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Optimization -幸せにしてあげる-  作者: kouzi3
第1章 アタシの仕事
10/10

(10) 話題の人?

・・・


 「でも、凄いわよね。緒上さん。工学医療技師の視覚を持ってるんでしょ!…ナノタブの調整とか、出来ちゃうんですよね?」


 自分だけで抱え込んでいた問題を、共有してくれる仲間が二人もできた…アタシにとって、それは何よりも嬉しいことだった。

 明日から暫くは、昼夜逆転の生活をしなければならなくなるんだけど、それでも随分とアタシの気分は楽になって、目の前の二人…緒上さんと山下と、食後のお茶を飲みながら談笑を楽しむくらいの余裕が出て来たの。


 「ええ。本職にしているわけではありませんし、調整専用の高価な機器を所有しているわけではないので…それほど高度な調整はできませんが、軽い胃潰瘍程度なら何時でも治して差し上げますよ」

 「あははは。何言ってるんですか、先輩。ストレスとは無縁なネイさんが、胃潰瘍なんかになるワケありませんよ」

 「失礼ね!…誰がストレスと無縁なのよ!…でも、その若さで工学医療技師だなんて格好いいわよね。尊敬しちゃう!」


 いちいち無礼な山下のチャチャは軽くスルーして、アタシは緒上さんを讃える。


・・・

 

 「いえいえ。私なんて、遅咲きの方ですよ。実をいうと資格試験も2度ほど落ちていますしね。私に比べたら、僅か14歳にして工学医療技師になったDr.クリキは…やはり、天才なのでしょうね」

 「ドクター…クリキ?」

 「おや?…安藤さんは、Dr.クリキをご存じないんですか?」

 「え~っ!?…じょ、冗談でしょ?、ネイさん、あんな有名人を知らないって?」

 「え?…え?…常識なの?…それって、常識なの?…え?」


 あまりにも意外そうな様子で緒上さんが驚き、山下が同様に騒ぎ立てるので、なんだかアタシは、自分が相当に世間知らずなお馬鹿さんになったような気がして慌ててしまった。だ、誰よ!?ドクター・クリキって?


 「…いや。別に、常識だ…とまでは言いませんし、知らないと何か生活上で困ることがあるわけでもありませんが…」

 「そうかぁ…。ネイさん。あんまりうちの会社の仕事に興味ないですもんね」

 「きょ、興味ない…って何よ?…興味なくなんか………な、ないわよ?」

 「ほら、疑問形じゃないですか!」

 「うるさいわね!…だって、会社で仕事してても特に困ったこと無かったわよ!?…そんな人知らなくても。何なのよ?そいつ」


 アタシが少し逆ギレして訊くと、緒上さんと山下は互いの顔を見合わせて何故か固まってしまった。どうしたのかしら、そんな風に男性同士でいきなり見つめ合われても、アタシ困っちゃうんだけど。


・・・

 

 アタシが怪訝な顔で見ているのに気づいて、尾上さんは慌てて山下から視線を外し、首筋を掻きながら口を開く。


 「あー…アキラ。常識とまで言い切ったんですから、お、お前から安藤さんに説明して差し上げなさい」

 「ぃ!?…え?…僕?…って、何言ってるんですか。僕は『常識』だなんて、一言も言ってないですよ。ネイさんが勝手に騒いだだけで…」

 「あぁ。そうでしたね。しかし『あんな有名人を知らないのか?』と、非常識な者を見るような視線を向けたからこそ、安藤さんはそう思ったのでしょう。いずれにしても、『あんな有名人』であれば説明は容易なハズ。さぁ。安藤さんが早く知りたいとご希望です。さっさと説明を」

 「えーっ、嫌ですよ僕。先輩の方が説明とか上手いんですから、先輩がして上げればいいじゃないですか。説明」


 ちょっと、何なのよ?これ。

 何で二人してアタシへの説明を押しつけ合ってんのよ?

 何、ひょっとして、アタシの物分かりが悪すぎて説明するのが面倒くさいとか…そういうことが言いたいわけ?

 ぅむむむぅ。確かに、アタシは理解力が殊更優れているとは言わないけど、人並み程度には話が通じるつもりなんだけど。


 「そんなに説明が面倒くさいなら、もう良いわよ!…そりゃぁ、うちの会社でもエリート集団って言われてる企画開発室のお二人からすると、理解能力に劣るアタシなんかに説明するのは、さぞ、手間のかかることなんでしょうから。ふんっ!」


・・・

 

 あら嫌だ。できるだけ不機嫌さを抑えて言ったつもりだけど、ついつい思わず最後に「ふんっ!」とか言っちゃった。てへっ。

 そのアタシのご機嫌斜めさが伝わったのか、慌てて緒上さんが首と手を横に振り、取りなしてきた。


 「い、いえ。ち、違うんです。べ、別に安藤さん説明することを手間だなんて思っているわけではないんです。な、なぁ、アキラ」

 「うぃ!?…ちょ、ぼ、僕に振らないでくださいよ。って、え、えぇ。まぁ、ネイさんがチョットぐらい物分かりが悪くったって、まぁ、そのぐらいは我慢できますけど…って、痛っ!…何で殴るんですか!?先輩…」

 「も、物分かりの悪さなら、ほら、この通り、私からすればアキラの方が何倍も手に負えないぐらいですから…いや、その違います。安藤さんは、ちっとも物分かりが悪くなんてありません。はい」


 二人が取り繕えば取り繕うほどに、何だか余計に失礼なことを言われてしまっているような気がする。

 だから、アタシは「もう良いわよ…」と溜め息をつきながら二人に訊いた。


 「じゃぁ、何で、二人して説明を押しつけ合っているの?…そのDr.クリリン?…のコト、誰でも知ってる常識みたいに言ったくせに、実は二人もあまり詳しく知らなかったりするんじゃないでしょうね?」

 「いや。だから僕は常識だなんて一言もいってませんよぅ!…あと、クリリンじゃなくって、クリキですから。ク・リ・キ」


・・・

 

 「…た、確かに訳がわかりませんよね。申し訳ありません。安藤さん。実は…おそらく偶然だった…とは思うんですが、これまで私が誰か他の方にDr.クリキの経歴等について話をすると…その…か、かならず、その場に…その…ご、ご本人が…」

 「はぁっ?」

 「え?…せ、先輩もですか?…ぼ、僕も、そうなんですよ。うっかり調子に乗って経歴なんかしゃべったら…あぁ…想像するだけで…」

 「恐ろしい?」

 「「…鬱陶うっとうしい…」」


 アタシの先読みに首を振りながら、二人はまるで何かのシンクロ競技の様に声を合わせて表情を曇らせる。

 Dr.クウリキとやらの為人ひととなりを全く知らないアタシとしては、もう困惑以外にしようがない。

 小皺の癖がつくと嫌だから出来るだけそんな表情はしたくないんだけど、どうしても眉間に縦皺が浮かんでしまい、アタシはおそらくその表情にピッタリの訝しげな声で二人にツッコミを入れてしまう。


 「…って、過去に何があったか知らないけど…さすがに偶然でしょ。それに、緒上さん。さっき、この部屋、会社の打ち合わせにも使うセキュリティ万全の部屋だって言ってたでしょ?アタシの父も、同じこと言ってたし。もし、そのDr.クルリって人が盗聴とかも平気でやっちゃうストーカー的変態だとしても、この部屋なら大丈夫なんじゃない?」


 すると二人はビックリした顔でアタシの方に顔を向けた。また、シンクロみたいに。


・・・

 

 「…クルリじゃなくて…クリキ…ですけど…え?…ネイさん、やっぱりDr.クリキのこと良く知ってるんじゃないですか!?」

 「あ、安藤さんもお人が悪いですね。知らないフリをして私とアキラをからかったんですね。まぁ、今時、Dr.クリキの事を知らない人がいるなどと…信じる私たちの方が愚かなのでしょうが…あまりにも安藤さんの惚け振りが自然だったので。ははは…」


 は?

 どうして、そういうコトになるわけ?今度は、またアタシの方が目をパチクリする番だ。


 「知らないフリなんて…してないわよ?…どういうこと?」

 「え?」

 「…だって、ネイさん今、『盗聴とかも平気でやっちゃうストーカー的変態』って…」


 そのまま3人とも言葉を失って互いの顔を交互に見つめ合う。


 「「「え~~~っ!!!???」」」


 そして、互いに驚きの声を上げて指をさし合い、それぞれの戸惑いをぶつけ合う。


 「ちょ、ちょっと待って。ほ、ホントにその人って『盗聴とかも平気でやっちゃうストーカー的変態』なの!?!?」

 「も、もしかして…あ、当てずっぽうで…言ったんですか?…何て勘の良い…」

 「勘が良いどころじゃありませんよ、先輩。ね、ネイさん超能力があるのかも!」


・・・

 

 顔を引きつらせて、嫌な汗がコメカミを伝うのを拭き取るアタシ。


 「ぐ、ぐ、偶然よ。偶然。ほら、だって普通、常識って言われるほどの有名人が、そんなおかしな人だなんて…思わないじゃない。じょ、冗談のつもりで言ったのに」

 「そ、そ、そ、そうですよね。あ、安藤さんが、そんなヒトをからかうようなコトをするわけが無いですよもんね」

 「そ、そうですよ。そもそも先輩がDr.クリキの話なんか持ち出すからいけないんです。先輩が工学医療技師の資格試験に2回落ちようが5回落ちようが、資格を持ってない僕らからすれば単なる自慢話にしか過ぎませんよぅ!」

 「わ、私はご、5回も落ちたりしてませんよ」

 「だから5回でも10回でも何でも良いんです。変に謙遜して、必要もなくあの人を引き合いに出す必要なんてなかったんですよ」

 「…た、確かに。わ、私がいけなかったようです。で、では…別に私たちの今後にとって、特に重要というワケでもありませんから、Dr.の話は無かったことに…」

 「そうしましょ。そうしましょ。ね。ネイさんもそれで良いですよね」

 「え?…ぇえ…まぁ。アタシはいいわよ。別に、今日まで知らなくても何の不都合もなかったし。よく考えたら、何も二人に説明してもらわなくても、後でスマート・リングで検索して調べれば良いだけなんだから」

 「「そ、そうですよね。あは、はははははは…」」


 な、何だったのかしら。今のこのやり取り。アタシは、どっと疲れちゃった。

 まぁ、とにかくDr.クミッキーとかいう人が近づかない方が良い変な人だってことだけは良く分かった。だいたい今、アタシが置かれてる状況はそれどころじゃないし。


・・・

 

 『あの…緒上さん。ちょっと、よろしゅうございますか?』


 アタシたちが、Dr.ナンチャラの話を止めて、これからの当面の2週間をどう有効に使うかについて作戦会議をしていると、個室と厨房をつなぐインターフォンから、店主の申し訳なさそうな囁き声が聞こえてきた。

 緒上さんは「ちょっと失礼」とアタシに頭を下げてから、壁のタッチパネルを操作して、こちらからの声が厨房に届くように回線を切り替えた。


 「…どうかしましたか?ご店主が、この部屋の使用中、こちらからの呼びかけ無しに声を掛けてくるようなことは…これまで一度も無かったように思いますが」

 『は…はい。申し訳ございません。本来なら、このような失礼を働くことはございませんのですが…』


 店主は非常に申し訳なさそうに詫びた。

 そりゃ、そうよね。この部屋、うちの父やうちの会社の重役たちも使う部屋だもの。重要な取引の最中とかに、ちょこちょこ店主がチャチャを入れてきたり、盗み聞きを簡単にできちゃうようでは困るもの。

 だから、普段なら絶対にしないような非礼を、店主はしてしまったことになる。

 そんなことは店主が一番分かっているハズだから、それだけの理由があるってこと?


 『あの…誠に申し訳ないのですが、その、お部屋を別の部屋に移っていただくわけには参りませんでしょうか?…その、お詫びといってはなんですが…今日のお代は、戴きませんので…その』


・・・

 

 えぇ?…正気なの?

 上得意様だって、あんなに畏まって出迎えた緒上さんに、部屋を途中で替われなんて。

 な、何て無礼な。

 どんな理由があるかは知らないけど。どんな理由があったって、許されないコトよ。

 いくら父が贔屓にしている店だからって、ちょっと黙ってられないわ。いいえ。父の贔屓の店だからこそ、アタシが注意してあげなきゃ。


 「ちょっと、どういうことよ!?…代金をタダにすれば、何をやっても許されると思ってるの?」

 「安藤さん」

 「ぅえ?」


 壁のタッチパネル・モニターに、かじり付くように飛び付いて吠えたてるアタシの手首を緒上さんはギュッと握り締めて、アタシを壁から引き剥がした。

 見かけによらない力強さに、アタシは手首に痛みを覚えるよりも、ビックリしてドキドキしてしまう。


 「…失礼しました。ご店主。実はもう食事も終えていますし、大事な話は済んで雑談をしていただけですから、気に病む必要はありませんよ。ちゃんと、代金もお支払いします。そうしないと、後輩との約束を破ることになってしまいますしね」

 「え?」


 緒上さんは、優しい声でモニターに語り駆けると、山下の方をチラッと見て笑う。


・・・

 

 「…あ。ご、御馳走さまっす」

 『そ、そうですか。…ありがとうございます。緒上さま。そう言っていただけると救われた気分です。で、ではお土産だけでもご用意させていただきますので…』


 ぽかんとした間抜け面で緒上さんに手を合わせて礼を言う山下。

 そんなやり取りは当然、モニターの向こうの店主には分からないから、すこし戸惑った声で、それでも店主は丁寧に礼を述べる。


 「いえ。少し急ぎの用を思い出しましたので、お土産も結構です」

 『や…やはり、お怒りになっておみえですか?』

 「いいえ。いいえ。誤解なさらないでください。本当に急いでいるんですよ。ただ、部屋を開ける代わりと言ってはなんですが、一つ質問してもよろしいですか?」

 『え?…あ、はい。それはもう、何なりと』

 「ありがとうございます。では、ご店主。教えてください。来店したのは、我が社の者ですか?」

 『あ…はい』

 「なるほど。それなら安心しました。我が社よりも優先される上得意がいるようなら、今後、この店で機密事項を含む話が出来なくなりますからね」

 『そ、そのような…』

 「冗談ですよ。それで、この部屋を使うのは社長ですか?…それとも部長?」

 『営業部長様です』

 「なるほど…。これは、やはり急いでここを出た方が良いようですね」

 『…あの、申し訳ございませんが、あまりお待たせするわけにも参りませんので…』


・・・

 

 モニター越しに、「おい、随分と片付けに時間がかかっているじゃないか?」…という部長の声が聞こえて来た。

 確かに、アレは部長の声だ。

 あれ?…でも、確か、部長…今日は、首都街区まで飛んでエムクラック社のSEOの接待に行ったんじゃなかったかしら?


 「分かりました、私たちにも急用があるので、裏口から失礼させていただきます。いえ。次の用務先がたまたまそちら方面ですから。お気にせず。支払いは、既に、私のウォレットから済ませてあります。では、また…さぁ、アキラ。安藤さんも」


 タッチパネル・モニタのスイッチをOFFにすると、緒上さんは上着を羽織りながらアタシと山下にも急ぐように促してきた。

 えっと。急に、どうしちゃったのかしら?緒上さん。

 最初は、何やかんや言って、やっぱりお店の対応に気を悪くしたんじゃないかって思ったけど、声のトーンも表情も優しいままだし…?


 何がなんだか分からないままに、アタシたちは店の裏口から外へ出た。

 店の裏口…何て言うと、まるで厨房だとかStaff Onlyのエリアを通って、薄暗へ抜け出るようなイメージに思えるかもしれないけど、そうじゃなかった。

 そもそもこのお店には、店の表側と裏側の両方に出入り口があるんだ。

 少し細長い造りの建物で、駅に近い側の通りに面した方が表口。そして、裏口も店の反対側を通る大通りに面した立派な造りをしているの。

 だから、裏口という言葉の響きとは違って、私たちは堂々と大通りへ出て来た。


・・・

 

 一言も喋らずにズンズンと大通り沿いを歩く緒上さん。

 アタシと山下は、その後をただ黙ってついていくしかなくって…まるで何かから逃げているような妙な気分だった。

 どのぐらい歩いたかしら。少し疲れてきて、歩調が乱れてきたアタシ。

 緒上さんと食事会…ということで、普段はあまりはき慣れないヒール付きのオープンパンプスなんか履いて来ちゃったから、歩けば歩くほど足がオープンになってる前の方へずれて滑っちゃって…足の親指の爪のあたりがすれちゃって、ててて、てて…痛ぅ。

 山下は…と見ると、普段から革靴ではなくて薄汚れたスニーカーを履いているから、全然平気な顔で、通りに面した店舗の看板をキョロキョロと呑気に見回している。

 何だか、その呑気な顔がムカついて、アタシは不機嫌な顔で山下を睨んじゃった。

 その視線に気づいたのか、山下がアタシの方にやっと顔を向ける。


 「?…どうしたんですか?ネイさん。!…あ。そうか。先輩!先輩!」

 「ん。何ですか。アキラ。往来でそんな風に大きな声をだすもんじゃありません」

 「いや。そうじゃなくって、どこまで行くつもりですか?…僕、ちょっと喉渇いちゃったな。どこか店に入って少し休みましょうよ。ね。ネイさんも飲むでしょ?」

 「え。えぇ…そうね。飲みたいわ」


 山下の癖にアタシの気持ちを察したのか、緒上さんを呼び止めてくれた。

 むむむ。感謝はするけど、そのぐらいじゃ普段のマイナスポイントがプラスに転じたりはしないんだからね。でも、ありがと。

 心の中だけで礼を言って、アタシは緒上さんに向かって頷いてみせた。


・・・


 「すいませんでした。気がつかなくて」


 緒上さんは、アタシの足下にチラッと視線を送ってから上着の袖を捲り、手首のスマート・ブレスを確認する。

 我慢したつもりだけど、足の痛みを堪えているのが表情から分かっちゃったみたい。


 スマート・ブレスを見つめる緒上さんの瞳が薄青い光で仄かに輝く。

 アタシのスマート・リングも同じ仕組みだけど、最新のスマート・デバイスにはどれも網膜直接投射型のフォログラフィック・ディスプレイが採用されていて、周囲の人に見ている内容を盗み見られちゃう心配は皆無なの。

 だけど、見ている間はあんな風に微かにだけど瞳に光が灯ってしまう。真剣な顔でデバイスを見つめる緒上さんの横顔。やっぱり…この人のルックス、アタシの好みそのモノだわ。淡く輝く瞳が神秘的な感じで、余計にセクシーだし。

 …は。いけないいけない。食い入るように見つめてたら、山下が面白がるような冷やかしの視線でニヤニヤとアタシを見ている。


 ところで、どうしてあんな風に瞳が光る仕様にしたんだろう。技術的に光らないようにするのは無理なのかしら?あれじゃ、気づかれないようにコッソリとスマート・デバイスを見るのは無理ね。何か不便な気もするけど…。

 でも、そうか。もしも、何の変化もなくスマート・デバイスを見ることが出来たら、試験の時にカンニングとかやり放題だし、何か犯罪行為とかに悪用されちゃうもんね。


 そんなコトを何となく考えながら待っていると、やっと緒上さんの瞳の光が消えた。


・・・

 

 「そこの角を曲がると、個室のある喫茶店があります。そこへ行きましょう」


 どうやら緒上さんは、個室のある店を検索していたらしい。

 どうしてそんなに個室にこだわるのかしら?


 「せ、先輩。な、何だか『個室のある喫茶店』…って、いかがわしい響きがありますけど、大丈夫ですかね?僕、またネイさんに蹴られるの、嫌ですからね」


 !…言われてみれば。

 アタシは、山下の言葉に、行きがけの自分の勘違いを思い出して顔を赤らめてしまう。

 アタシのその赤面の意味をどう受け取ったのか、緒上さんが慌てて言う。


 「ば…何を言っているんです、アキラ。私が、そんな所へ安藤さんを案内するワケがないでしょう。…というか、私は『個室のある喫茶店』という言葉に、いかがわしさなど微塵も感じませんよ。いったいお前は何を想像したんですか?」

 「ぅわ。せ、先輩の裏切り者。一人だけ真面目ぶって…い、痛っ。な、何ですか。み、耳を引っ張らないで下さいよぅ」

 「うるさい。もう、すぐそこなんですから、黙ってついてきなさい」

 「痛たたたたた…わ、分かりました。わかったから、耳を離して下さいってばぁ~」


 またしてもズンズンと歩いていってしまう緒上さん。

 こんな時間に、こんな場所に一人で置いて行かれても困るから、アタシは急いでその背中を追いかけた。うわぁん。だから、オープンパンプスが痛いっていってるのよぅ。


・・・

 

 少し足を引きずるようにして、二人が入っていた扉をアタシもくぐった。

 店の中に入ると、突然、アタシは大音量に包まれた。

 耳を塞ぐほどではないけれど、壁越しに漏れてくる大音量の低音が少し気持ち悪い。

 何…ここって、もしかして…


 「なぁんだ。先輩が『個室のある喫茶店』なんて言うから、ちょっと期待してたんだけど…ここって、いわゆるカラオケ屋さん…ですよね?」

 「え?…そうなんですか。でも、シムネットで『喫茶店』というキーワードで検索した結果に表示されていたんですよ?」

 「う~ん。あ。分かりました。この店、『唄声喫茶』っていう店名みたいですよ。まぁ、確かに、歌うだけじゃなくてドリンクや軽食も頼めるみたいですけど」

 「そうですか。なら、何の問題もありませんね。安藤さん。少々、賑やかではありますが、この店でいかがでしょうか?…お気にめさなければ、他を探しますが…」


 って、緒上さん。アタシの意思を確認してくれるのは嬉しいんだけど…。

 受け付けの店員と、アタシ、もうバッチリと目が合っちゃってるんですけど。

 今の会話もしっかり聞かれてるだろうから、ここで他の店を探すなんて言ったら、アタシがこの店を気に入らないみたいなカンジになっちゃうじゃないのよ、ねぇ?


 「あ、アタシは別に構いませんけど…。別に、個室に拘らなくても良いんじゃないかしら。それに、ここじゃ、あまり落ち着いて話が出来ないんじゃないかしら?」


 アタシは、一応、気を使って、店員に聞こえないように小声で緒上さんに伝えた。


・・・

 

 緒上さんは、そんなアタシの気持ちに気づくことなく、ニッコリと笑う。


 「大丈夫ですよ。安藤さん。シムネット上のナレッジDBによると、この手の店の各部屋は、大音量を抑えるために分厚い壁で区分けされているそうです。部屋の中に入ってしまえば、自分たちが大音量を出さない限り、かえって静かなんだそうです」

 「…そ、そうなの?」

 「ええ。一部のサラリーマンの間では、重要な話ができる穴場として、結構重宝されている…と書かれています。店員が頻繁に行き交っていますから、廊下で盗み聞きする者もいませんしね」

 「は…はぁ。そうなのね」

 「まだ今後の方針について、話が済んでいませんからね。安藤さんが設定された2週間という研修期間は、長いようで案外あっと言う間に過ぎてしまいます。明日以降の計画をしっかりと決めておかないといけません。ここで話し合って決めてしまいましょう」

 「…わ、わかったわ」


 実際、足の痛みはもう限界だったから、アタシはもう緒上さんに反論する気力もなくなって、ただ頷いた。夕方、量子通信遮断容器とやらの中で少し眠れたと言っても、ここ数日、ほとんど睡眠を取っていないアタシは、立っているだけだって辛いんだから。

 緒上さんが店員に部屋の利用を申し込むと、あいにくと全室が使用中だったけど、5分ほど待てば1室が空き状態になるとのことで、部屋の片付けも含めて10分ほどアタシたちはエントランスロビーで待つことになった。

 アタシも緒上さんも、実はカラオケ店というのは初めてだから、キョロキョロと辺りを見回していると、山下がアレコレと解説し始める。頼んでもないのに。


・・・

 

 「カラオケ自体は、ご存知のとおり20世紀から存在する代表的な大衆文化で、基本的な楽しみ方ってのは昔からあまり変わってないらしいです。でも、機器の方は、もの凄い進化を続けていて、ちょっと凄いことになってるんですよ」


 普段、頭の上がらない緒上さんやアタシにレクチャーができるとあって、妙にノリノリで山下が蘊蓄うんちくを語る。

 山下の話によると、最近のカラオケ機器には、歌った声を自分とは全く別人の声に変換して再生してくれる機能だとか、手に持ったマイクに微弱な電流が流れることで、リズムに乗るのが苦手な人に電気的な信号で正確なビートを教えてくれる機能、同じく音程を間違えると電気的な刺激でそれを教えてくれるコーチング機能、歌詞が読めなくても鼻歌を歌えば自分の声で正しく歌詞を歌い上げてくれる機能、微妙にずれた音程をリアルタイムにピッチ補正してくれる機能…など、数え上げるのが面倒なほどの機能が詰まっているらしかった。

 まぁ…アタシたちは、別に歌う気はないから関係ないんだけどね。


 それに、最近では自分で声を出して直接歌うのは中年以上の年齢層だけで、若い子たちはシムネット上のSNSで自分のアバタに歌わせるっていう方が多いらしい。

 アタシはゲームも含めて全く興味ないから、SNSのコラム欄の記事でしか知らないけれど、シムタブ型のフルダイブ型SNSが出て来てからは、アバタになりきって歌うっていうのが人気らしく、ゲームとはまた違う市場を形成している…って経済系のコメンテータが書いてたように記憶している。そんな話を、山下は飽きることなく熱弁してる。

 映像自体は写真や映画みたいにリアルらしいけど、結局は作り物の仮想の世界と仮想の体で、無個性に上手に歌えたからって…何が楽しいのか、ちっとも理解できない。


・・・

 

 アタシがうっかりそんな感想を漏らしてしまったら、山下はそれを聞き漏らさずに、


 「仮想の体アバタなら、どれだけ歌っても喉を痛めることもなく、どんなキーでも無理なくだせる。腹筋が痛むことなく、体の振動を音として感じることもないから、モニタから聞こえる出力音は、他のアバタたちに聞こえるのと全く同じ音だから、録音して後で自分で聴いても違和感はゼロ。まぁ、肉体的な爽快感や疲労感もゼロですから、不自然さが気になる人には不満かもしれませんが…若い子たちには、ウケてるんですよ」

 「はぁ…そう。悪かったわね。若い子じゃなくって」

 「大丈夫です。そんな若い感覚についていけないネイさんのような方にも、もう少しで、究極にリアルな仮想の体を楽しんでいただけるようになりますから…。そのために、僕たちは…」

 「アキラ!」


 山下のアタシへの何気に失礼な発言に、ついに緒上さんが怒ってくれた?

 …のかと思ったら、


 「それ以上は、最重要の社秘事項に該当します。クビになりますよ?」


 と事務的に後輩への注意をしただけだった。

 だから、山下は「おっと、危ない。危ない」と舌を出して笑っただけで、再び取るに足らないカラオケの蘊蓄を延々と話続けた。まったく、良く話疲れないものね。


 醒めた目つきで熱弁する山下の顔を見ていたアタシと緒上さん。


・・・

 

 山下の話を、話半分に聞き流しながら、アタシは何とはなしに、受付カウンターの頭上に大きく展開されているホログラフィック・ディスプレイを見上げた。


 あ。紛らわしいから良く混同されるけど、スマート・リングやブレスの「フォログラフィック・ディスプレイ」と、今見上げてるような「ホログラフィック・ディスプレイ」は、全く別ものなの。音だけ聞くと、全く一緒で聞き分けられないんだけど。

 で、話をもとに戻すけど、アタシが見上げたホログラフィック・ディスプレイには、バーチャル・アイドル全盛の今時には珍しく、アタシたちと同じ生身の人間…というか少女が映し出されて踊っていた。


 「あ。アタシ、この娘知ってる!…えっと。確か、石田…」


 アタシが思わず口にすると、緒上さんもアタシの視線を追って少女の映像に眼を向けた。


 「石田かおる…ですね」

 「そう。それ。彼女、頑張ってるよね」

 「そうですね。もう、この時代、生身の人間がライブで歌って成功することなんて全く希なことですが…彼女は、その数少ない一人ですね」

 「おぉ。ネイさんも、さすがに『ルーちん』のコトは知ってるんですね。あちコチのMMORPGに実名でアカウント作り、NPCのバーチャル・アイドルたちにはない、PCならではの個性的なプロモーションを展開しているのが成功の理由ですね」


 すかさず蘊蓄を披露してくる山下。んもう。本当にウザイわね、コイツ。


・・・

 

 そんな話をしているうちに10分が経過し、受付の担当者から部屋の準備が完了した旨の声がかかる。

 アタシたちは一番奥の個室へと案内された。

 廊下の光るラインに沿って自分たちで部屋まで行くという方法もあるんだけど、他の客に自分たちがどの部屋に入るかを事前に知られるのを嫌って、緒上さんは敢えて店員に直接案内させる方を選んだみたい。

 部屋の扉が直接見える場所まで案内されると、店員を下がらせ、山下と一緒に周囲に他の客がいないことを確認してから個室へと入る。

 個室へ入ったら、緒上さんは真っ先に防犯用の監視カメラに何か細工をした。そして、胸ポケットから取り出したセンサーの様なものを操作して、小型ビデオや盗聴器が隠されていないかを念入りにチェックしたのには、さすがのアタシも少し引いてしまった。

 アタシが怪訝な顔で見ていたら、


 「ダミーの映像を送るように細工しました。幸い盗聴器や集音器の存在は確認できませでしたから、これで安心して話ができますね」


 と微笑む緒上さん。


 「…ちょ、そこまでしなきゃならないの?」


 アタシは逆に、身の危険を感じてしまってソワソワしてしまう。


 「申し訳ありません。安藤さんの今の状態は、社秘相当の機密事項ですから」


・・・

 

 そう言われて、アタシは忘れかけていた自分の体のコトを思い出す。

 怪しげな薬…シムタブを一度に3錠も服用してしまったことで、睡眠が全くとれなくなってしまったのだ。

 いや。他の人から見ると、全くもって熟睡しているように見えるらしいから最悪だ。

 その見た目に反して、アタシは夢…ではなくて「仮想世界」という別世界で、ずっと覚醒したままでいるんだから。

 睡眠不足で死ぬことってあるのかなぁ…とか、不安に思うけど、睡眠をとれていないのは脳だけで、体の方は…どうなのかしら。自分でも、自分の状態を正確に把握できていないところが、これまた底知れず恐ろしかった。

 アタシの表情が曇ったのを察して、緒上さんが力強く言う。


 「大丈夫です。安藤さんのコトは、私とアキラで必ず何とかしてみせますから」

 「そうですよ。僕はともかく、先輩の技術は凄いんですから、大船に乗ったつもりで僕たちに身を任せてください」


 山下の方の発言は、何の励ましにもなっていないような気がするけど…まぁ、気持ちだけはありがたかったから、アタシは黙って頭を下げた。


 「…ところで、どうしてあのお店から、あんなに急いで…逃げるように抜け出したんですか?…確か、アタシたちの代わりにあの部屋を使うのは、うちの…営業部の部長だって言ってましたよね?」


 話が深刻な方向へ行かないように、アタシは敢えて自分のコトとは別の質問をした。


・・・

 

 「あぁ。そうですね。何の説明もなしに、連れ出してしまって申し訳ありませんでした。しかし、安藤さん。営業部長は、本日、確か首都街区の方へ出張されたんですよね?」

 「ええ。アタシのお試し研修の件の話が決まった後、急いで出て行ったわよ」

 「わざわざ首都街区まで出向いたのに、何故、首都街区の方で食事をとらずに、こちらへ戻ってきて、あの店に訪れたのでしょうか?」

 「え?…真空チューブ・ライナーを使えば、この時間に戻ってくることは難しくないでしょ?あちらでの用事が早く済んで、こっちで食事をすることにしただけじゃ…」

 「営業部長は、元々は首都街区に邸宅をお持ちの方です」

 「そ、そうなの?」

 「はい。しかも、あの店は、単に一人で食事をするために用いることはマズありません。私たちと同じように、何か重要な話を…誰かとするためだと予想されます」

 「…誰か…と?」


 それを聞いて、山下が急に顔色を変えた。


 「や…やっぱり!?…あの人が、コッチに来てるってコトですね!?…で、でも、名前をちょっと出しちゃったぐらいで、深い説明はしなかったじゃないですか?」

 「はい。余り細かい話をしたつもりはありませんが、同じジンクスを持つ私とお前が、しかも、どちらが説明するかしないか…などと言い争ってしまったので…」

 「ちょ、ちょっと、どうゆうことなのよ?」

 「先ほどの店で話したとおり、例のDr.…は、通常の会話で一瞬名を出す程度なら問題は無いんですが、話題として詳しい経歴などを語ってしまうと…その後、かなら…」

 「かなら?」


・・・

 

 必ず…と言おうとしたことは間違いないんだけど、不自然なところで急に話を止める緒上さん。「ら」を発音する形のままに口を開け、扉の方を凝視したまま固まっている。

 何事かとアタシも扉の方を振り返ると…


 「ご注文をお伺いに参りました」


 …と、受付にいたのとは別の店員が、扉を開けて顔を覗かせている。


 「あ。はいはい。遅いじゃないですか。待ってました。僕はコーラね。あ。アイスフロートの奴ね。先輩はコーヒーで良いですよね?…ネイさんは、何飲みます?」


 どうやら、いつの間にか山下が店員をオーダーに呼んだらしい。

 って、今時、このお店ってタッチパネル式のセルフオーダーを導入してないの?

 アタシが驚いたように、緒上さんも驚いたのか、言葉を失ったままだ。

 山下だけが、おつまみは何にしようかと、ドリンク以外のメニューをタッチスクリーンに表示させて、左右にスライドさせ、呑気に迷っていた。

 店員の次の発言を聴くまでは…


 「おや。そんな注文で良いんですか?」


 その店員は、受付の店員が来ていたような制服を着ていなかった。

 その店員は、客を敬うような表情をしていなかった。

 その店員は…店員なんかじゃ…無かったから。


・・・

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