要以上に強い口調で抗議してしまう。

 ジウは、少し面食らったような顔をして、そしてすぐに考えるような表情をする。


 「…なるほど。その通りですね。アナタは、本当にいつも良い指摘をしてくださいます。起こってはいけない動作は、起こらないように作る。それが作り手としての基本的な姿勢でしょうね。今後は、意図せずに服用したかどうかを確認するレイヤーを用意して、そこで分岐する仕組みを作るように言っておきましょう…」

 「あ。そ、それ…あの…に、日本語で…訊くようにしてね?」


 アタシは、プレゼン直前に迷い込んだ、あの字幕が流れる映画のようなものを思い出して慌てて付け加えた。

 何だか良く分からないうちに、宇宙からこの惑星?へと落下しはじめて…アタシは墜落死しそうな恐怖を感じたんだ。

 そして、その時、確かジウはアタシに言った。「どうして言語選択で日本語を選ばなかったんです?」的なコトを…。

 それを、ジウも思い出したのか、彼はクスっと笑ってアタシに答えた。


 「はい。そうですね。それほど難しい英語では無かったハズですが、シムタブどころかMMORPGなどの文化にも馴染みの無い方の場合、英語メニューの選択肢では困ってしまうということが分かりましたので…その方の使用言語を解析するか、複数の言語で訊くようにするか…とにかく、何らかの工夫をするように言っておきます」

 「…で?…結局、アタシは邪魔者って…コト?…知識があまりにも無さ過ぎるから?」

 「と…とんでもない。そんな意味で来ない方が良かったと言ったのではありません」


・・・

 

 ジウは、とても慌てた感じで、悲しそうに睨んだアタシを宥めようとする。


 「アナタの知識が無いコトは…まぁ…ご自身でも自覚されているようですから…その通りだと言いましょう。ですが、よほどの科学者や知識人でもなければ、全ての知識を頭の中に詰め込んでいる人などいません。だからこそのナレッジ・データベースであり、だからこその私の存在なのですから…」

 「…ナレッジ・データベース…」

 「はい。この世界の時間の流れは、ある程度コントロールできますから、アナタは何かのアイデアを私にご提案いただくにあたり、今日の日中していただいたように、アナタの世界でナレッジ・データベースや書籍、資料などを調べていただく…ということが出来ます。次にこちらの世界に来るまでの間、じっくりと考えてからアイデアを提案していただければ良いのです…通常ならば」

 「通常…なら?」


 アタシが日中、眠い目を擦りながら頑張ったこと自体は間違いではなかったらしい。

 けれど…「通常ならば」…ということは、アタシの場合はそうじゃない…ってこと?

 どうして?…あんなに頑張ったのに…。


 「…アナタは、どうやってこの世界へと訪れているのか。もう一度、正確に考えて見て下さい。普通は、皆さん、ここに来るためのシムタブを服用することで、意図的にここへとやってくるのです。アナタの場合は?」

 「アタシだって…じ、自分で望んで飲んだわけじゃないけど…最初にそのシムタブってやつを飲んだから…ここへ来たんでしょ?…な、何が違うっていうの?」


・・・

 

 「…申し訳ありません。説明が不足していますね。このシムタブは、片道切符のようなものです。一錠の服用の効能は、ここへ一度来るだけの効果しかありません。ここに居られる時間は、シムタブが体への悪影響を及ぼさないように通常1日程度」

 「片道…切符?」

 「そうです。片道切符。向こうの世界へ帰るのは、私にその旨をお命じいただくか、時間切れで自動的にお戻りになるか…そのどちらかです。ですから、次にこちらへ来る時には、再度、シムタブを一錠…だけ…服用して、それを片道切符としてご来訪戴くことになります…分かりますか?」


 最後に「分かりますか?」と付けたのは、言葉の意味が理解できるか?…という失礼な問いでは無いだろう。つまり、そのコトが、アタシの場合との大きな違いであり、それが、どういうコトを意味するか…分かるか?…そうジウは訊いたんだと思う。


 「アタシ…。最初に…3錠を一度には…飲んじゃったけど…その次は…」

 「はい。その次のご来訪の際には、新たな服用をされていませんね?」

 「…で、でも…それは、3錠を飲んでるからで、だから…1錠分の効果が切れても…あと2錠分の………あ」


 アタシは、やっとジウの言っている意味が分かった。

 同時に3錠を飲む…というのは、通常の服用の仕方では無い。それは、分かっていたけれど、その結果…通常とはどのような違いがあるのか…それを理解していなかった。


 もし、3錠分の効果が普通に働くなら…アタシは全部で3回しか…ここに来られない?


・・・

 

 「はい。そこで、確認のために質問します。アナタは、今回で何度目の…」


 アタシは、大きく口を開けてしまった。そして、すぐにジウの目を気にして左手の平でその口を覆い隠す。口を閉じれば良いだけなのだけど、その異常な事実に…文字通り「開いた口が塞がらない」…という状態になってしまったのだ。


 「お分かりですね。回数が…合わないのです。服用された錠数と。つまり、3錠を同時に飲むという想定外の事態に、シムタブが通常とは違う機能の仕方をしてしまっている…ということが…明らかになりました…」

 「ふ…副作用…!?」


 ジウは、とても辛そうな悲しそうな表情をして、アタシの目を見ながら頷いた。


 「本当に申し訳ありません。私は、この事態を軽く見ていました。3錠分の効果は、3度分の来訪としてしか働かないだろうと。ですから、次回にネイさんがこちらに来られるのは、アナタの世界で、十分に知識を得られて、かつ、このシムタブについてもご理解された上で、ご自分から望んで来られる時…だと…そう思っていたのです」

 「…それなのに…アタシは、直ぐに来てしまった…」

 「はい。3錠の効果が4回分になった。それだけなら…あまり問題視すべきでは無いかもしれません。しかし、効果が4回で切れるのか…それとも5回、6回と続いていくのか…ひょっとして、永遠に続いてしまうのか?…その場合の体への影響は…?」


 問題点を次々と列挙するジウの顔を、アタシは顔を青ざめさせて、ただ見つめていた。


・・・

次回、「眠り姫と呼ばないで(仮称)」へ続く

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